第3話



 少年の年齢を知らない阿夜霞は思う。

 ──元服の頃だろうか。


 いつもと違う服装で訪れた少年に阿夜霞が思った事。

 少年は高校の入学式の日に、そのままこの森にふらりとやって来た。


「そうか、お前ももう大人か?」

 答えてくれない少年に話しかけるのも、もう慣れた。


 慧親は元服だ、大人になった。と教えてくれた。

 人の世の決まりなだけで阿夜霞は良くは分からなかったが、慧親はとても誇らしげだった。


 でも少年は誇らしげどころか、少し悲しそうな、つまらなさそうな。そんな顔をしている。

 だから阿夜霞は、元服ではないのか?と思い考えを改める。


 何百年も経っていたら、仕組みも変わっているだろうと。元の世界でもニ百年もあれば国の一つや二つ滅んでいる。


 ──滅ぶ……やはり慧親も……。


 どんな最後だったのだろう。出来るなら弔ってやりたい。

 逡巡して、声にする。きっとこれは後で後悔する、わかっていても。


「少年……北山きたやまのもんすけちかって武士を知らないかい?」


 聞こえていない少年が答えるはずもなく。聞こえていたとしても、悪党上がりの武士の名など、知っていようはずもなく。


 可能性があるならば、慧親本人だという事くらい。

 ──わかっていたよ。そうだと良いなと、思っただけだよ。


 胸が痛む。いつだってそうだ。思い出すと痛む。



「無関係だなんて……思えない……」



 日を追うごとに、あの若武者に似てくる。 

 阿夜霞ももう、自分の気持ちを偽れなくなっている。


 昨日今日の話では無い。それはもううの昔に。

 慧親とは違う、この名も知らぬ少年を。




 けれど、この想いを恋と呼んでしまうには。


 終われていない恋があまりにも愛しすぎて。




 § § § §




 少年はこの森がよほど気に入ったのだろう。

 ずっと足繁く通っている。


 まだ幼い頃の、その頃の遊び方とはもう違っていたが、この地に来てはゆっくりと過ごして行く。


 一人で来るものだから、自分の名前を口にする事も無く、友人が呼ぶ名で阿夜霞が知りえる事も出来なくて。


「ねぇ、名前を教えておくれよ?」


 もう、結構な時間を共に過ごしているのに、互いの名前を知ることは出来ていない。

 阿夜霞に関しては、存在さえ分かってもらえていない。




 § § § §




 新三年の授業も始まって、進路は国立理系でいいか。と悩む時間も勿体ないからと、得意科目だけで決めたのは半年前。希望は変わっていない。

 好きな授業は真逆で古典と世界史だ。でも好きなだけ。何かの情熱の様なものは無い。なら家で本でも読めばいい。


「つまらない……」


 そんな十七歳なら誰でも持っているような思いを独り言ちる。

 在り来たりで凡庸なその言葉。一人では無い事を知っていれば、彼もまた違った事を言っただろう。そんな事を呟くような者こそが『つまらない』のだと思っていたのだから。


 ここに夜桜を見に来たのも、日常から離れた景色が欲しかったから。


 そう、今は夜。

 桜の盛りはやや過ぎて。


 枝垂桜の美しさに、心奪われて尚。口をついて出たのは『つまらない』という嘆きだけ。実に若者らしくて、阿夜霞はそれも愛おしいと思った。


「なら、一緒に話をしよう。楽しいよ?」

 聞こえない声を、阿夜霞は今日も紡ぎ出す。


 ふわふわと浮かびながら、少年の周りを浮かんでいる。

 時折、少年の肩にしな垂れかかったりして。


 ──好き……。 

  

 それは間違いがなかった。ただ、恋だとは言いたくないだけで。





 そして。


 事はいつも不意に始まる。



 それは誰かにとっての恋も同じで。




 現れた少女。風に靡く髪は銀色で、そこから見える耳は長く尖っている。

 美しい顔立ちにならんだ瞳は不思議な藤色。


 あまりに唐突に表れたその少女を阿夜霞は知っている。名前も。


 彼女が生まれた時に立ち会って、言祝ことほいだ事だって覚えている。世界に極光を降らせ、古き名で祝福を与えた。加護さえも。


 ──……何故……ここに……。


 いや、そんな事、今はどうでも良い。



 一瞬で攫って行った。少年の眼も心も。総てをも。





 終わらせる事が出来なかった恋に、始める事すら出来なかった恋。


 ──どっちが悲惨か、なんて比べちゃいけない……よね。





 絶望なんて、それはもう知っている。だからもういらない。

 泣くのも、もう飽いた。だからもうしない。


 あの子が生きているだけでも全然違う。それならきっとまた会えるから。

 



 ……自分に言い訳をするのは、この何百年かで得意になった。



 ──……ふぅ。

 ため息が一つ。



 見つめ合っている二人を見るのも苦しい。


 でも……



 ──少年、嬉しそうだね。 


『つまらない』と独り言ちていた者と同じ顔だとは思えない。



 ──私が、してあげたかったよ。


 嬉しそうにも、楽しそうにも。ちかにしてあげられなかった事も全部。



 ──ああ、そうか。ごめんよ、少年。私はやっぱり慧親を見ていたようだ。


 少年の事は好きだ。大好きだ。

 でも、どうしても、慧親の事を思い出す。



 何百年も慧親を待っていた。愛しいと慧親を思い続けてきた。


 少年と出会って十年。

 比べる物では無いけれど、阿夜霞にも時間は必要なのだろう。



 ──少年だけを好きだと思えるようになったら……また、好きって言っても良いか?


 届かない声だけど。と自嘲気味に笑う。



 そして、聞こえる。

 風にそよぐ桜枝葉の音に紛れて、少年の声が。


「……俺は豊浦耕平とようらこうへいって言います」

それがし北山きたやまのもんすけちかと申す』

 

 重なるように阿夜霞の耳に声が届く。


 泣きたくなんて無かった。

 でも、零れた雫に言い訳なんかも出来なくて。


 いつかは自分に向けられていた声が、今は他の人に向かっている。



 ──そう……それが少年の名前なんだね。……耕平。



 大好きな少年の名前は、彼が一目で恋に落ちた美しい少女への自己紹介で知る事が出来た。




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終われなかった恋。始まらなかった恋。 ほにょむ @Lusuz

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