第21話 白い影

 ──何だろう。体がすごく揺れている。それに、地響きのような──。

『──きてください!起きてください……!』

「ん……えっ?じ、地震ですか?」

 僕がむくりと体を起こすと、護衛二人が青ざめた顔をして僕に向かって叫んでいた。

「ああ、日ノ山さん!問題が発生しました!無線が繋がらないので今すぐ業さんと阿賀宮さんと合流すべきかと!早くこちらに!」

「も、問題?」

「早く!」

 二人の鬼気迫る表情に気圧され、僕は慌てて業さんのジャケットを手に取ると、護衛の指示に従って転げるように廊下に出た。

「あ!祐希君!大丈夫かい?」

 廊下に出た途端、別の部屋から飛び出してきた業さんと目が合った。業さんは僕を見るなり猛スピードでこちらに駆け寄ると、護衛二人に指示を出した。

「今すぐ部屋に入ってください!倒れる可能性のあるものからは離れて丈夫な机の下などに隠れてください!早く!」

 業さんは、今出てきた部屋にもう一度僕を押し込んだ。

「あ、あの!業さんは?」

 業さんが部屋のドアを閉めてどこかへ行こうとしたので思わず引き止めた。

「僕は碌君と合流する。揺れが収まるまで動かないで。いいね?」

「は、はい」

 寝起き早々何が起こったのかさっぱり分からなくてパニックになりそうだったが、業さんの的確な指示のおかげで少しだけ冷静になれた。

 業さんは僕を見て力強く頷くと、ドアを閉めて向かって左に走っていった。業さんが僕の視界から消えた途端、なぜだか分からないけれど、正体不明の胸騒ぎに襲われた。

「日ノ山さん、こちらへ!」

 僕がドアの前で呆然と立ち尽くしていると、護衛の一人が僕を引っ張って鉄製の机の下に避難させてくれた。その後、僕の両サイドを固めるようにして二人も机の下に潜り込んだ。

 揺れが収まるまで約一分程度だったと思う。その間部屋の外では、何かが崩れ落ちる大きな音が響き渡っていた。ほんの僅かな時間なはずが、この恐怖が永遠と続くような気がした。

『ジジ、ジー……。君?祐……君?聞こえ……かい?はあ……はあ……。どうやら、揺れが収まったようだね。碌君は無事だよ。今か……向かうからそこで待っていてね』

 揺れが収まってから数秒後、僕の右にいた護衛の無線から、途切れ途切れに業さんの声が聞こえてきた。どうやら二人は無事のようだ。僕はほっと胸を撫で下ろした。

 僕は机の下から這い出て、ドアを少しだけ開けて部屋の中から外の様子を伺った。建物の真ん中が吹き抜けになっているせいで脆いのか、その吹き抜けの空間側に設置されていた手すりが崩壊してなくなっていた。床には所々ヒビが入っている箇所もある。この様子だと無闇に廊下に出るのも危ないかもしれない。業さんの言う通り、部屋の中で大人しく待っていることにした。

 しばらくして、コンコン、とドアを叩く音がした。僕は弾かれたように立ち上がり、ドアを開けた。

「──業さん?!」

 そこには、頭から血を流し、碌君と護衛に支えられながら辛うじて立っている業さんがいた。思いもよらぬ光景に、喉が詰まって言葉が出なかった。

「ちょっと油断してしまったみたいだ……。碌君と合流する時に、上から落ちてきた瓦礫に運悪く当たってしまってね」

 力なく笑う業さんを見て、さっきの嫌な予感が当たったと思った。僕があの時止めていれば──。

「大丈夫、見た目ほど大した傷じゃないから」

 そう言いつつもやはり一人で歩ける状態ではないようで、二人に抱えられながら部屋の中に置いてあった椅子に腰掛けた。

「本当にすまない。僕のせいで捜査に遅れが出てしまう」

 頭の傷の手当を受けながら、業さんが焦ったように口走る。こんな時でさえ自分より周りのことを優先的に考える業さんを見て、いたたまれない気持ちになった。だからこそ慕われるのだろうとは思うが、こんな時ぐらいは自分の心配をしてほしい。

「捜査よりも業さんの命の方が大切に決まってるじゃないですか……」

 僕が声をかけても業さんの悔しそうな表情は変わらなかった。

「実はさっき廊下に出た時、七階の吹き抜け部分に白い影のようなものを見たんだ。人間の形だった」

 白い影?まさかそれって──。

「恐らく、研究員が見たと言っていた人影と同じだろうね。もしそれが今回の事件の元凶なら──まだこの建物の中に居る可能性がある」

 まさか。化け物がまだここに?だとしたらどうすればいい?こんな護衛の数じゃきっと太刀打ちできない。業さんは怪我を負って動けそうにないし、碌君は完全に怯えきってしまっていていざという時に戦えそうにない。かといって僕なんかが何か出来るとは到底思えなかった。

「そういえば、工君と砂逅君は大丈夫なんですか?」

「それが、二人とは連絡がつかないんだ。さっきの揺れで何かあったのかもしれない」

 嫌な汗が首筋を伝う。つまり今僕達は、十分な戦力が確保できないうえに、化け物がいるかもしれない崩壊しかけの研究施設内にいるということだ。仲間の安否も分からない。

「一体、これからどうするんですか?」

 傷の応急処置が終わって、よろけながらも一人で立ち上がる業さんに問いかけた。

「大丈夫、心配いらないよ。今から本部に連絡して応援を寄越してもらう。君達は何があっても僕が守る──」

 ──バキバキバキィ!!

「なっ?!」

 突然の大きな爆発音が鳴り響いて、業さんの声をかき消した。そしてその音とほぼ同時に、爆発で吹き飛ばされた瓦礫が僕の身体中を打ち付けた。目を開けて皆の様子を確認しようにも視界は真っ白で何も見えず、そのまま爆風によって瓦礫ごと飛ばされて、背中から思いっきり壁にぶつかった。

 一瞬、気が遠くなる。意識の糸がぷつりと途切れそうな感覚に襲われる。それでもなんとか目を開けて意識を保つ。大丈夫、多分骨は折れていない。

「……業さん、碌君、だ、大丈夫ですか?!」

 僕は痛む体を起こしながら必死に叫んだ。それでも返事は聞こえてこない。

「業さん!碌君!」

 辺りに散らばった瓦礫をかき分けながら二人の名前を呼び続ける。

「……祐希、君」

「業さん?!」

 すぐ近くで業さんの声が聞こえた。砂埃で視界が悪く、手探りで声の方へと進んでいく。

「業さん!大丈夫ですか!」

 砂埃の中にうっすらと、大きな瓦礫の下敷きになった業さんが見えた。僕は大急ぎで業さんのもとへ駆け寄った。

「本当にすまない。こんなんじゃ、祐希君の先輩としてやっていけないな……」

 業さんは弱々しい笑みを浮かべながら顔を上げて僕を見た。

「そんなこと言わないでください!い、今、瓦礫をどかしますから!」

 業さんにのしかかっている大きなコンクリートの塊を、精一杯の力で持ち上げようとしたものの、僕一人では業さんが抜け出せる程動かすことは出来なかった。

「ど、どうしよう、それに碌君も──」

「碌は大丈夫だ」

「え?」

 ふと背後から聞き慣れない声が飛んできた。驚いて振り返ると、やはり見慣れない二人が、気を失った碌君を抱えて立っていた。

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背徳は蝉時雨のように 阿久津 幻斎 @AKT_gensai

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