後編

 

 訪問者は僕と同じ位の少女だった。


 たっぷりと揺れる赤い髪に大きな青い目、ツンと尖る鼻にはそばかす。背は高く、僕と同じ目線。

 ボロボロの登山リュックにアーミーブーツ、カーキ色の外套がいとうを羽織り、全身が薄汚れていても美しい女性なのは一目瞭然だった。


 突然現れた訪問者の登場に驚く人々。

 訪問者は周囲を見渡し、英語で言った。


『この中で一番若いのは誰?』


 訪問者の名をエリザと言った。

 リーダーはエリザを隔離部屋へと導き、彼女の問いである一番若いのは僕であると伝えた。

 するとエリザは『わかった』と言い、外套を脱いだ。僕はその姿に目を見開いた。


 体にぴったりとフィットしたシャツにパンツ姿。その全身は引き締まった彫刻の様な筋肉で出来ていた。

 みずみずしい筋肉を持つ、健康そのものの姿だったのだ。

 その逞しい身体付きに驚いていると、エリザは僕にでも分かるくらい、ゆっくりと英語で言った。


『これは、お父さん、お母さん……妹なの』


 彼女は悲しい微笑みを浮かべ、筋肉が家族であると言うのだ。

 意味が分からずに戸惑っていると、英語が分かるリーダーがエリザの話を翻訳し始めてくれた。



 ◆



 エリザが住んでいたのは、北欧の方のコミュニティらしい。

 200人近くの人が住んでいたそうだ。

 しかし、そこも秩序はなく暴力が支配する世界だった。


 ある日の事。エリザの10歳になる妹が空腹に耐え切れず、配給以外の食料を盗んでしまった。

 食料を盗むのは大罪。

 妹は処刑にされる事に決まる。


 妹は有刺鉄線で出来たフェンスに針金で括りつけられ、処刑人と呼ばれるコミュニティの上層部の人間によって鉄パイプで殴り殺される事になった。


 それを家族であるエリザ達や、反抗的な民衆にも見せつけた。


 恐怖と痛みに泣き叫ぶ妹。嗚咽する父と母。

 妹の元へ駆けつけたい衝動を、両親に抑えつけられながらもエリザは泣き叫び続けた。


 悔しい……。悔しい、悔しい、悔しい!

 代われるものなら、代わってやりたい!!


 苦しむ妹をまざまざと見せつけられて、エリザは怒りと悲しみが渦巻く感情を吐露するように強く願った。


 強く強く願った。

 きっと、両親も同じ思いだったのだろう。


 それは突然だった。


 エリザを抑えていた両親の力が抜けて、お互い触れていた部分がとても熱い感覚に襲われる。

 異変に思わずエリザが見上げると、覆いかぶさる様に抱きしめていた両親のフォルムが歪み、両親の……父と母の輪郭の境界線が消えて、二人は一つの物となった。

 驚く間もなく、その一つになった物はエリザの体と溶けあった。


 ――すると、枝の様に手足がやせ細っていたエリザに信じられない力が漲った。

 体が盛り上がる様に膨らみ、硬い筋肉を纏った肉体へと変化したのだ。


 呆然と驚いている暇は無かった。

 このコミュニティにいる人間は、誰もが栄養失調気味でエリザと同じようにやせ細った人間ばかりだ。処刑人とて同じ。


 エリザは大幹に漲る力を放出するかのように、処刑人目掛けて跳躍し、その勢いで処刑人の頬を殴った。


 一瞬の出来事で何が起きたのか、分からなかった処刑人。

 殴られた衝撃で数メートルもすっ飛んだ。

 それから我を忘れたエリザは筋肉の乗った腕を振りかざし、残る二人も殴り飛ばした。

 処刑人達が倒れ、すっ飛んだ鉄パイプがカランカランと床に打たれて二、三度揺れて地面に転がった。

 エリザは急いで妹の針金を手で引っ張った。すると、木綿の糸を切るかの様に針金があっさりと千切れた。


 青黒い痣に切り傷の赤黒い血を全身から流し意識が朦朧としている妹を優しく抱き留める。

 息が浅い。血も流れすぎている。……もうダメかもしれない。


 エリザがそう思った時、妹が微笑んだ。

 そして、呟いた。


「あったかい。そうか、あたし、お姉ちゃんと一緒になれるんだ……嬉しい」


 すると、腕に抱いた妹が両親達と同じように熱くなり、輪郭を失い、溶けてエリザに吸収される様に消えた。


 再び漲る力、増量するエリザの全身の筋肉。

 そこで悟ったのだ。

 自分は、他人を吸収し自分の筋力に変化出来る能力があると。


 ――エリザのコミュニティの人々は、エリザの突然変異を『エンド』の時に蔓延した生物兵器の副作用だと推測した。

 生物兵器から身を守るために、種を存続させるために、体が劣悪な環境で生き延びるために得た新たな能力だと。

 まだ体の発達が未完全だった子供だけが、世界の変化に適応しようとして得られた能力だったのだ。



 ――それから、強靱な体を手に入れたエリザは同じ能力を持つ仲間を探す旅に出る事にした。


 元より崩壊後は子供が極端に少なく、奇跡的に適齢期の女性が妊娠・出産をしても無事に育つ事がほぼ出来ない世界だった。


 エリザは悟った。

 自分が希望なんだ。この強靱な体で、同じような強靱な体を持つ異性と子孫を増やさなければならないと。


 孤独な旅だったが、いつまで経っても衰える事ない筋肉が――両親と妹がいつもエリザと一緒にいた。

 人肌恋しさに泣きたくなる夜は、以前よりも少しだけ体温が上がった己の肉体を、両親と妹を包む様に優しく抱きしめた――。



 ◆



 僕はエリザの話を信じる事にした。

 もう信じるしか道は無かったと言った方が近いかもしれない。


 リーダーと僕は隔離部屋からコミュニティのホールへ行き、エリザの話をした。

 以前は皆の集う憩いの場だったホールは、今や病気に冒された人々が静かに死を待つ空間になってしまった。


 リーダーからエリザの話を聞き終えると、寝込んでいた老婆は重たい体を起こし、僕の元へとゆっくりと歩いてきた。そして、僕の前にしゃがむと両手を掲げて呟いた。


希望シーワン……!」


 他の数人の大人たちも僕の元へと集まり、手を差し伸べた。

 僕は老婆達の意志を悟った。


「……いいの……?」


 老婆はこくこくと頷いた。

 僕はしゃがみ、老婆と同じ目線になると病気に冒されて命が尽きようとしている老婆を強く抱きしめた。

 ありがとう、大好きだったよ、という言葉を呟きながら。

 すると、老婆の体はゆるゆると輪郭を失い崩れ、老婆だったものが僕の体へ吸い込まれていく。


 すると、体の筋肉がミシミシと音を立てて、膨れ上がった。

 棒の様だった腕が、足が強くしなやかな筋肉を付けているではないか。

 ガラの様だった体が、厚い胸板を持つ強靱な大男へと変貌したのだった。


 そして……心の奥、その一番深い部分に老婆の存在を感じる。

 そうか、僕はこうして、老婆と共に生きていくんだ。

 エリザが両親や妹と共に生きていく様に……。





 ◆





「――のぞみ


 藍の空と砂漠となった始まりの大地。

 名前を呼ばれて振り向けば、エリザが立っている。


 あれから僕らは地下コミュニティを旅立ち、二人で何年も世界中を旅した。


 どんなに劣悪な環境でも、三日飲まず食わずでも、この体になってから僕らは何にも負けない体となった。


 その間に同じ能力を持つ仲間に十九人も出会い、大所帯になって来た我々はこの『エンド』の始まりの大地に新たなコミュニティを拓く事にした。


 今でも僕は同じ能力者を探す旅を続けながら、変化が出来ない人々を支援する活動をしている。


 エリザは六年前に妊娠・出産をして、今は子育てに忙しくしている。

 この環境に負けない、とても健やかな男の子だ。

 そして僕らの二人目の子を妊娠しながら、同じ境遇の女性の支援をしていた。


『ねえ、エリザ。ここは昔、青い空と金色の小麦畑が広がる大地だったんだって』

『ええ……』


 僕は旅の道中で手に入れた、過酷な地形にも強い草の種を取り出した。


『この種は始まりの種。この大地の砂漠を減らし、いつか再び金色の小麦畑になる日が来るための第一歩』


『……例え私たちがその小麦畑を見ることがなくても、この子達か、その子孫がやり遂げてくれるはず』


『でも僕だって生きている限りは最期まで努力し続けるよ。僕らはたくさんの人達の筋肉希望をこの身に抱いて生きているのだから』


 僕を包む筋肉が熱くなる。

 きっと、みんなもそう思ってくれているのだろう。

 ――なんて強い人達なんだろうか。



 エリザと始まりの種を乾いた大地へと丁寧に蒔き終えると、遥か彼方から僕を呼ぶ甲高い声が聞こえてくる。


 振り向けば、僕らの子供が更に小さな子供を数人引き連れて、こちらへと元気に駆けて来るのが見えた。

 強い日照りにも乾いた大地にも負けない、僕らを更に超越した強さを持つ子供たち。

 

 僕はエリザの肩を抱き、逞しく生きようとする小さな命達へ、そして僕達の中に眠るたくさんの筋肉達へ希望が届く様に、この始まりの大地から大きく大きく手を振った――。




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僕という名の希望 さくらみお @Yukimidaihuku

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