第26話:動き出す夜

王宮の牢獄から解放された久時は、布を被った男に連れられて白蓮宮より少し離れた古い監視塔に案内された。

監視塔は建国初期に設けられ簡素な造りながら、王宮への敵襲に備えて兵が数名泊まりがけで監視に当たれるよう部屋が数室用意されている。

しかしながら現在は使用されておらず、王族の久時でさえも実際に立ち入るのは初めての場所だ。地図にも表記されていない程度の半ば史跡めいた場所ではあるが、それ故にあの襲撃の被害にも遭わなかったらしく王宮の傍にありながらも外壁には傷ひとつ認められなかった。


「我が主がお待ちだ、ついてこい」


久時が布を被った男にそのうちの一室へと案内されると、屋外の監視に使われていたであろう窓に向かう木椅子に、一人の男が掛けていた。

歳の頃は五十程と見え、癖のある髪を風に靡かせつつ、久時の姿を確認するとにんまりと口角を吊り上げ笑みを向けた。


「おお、ああ。生きていたか、生かされていたか、久時よ」


男と対面した彼は、その男から発せられる肌がひりつくような嫌な空気から、すぐにその男が人間ではない事を察知した。


「お前は、“何”だ」


本能的に身構え拳を握りつつ聞けば、男はゆっくりと椅子から腰を上げ、ゆらりと首を傾げて言った。


「悲しいことを言う。人間というのは、実に悲しい。わたしは双白だよ、かわいい久時坊や」


 双白──父王の精霊の名。その名を耳にした事はあったが、初めてその姿を目の当たりにし、久時は生唾を飲んだ。


「王の精霊が、何故この様な場所に」

「久時よ、王の子よ。お前は、生きて王の座を手にしなければならない」


 双白は、久時にそうとだけ言った。意味を理解出来ずにいた彼であるが、双白はあえて多くを説明しようとはせずに、そうとだけ告げると白い衣を翻し、久時をここへ連れてきた男を従えどこかへ去ってしまったのであった。

 何が王の精霊か。王宮が襲撃されても、なにもしてくれなかった癖に──久時は塔の狭い部屋の中、大の字に寝転がって途方に暮れた。

 あれから、静音はどうなっただろう。妖の襲撃をくぐり抜けたとして、独りで生き延びることなどできるだろうか?体も弱く、すぐに泣いてしまうような子だ。今頃どこかの親切な人に見つけてもらっていればいいが、そうでなければ。悪い想像ばかりが、脳裏をよぎっていく。


 すると、それからどのくらい経ったのか──朝か夜かもわからない塔の中、不意に部屋の戸が開き、自分をここへ連れてきた人物が食事の膳を持ち入室した。

 久時は、この布を被った者はおそらく“穢れ人”であろうと直感した。実際に見るのは初めてだが、独特の無感情な話し方となんともいえぬ居心地の悪さは普通の人間とは違う何かを感じさせた。

 そしてその人物の後ろで、一人の女性がうっすらと笑いを浮かべて久時を見ている。その姿に、久時はばねのように勢い良く体を起こして口を開いた。


「……母上、なのですか」


 少し幸の薄い、けれど自分と口元がそっくりな、実の母親。王の側室である彼女が、このようなところにいるはずがない。そう訝しく思いつつ久時が尋ねると、母と思しき女は静かに頷いて彼の傍へ腰かけた。

 けれど、母が声を発する事は無く。ただにっこりと笑う母に、久時は戸惑った。


「お声を失っておいでなのですか」


問いかけると、彼女は眉を下げまたこくりと頷き、喉を指さした。


「母君は王宮の襲撃にわずかに逃げ遅れ、喉を火の手に焼かれたのだ」


母が答える代わりに穢れ人が無感情にそう告げ、そういうことよ、とでも言うように母は困ったように笑みを浮かべる。久時は怒りのような、悲しみのような感情に胸を焼きつつ、ひとまず母の命が無事である事を目の当たりにし安堵していた。


「しかし、母上が何故このような場所に?母上はあの日、父上について逃げ伸びられたと思っていたのですが」


 母が、王宮陥落の際に声を失った──その事実は、心臓を一気に握りつぶされたような痛みを伴い彼の胸を締め付けた。

思えば、病弱な母は彼と妹の静音が幼い頃より離宮で世話をされ、王と医者、そして飯を運ぶ女官以外の人間の出入りを厳しく遮断されてきた。兄妹は母と文のやり取りこそ定期的にしていたが、久時も彼女と最後に会って話をしたのはもはや数年前のことであった。

その母が、なぜこんな目に遭わなければならないのか──久時がそう悲しみに暮れていると、問の答えは唐突に部屋に現れた男の声によってもたらされる事となった。


「悲しいなあ、王子よ」


 久時の背後に現れた、白い衣の男。彼は光のない瞳をして、白髪交じりのくせ毛を整えるように撫でつけていた。


「おお、お前の父上は逃げたとも。可愛い妃がいるからか、それとも次期王となる候補が妃の腹にいるからか。お前の母は私が拾うまで助けも呼べずにうずくまっていたよ」

「双白」


 男、双白の方をきっと睨み付けながら、久時は強い口調で言った。


「それはどういう意味だ」


 探るような、しかし父を疑い始めた視線。双白は手ごたえを感じ、にたりと笑って答えたのだった。


  *    *    *    *



 双白はその夜、一人廃墟と化した王宮跡にて酒を煽っていた。

 妖や精霊にとって、酒はただの水分でしかないのだが。それでも双白は、この味が好ましく思えた。


「人の姿で飲む酒は、また格別よな」


美味そうにごくりと喉を鳴らして徳利を空けると、彼は何かに思いを馳せるように月を眺めた。


「おお、ああ。早うお前に会いたいものよ」


 まるで目の前に、誰かがいるように。楽しげな口調でそう言うと、双白は不気味なほど美しい白龍にその身を変え、夜空へと消えていく。


 動き出した、それぞれの道。夜は、始まったばかりであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

此岸の妖 川崎 昴 @micka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ