#Tomatoo

月見 夕

トマトに溢れた世界で

 最初に「トマトを植えよう」と言った馬鹿がどこのどいつだったのか、僕は知らない。

 窓の外に青々と広がるトマトしか生えていない図書館の植栽を睨み、僕は再び掌の推理小説に目を落とした。


 ちょうど昨年の春頃だっただろうか、「空いた土地にはトマトを植えよう」という運動が世界各地で盛んに行われた。アメリカのセレブの間では常識というレベルで流行っていたらしい。多分慈善的な活動と食べ物を自らの手で生産するというオーガニックな行動との相性が良かったんだと思う。

 彼らは自宅の庭に、公的な施設の片隅にトマトを植え、収穫し、貧しい他人に分け与え、その様子を余すことなくSNSに載せた。どうやらそれがバズったらしい。

 いつだって日本にムーブメントが伝播するのは海外で流行り切った後で、そうした思想を最良と信じて止まない人間達は「アメリカでは常識」「理解できない方が遅れている」と声高に叫び、その運動自体に苦言を呈することすら何だか許されないような、そんな雰囲気すら追い風にして新しい習慣を身の回りに蔓延らせていく。

 SNS発の運動か何かだったはずが、どんな土地にも根を生やし実をつけるトマトに食糧難の解決策を見出し、国や自治体もこぞって参加した。街中の空き地や植栽には品種に違いはあれどトマトが植えられた。今やトマトの国内自給率は300%を超える。

 しかし食糧難の開発途上国でやるならまだしも、飽食の日本で同じことが成立するわけがない。結果、そこらに腐り落ちたトマトが溢れる事態に発展した。食べきれない癖に植えるのだから始末に負えない。


 僕はとにかくトマトが嫌いだ。ひとたび齧り付けばじゅるりとした中身が口の中に広がり、どろりとして種と共に喉を流れていく。その感触がたまらなく嫌いだ。

 それだけではない。トマトを嫌いだと言えない世の中も嫌いだ。「え、トマトってみんな好きでしょ?」と悪気なく言う奴らが嫌いだ。「てめえの言う”みんな”はどこからどこまでだ言ってみろ」と胸倉掴みたくなるくらい嫌いだ。

 でも言わない。そんなことを口にすれば世相に袋叩きにされかねない。

 ただこの馬鹿げたムーブメントが終焉を迎えるまで、圧倒的弱者トマト嫌いは息を潜めて待つ他ないのだ。

 幸いトマトは夏野菜だ。ハウス内で育てられているものはまだしも、露地栽培で冬を越すことはない。だからこの光景も秋を過ぎればおさらばだ。

 早く冬よ来いと、僕は今日もこうしてトマト畑を意識からシャットアウトするために図書館で物語の世界に没頭していた。


 ……はずだったのだが。

 しゃきん、しゃきん、と小気味のいい金属音がして、僕は再び窓の外に目を遣った。そして目を疑った。

 僕と同じくらいの年頃だろうか、長い黒髪のセーラー服の女の子が植栽に立ち入り、大きなハサミでトマトの株を刈り取っていた。たわわに実った真っ赤な実が茎ごと容赦なく伐採され、ローファーに踏まれて潰れ、またさらに刈り取られていく。

 眼鏡の奥の彼女の瞳には何の感情も浮かんでいなかった。

 ただそうすることが自分の使命とでも責任感を負っているわけでもなく、憎しみを浮かべるでもなく、ただ淡々とトマトを蹂躙していた。

 その様子に、僕はなんだか胸がすく思いがした。小説を閉じ、思わず拳を握る。

 そうだ、いいぞ、もっと――

「おい君、何してる!」

 駆け付けたのは図書館の職員と思しき男性三人だった。ひとりは拡声器で彼女の凶行を止めさせようと牽制している。もう二人は警察を呼んでいるのか、怪訝な顔でスマホを耳に当てていた。

 いたって常識に溢れた指摘だと思う。普通にトマトでないただの植栽だったら、僕もそう言うかもしれない。

 でも僕は彼女の成す事を止めさせたくなかった。どんなに悪だろうと、その行為は何か僕を救う気がした。

 居てもたってもいられず、図書館を飛び出した。


 むせ返る真夏の熱気に飛び込むと、真っ白なタイルには一面潰れたトマトが広がっていた。蒸された濃いトマト汁の臭いが鼻をつく。

 セーラー服の少女は、そこらに生っているトマトを手あたり次第ちぎっては職員に向かって投げつけていた。その勢いには一切の躊躇がなかった。

「おいやめろ、この――」

 職員達も負けず劣らずその辺のトマトを投げて応戦している。大事に育ててたんじゃないのかよ。

 彼らの必死の形相に余計馬鹿馬鹿しくなってきた僕は、迷わず彼女の元に駆け出して加勢した。真っ赤に熟れた実をちぎり、大きく振りかぶって投げる。ドロドロの中身を散らしながら、それは職員の鼻に命中した。

 隣の彼女は突然現れた僕に一瞬驚いたようだったけれど、すぐに新しい実を握りしめ、職員達に力いっぱい投げつけた。

 あちらもお返しとばかりに腐ったトマトを投げてくる。大嫌いな汁を頭のてっぺんから爪先まで被り、顔を顰める。なんせ三対二だ。飛んでくるトマトの総量でいうとこちらの方が被弾量が多い。

 しかし一投ごとに心が晴れる気がして、僕らは投げるのを止めなかった。

 不毛なトマト投げ合戦に、真っ赤に染まった拡声器を掲げた職員は必死に叫ぶ。

「君達、自分が何やっているのか分かっているのか!」

「うるせーバ――――――カ!! なんで植えるのか、ただ周りに流されてるだけで大した理由も意志も持ってない癖に!!」

 彼女は存外に口が悪かった。その手には熟れていない固く青いトマトも握られている。直撃した職員は痛そうだったが、彼女はそれを見てほくそ笑んでいた。性格も悪かった。

 程なくして手に負えないと悟ったらしい職員達は一目散に逃げて行った。

 トマトの汁塗れになった僕らは肩で息をしていて、そして目を合わせて思わず噴き出した。酷い顔だった。醜悪だったと思う。でも満足だった。

 彼女はひとしきり笑った後、僕に聞いた。

「トマト、好き?」

「嫌い。君は?」

「社会が嫌い。トマトが好きであれっていう社会が」

「分かるよ」

「気が合うね」

「偶然だね」

 僕の言葉に、彼女は眼鏡を外して笑った。固い実が直撃したらしくレンズが割れているそれを、何の未練もなさそうに放る。

 果汁が滴るその目元は涼しく、僕は思わず見とれてしまった。

「いや……それを運命って言うんじゃない?」

 そう言って彼女は僕に口付けした。

 初めてのキスは、熟れたトマトの味がした。

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