予告された殺人の記録2 (シナリオ 君のくちびるに花束を編)

高原伸安

予告された殺人の記録2 (シナリオ 君のくちびるに花束を編)

予告された殺人の記録2 (シナリオ 君のくちびるに花束を編)


                              高原伸安


○字幕(スーパー)「この物語は、実話に基づいていますが、人間のコピーなどはSFで、ある意味フィクションであり、実在の人物・団体・地域等とはいっさい関係ありません」


○ゴーガンの大作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。

一郎のN(ナレーション)「思考の世界にようこそ! 鳥取教授のクローンの技術はSFであるが、私のヒプナティズム文書等の技術は現実である。それを、これからお話して、あなたを深い思考の世界にお招きしましょう。また、この物語は私の畢生の大作のため、登場人物・地域名etcはすべて、仮の名とします」

順子のN「これは、“哲学の書”であると同時に“数学の書“そして”宗教の書“でもあります。さあ、物語の幕を上げることにします!」


○イタリア。ミラノ。サンタマリアデッグラツィエ修道院。レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の前。

順子のN「このお話は、ミステリーです。あなたは、黒崎徹、トーマス・チャップマン、ピーター・レッドフォード、J・B・オコーネル、中谷建一を殺しました。それをわたしたちが告発するのです。そのことを問題提起しておきます。ただ、この事件の詳細は伏せておきます。後に述べる理由により、あなたにはそれが認識できないからです。これは超難解な問題でもあります。頭の中の殺人なので、あなたは心の旅にでるでしょう。そして、辿り着く答えは・・・?」


○ロシア科学アカデミー。学生が真剣に授業を聴いている。トットリ教授が教壇で講義している。

トットリ教授「私の授業にようこそ! 思索こそが世界を変えるのです」

 学生から拍手がおこる。

トットリ「二〇〇四年ヒトゲノムの解読が完了した後、遺伝子操作の技術は飛躍的に発展しました。現在はクローン人間も、簡単に造り出すことが可能です。(周りを見回す)」

女学生「(手を上げて)ハイ」

トットリ「どうぞ」

女学生「教授は、サイエンス誌上で“記憶もDNAの中に包含されている”との立場を取っておられますね」

トットリ「DNAには、性格、趣向、性癖、病気と言った個人情報がすべて取り込まれています。だから、コピーといっても、まったく同じ人間なのです。もうひとりの自分が誕生するということになります」

男子学生「自分がオリジナルかコピーかわからないということですか? アイデンティティの危機ですね」

トットリ「まったく同じ人間です。我はだれでもあってだれでもない。すべてであって、すべてではない。ギデオンの言葉です」

女学生「私の言ったことが、何か気にさわりましたか?」

トットリ「狭雑物また楽しからず」

講義終了のチャイムが鳴る。

トットリ「それじゃ、今日はここまで」


○京都の天龍寺の寺内。庭にも観光客が溢れている。一郎、寺内を徒然に散策している。法堂にある天井の龍の絵(八方睨みの龍)が一郎を見ている。修学旅行の女子高生や男子学生が携帯電話(スマホ)をかけているのが目につく。


○ギリシャ。クレタ島。港を見下ろす入江。

 ヨット上ではギリシャの大富豪のココ・ゲオルグの七十歳の誕生パーティーが開かれている。フォックスが腹這いになり、レミントン狙撃銃を構える。スコープの中ではゲオルグが少女から花束を受け取るために屈む。別方向からライフル弾が飛来し、ゲオルグの胸に当たる。フォックスもゲオルグを射ち、見事命中する。フォックス、スコープを弾道の方向へ向ける。野球帽を逆に被った男が同じようにベレッタ狙撃銃を構えている。二十代後半の短髪の典型的なヤンキーである。お互い、スコープの中で顔を確認し合い、引き金を曳く。ピーター、額の真中に弾丸が当たり、後ろへ吹き飛ぶ。ピーターのボート・テイル弾はフォックスの頭を掠めて、後ろの岩へ突き刺さる。


○京都の天龍寺の寺内。また庫裏のだるま図も面白い。ユニークな中にも荘厳さが溢れている。家族客も多い。子供がアイフォンでゲームをしている。その歴史的な建物と科学の粋との取り合わせがミスマッチで面白い。


○ロサンゼルス。ビバリーヒルズ。ベルエア地区。中谷製薬社長、中谷明邸。豪壮な屋敷で庭が広い。高価な絵や美術品で彩られた居間で中谷社長と高木副社長が密談している。

中谷「ピーターはなぜ失敗したんだ?」

高木「オリンピックの金メダリストとしてのプライドでしょうね。相手に自分の存在を知らしめるためにまずゲオルグを射った」

中谷「腕は良くても、所詮はアマチュアだったということだな。フォックスだけを狙っておけば良かったものを」

高木「次は絶対逃しません」

中谷「奴は我息子の敵だ!(暖炉の上の写真立てに目をやる)」

 写真には結婚式のときの幸せそうな中谷建一の姿が写っている。


○中谷社長の回想。中学生の中谷建一の誕生日。子馬をプレゼントする。建一、牧場で、その白馬へ嬉しそうに乗っている。それを中谷社長が、愛しそうに見ている。


○京都のキリスト教会の中。荘厳な雰囲気である。イエス・キリストとマリアの絵があるステンド・グラスの窓が神々しい。一郎、教会の祭壇の前で神父の話を聞いている。入口の傍で、白髪のおばあさんの携帯電話(アイフォン)がピカピカ光り、出ようとしている。

一郎「そのとき青白き馬をみた。馬に乗りし者の名は“死”。あとに地獄を従えて」


○中谷社長の回想。中谷製薬の本社ビル。最上階のレストラン。中谷建一の重役への就任パーティー。着飾った男女で溢れている。建一の妻の洋子、建一の長男、長女の姿も見える。中谷社長の前に建一がいる。晴れ晴れしい顔である。突然、窓に穴が開き、建一の頭を銃弾が突き抜ける。建一がゆっくり倒れ、中谷社長の腕の中で息を引き取る。


○リトル・トウキョウ。ごくありふれたホテル。浩二の部屋。ガラスのテーブルの上に、『予告された殺人の記録』、“高原伸安”著という本が置いてある。

アン「この本は?」

浩二「うちの研究チームが開発している文書(本)さ。著者名は、チーフの名前になっているけど」

アン「開発って?」

浩二「その本には、大いなる秘密(トリック)があるのさ」

アン「心理学の本?」

浩二「見た目は、ミステリーの小説だよ」

アン「どういうこと?」

浩二「きみは、“ヒプナティズム文書”って知っている?」

アン「いいえ。でも、さっきも“文書”って言葉をつかったわ」

浩二「知らなくて当然さ。幻の文書だから」

アン「どういう?」

浩二「“文書”つまり“小説”の中に、サブテキストが隠されていて、それを読んだ人間は催眠にかかって、その指示に逆らえないというものだよ」

アン「ウソでしょう?」

浩二「それが、文字(映像)でも声(音声)でも点字(触覚)であってもね。脳にイメージを結べばいいんだ」

アン「小説でも音楽でも映画でもいいというわけね」

浩二「ぼくたちは、スマホやアイフォンを考えている。そのゲームがターゲットなんだ」


○ロシア。モスクワの高級アパート。トットリ教授、助手の王麗花と激しいセックスをしている。


○メキシコ。メキシコシティ上空。ジャンボ・ジェット機にフォックスが乗っている。


○同、メキシコシティ。メキシコ空港。ジャンボ・ジェット機が着陸しようとしている。

管制官「七七七便、着陸を許可します。高度を徐々に落としそのままの針路で進入してください」

機長「了解、ありがとう。管制官」

 ジャンボ・ジェット機が着陸の体勢を取る。


○空港の滑走路のそばの作業車の中。十二基の投光器つきのトラックである。二メートル近い筋肉質で逞しい男が銃を構えて、ジャンボ・ジェット機を狙っている.銀髪のクルーカットのロシア人である。この男が持っているのはレーザー銃で、網膜を焼いて相手の視力を奪うハイテク・ガンである。


○作業車の中。ジャンボ・ジェット機が向かって来て、着陸しようとする。

ロマノフスキー「(投光器のスイッチを入れ機長、副操縦士の注意を引き、レーザー銃で二人の目を射る)ダス・ヴィ・ダーニャ(あばよ)! フォックス!」


○リトル・トウキョウ。ホテル。浩二のベッド・ルーム。

 浩二、アン、ベッドに倒れこむ。

浩二「いまの時代、マインド・コントロールつまりヒプナティズム(催眠)でどんなことをさせることができると思う?」

アン「たとえば、盗みとか殺人とか潜在意識がダメだと思うことはさせることができないんじゃなかった」

浩二「一体いつの時代の話だい? 確かに昔はそういわれていた。だけど、現代は、どんなことでも可能なんだ。いまの科学では、潜在意識そのものを薬物によって消したり歪めたりすることができるし、脳に電気シグナルを送ればどんな感情でも引き起こすことができる」

アン「そうなの?」

浩二「もし、ある人間に自殺や殺人を行なわすには、RHIC(電波による脳内催眠)=EDOM(電子による記憶抹消)という技術を使うのが普通なんだ。ハイテクを駆使した神経性(ニュートロン)催眠だよ」

アン「スマホやアイフォンの時代ですものね」

浩二「まずRHICによってあるキー・ワードで常に催眠状態になる訓練をする。そしてその状態で殺人なり自殺なりのお好みの行動をプログラムする。それから、EDOMで記憶の抹消を行ない、仕上げをする。このプログラムはその人間が生きている限り一生有効なんだ」

アン「こわいわ」

浩二「これは一九七五年に、ジェームス・ムーアが“モダン・ピープル”でスクープしている事実だよ。また、現実に一九六八年に起こったロバート・ケネディ暗殺事件が、マインド・コントロールを使った殺人じゃないかという説もある」

アン「まさか。そんなことはあり得ないわ」

浩二「ぼくにはわからないよ。サーハン・サーハンは自白しているんだから。確かにアメリカでは、上院のチャーチ委員会でCIAが色々なマインド・コントロールの人体実験を行なったことは証明されている。『ブルー・バード』や『MKウルトラ』や『アンティチョーク』といったコード・ネームのネ。そして、ロシアのFSB(ソ連のKGB)や中国共産党も同じ技術を持っている」

アン「滑稽だわ。マンガとしか思えない」

浩二「オウム事件と同じようにかい? でも、彼らでさえあれだけのことをやってのけた。こちらは、国を挙げてのプロジェクトだ。それに、事実は小説より奇なりという言葉もあるよ」

アン「もしかしたら、自分がずっと知っている自分でないなんてアイデンティティの危機だわ」

浩二「そっちの方にもっていくんだ」


○ジャンボ・ジェット機のコクピット。機長、副操縦士、投光器の方へ視線を向けた瞬間、目の前がまっ白になる。機長、咄嗟にスロットルを引き機首を上げ、墜落は免れる。

管制官「七七七便、どうした?」

機長、副操縦士「目が! 見えないんだ!」

 機長、ジャンボ機をオート・パイロットにして時間を稼ぐ。


○ジャンボ・ジェット機、機内。

機長「(アナウンス)乗客のみなさんは落ち着いて、クルーの指示に従ってください。みなさんの中で、ジャンボ・ジェット機、いや飛行機を操縦された経験をお持ちの方はいませんでしょうか。少し機長に力をお貸し願いたいのです」

 この爆弾発言に機内に動揺とざわめきが広がる。しかし、そんなことをいっていられないほど、状況は逼迫している。

中年の女性客「機長が病気で操縦できないんだわ。墜落しちゃうのよ」


○ジャンボ・ジェット機。機内。フォックス、スチュワーデスと話をしている。


○ジャンボ・ジェット機。コクピット内。

 機長、副操縦士がキャビン・アテンダントに濡れたタオルを目に当ててもらっている。

機長「あなたですか? なにを操縦したことがありますか?」

フォックス「F一五イーグル、F一四トムキャット、F一六ファルコン」

機長「空軍のパイロットの方でしたか?」

フォックス「まあね」

機長「ジャンボ・ジェット機も大きいだけで基本的には同じです。操縦の仕方は私が側で指示しますし、地上からは管制官が総力でバックアップしてくれます」


○ジャンボ・ジェット機。コックピット内。

機長「(計器類を示し)オート・パイロットを解除して大きく右へ旋回してください」

 ジャンボ・ジェット機、大きく傾く。乗客、騒ぐ。乗客パニックになりかける。フォックス、指示通りに操縦している。

機長「高度は?」

フォックス「二〇〇〇フィート」

機長「体勢を立て直して」

管制官「機首が下がり過ぎている。このままでは墜落する」

機長「ゆっくりスロットルを引いて」

管制官「スピードが速すぎる」


○滑走路。ネットが張られ、救急車、消防車などが待機している。


○浩二の回想。

清里バス・ツアー。観光バスの中。満席である。浩二の隣の若い女性は、景色には目もくれずに本を読んでいる。プラチナ・ブロンドのスタイルのいい都会的な顔立ちの美人だ。


○浩二の回想続く。女性は、本に赤のペンで線を引いている。本には、英語で次のようなことが書かれている。

『To what shall I compare this life? the way a boat rowed out from the morning harbor  leaves no traces on the sea.』

浩二のM「(心の中で)『世の中を 何物に譬へむ 朝びらき 漕ぎ去にし船の 跡無きごとし』、万葉集の沙弥満誓の歌だ。意味は“世の中を何にたとえようか。朝の港を漕ぎ出した船の跡も残らないようなものである”人生の儚さをうたった歌だ」

 

○浩二の回想続く。女性はもう一つの歌にも線を引いている。

『As the ears of rice on the autumn fields bend in one direction, so with one mind would I bend to you, painful though the gossip be.』

浩二のM「(心の中で)『秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛ありとも』、こちらは、但馬皇女の恋の歌だ。“秋の田の、稲穂が一つの方向になびくように、私もひとすじにあなたに靡きたいのです。たとえ人に噂されようとも”」


○ジャンボ・ジェット機。体勢を立て直す。

機長「もう一度。今度はゆっくりだ」

 ジャンボ・ジェット機、二度目はスムーズに空港に進入してくる。乗客、祈りを奉げている。管制塔、固唾を呑んでいる。着陸態勢に入る。


○作業車、ロマノフスキー、もう一度投光器のスイッチを入れて、レーザー銃を構える。ビームがフォックスを照らす。

イワン「(引き金に指を掛け)さあ、こちらを向くんだ」

 フォックス、そちらを一顧だにしない。ジャンボ・ジェット機、着陸する。不安定な姿勢ながらネットを薙ぎ倒して、滑走路の端でギリギリ止まる。


○管制塔。ジャンボ・ジェット機が無事着陸できたことで、沸き立っている。

管制官「プロでも難しい着陸だったな」

別の管制官「あのパイロットはヒーローだな。これから、マスコミがうるさいよ」


○ジャンボ・ジェット機。抱きあっているスチュワーデス、歓喜の機長と副操縦士、沸き立つ乗客。そんな騒動の中で、フォックス、いつの間にか消えている。テレビ局のカメラもヒーローを撮えていない。


○滑走路の外れの作業車の中。胸をポリマー製ナイフで刺されたイワン・ロマノフスキーの死体が発見される。


○リトル・トウキョウ。ホテル。浩二のベッド・ルーム。アン、浩二のくちびるを白くて長い指で塞ぐ。

アン「もう、難しいのは嫌! 難解すぎるもの。もっと単純な言葉がいいわ」

浩二「アイ ラブ ユー、とか?」

アン「私、その言葉を待っていたのよ」


○トットリ教授の回想。モスクワ。赤の広場。

 トットリ教授がベンチに座っている。日本人とロシア人が近づいて来る。

高木「トットリ教授ですか?」

トットリ「そうですが」

高木「先程、電話でお話したものです」

トットリ「私に何か頼み事があるとか」

高木「単刀直入に申しましょう。ある人間のクローンを作っていただきたいのです、まったく同じのね。可能ですか?」

トットリ「あなたは私の論文を読み、腕を見込んで依頼しているのでしょう。確認は不要です。報酬は何ですか?」

高木「無尽蔵の研究費というのはどうですか?」


○スエーデン。ストックホルム。高級ホテルの高層階。星空が美しい。

 トットリ教授、王麗花、ナオミ・ジョンソン、リサ・イワノヴィッチが酒盛りをしている。テーブルの上には、ウオッカ、日本酒などの酒瓶、キャビア、フォアグラ等のオードブルが一杯載っている。

トットリ「フォックスは強敵だぞ」

麗華「それは承知の上よ」

トットリ「ミツバチがオオスズメバチに襲われたとき、どうやって敵を倒すか知っているかい?」

ナオミ「どうするの?」

トットリ「オオスズメバチが巣に入ってくると、ミツバチは100匹以上の集団で襲いかかるんだ。オオスズメバチを直径5cm程の蜂球という部屋の中に誘い込み、羽根をはばたかせて、蜂球の中の温度を46~47度に上げるんだよ。オオスズメバチの死ぬ温度は約45度だけど、ミツバチは49度までもつんだ」

麗華「蒸し殺すの?」

トットリ「蜂球の中の二酸化炭素の濃度も3%に上がり、そのためにオオスズメバチの致死温度も下がって、高温と酸素不足で約10分以内で死ぬそうだ」

リサ「つまり、協力が必要だと言いたいのね。でも、あたしたちがミツバチだって? 可愛いじゃない」

トットリ「このミツバチというのは、ニホンミツバチのことで、スズメバチのいない所に住むセイヨウミツバチは、蜂球を作る習性がないので、養蜂家が守ってやらないと全滅するんだ」

リサ「シャーロック・ホームズの趣味が養蜂だという意味がようやくわかったわ」

麗華「スズメバチだったら中国にもいるわ」

ナオミ「アフリカにもね」

リサ「あたしたちが必ず勝つわ」

トットリ「それに、我々には秘策というか秘密兵器があるしね」

麗華「そういうこと」

ナオミ「勝利を祈って、乾杯!」

 四人、グラスを合わせる。


○リトル・トウキョウ。ホテル。最上階のレストラン。浩二とアン、フランス料理に舌鼓をうっている。

アン「前にも言ったけど、わたし軽いおんなじゃないわ」

浩二「そんなことは、百も承知だ。だから、きみを誘っているんだ」

 浩二、笑顔をみせる。

浩二「だから、3億円の保険には入ったよ。きみを受取人にして」

アン「それって、プロポーズの言葉?」

浩二「数学的な証明だろう?」

アン「まあ」

浩二「真剣にきみを愛しているんだ」

アン「せっかちなのね?」

浩二「愛とか恋とかいうものは、単純なのが一番さ」


○コロンビア。ボゴタ。ホリバール広場。次期大統領候補のラファエル・スパダフォーラがマイク片手に演説している。

ラファエル「リカルド・エレーラはコロンビアの候補者ではなくアメリカ人の利権を代表する候補者だ」


○少し離れたホテルの一室。風が強く、コロンビアの国旗が真横に靡いている。フォックス、照準スコープをスパダフォーラの心臓の少し横に合わせる。「コロンビア万歳」という大歓声とともに、フォックス、レミントン800の引き金を絞る。一瞬後、スパダフォーラは人形のように地面に崩れ落ち、骨や筋肉の断片が後ろに飛び散る。フォックス、銃を立て、周りの様子を覗う。


○別のホテルのラウンジ。バー、フォックス窓際の席にいる。リサ・イワノヴィッチ、近づいていく。金髪のモデル並の美女である。

リサ「ご一緒していいかしら?」

フォックス「・・・」

リサ「あなた、南米人なの?」

フォックス「・・・」


○ホテルの一室。ベッドの上。リサとフォックス、激しいセックスをしている。

リサ「(フォックスの背中に爪を立て)アアー」

 フォックスの背中に血が滲んでいる。


○同、ベッド上。セックスの後。リサ、治療のふりをして血を採る。

リサ「シャワーを浴びてくるわ」


○同、バス・ルーム。リサ、血がついたタオル、爪の中のフォックスの皮膚、髪の毛、フォックスの精液をそれぞれ採集瓶の中に入れる。


○ロサンゼルス行きのジャンボ・ジェットの機内。リサの、フォックスとの回想。ホテルのベッド・ルーム。

フォックス「何の目的でオレに近づいた?」

リサ「別に。あなたがエキゾチックで、セクシーだったからよ」

フォックス「(シガーを吸いながら)オレにあまり興味を持たない方がいい」


○ロサンゼルス。ダウンタウン。居酒屋。クリスマスイブ。外は雪が降っている。

アン「雪を見て思い出したの」

浩二「なにを?」

アン「あなたが、最初出会ったとき、私に聞いたこと」

浩二「なんて?」

アン「万葉集で、富士山が出てくる歌ってあるかなって? 私、あの有名な歌を忘れていたわ」

浩二「ぼくも後で思い出した。山部赤人の不尽山を望みし歌一首その返歌だろう」

アン「そう。Coming out from Tago’s nestled cove, I gaze; white, pure  white the snow has fallenon Fuji’s lofty peak.っていうね」

浩二「田児の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 不尽ほ高嶺に 雪は降りける」

字幕「田児の浦から出て見ると、真っ白に、富士の高嶺に雪が積もっていたことだ」

アン「きっと、冬の富士山も素晴らしいんでしょうね」

浩二「たぶんね。だったら、これから一緒に行ってみないか?」

アン「連れてってくれるの? じゃ、お願いしようかしら?」

浩二「現金なものだね」

浩二、アンを抱き寄せ、熱いキスをする。

 研究所のメンバーが手をパチパチと叩きながら現われる。

一郎「お熱いシーンだね」

浩二「(三人に目をやり)神出鬼没ですね」

アン「(頬を赤く染め)ごめんなさい」

 傍で黒崎徹と加藤順子が微笑んでこの光景を見ている。

 浩二、改めてアンとメンバーを引き合わせる。

徹「二十五ヶ国語を操れるとか?」

アン「父の仕事の関係で、世界を旅してまわりましたから」

順子「わたしたちの仕事では立派な戦力になるわ。万葉集を専門とする言語学者サン。一郎さんも期待しているのよ」


○ロサンゼルス。中谷製薬の研究所。白い近代的な建物である。最新のハイテク機械が並び設備は申し分ない。中谷、トットリ教授と二人の女性と握手し研究所内を案内する。

トットリ「こちらは王麗花。分子生物学者で私の片腕です。(黒人の女性を指さし)そちらの背の高い女性は数学者、コンピューター学者のナオミ・ジョンソンです。専門はDNAコンピューター、量子コンピューター、コンピューター理論を研究しています」

中谷「DNAコンピューター? 量子コンピューター? 聞き慣れない言葉ですね」

トットリ「簡単に言うと、従来のコンピューターは0と1という数字を使いますがDNAコンピューターは、DNAのA(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)という四つの塩基を使うのです。たった一〇〇〇分の一ミリメートルほどの単細胞の微生物でさえ数百万もの情報を持っていますから、これを利用しない手はないでしょう。それを使って試験管の中で問題を解くというものです」

中谷「なにか興味が沸く話ですね。つまり、超小型電子技術と生物学が結びついたものですか?」

ナオミ「夢があるでしょう。生物と機械のハイブリッド電子機器です」

中谷「“スター・トレック”のロミュラン星人みたいな」

ナオミ「そうとうな映画オタクですね」

トットリ「それから、量子コンピューターというのは」

中谷社長「(慌てて、それをさえぎり)もう結構、頭が痛くなる」


○同、中谷研究所の中。大勢の男女が立ち働いている。みな白衣を着てマスクをしている。

中谷「この一番奥の棟を自由に使ってください。関係者以外立ち入り禁止のシークレット・ゾーンです。もし必要なものがあれば、何なりと言いつけてください。最優先で用意します」

トットリ「ありがとうございます」

麗花「(中谷がドアをカード・キーで開けるのを見ながら)さっきから感じていたんですが、厳重な警備なんですね」

中谷「(笑顔を見せ)バイオ・テクノロジーは金になりますからね。産業スパイが多いんです。この研究所も科学者より警備員の方が多いぐらいですよ」

トットリ「これから私たちがやろうとしていることはトップ・シークレットというわけですか?」

中谷「それで、どれぐらいで成果を見ることができますか?」

トットリ「リサがフォックスの細胞組織を持って帰って三週間といったところでしょうか?」

中谷「そんなにも早く」

トットリ「最新の成長ホルモン、促進剤、iPS細胞などの革新的な技術を使うんです」

中谷「期待していますよ」


○ロサンゼルス。中谷研究所。トットリ教授、麗花、ナオミが研究室で寛いでいる。リサが帰って来て、フォックスの血の入った瓶・タオル、皮膚、精液が入った採集瓶、毛髪等DNAのサンプルを渡す。

リサ「(笑顔を見せ)フォックスって、なかなかいい男だったわよ」

ナオミ「私がCIAのコンピューターに侵入したのよ」

トットリ「フォックスの精液を採取してくるなんて、お手柄だな。ひとつ、間違えば、命がなかったのに」

リサ「そんな危険な奴だったの? 割と紳士だったんだけどな」


○同、中谷研究所。トットリ教授、麗花、ナオミ、リサ、クローン人間造りの作業を始める。


○同、中谷研究所。トットリ教授のチームとスタッフ、昼夜を問わず働いている。


○同、中谷研究所。三週間後。実験室の中央の大きな球型の強化プラスチック容器の前に、トットリ教授、麗花、ナオミ、リサ、中谷社長、高木副社長が立っている。球の中は青い液体に満たされ、その中に大人の人間が入っており、何本もの透明なコードやチューブが伸びている。顔はよく見えないが確かにフォックスである。

中谷社長「素晴らしい!」

トットリ「これであとこの男の脳に、マイクロチップ爆弾を埋め込めば終了です。私たちのフォックスが誕生するというわけです」


○同、中谷研究所。外科手術室。リサ、フォックスの脳にマイクロチップ爆弾を埋め込んでいる。中谷、高木、トットリ、麗花、ナオミ達、この様子をミラーの窓から見ている。


○同、中谷研究所。心理療法室。麗花、フォックスとテーブルを挟んで座り、マインド・ケアーをしている。記憶の曖昧な部分は資料を見ながら埋めていく。中谷、高木、トットリ教授がマジックミラー越しにそれを見守っている。

トットリ「人間は自分を守ろうとする本能を持っていますから、記憶の空白部分は勝手に補うんです」

高木「思い違いとか、勘違いといったことですね?」


○同、中谷研究所。

 トットリ教授、フォックスと対峙している。

トットリ「というわけで、きみは我々の命令に従うしかないんだ。逆らえばボムだ(掌を広げる)」

フォックス「自分の置かれている状況は把握した」

トットリ「これから一つのミッションを与える。いわばテストだ」


○ロサンゼルス。アップタウン。高層ビルの心理研究所。四階の研究室の前の白い廊下。監視カメラ二台がそれを捉えている。

 白衣姿の浩二とアン、何かを話しながら歩いてくる。浩二、軽くアンに言葉をかけ、軽くキスして部屋に入る。アン、部屋を通り過ぎていく。


○コスタリカ。サンホセ市。市外を車が走っている。麻薬シンジケートのボス、エスコバルが特別仕様の車に乗っている。

子分「ボス、何でも、政府の奴ら、困って、凄腕の殺し屋を雇ったようですぜ」

エスコバル「どんな奴か知らねえが、少なくともこの車に乗っている限り安全だ。窓はすべて防弾ガラスだし、ボディはロケット弾を食らってもビクともしねえ」

子分「しかし、用心に越したことは」

 エスコバル、窓を開け葉巻を捨てる。ビルの屋上できらりと光るものがある。フォックスが新レミントン800を、構えている。次の瞬間、エスコバルの脳に弾丸が食い込み脳漿が子分の方へ飛び散る。跳弾がエスコバルの脳を吹き飛ばしたのだ。


○サンホセ市。街頭。警察が、エスコバル殺害の現場検証をしている。

ゴメス警部「これはプロの仕業だな。それも凄腕のプロだ。神業としか思えない」

ロドリゲス刑事「時速一〇〇マイルで走る車の二〇インチの隙間からターゲットに当てるんだからな」

ゴメス警部「ただ者じゃないな」


○現場が見渡せる近くのホテルの一室。トットリ教授と王麗花がいる。

トットリ「テストには合格だな」

麗花「(不安な顔で)もしかしたら、私たちはもう一人のサタンを、誕生させてしまったんじゃないかしら」

トットリ「心配するな。すべてお見通しさ(麗花を抱き締め、激しくキスする)」


○ブラジル。リオデジャネイロ。高級ホテル。

 高層階。スイート・ルーム。

 トットリ教授と麗華、リサとナオミがひとつのベッドにいる。

トットリ「ひとつクイズを出していいかな?」

リサ「出ました。先生のクイズ攻撃。先生はクイズとかゲームが大好きなんだから」

麗花「意外と子供っぽいのよね」

ナオミ「教授、外野は気にしないで」

トットリ「クイズ番組があって、三つの箱のどれか一つを選んで、その中身が貰えるというものなんだ。一つの中には高価な宝石が入っていて、もう二つの箱は空っぽだ」

 トットリ、効果的なようにちょっと間をあける。

トットリ「そして、解答者が箱を選んだとき、司会者は三つの箱の内から、一つの空の箱を開け、こう言うんだ。『あなたに、箱をチェンジするチャンスを一度あげます。あなたは、箱を変えますか?』」

麗花「もちろん変更するわ。幼稚園児にだすような問題ね」

ナオミ「その問題は、“モンティー・ホールの穴”でしょう? 当時アメリカで大論争を巻き起こした。IQ228のギネス記録をもつマリリン・サヴァンスが換えたほうがいいと即座に言ったのよね」

リサ「結局、正解の確率が簡単にいうと2/3に変化するのよね。1/2じゃなく。司会者の意思が入ってくるから」

ナオミ「仮定にひとつの条件が加わるの」

リサ「さすが数学者。言葉の選び方が違うわ」

麗華「この中のだれも、IQではマリリンには負けないでしょう?」

リサ「私のこと? 冗談じゃないわ。確かに、麗華やナオミより劣っているかもしれないけど、彼女には負けないわ」

トットリ「私は、リサの実力を十分認めているよ」

ナオミ「ズルーイ。えこひいきよ。美女には甘いんだから」


○ラスベガス。中谷製薬本社。超近代的なガラスばりのビルである。社長室。中谷社長、高木副社長がいる。

中谷「(電話を受けていて)そうですか。計画通り、次に進んでください」

高木「・・・」

中谷「テストは大成功だ。”目には目を歯には歯を”だ」

高木「フォックスには、フォックスですね」

中谷「目にもの見せてくれる」


○ロサンゼルス。アップタウン。高層ビルの心理研究所。一分後。同、四階の研究室の前の白い廊下。警備員がドアを叩く。ドアが開き、浩二が顔を見せ、ガードマンと何かを話す。浩二、上着を脱いで、シャツにネクタイ姿である。そして、ドアが閉まる。


○ラングレー。CIA本部。会議室。六人の人間がテーブルについている。部屋のスクリーンにはサンホセ市のエスコバル殺害現場の車を写し出している。

ラスキン「(情報班班長)このコスタリカの狙撃があったその日、サンホセ市でフォックスらしき男が目撃されています」

ケーシー部長「この神業的な射撃の腕から見てフォックスが犯人だな」

ラスキン「このコスタリカでの暗殺があった同じ日の同じ時刻、エジプトのカノプス島沖で武器の密輸業者のラファエル・セデノが殺されました」

 スクリーンの映像がセデノのヨットの写真に変わる。

ケーシー「その麻薬王と死の商人の暗殺になにか関係があるのか?」

ラスキン「どちらも神業の狙撃ということです。セデノはヨットの上で女たちと乱痴気パーティーをしていたのですが、陸から遠く離れていて、周りには船もボートもいなかったそうです」

ケーシー「つまり」

ラスキン「客の証言や状況から判断すると、どうも海上すれすれから、ライフルで狙撃されたようなのです。額の真中を一発射たれていたそうです」

ブルーノ副部長「まさか? そんなことは不可能だ。海中から、上半身とライフルだけ出して狙撃したというのか?」

アマド(アフリカ担当)「水中バイクが近くの海岸で発見されています」

ラスキン「フォックスのような天才的な暗殺者がもう一人いるってことです」


○同、会議室。

ファニータ(テロ対策班部員)「この二つの事件を我がチームが分析した結果、九〇%以上の確率でフォックスの仕事だと確信しています。CIAのスーパー・コンピューターも同じ結論を出しています」

ケーシー「一体どういうことだ?」

エンダラ(中南米担当)「(スクリーンにサンホセ市のホテルに入るリサの写真を何枚か大きく写し出し)この女性はリサ・イワノヴィッチ。ユーゴスラビア人で医学博士、生物学者でもあります。そして、あのトットリ教授の研究チームの一員でもあります」

ブルーノ「トットリ教授って? あの分子生物学者の?」


○同、会議室。スクリーンにトットリ教授の顔のアップが写し出されている。

ファニータ「(魅力的な笑顔を向け)バイオ・テクノロジーの天才学者。クローン技術の第一人者です。その右に出る者はいません」

ケーシー「それじゃ、一人が本物のフォックスでもう一人がクローンということか?」

ファニータ「その可能性が大ですね」

ブルーノ「そんな馬鹿な! SFじゃないんだぞ」

ファニータ「それじゃ、この現実をどう見ますか? ヒトゲノム解析の成功、iPS細胞、トランスジェニック動物の出現、DNAコンピューターの発達。バイオ・テクノロジー、いえ科学の急速な進歩は、全てをおとぎ話じゃなく現実のものにしています」

ケーシー「トランスジェニック動物というのは、ヒトの内臓を持つ豚を造るとか遺伝子の組み換え動物のことだということは知っている。だが、DNAコンピューターとは何だね?」


○ラングレー。CIA本部。会議室。スクリーンはナオミ・ジョンソンの美しい顔に変わっている。

ファニータ「そのコンピューター理論を研究しているのが、このナオミ・ジョンソン博士ですわ。マサチューセッツ工科大学を若干十五歳で、ダントツの首席で卒業しています。彼女もトットリ教授の研究チームのメンバーです。ところで部長は”七つの都市を旅するセールスマンの問題”という古典的な問題を御存知ですか」

ラスキン「確か、出発点から終点までの都市を一筆書きで結ぶというものだろう」

ファニータ「正解です。別名『ハミルトン経路問題』とよばれていて、コンピューターを評価するときに使う問題です。一九九四年レオナルド・エイドルマンはDNAを使って、この”七つの都市を旅するセールスマンの問題”を解いたのです」

ケーシー「コンピューターの二進法の0と1の替わりに、生物のDNAのA、G、C、Tの塩基を使うというわけか。より複雑な問題が解けそうだな」

ブルーノ「機械と生物との合体のコンピューターか。まるでSFだな」

ファニータ「しかし、いまや時代は量子コンピューターです。ナオミの開発した新型の量子コンピューターが、トットリ博士の研究を百年進めたといわれています」

ラスキン「事件の陰には女ありか?」

ファニータ「SFじゃありません。クローン人間も量子コンピューターも現実として受け入れるべきです」

 ブルーノ、苦虫を噛み潰した顔をする。


○同、会議室。スクリーンに麗花の顔が写し出されている。

ファニータ「彼女は、中国人で王麗花。トットリ教授の恋人で、仕事の上からも私生活上からも彼を支えています。歳は二十三ですが、IQ250以上の天才です。測れないんです」

ケーシー「どれも美人だな」

ブルーノ「教授は、おつむと一緒で、ご趣味がいいんでしょう」

ファニータ「妬いているんですか」


○同、会議室。重い空気が垂れ籠めている。

ファニータ「倫理的な問題や宗教的な問題はさておき、トットリ教授はここ数年で分子生物学を百年進歩させたといわれています。彼は、ノーベル賞学者であるあの偉大なるペレリマン教授の愛弟子だったのです」

ラスキン「だった?」

ファニータ「今度のことで、私は日本の小島教授の研究所に行きました。小島教授の話では、トットリ教授はピカ一の教え子だったが人間としての倫理観の相違から袂を分けたといっていました」

ブルーノ「テロリストより危険だな」


○同、会議室。

ラスキン「このトットリ教授は、くせものですよ」

ケーシー「どういう意味だ?」

ラスキン「ただの科学者じゃありません。大富豪なのです。家が、財閥とかいうのじゃありません。無一文から世界で有数の大富豪になっている。最近日本、ロシア、イギリス、フランス、アメリカ、中国の企業を次々に買収しています」

ケーシー「どのような方法で?」

ラスキン「わかりません。ただ噂はあります」

ケーシー「どんな?」

ブルーノ「親友の平田一郎が開発したハイテクの催眠技術(ヒプナティズム)を使ってCEOを操っているとか、CEOのクローン人間とトップをすり替えているとか。いろいろです」

ケーシー「でも、そんなに簡単にすり替えなんかできないだろう」

ブルーノ「警備の薄い周辺部から、中心に向かえば可能です」

ラスキン「この話が本当なら、企業だけでなく、あらゆる組織への侵入も可能です。宗教団体、テロ組織、情報機関等など、いや国家さえおびやかす大問題です」

ケーシー「我々は、身内や友だちさえ信じられないというのか?」

ブルーノ「まだ、想像の域にしかすぎませんが」

ラスキン「朝起きて、気づいてみれば、妻や子供や友達の様子がおかしい。捜ってみると、全員宇宙人だったという映画があったでしょう。あの類の話です」

ケーシー「でも、想像力は大切だ」

ブルーノ「たぶん、杞憂ですよ」

ケーシー「だが、この男が危険人物であることには間違いない」

ラスキン「この件は、もっとレベルを上げて調査してみます」

ケーシー「世界征服を企むマッド・サイエンティストか? 笑い話だといいんだが。まるで、007だな」


○ロサンゼルス。アップタウン。高層ビルの心理研究所。二分後。同、四階の研究室の前の白い廊下。

ドアを開けて、浩二が転げ出てくる。シャツの背中からアーチェリーかボウガンの矢が刺さっているのがわかる。真っ赤な血が印象的である。何か言っている。


○ラスベガス。中谷製薬本社。社長室。

中谷「さっそく本物のフォックスを呼んで、罠にかけよう」

高木「わかりました」


○ロサンゼルス。UCLAキャンパス。中谷社長がオリジナルのフォックスと会っている。芝生の上に学生たちの姿もちらほら見える。

中谷「マイアミ市長は、我が社がマイアミに進出するのを妨害している。ハミルトン製薬の息がかかっているからだ。六月十七日に、マイアミ沿岸警備隊の哨戒艇の進水式がある。その時、彼を地獄に落としてほしい」

フォックス「日時を指定するのは何か理由があるのか?」

中谷「テレビ局や新聞社などのマスコミが多数押しかける。その時を狙えば反対派への警告になる」

フォックス「キャンペーンというわけか。パナマの私の口座に二百万ドル振り込まれ次第、行動を開始しよう」

中谷「オオ、引き受けてくれるというわけか。ありがとう」


○同、UCLAキャンパス。フォックス、シガレットを吸い、中谷社長が立ち去るのを見ている。その目つきは鋭い。


○ロサンゼルス。中谷研究所の一番奥のシークレット・ゾーン。トットリ教授がコピーのフォックスに指示を出している。

トットリ「六月十七日にマイアミの沿岸警備隊の哨戒艇の進水式には、本物のフォックスが現われる。その時、奴はマイアミ市長を狙撃することに集中しているから、きみには気づかない」

フォックス「市長はいいのか?」

トットリ「彼は囮だよ」

 トットリ、フォックスに特別仕様の狙撃ライフルを渡す。

トットリ「これを使うといい。ケッヘラー新M二四スナイパーライフルの改良型だ。きみも知っているとおり、軍用スナイパーライフルで口径七・六二ミリ。新レミントン800もいい銃だが、こちらの方が遙に命中率が高い。これを使えば鬼に金棒だ!」

フォックス「中谷はどうしても、もう一人のオレを始末したいらしいな」

トットリ「息子を殺されたらしいからね、気持ちはわからないでもない」


○ロサンゼルス。チャイナタウン。娼婦宿の地下室。髭面の中国人の林医師を、コピーのフォックスが訪ねている。怪しげな雰囲気の男である。

林「久しぶりだな。今日は何の用だ」

フォックス「オレの頭からマイクロチップ爆弾を取り出して欲しい。それから、電子催眠(マインド・コントロール)でここ二週間の記憶を消してもらいたい。その後で、六月十七日マイアミの沿岸警備隊の船の進水式で市長とそれを狙う狙撃手を暗殺する仕事があることだけを教えてくれ」

林「わかった。あんたの頼みだ。だが、私も仕事だ。報酬はもらうよ」

フォックス「もちろん金は払う」


○同、林医師の家。清潔で近代的だ。フォックス、手術台に寝て、林医師の執刀を受けている。林医師、マイクロチップ爆弾を取り出し皿の中へ入れる。コトンと小さな爆弾が落ちる。


○同、林医師の家。一日後、フォックス、電子催眠(マインド・コントロール)を受けている。


○同、林医師の家。二日後。

フォックス「世話になったようだな」

林「・・・」

フォックス「何も訊かない方がいいようだな。なんと礼をいっていいかわからない」

林「また、奢ってもらうさ」


○ラングレー。CIA本部。会議室。ケーシー部長、ブルーノ副部長、ラスキン、ファニータの顔ぶれである。

ファニータ「(スクリーンに中谷社長と高木副社長の写真を出し)トットリ教授のスポンサーは、中谷製薬でした。この中谷社長と高木副社長がトットリ教授に資金援助して、全面的にバックアップしています」

ケーシー「一体どういうつもりなんだ? 教授は大金持ちなんだろう?」

ファニータ「わかりません。ゲームか気まぐれか? 他に思惑があるのかも?」

ケーシー「思惑とは?」

ファニータ「たとえば、中谷製薬を広告塔にするとか? 天才が何を考えているのかわかりませんわ」

ケーシー「それを、分析するのが君達の仕事だろう」

 画面が中谷研究所に変わる。

ファニータ「この一番奥で、フォックスのコピーが造られたようです」

ケーシー「これは、会社としての仕事なのか? クローン人間製造のアピールになるとか」

ラスキン「どうも、中谷社長の個人的な恨みが強いですね。息子の建一が後を継ぐはずだったのですが、二年前にフォックスに殺されています。状況証拠だけですが」

ブルーノ「理由は?」

ラスキン「仕事がらみです。製薬会社同士の競争から、ライバル会社の会長がフォックスへ暗殺を依頼したとみられています。その会長も二年前、交通事故で亡くなっています」

ブルーノ「復讐か?」

ケーシー「わかりません。マフィアが一枚かんでいるとの噂もあります」


○同、会議室。スクリーンへフォックスの顔が大写しになる。

ケーシー「つまり、中谷はオリジナルのフォックスとコピーのフォックスをぶつけるつもりだな。こんな言い方が許されるのならば」

ファニータ「間違いありません」

ブルーノ「我々は高みの見物をしていればいいじゃないか」

ファニータ「問題はその後です。共倒れになればいいですが、一方が生き残ったら前と同じです」

ラスキン「中谷社長もそのことは十分わかっているよ。たぶん猫に、鈴をつけているはずさ」

ファニータ「お手並拝見といきましょう」


○ニューヨーク・タイムズ本社前。ヒンクリー記者が出て来て、帰路につく。フォックスが横について歩き出す。

フォックス「前を向いてそのまま歩け」

ヒンクリー「どうも噂じゃ、もうひとりのあんたがいるらしいぞ」

フォックス「どういう意味だ?」

ヒンクリー「文字通りの意味だよ」

フォックス「クローンという意味か。現在、クローン技術の第一人者は?」

ヒンクリー「シンイチ・トットリ博士。前はロシア科学アカデミーにいたが、中谷製薬に引き抜かれた。彼に関する資料は集めた。トットリ教授に関しては、黒い噂はいくらでもある」

フォックス「(書類を受け取り)報酬は口座に振り込んでおく」

 少し歩いて、ヒンクリーが横を向くとだれもいない。

ヒンクリー「あいかわらず神出鬼没の男だな」


○ロサンゼルス。中谷研究所。向いのビルの陰から、フォックスが監視している。リサとトットリ教授が楽しそうに入っていく。それを見つめるフォックスの目は厳しい。


○ロサンゼルス。アップタウン。高層ビルの心理研究所。四階の浩二の研究室の中。

 一郎、徹、順子、アンが集まっている。アン、茫然自失の体で傍の椅子に座っている。部屋の中は、パソコンの載ったテーブルと本棚ぐらいで何もない。ただ、窓とカーテンは開いている。ビルは、T字型になっていて横一の旧い建物に近代的なガラス張りの新庁舎を増築したもので、こちらは横の右翼の真ん中に当たっており、いまもこちらの窓から新家屋のガラス窓が見えている。

徹「この矢は、前の槍の部分と後の羽根をワンタッチで引っ付ける組み式のもので持ち運びがいい。この矢は、背中から入って腹の前で止まっている。死因は出血多量で、どのくらい生きていられたかは不明。骨髄とか内臓の損傷はみられない。避けて入ったようだ。医学的見地ではね」

一郎「こちらは、古い建物で窓は開くけど向こうはモダンで窓は開けられない。だったら、ドローンを使ったのかな?」

順子「たぶん、そうでしょう。アン、あのとき浩二があなたと別れるとき何と言ったの?」

アン「(パソコンの監視カメラの映像を見ていた一郎も同時に)愛しているよ。きみがすべてだ」

順子「得意の、リップ・リーディングね?」

 一郎、制服の警備員を呼ぶ。

一郎「電話で呼ばれたとき、浩二は何と言った?」

ガードマン「石井さんは、上の階で誰かが見ている。調べてみてくれと」

一郎「何階?」

ガードマン「そこまでは」

一郎「(警備員が消えると)そして、今際のきわの言葉は、『フォックス』だ!」

徹「ダイイング・メッセージが、“フォックス”なら、犯人は決まりだな」

アン「フォックスって? 何者?」

徹「世界的な暗殺者さ」

アン「でも、なぜ浩二が命を狙われるの? あなたたちのような大物じゃないわ」

徹「浩二は、ヒプナティズム文書の分野では一流だったよ。彼なしでは、この技術は完成しなかった」

一郎「ダイイング・メッセージのことは、ロス市警の殺人課の刑事にも言っておこう」


○中谷研究所。ナオミの研究室。トットリ教授、麗花、リサ、ナオミ、中谷社長、高木副社長がいる。

ナオミ「フォックスのコピーと交信不能になりました。これじゃ、最良の狙撃地点を教えられません。ポイントは、二つあるんです」


○同、ナオミの研究室。

 コンピューターのスクリーンに、マイアミの地図が写っている。

トットリ「(レーザ・ポインターで湾の赤い点を指し)これが市長の位置です。そして、DNAコンピューターが弾き出した最良の狙撃地点(スナイパーポイント)が、こことここです。(岬と小高い丘の青い点を指す)これは天候や風の強さなどでどちらがいいか決まります」

中谷「先程、どちらを選ぶかが問題だといったのは、このことか」

トットリ「この三つの点を結べば、ほぼ正三角で一辺が約一〇〇〇メートルです」

中谷「フォックスだと不可能な距離じゃないな?」

トットリ「狙撃の腕はまったく同じですから、あとはライフルの性能と・・・」

高木「ライフルの性能と?」

トットリ「(人間が持って生まれた)運です」


○マイアミビーチ。問題の日。沿岸警備隊の哨戒艇の進水式のパレードを見ようと、大勢の観客が集まっている。テレビカメラをかついだ人間や新聞記者など、マスコミ関係者の姿も多数見える。上空には中谷製薬の無人の飛行船が浮かんでいる。それには望遠レンズ付きの監視カメラが積載されており、映像を中谷研究所のハイビジョン・スクリーンへ送っている。撮えているのは、船の上のチムニー市長、フォックスが狙撃に現われる二つの地点である。合計、三ポイント。


○中谷研究所。ナオミの研究室。

 トットリ教授、麗花、リサ、ナオミ、中谷社長、高木副社長の六人、三つの画面を食い入るように見つめている。


○マイアミ。DNAコンピューターが予想した、狙撃場所。岬。フォックスが、新レミントン800を持って現われる。


○中谷研究所。ナオミの研究室。

トットリ「奴はオリジナルだ。場所取りで一歩リードしたぞ!」

中谷「DNAコンピューターは丘の上が有利だと?」

ナオミ「飛行船から送ってくる風や温度などの天候データーを入力した結果です」


○マイアミ。DNAコンピューターが予想した、もう一つのフォックスの狙撃場所。小高い丘。もうひとりのフォックスが同じく新レミントン800を携えて現われる。


○中谷研究所。ナオミの研究室。

麗花「M二四狙撃ライフルじゃないわ」

トットリ「どうして、こちらも、新レミントン800を持っているんだ?」

中谷「どちらが本物のフォックスなんだ?」

ナオミ「マイクロチップ爆弾の発信機も電波が途絶えています」

リサ「どうなっているの?」


○マイアミ。岬。フォックス、双眼鏡で湾を見下す。


○同、岬。フォックス、立ったままを構え、飛行船のテレビカメラを射つ。


○同、小高い丘。フォックス、同じく新レミントン800で飛行船の方向舵を射つ。


○マイアミ湾上空。飛行船。二発とも命中する。ほぼ同時に電源とエンジンも射たれ、失速して沖の方へ流され海の上へ墜落する。


○中谷研究所。ナオミの研究室。フォックスが新レミントン800をこちらへ向けて構えた姿を撮えた直後、画面がまっ白になる。

トットリ「どうしたんだ?」

ナオミ「カメラを射たれました」

中谷「(無線機を取り)カルボ、二班に分かれ岬と丘へ向かってくれ。フォックスの様子を見に行くんだ。近づくんじゃないぞ」


○マイアミ、港に近い道路。

カルボ「(無線機に)わかりました。すぐ向かいます」

 二台の車が岬と丘へ向かう。車内の男たちはイングラムM10SMGなどで完全武装している。


○同、岬。フォックスが腹這いになり、新レミントン800を構え、射撃姿勢を取っている。船上の市長を狙っている。


○同、丘。フォックスが腹這いになって、照準器を覗き込んでいる。照準は船上の市長を捕らえている。


○同、湾。沿岸警備隊の船の上。チムニー市長が少女から花束を受け取ろうとして身を屈ませる。


○同、船上。岬と丘で同時に銃声がしてチムニーの頭と胸に銃弾が命中する。市長は脳と心臓の組織の断片をぶちまけ吹き飛ぶ。


○同、岬と丘。次の瞬間、どちらのフォックスも一回転して、銃口をもう一人のフォックスに向ける。スコープにお互いの顔が映る。どちらも冷静に、だがすばやく引き金を絞る。


○中谷研究所。ナオミの研究室。NBCテレビの映像。市長の狙撃事件を報じている。

麗花「どうなっているの?」


○同、ナオミの研究室。

中谷「マイクロチップ爆弾のスイッチを入れてみてくれ」

ナオミ「(スイッチを押す)何の反応もありません。爆発したのかどうかも不明です」

トットリ「たぶん、手術で取り出させたのだろう。私も迂闊だった。フォックスの身になって考えればわかることだよ」

中谷「一体、どうなっているんだ」


○マイアミ。小高い丘へ登る道路。十五分後。崖から落ちて大破した車がある。運転手は射ち殺され、その中にカルボの死体もある。

無線機「どうした? カルボ、応答せよ」


○同、岬へ行く道。傍に車が突っ込んでいる。こちらも車の中の男たちは全員射殺されている。


○同、岬。フォックスの死体はなく、その痕跡さえない。まるで、悪魔のように抜け目なく姿を消していた。


○同、丘。こちらも同じである。


○ロサンゼルス。アップタウン。高層ビルの心理研究所。十階の会議室。四階の殺人現場も眺望できる。

 一郎、徹、順子、アンもいる。ロス市警のハミル警部、ルーサー刑事、お辞儀をして帰って行く。

一郎「浩二が、すい臓ガンで余命二ヵ月だったとはね。アン、知っていた?」

アン「薄々は。でも、弱いところは見せない人でしたから」

順子「そうね。あの人らしいわ」

一郎「それに、浩二はきみを受取人にして、3億円の生命保険に入っていた」

アン「私、知りませんでした」

徹「俺は知っていた。でも、病気のことはしらなかったと思う。アンへの愛情の証明だといっていた」

アン「そのことは、聞いていたわ」

順子「女性としては嬉しいわね」

一郎「もうひとつだけハミル警部の気になることがあったらしい」

順子「なに?」

一郎「部屋の中に、少しのビニールを燃やした痕があったらしい。ライターはだれのものかわからない」

アン「彼は煙草を吸わないわ」

徹「でも、フォックスが犯人だとしたら、セキュリティーが厳しいこのビルからドローンを操縦したはずなのに、その痕跡をどこにも残していない」

順子「付近の建物からじゃ?」

一郎「ハミル警部の話じゃ、この付近の監視カメラを全部しらべたそうだが、フォックスはどこにも映っていなかったそうだ。また、この界隈でドローンを見た者も、飛行音を聞いた者もいない」

徹「トリックがあるのさ。それに、フォックスは、不可能を可能にする男なんだ」

一郎「いま、私の友人のトットリ教授と戦っている」

順子「そうらしいわね」

アン「彼が、私の敵なの?」


○中谷研究所。ナオミの研究室。

トットリ「中谷社長も、高木副社長もしばらく身を隠してください。生き残ったのがオリジナルであれ、クローンであれ絶対裏切り者は許しませんから。どちらもあの飛行船の監視カメラには気づいていました。そこから、中谷製薬が絡んでいるということは小学生だって推理できます」

高木「どうすればいいんです」

トットリ「社長たちは、安全な所に隠れていてください。その間に私が何かいい手を考えます」

中谷「それしかないようだな」


○ラスベガス。中谷製薬ビル。最上階の社長室。数日後。夜。中谷社長と高木副社長が酒を飲んでいる。

中谷「ここなら安全だ。警備も万全だ。狙撃される高いビルはないし、すべてロケット弾でも弾く防弾ガラスだ」

高木「カルボと彼の部下は全員フォックスに殺されてしまったし、フォックスの遺体も発見されずじまいでした」

中谷「遺体を残せば、またクローンを造られるかもしれない。それに自分の情報を盗まれるかもしれないからな」

高木「抜け目のない奴ですね」

 一〇〇メートル程先に、音もなくヘリコプターが現われる。後部座席に、フォックスが新レミントン800を、構えて乗っている。

中谷「(顔に驚愕の表情を浮かべ)あれは?」

高木「(恐怖で)フォックス!」

 次の瞬間、ビシッという音がして防弾ガラスに穴があき、もう一発のビシッという音で、中谷社長の額が射ち抜かれる。強化チタン製の鉄鋼弾で穴をあけ、寸分ちがわず、もう一発を通過させたのである。ビシッ、ビシッという音がして高木副社長も後ろへ吹き飛ぶ。


○フォックスの回想。イラク。ナジャフ。モスク。アブドラ師とトットリ教授が話をしている。近くで、密かにフォックスが聞いている。壇上では指導者が話しており喧騒に包まれている。

アブドラ「なぜ、あなたが、宗教に興味を?」

トットリ「それは、私のアイデンティティの問題です。キリスト教、仏教、イスラム教と、私も帰依しました」

アブドラ「あなたみたいな天才が?」

トットリ「いくら科学が発達しても、疑問は残ります。”われわれは、どこから来たのか? われわれは、何者か? そして、われわれはどこへ行くのか?”このゴーガンの大作のテーマは、我々の求める永遠のテーマでもあります。私も、死後の世界、つまり神の国のことが頭から離れない」

アブドラ「そういうものですか?」

トットリ「人間を最後に救うものは神です。それは、アラーの神かもしれません」

アブドラ「エッ! あなたがそんなことを、言うなんて」

トットリ「冗談ですよ(目は真剣である)」


○ロサンゼルス。ダウンタウン。居酒屋。

 一郎とアン、酒を飲みながら、通りに面する席で話をしている。

一郎「浩二の死は自殺だろう? 誰にも言わないよ」

アン「でも、なぜ? あの犯行は、外から矢を打ち込んだとしか思えないわ。不可能犯罪よ」

一郎「ぼくは、ずっと考えていた。あの現場、状況を・・・。シャーロック・ホームズの方法でね」

アン「“不可能なものを消去していって、最後に残ったものが、どんなに不可能に見えても真実だ”という推理でしょう?」

一郎「そのとおり」

アン「教えてください」

一郎「ぼくの中で最後に残ったものは、きみが手を貸せば、可能だというものなんだ」

アン「私が共犯?」

一郎「そう。ちがうかい?」

アン「どうするの?」

一郎「まず、きみに助けてもらって、更衣室かどこかで、ワンタッチ式のひじりの部分を自分の体に挿しこむ。この後は時間との勝負だ。この後ビニールを体に巻きつけ、白衣を着て、四階の監視カメラの前にきみと一緒に現われる。愛しているという言葉は、きみへのダイイング・メッセージだ」

 アンの頬から涙が伝う。

一郎「浩二は、部屋に入るや否や窓とカーテンを開け、白衣を脱ぎ、ビニールを燃やし、警備員を電話で呼ぶ。そのあいだに、隠していた矢の羽根の部分を繋げる。その間、約一分」

 アン、何も言えない。

一郎「そして、ガードマンに上の階で不審者を見たと告げる。あとは、我慢ができなくなったときに外に飛び出して『フォックス』といって、クライマックスを迎えた」

アン「動機は?」

一郎「きみに、愛情とお金を残すため。自分が死んでも経済的に困らないようにね」


○ロサンゼルス。中谷研究所。最上階のトットリ教授と麗花の私室。トットリ教授と麗花がベッドの上で激しくセックスしている。

麗花「フォックスのクローンは、どうしてM二四狙撃ライフルじゃなく新レミントン800で勝負したの?」

トットリ「プロのプライドという奴だろう。国籍不明だが、フォックスには、サムライの血が流れているのかもしれないな」


○同、中谷研究所。裏の通用口。鉄のフェンスの中にはドーベルマン・ピンシェルを放しているが、すべてフォックスに殺されている。最新のハイテク警備システムを使っており、元スペナッズの傭兵も雇っているが、フォックスに易々と突破されている。フォックス、裏の通用口をセムテックスとヘキソゲンの消音製のプラスチック爆弾で吹き飛ばして侵入する。


○同、中谷研究所。ナオミの研究室。奥までその騒ぎは聞こえてこない。ナオミ、リサ、笑いながら次のフォックスのクローン計画を練っている。そこへフォックスが現われる。ナオミとリサ、驚いた表情のまま凍りつく。

リサ「(驚いた顔で)あなたは!」

二人ともスミス&ウェッソン・マグナムで、あっさり始末される。後には、ナオミとリサの死体が残っている。DNAコンピューターや資料も手榴弾で吹き飛ばされる。


○同、最上階への階段。フォックスも傷ついている。フォックス、元スペナッズの三人をコルト・ガバメントで倒すが、三人もイングラムM一一やウジ・サブマシンガンなどを撃ち捲くり、一発がフォックスの左足を掠って傷つける。フォックスも弾切れになる。


○同、最上階の白く広い廊下。麗花がフォックスを待ち受けている。一八〇センチの体にぴったりしたレザー・スーツを着ている。麗花、ハンター・ナイフを取り出し、襲いかかる。すばやい攻撃にフォックスは腹と右頬を少し切られるが、それを躱し麗花の頸骨の後ろに手刀を叩き込む、麗花、崩れ落ち沈む。

麗花「(床の上で)シンイチ・・・(コト切れる)」


○同、最上階、大会議室。フォックス、トットリ教授と対峙している。

トットリ「お前が、ここまでやって来たということは仲間の弔い合戦になったということだな」

フォックス「・・・」

トットリ「最後に一つだけ聞いておきたいことがある。お前は、オリジナルか? それともコピーなのか?」

フォックス「オレはオレだ。それ以外の何ものでもない」

トットリ「そうか。じゃ、いくぞ!」

 トットリ教授が後三回廻し蹴り、肘打ち、飛び蹴りなど華麗な技を繰り出し、フォックスを圧倒していく。

トットリ「麗華のかたきだ」

肘打ちがフォックスの胸に食い込み膝をつかせる。

フォックス、スペナッズから奪って来た手榴弾のピンを抜き、床に転がす。トットリ教授、それを見ようと横を向く。一瞬の隙に乗じて、麗花のハンター・ナイフを教授の首に突き刺す。そして、教授の身体を盾にして、手榴弾の爆発から身を守る。フォックス、トットリ教授の死骸を見下ろす。


○ロサンゼルス。ダウンタウン。居酒屋。

 一郎とアン、酒を飲むピッチが早くなっている。アンの告白の続き。

アン「確かに、彼があんな斬新なトリックを使ったのは、私を守るためだった。でも、本当はあなたの頭脳に挑戦する意味もあったのです。自分の命を賭けて、尊敬する天才のあなたに・・・」

一郎「彼は優秀だよ。彼がいなければ、ヒプナティズム文書は完成しなかった」

 アン、堪えきれず一郎に抱きつき泣く。一郎、やさしく抱き締める。


○カトリック教司祭ステファノ枢機卿の回想。バチカン市国。サンピエトロ聖堂。ステファノがフォックスと会談している。

ステファノ「悪魔の化身であるトットリ教授をこの世から抹殺してほしいのです」

フォックス「・・・」

ステファノ「ヒトの内臓を持ったブタなどを作ることやクローン人間を造ることは、神にさえ許されない暴挙です。倫理的、宗教的にも人間が踏み込んではいけない領域なのです」

フォックス「それは、私には関係ないことだ」

ステファノ「それじゃあ、引き受けてくれないということですか?」

フォックス「近い将来、彼は命を落とすことになるだろう」

ステファノ「オオ!」


○アンの回想。

日本。旅館の日本庭園。広大な庭園で南アルプスの山々が見える。

アン「とてもロマンチックな夜ね。『Looking back on the fields of heaven, I see the moon suspended like a drawn white bow of spindlewood,  the night road should be good.」

浩二「『天の原 振りさけ見れば 白真弓張りて 懸けたり 夜道は吉けむ』訳せば、『天の原を振り仰いで見ると、月は白い真弓のように張られて空に懸けてある。夜道は行くによろしいだろう』となる」

 浩二、アンを見詰める。

浩二「もう、だいぶ吹っ切れたようだね? 歌をみる限りでは」

アン「そうとは言えないわ。強がっているだけかも」

アンを立たせ、手を取りテラスの端に行く。

浩二「ぼくからきみへだ。『As I turn my gaze upward and see the crescent moon, I recall the trailing eyebrows of the woman I saw but once.』これがわかったら一流だよ。人麿や憶良よりも好きだよ」

アン「大伴家持ね。『振り仰けて 若月見れば 一目見し 人の眉引 思ほゆるかも』わたしの歌を受けたのね」

 アン、浩二をジッと見詰める。頬をほんのりと赤く染めている。

浩二「シェークスピア曰く。“この世は、舞台。男も女も役者にすぎない”だって」

アン「あなた、私を誘ってらっしゃるの?」

浩二「さあ、どうかな? ぼくの歌に答えて!」

アン「『Instead of these yearnings, O that I could be a jewel and truly wrapped around my man’s wrist!』」

浩二「同じ大伴家持か? しかも、woman’sじゃなく、man’sになっている」

字幕『わが思ひ かくてあらずは 玉にもが 真も妹が 手に巻かれむを』(私の思いがこんなにならずに、玉にでもなれたら、本当にあなたの手に巻かれようものを)」

アン「だって、私、男性じゃないもの。そうでしょう?」

浩二「最高だよ」

アン「私、本当に軽い女じゃないのよ」

浩二「わかっているよ。千年以上前の女だってことは」

 浩二、アンの腰に手を廻し、熱いキスをする。


○スエーデン。カールスタードの山荘。

 外は雪が降り続け、寒々しい白い世界だが、屋敷の中は暖房がガンガンきき、快適である。トットリ教授、麗花、リサ、ナオミ、ホーム・パーティーをしている。壁には、ダリの“ポルト・リガルの聖母”のレプリカが掛かっている。テーブルには、キャビア、エスカルゴ、刺身などの肴が、ところせましと並んでいる。酒も、日本酒、ワイン、シャンパンなどの瓶があいている。

トットリ教授「神をも欺いた私たちに乾杯!」

ナオミ「私たちが、オリジナルよね?」

麗花「トットリ教授の親友の平田一郎さんから本が届いたわ」

 麗花、きれいに装填された本をテーブルに置く。

 本の題名は、『予告された殺人の記録』、著者名は、“高原伸安”。

麗花「その題名と著者名、“予告された殺人の記録”“高原伸安”の組み合わせが、キー・ワードなのね」

リサ「高原先生の“予告された殺人の記録”は読んだわ。私はもうマインド・コントロール(催眠)にかかっているの?」

ナオミ「私も読んだわ」

トットリ「“ビビデダビデブー”この呪文で、きみたちは裸になるんだよ」

麗花「そういうふうじゃなかった気がするけど・・・。教授はすぐそっちの方に話をもっていくんだから」

リサ「この部屋は暑いわね。服を脱いじゃおうかしら?」

ナオミ「私も」

麗花「さあ、先生も服を脱いで!」

 麗花、一番に裸になる。

トットリ「ああ、そうしよう。夜は長いんだから」

麗花「人生は、でしょう?」

トットリ教授「どこかで聞いたセリフだな」

 麗花、リサとナオミに、軽くキスをする。


○ベッド・ルーム。トットリ教授、目醒める。麗花も、目醒める。警報装置が作動して、ベルが鳴り響いている。午前〇時を過ぎている。

麗花「何なの? まだ真夜中よ」

ナオミの声「この邸にだれかが侵入しました」

麗花「この屋敷は、難攻不落のはずよ。ボディーガードはどうしたの?」

トットリ「フォックスだ!」

リサの声「どうしますか?」

私「プランAでいこう」

麗花「この前の敵討ちよ」

ナオミの声「そうこなくちゃ!」


○山荘の監視カメラの映像。黒い覆面の男が一瞬映るが、すぐ消える。後には、闇が残るのみである。


○京都、建仁寺。一郎、順子、俵屋宗達の「風神雷神図」のレプリカを見ている。

順子「これから話す物語は実話なので、登場人物や土地はみな偽名で呼ぶことにしましょう。どうせ、あなたはにせ者で、本物か偽物かもわからないのだから・・・」

一郎「私たちは、ある時、ある場所でマインド・コントロールの実験をしていた。ここで私たちというのは、私、加藤順子、黒崎徹だ。そのマインド・コントロールの実験の被験者に選ばれたのが、あなただった。その頃、あなたの秘密の恋人がロスアンゼルスで行方不明になった。あなたは、黒崎徹に頼んで恋人の行方を追った。彼は、探偵のJ・B・オコーネルに依頼して、その恋人の行方を捜索した。そして、J・Bはその事件の真相を突き止めた。(イメージと重なる)あなたの恋人は交通事故を目撃した。しかし、その車に乗っていた人間たちが、あなたの恋人を殺し、死体をうまく始末して、事件を闇に葬ろうとした。目撃者は、消せというわけだ。目撃者が何人いたかまでは把握していない。その車に乗っていたひとりが、中川社長の一人息子の中川建一だったのだ。そして、あなたは黒崎徹を通し、フォックスに依頼して中川建一を抹殺した。あなたは、残りの他の者も、すべて殺させたが、それはまた別の物語だ。私の“予告された殺人の記録”を読めばいい」


○京都。建仁寺。一郎、順子、小泉淳作画伯が描いた天井の「双龍図」を見上げている。

一郎「私はあなたを糾弾し、あなたに責任を取るよう迫った。あなたは、“もし自分を許せないなら、すぐに殺せばいい。さもなければ、全てを前に戻して、もとの生活に帰してほしい”と、懇願した。“私たちと出会わなければ、こんなことにはならなかった”と、私の良心に訴えたのだ。そういうわけで、私たちはあなたの記憶を操作し、あるプログラムを植え付けた後、日常生活に戻したのである。あなたに最新のマインド・コントロールを施しておいたのだ。それは、保険だった。私が開発した神経催眠性リプログラミングといったハイテクを駆使した催眠術だ」


○京都、建仁寺。一郎、順子、三尊石を中心に置いた「潮音庭」を見て回る。

一郎「しかし、私たちは、うっかりしていた。私たちが生きているかぎり、あなたが枕を高くして眠れないと言うことを・・・」

順子「ある日、先生がドーベルマンたちに、座れとドイツ語で命令すると、先生に襲い掛かってきました。そして、私の車には爆弾がという風に、黒崎徹がデス・トラップを仕掛けていたのです。すべて、あなたが頼んだことです。私たちを抹殺しようとしたのです。依頼料は、あなたに支払われた実験の報酬金で、宝くじに当たったという名目でわたしたちが与えたお金です」


○一郎の回想。庭がある大きな家。芝生の上。ドーベルマン・ピンシェル、待機している。

私「(ドイツ語で)伏せ!」

 ドーベルマン・ピンシェル、私に襲いかかる。一階のテラスで、それを見ていた加藤順子、部屋へ取って返し、コルト・ガバメントを持って来て、バン・バン・バンとドーベルマンたちを撃ち殺す。

順子「大丈夫?」

一郎「ああ、何とかね。でも、一体?」


○順子の回想。別の家の前。真っ赤なポルシェが駐車してある。加藤順子、車に乗り込むと、鍵を差し込もうとするが、違和感をかんじ、手を止めて、外に出る。そして、膝をついて車の底を覗き込む。すると、車の裏に爆弾が仕掛けられているのが見える。

順子「やってくれるわね」


○祇園。江戸時代に創業した老舗の旅館。一郎、順子、同じ部屋に泊っている。夕食で目の前には、贅を凝らした懐石料理が並んでいる。

一郎「何かあった時のあなたへのアプローチが『予告された殺人の記録 高原伸安』というキー・ワードだったのだ。このキー・ワードの組み合わせによって、あなたを私が準備したメディア(映画、小説etc)に誘うようにプログラムしておいた。そのメディアであなたの罪を告発し、判決を下そうというのだ。そのまま殺しても、あなたにはその罪と罰もわからないのだから・・・。あなたがこの映画を観ているのがその証拠になっているのだ!」

順子「もちろん、あなたには自殺のマインド・コントロールを施しています。ただ、自殺の方法は秘密にしておきます。もしかしたら、事故や災難に見えるかもしれません。でも、それは私たちの意思です。わたしたちの気持ち次第でどうにでもなります。それほど、わたしたちの怒りも大きいのです」


○祇園。大きい老舗の旅館。一郎と順子、ひとつの布団の中へいる。

一郎「私たちはあなたをどうしようかと迷っている。あなたが別れ際にいった最後の言葉がまだわたしたちの心に突き刺さっているからだ。だから、私たちとあなたのゲームのルールを説明しておこう。私はあなたに言っておく。もし助かりたいのなら、高原伸安の名のもとに出す次の映画や小説を観たり読んだりしろ! と。その中に、マインド・コントロールのプログラムを解除するキー・ワードが隠されているのだ。あなたが、私の言うことを信じようが信じまいが、あなたの自由だ。でも、“信じる者は救われる(アーメン)!”、 “神は偉大だ(アラー、アクバル)!”この言葉を忘れない方がいい。もう、私たちのゲームは始まっているのだから・・・」


○祇園。江戸時代に創業した老舗の旅館。一郎と順子、激しいセックスをする。

一郎「“この事件の真犯人は、この映画を観る”、“あなたは、この映画を観ている”、“よって、あなたはこの事件の真犯人だ”。はたして、この三段論法は、正しいだろうか。あなたは、この論法は、シャーロック・ホームズの推理と同じで、蓋然性はあっても必然性はないと言うかもしれない。しかし、そんなことはもはや問題ではないのだ。なぜなら、この映画はヒプナティズム文書になっていて、ここまで進んだあなたは、すでにマインド・コントロール(ヒプナティズム)を施されているからだ。もちろん、小説でも同じだ」

順子「あなたは、わたしたちのマインド・コントロールの支配のうちにあります。もし、次の高原伸安の映画を観れば助かる。もし、観なければ死ぬ。こちらの方が、簡単な論理でしょう。もちろん、ここで映画というのは、比喩的なもので、小説やテレビやインターネットなどのあらゆるメディアを意味しています」

一郎「ところで、あなたは私たちを日本人だと思っているだろうか? それとも、アメリカ人? 国籍や性別や年齢はなにも関係ないのだ。私たちは、匿名だから・・・。社会に溶け込んでいるのだ。つまり、私たちは、ルパンや怪人二十面相のように誰にでもなりすませるのだ。究極のことを教えれば、あなたの隣人が私たちかもしれない」

順子「ここに、もうひとつの三段論法があります。たとえば、小説に喩えると次のようになります。“①小説の地の文は正しい。②『予告された・・・』の小説(シナリオ)は、地の文でこの事件の犯人は、読者(あなた)だと書いている。③ゆえに、あなたは、この事件の犯人なのだ”という答になります。この三段論法は、小学生でもわかる簡単な論理です。だから、もしそれがちがうというなら、あなたはそれを証明しなければなりません。もちろん、私たちのいうあなたと、読者のあなたがちがうという証明です。あなたには、それができるでしょうか?」

一郎「もし、あなたが重篤な障碍者で犯罪を行うことができないと主張しても、私は99パー以上の確率ですべての反論を封じることができるだろう。現に、あなたはこの小説が読めるほどの知能は持っているし、意思を伝える伝達能力があれば殺人を黒崎徹に依頼することが可能だからだ。現に、この本を読んでいることは、誰かに頼んで用意させたのだ」

順子「あなたは、これがミステリーなら、作者は読者に“自分がこの事件の犯人だ!”ということを納得させなければならないというでしょう? だけど、それはチャンチャラおかしいことです。私たちは曲がりなりにも“あなたがこの事件の犯人だ!”ということを証明しました。だから、今度はあなたが反論し、私たちの言うことが間違いだと証明しなければなりません。それは数学で言うところのマイナスの証明になるでしょう。私たちがボールを投げたのだから、ボールをいま持っているのはあなたなのです。だから、あなたはそのボールを投げ返さなければなりません。それは当然でしょう?」

一郎「それはゲーテルの不完全性定理かもしれない。死後の世界を考えるときのような」

一郎、仏の顔になっている。

一郎「“宇宙を認識する私がいるから世界は存在する”これは事実だ、“私が死んでも世界は存続している”そう推測される、“ゆえに、わたしは死後もどこかで生きている”これは論理だ」

順子「ちょっと違うと思うけどけど・・・」


○祇園。江戸時代に創業した老舗の旅館。一郎と順子、SEXの後の余韻に浸っている。

一郎「すでにあなたは気づいているだろう。私の言うことが本当なら、私はあなたをひとつのキー・ワードで殺すことができるということを。映画の“テレフォン”のように。もちろん、順子は天才プログラマーだから、あなたの携帯の相手表示をあなたの友人や親しい人や信頼できる人間のものに変えることは朝飯前だ。だから、あなたは安心してその電話に出るだろう。現代社会では、盗聴や監視は簡単にできるのだ。エシュロンやスパイ衛星を、使わなくても・・・」

順子「最初に述べましたが、“信じる者は救われる”です。この言葉は、ある意味真理です」

一郎「私は、あなたの選択をたのしみにして、一旦このゲームを終わらせることしよう!」

順子「信頼は、勝ち取るものです! じゃあ、次の作品でお会いしましょう」


○ゴーガンの大作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

順子「なぜ、このヒプナティズム文書の『君のくちびるに花束』をSF仕立てにしたのか、というと小説はどんなにリアリティを求めても所詮フィクションだからです。だから、面白いほうがいい。だったら、中身はSFでもアクションでもかまわない。目的は、あなたの犯罪を暴くことなのだから・・・。それが真意です。真実で重要なのは、あなたが殺人を犯し、私たちを殺そうとしたことだけです」

一郎「私が発表した『予告された殺人の記録 高原伸安(ガルシア・マルケスの題名+著者名のコンビネーションが催眠のキー・ワードになっている)』を参考にしてほしい。そこに、真実が書かれているからだ。これは、一種の人生の書だ」


○バチカン市国。システィーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」の壁画の前。神が宿る壮大で神々しい宗教画である。一郎と順子、審判を仰いでいる。

順子「ほら、あなたの携帯が鳴っていますよ。あなたはその携帯に出ることができるでしょうか?」




参考文献


予告された殺人の記録(高原伸安著 一九九一年)


英語で読む万葉集(リービ英雄著 岩波新書)

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予告された殺人の記録2 (シナリオ 君のくちびるに花束を編) 高原伸安 @nmbu

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