一連の事象の幕引き・3
リストには、住所まで乗っていた。ぼくはユリコから聞いた実家の住所を思い出そうとした。だけど、ぼくの脳はまるで古いエンジンみたいに動かなかった。ぜんぜん火が入らなかった。
どこかから、金属を擦るような音が聞こえた。屋上の床から視線を上げると、階段室のドアが遠くで開いているのが見えた。遠くと言っても、3メートルもない。だけどそこは、ぼくよりもナツヒコのほうが近かった。
重そうな厚いドアを押し開けて屋上へ出て来たのは、いつもの真っ黒の格好をした、アマミヤ・ミツキだった。
「アマミヤ……」
「こんばんは。マヤさん。こちらが、お友達のホソミ・ナツヒコさんですね?」
アマミヤはぼくとナツヒコを結ぶ線上に立った。ナツヒコの姿が隠れる。
そして、再び階段室のドアは開いた。
重そうなドア。それを、彼女は華奢な体を使って開けて、屋上へ出た。
ユリコだった。
長い髪が、夜の風に吹かれて舞うように乱れる。細長い指で、ユリコはそれを押さえた。
ドアが音を立てて閉まる。
風が止んで、ぼくは立ち上がった。
「ごめんなさい。黙っていたことがあったということは、事実だわ」
ユリコはぼくの目を見つめてそう言った。
「何を……。君は、何者なんだ? 3年前、君は……、モリ・ユリコは、死んだのか?」
「アマノ医師の被害者リストを手に入れたのね。……そう、私の母は、モリ・サクラです」
「モリ・サクラ? あの、トウマの科学者の?」
「ええ。そして私は、あの襲撃事件の日あの病院にいたの」
ユリコはそれで全部だと言うように、黙ってしまった。ぼくは頭の中で、ゆっくりとエンジンの回り始めるのを感じ始めた。
ユリコはずっとぼくを見ていた。アマミヤはナツヒコのほうを見ている。
ぼくは頭の中の抽象的なイメージを言葉にして、それを口から発した。
「つまり、君は、クローン体の有機ビヘルタということ?」
「クローン体であることは間違っていません。でも、頭の中に入っているのは、生前のモリ・ユリコからコピーした精神そのものではない」
「でも、別の人間の精神は、ユリコの体に使えないじゃないか」
「ええ。でも、モリ・ユリコの精神は、母親のサクラ博士の中に生きていた。記憶という形でね」
「記憶?」
「モリ・サクラ博士は娘の死後、自分の記憶の中のユリコを、ゼロから作り出そうとした」
「まさか……」
「娘をAIという形で蘇らせようとしたのよ」
また風が吹いた。ユリコの髪が少しだけ揺れた。
「君は……」
「私のコードネームは、キクリヒメです」
ぼくの口から何か声が漏れたけど、自分が何と言ったのか、分からなかった。ユリコは話を続ける。
「キクリヒメ計画は、3年以上前からあった。でも、その中心人物だったサクラ博士は、その計画途中で死んでしまった自分の娘を、そのAIのモデルとして使うことにした……。そして、それはたった2年で、完成してしまった。それが私」
「2年? 出会ったとき、君は、生まれたばかりだったというの?」
「そう。そして、私はモリ・ユリコとして生きていくことになった。テストも兼ねてね」
古いエンジンに、急に大きな炎が入る感触。高速でピストンか往復運動するイメージ。
「モリ・サクラは、自分の娘を殺した事件の原因を作ったナツヒコを恨んでいて、そして、ナツヒコに近づいて復讐を果たすために、キクリヒメを、君を、ぼくに近づけさせたということ?」
「違うわ」
ユリコはぼくに一歩近づいた。ユリコのコートの裾がはためく。
「私とあなたが出会ったのは偶然よ。確かに、モリ・サクラ博士は、私に恋をして、愛を持ってほしいと思っていた。だけど、相手は決めなかった」
「そのキクリヒメ計画に、ぼくは関係なかったって?」
「私はそう思ってる。今度のことであなたがナツヒコ君に近づいたことは、私は嫌だった……」
「いや、でも、君はオリジナルのユリコが死ななければ生まれなかった。だったら、ナツヒコに感謝こそしても、恨む理由はないはずだ」
「いえ、病院襲撃事件でオリジナルのユリコが死ななくても、私は誕生していたでしょう。ユリコをモデルにした私という形ではなかったかもしれないけど」
「そんなの、別人じゃないか!」
ユリコはやさしく微笑んだ。そして、ぼくに近づいて来る。ぼくは言葉を重ねる。
「そうか、アマミヤが言っていたあるお人というのは、君のことか。アマミヤは、君の指令で動いていたの?」
ぼくはアマミヤのほうを見た。アマミヤはまだナツヒコのほうを見て立っていた。
「君は、トウマの局員なのか?」
アマミヤはこちらを向かないで、「お答えできません」と返した。ぼくはいままで起きたことが頭の中を駆け巡っていくのを眺めていた。
「カイザの4人組がぼくを狙ったのは、ナツヒコによる、爆発物の盗難事件を嗅ぎつけられたくなかったから。そして、ナツヒコの新しいビヘルタについてまだ公表していなかったからだった。でも、プリティヴィがぼくの前に現れたことで、事態は別の動きを見せた。今度はカイザ側からぼくに、事件を追うように言ってきたんだ。さらに、プリティヴィの働きかけで拉致したアマノ医師も解放した。爆破事件の犯人を、カイザの殆どの人間は知らないようだった。知っているとすれば、それは、カガミ・キョウイチ博士を中心とした一部の人間だけだ」
ユリコは、ぼくの目の前まで来ていた。ユリコはぼくの両手を取って、自分の両手で握りしめる。
「プリティヴィが無機型ビヘルタを使った完全生物を考えることを、私は予想していました。私の演算能力の中には、他者がどう考えるかが含まれているの」
「君が優しいことは、ぼくは知っているよ」
「でも私は、プリティヴィの完全生物の計画には、賛同出来なかった」
「どうして?」
「人間は、まだ進化しなくてはならない。生物は進化して、別のステップに到達することが出来る。その為にDNAや生殖能力を捨てることは、許されない。私は人間が有機的な肉体を持ったまま生活を続け、やがてヒトから別の種へと進化することを望んでいるの」
「そうか……。キサナドゥを創ったのは、君か」
「そう。私はキサナドゥという都市に人間を集めて、新しい価値観を広めようと思った。それが上手くいっているかは分からないわ。次は
「君が、キサナドゥの女王だったのか……」
「私がキサナドゥの女王なら、あなたはキサナドゥの城壁だわ。私の居場所を守ってくれるのは、あなただけだもの」
ユリコはナツヒコのほうを顔だけで向いた。ぼくは、居場所を守ったつもりはない、と言おうとしたけど、そのとき冷たい風が吹いて、ぼくは目も口も閉ざされてしまった。
ユリコの声が風の中に聞こえてくる。
「ホソミ・ナツヒコ。あなたを殺すことはしません。あなたは生き永らえなさい」
風が止んでぼくが目を開けると、いつの間にかアマミヤはユリコのすぐ後ろにいた。そして、ナツヒコの姿は無くなっていた。ぼくはユリコの手を振り解いて、ナツヒコがいた辺りへ駆けた。けれど、どれだけ探しても、そこにナツヒコの姿を見つけることは出来なかった。
振り返ると、ユリコがゆっくりと近づいてきていた。辺りにアマミヤはいなかった。
「帰りましょう。こんな時間だし」
「うん……」
「お鍋でも、作りましょうか」
そこには、いつもの微笑があった。
「そうだね……。こんな夜には、赤ワインが似合う。君の美しい顎のラインにも、ね」
ぼくはユリコの目を見つめて、どうにか口の端を上げることに成功した。
ユリコは自然な微笑みのまま踵を返して階段室へと歩き出し、ぼくは駆け足でその後を追った。
ぼくはユリコの前に立って、扉のノブに手を掛けた。そして、重い扉を開ける前に、もう一度ナツヒコの立っていた場所を見た。
そこには夜の闇だけが広がっていた。
――終――
キサナドゥの城壁 朝野鳩 @srkw
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