人魚調理法

そうざ

The Mermaid Recipes

「早速、調理に取り掛かれ!」

 天下に冠たる王立遠洋船団が永年に亘る苦心惨憺の末、遂に人魚を捕獲せしめた。その数、五頭。いずれも脂の乗った便々たる体躯である。

 不老長寿は、王の本懐であった。若かりし頃より戦に明け暮れ、有形無形に関わらず戦利の産物を我が物として来た名高なだたる王であるが、寄る年波としなみという軍門にはくだからざる老境のきざはしを眼前にしていた。

 王は、至高の膳を造作ぞうさせし者に格別の褒美を取らす旨を宣言した。しかるに、一天四海いってんしかいより集められた宮廷料理人の中にも、いまかつて人魚を俎上に載せた者などただの一人も存在せず、比類なき明窓浄机めいそうじょうきほまれを戴く王立図書院の蔵書をもってしても、その調理については仔細の一端でさえ要領を得られぬ難題であった。

 先ずもって、果たして人魚は如何いかな食材として取り扱うべきかとの疑問が生じた。その肉質は、魚のようでありながら獣のようでもあった。そして、はなはだしく血腥ちなまぐさい。調理に於いて肌理細きめこまやかな心配りを要す事だけは、火を見るよりも明らかであった。

 この類稀たぐいまれなる使命に応えるべく名乗りを上げたのが、腕に覚えのある五人の料理人である。珍味佳肴ちんみかこうの権化たる王の事、常並つねなみの饗応きょうおうりょうとする筈もない。五人はまずたゆまず肝脳を絞った。

 やがて、一人目の料理人が怖ず怖ずと膳羞ぜんしゅうを披露した。

「人魚のポワレ・レモンバターソースにて御座います。胡椒、大蒜、オリーブオイル、バター、岩塩、レモン汁、そして葡萄酒を――」

「今、何と申した?」

「はい、人魚のポワレ・レモ――」

「葡萄酒と申したな。朕が酒を受け付けぬと知っての戯れか?」

 料理人は凍り付いた。王は稀代の偏食家であった。風味付けに用いるごく僅かな量でも受け付けぬ御身おんみである事を、うっかり失念していたのである。

 料理人は早暁を以て処刑と決まった。厨房の面々はたちま怖気おぞけを震い、今一度、王が忌み嫌う食材の全てを洗い直した。

 その上で、二人目の料理人がおどおどと膳羞を披露した。

「人魚と茸の黒酢炒めに御座います。遼遠りょうえんなる東洋の地から取り寄せて参りました黒酢を用い――」

「蛮族の味付けなど笑止千万。下がれっ!」

 王は著しく優生思想に囚われた自民族中心主義者であった。

 二人目も早暁を以て処刑と決まった。いよいよ一同から血の気が失われ、誰もが褒美どころかおのが身の上の事しか考えられなくなった。

 居たたたれぬまま、三人目の料理人が恐々こわごわと膳羞を披露した。

「人魚の香味蒸し・フォアグラ、キャビア、トリュフ添えに御座います」

「巷間の珍味を盲信しおって。下がれっ!」

 王は他人が拵えた既成概念を嫌悪する性質たちであった。

 三人目も早暁を以て処刑と決まった。五人の心に巣食う悪魔が、この場からの遁走をしきりに慫慂しょうようする。しかしながら、宮廷各所に配された衛兵の目を盗むのは至難の業であり、捕えられれば即刻冥府めいふ往きは必定である。

 色を失った四人目の料理人がびくびくと膳羞を披露した。

「人魚のズッパディペッシェに御座います」

「そのような料理名はついぞ聞いた事がない。下がれっ!」

 王は自らの無知蒙昧むちもうまいを認めぬ性分であった。

 四人目も早暁を以て処刑と決まった時、五人目の料理人がそわそわと膳羞を披露した。

「人魚の活け造りに御座います」

 首より下を切り刻まれながらも、剥き出しになった心臓は未だ脈動し、口唇は喘ぐように開閉を続けている。その虚ろに濁った眼球がぎょろりと回旋し、獣性を宿した眼差しが王のそれと交わった。

「この上なき希少な人魚となれば、その素材を活かした野趣にあふれし活き造りにてお召し上がりになられますのが至善とかんがうに至りまして御座います」

 深く平伏する五人の前で、王は沈黙を守ったままであった。

 それもその筈、王は食卓の玉座に身を委ねたまま頓死していた。凄惨にしておぞましき膳羞は、既に老いさらばえた王の身魂に耐えがたき衝撃を与うに余りある一品であったのである。


 その後、五人の料理人が哀れ刑場の露と消えたのか、或いは数奇な曲折を経て生き長らえたのか、その後日譚については、何れも言わぬが花の如くはぐらかすのである。

 この点は、彼等が斯様かよういにしえの異聞を口を揃えて詳細に語り得る面妖さと共に釈然とせぬ事柄なれど、は一様に莞爾かんじとして以下の命題を口にするばかりである。


 王の食指を免れし人魚料理の数々、果たして何人なにびとの好奇にもさらされぬまま打ち棄てられたや否や。

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