第5話

 翌朝、スマートフォンの着信で目を覚ました。時刻はまだ六時前だった。会社に行く日でさえ、もう少し起きるのは遅い。

 深津はベッドに腰掛けて電話に出ると、向こうが話すのを待った。


「車を乗り換えたんですか、深津さん」


 電話の相手は佐久間だった。どこか機嫌が悪いのか、言い方がぶっきらぼうなように感じられた。


「どうかしたのか?」


 深津は佐久間の問いに答えずに、質問を返した。


「警視庁の後藤とかいう刑事をご存知ですか」

「ああ、築山の親父の件で捜査をしている刑事だな」

「勘のいい刑事みたいで、こちらのことを嗅ぎ回っていますよ」

「お前のことをか、佐久間。築山の親父は、お前との接点は完全に消していたはずだが……」

「だから、勘のいい刑事って言ったんです」


 佐久間は吐き捨てるようにいう。

 築山の線から佐久間へたどり着くことができる刑事がいたということ自体が信じられなかった。築山はどこかに佐久間の連絡先を残していたということだろうか。完全に築山と佐久間は切れていると思っていたが、そうではなかったということなのだろう。


「証拠とか関係ないんですよ、あのタイプの刑事は。自分の勘だけを信じて動く。味方なら優秀な番犬ですが、敵となれば面倒な猟犬ですね」

「そっちは大丈夫なのか」

「刑事ひとりくらい、どうにでもなりますよ。それよりも、深津さんの方が問題ですよ」

「どういうことだ」

「あの刑事、深津さんのことを重要参考人として各県警に手配しています。おそらく、ホテルなんかにも深津さんの写真を持った県警の刑事が聞き込みに来るでしょう。しばらく、どこかに姿を隠してください」

「どこかって、どこへ行けばいいんだ」

「とりあえずは、そのホテルを出てください。深津さんの手配書がホテルに行き渡る前に」

「わかった。とりあえずは、ホテルを出る。なにか新しい情報が入ったら連絡をくれ」


 そう言って深津は電話を切った。

 シャワーを浴び、ヒゲを剃ると、真新しいシャツを着て部屋を出た。特に荷物と呼べるようなものは何も持ってきてはいなかった。あるのは、財布と佐久間から渡されたスマートフォンだけだ。服に関しては、新しいものを量販店で買っていたので、昨日まで着ていたシャツなどはホテルの近くにあったコンビニエンスストアのゴミ箱で処分した。いまは白のシャツにデニム、足元はスニーカーというラフな格好だ。キャップを被り、必要があればサングラスを掛ける。途中でキャップを脱いだり、サングラスを伊達メガネに変えたりと、姿を変えていけばあまり人の印象に残ることは少ないだろう。こういった技術に関しても、深津は築山に教え込まれていた。

 あの後藤という刑事の執念深さには深津も驚かされていた。まさか、佐久間にまで辿り着くとは思いもよらぬことだった。佐久間だって、この世界ではプロ中のプロである。自分に関する足跡はすべて消しているはずだ。それにも関わらず、あの刑事は佐久間まで辿り着いた。佐久間が下手を踏んだのか、それともあの刑事の嗅覚が異常なのか。どちらにせよ、深津に刑事が迫ろうとしていることだけは確かだった。

 その日の午前中は、人がたくさんいるショッピングモールの中で過ごした。土曜日ということもあって多くの家族連れで賑わっている。深津は目立たぬようにベンチに腰を下ろし、買い物をしている妻や娘を待つ父親のように振る舞うことで、その風景に溶け込んでいた。

 佐久間からの連絡は無かった。片桐を見つけることができなければ、この場所に何をしに来たのかもわからなくなってしまう。喫煙コーナーへ行こうとしたところで、視線を感じたような気がして深津はさりげない様子で辺りをうかがった。違和感はなかった。だが、誰かが自分を見ていたという気配だけは感じ取っていた。警察だろうか、それとも片桐が手を組んだと言われている掃除屋の連中だろうか。どちらにせよ、いまは姿を消す必要があるということだけは確かだった。

 喫煙コーナーに入る直前の角を曲がり、立体駐車場へと繋がる廊下へと入った。そこは一本道だった。もしも、尾行者がいればここでわかるはずだ。

 しかし、誰も深津を追いかけてくる人間はいなかった。ただの思い過ごしだったようだ。深津は小さくため息を吐くと、来た道を戻って、喫煙コーナーに足を踏み入れた。

 ゆっくりと煙草を一本灰にするまで喫煙コーナーで時間を潰した。喫煙室には、深津以外に誰もおらず一人の時間を過ごすことが出来た。吸い終えた煙草を灰皿の中に落とそうとした時、深津は入ってきた若い男に声を掛けられた。


「すいません、火を貸してもらえますか」


 男は咥え煙草でこちらを見ていた。歳は二十代後半から三十代前半くらいだろうか。角張った顔をしており、耳は潰れている。おそらく寝技のある格闘技の経験者なのだろう。柔道やレスリング。最近だとブラジリアン柔術というパターンもある。ただ、この手の人間は警官である可能性も少なくはなかった。


「ああ、どうぞ」


 深津がズボンのポケットに手を入れるような素振りを見せた瞬間、相手が動いた。

 ナイフだった。刃渡りは大きなものではない。

 咄嗟に深津は相手の脛を靴のつま先で蹴りつけると防御態勢を取った。

 ナイフの刃は深津の左上腕を掠めていた。もし、深津が男の脛を蹴りつけていなければ、その刃は深津の首へと伸びていただろう。

 ピリッとした痛みを覚えながらも深津は男の首筋に右肘を叩き込む。確かな手応えがあった。男はそのまま前のめりになって、地面に倒れ込んだ。

 意識を失った男の背中に自分の膝を置いて制圧をしながらも、深津は男のヒップポケットから財布を抜き取り、中身を確認する。入っているのは数枚の一万円札だけであり、男の身分を確認できるようなものは何も入ってはいなかった。他にもスマートフォンを持っていたが、こちらも連絡先などは何も入っておらずプリペイド式のものであった。

 深津はそのプリペイド式のスマートフォンを男から奪うと財布は戻して、喫煙コーナーを立ち去った。

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獅子を継ぎし者 大隅 スミヲ @smee

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