ツレが『これって面白いの病』になりまして

無月弟(無月蒼)

ツレが『これって面白いの病』になりまして

「由美、俺はもうダメだ」

「何を言ってるのアナタ。しっかりして」

「ダメだ。ダメなんだ……。俺は、『これって面白いの病』に掛かってしまったー! もう小説を書けないー!」


 頭を抱えて膝から崩れ落ちる夫を前に、私は何も言うことができない。


『これって面白いの病』。それは小説を書いていると発病することのある病気。最初は面白いと思っていたはずなのに、だんだんと自信がなくなってきて筆の進みが遅くなり、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。

 そして最悪、何も書けなくなってしまうと言う恐ろしい病だ。


『今書いてる小説、面白いの病』だの、『これ面白いのかな病』だの、人によって呼び方は微妙に異なるけど、症状は同じ。 特に長編小説を書いている時に発病する事が多く、何冊も本を出しているプロの作家さんだって掛かることがあるとか。

 そして私の夫は、カクヨムに小説を投稿している、アマチュアの小説書き。

「長編のアイディアが浮かんだ。これは名作になる予感がする」と言って執筆を始めたのが先月のこと。だけど最近は筆の進みが悪いみたいで心配していたのだけど、『これって面白いの病』に掛かっちゃうなんて。


 床に両手と膝をつく夫を見てると、いたたまれない気持ちになる。

 実は私も、夫と同じアマチュア作家。だから自作が面白いのか分からなくなる気持ちも、書けなくなる苦しさも痛いほどよくわかる。

 だけど励まそうにも、気の効いた言葉は浮かんでこない。何を言っても身内の同情、気休めにしかならない気がして、自分の無力さが嫌になる。

 何か、何かしてあげられる事はないだろうか……ん、そういえば。


「そうだ、あの診療所に行ってみましょう!」

「診療所?」

「そう。カクヨムで知り合った友達から聞いたの。なんでも『これって面白いの病』を治療する名医がいて、特効薬を処方してくれるんだとか」

「え、『これって面白いの病』って、診療所で治せるものなの!?」


 私もその辺のことは分からないけど、とにかく行ってみよう。


 というわけでやって来たのは、小さな診療所。

 そしていたのはパーマの掛かった長い髪をした美人の、一見すると医者とは思えない、筋骨隆々の女医さんだった。


「ヘイヘイどーした迷える子羊ちゃん。今日はいったい何用かなー?」

「あ、あの。お医者さんですよね?」

「はっはっは! アタシが医者以外の、何に見えると言うんだいベイビー! ブラックジャックもビックリのモグリの医者さ」


 確かに白衣を着て首に聴診器を下げたその格好はお医者さんのそれだけど、筋肉質な体と独特な物言いは、まるで悪役女子プロレスラーみたいで、どことなく不安になってしまう。

 と言うかモグリの医者って、冗談ですよね?


 夫も同じことを思っているのか、椅子に腰かけたまま顔を見合わせる。

 けど、せっかく来たのだから話をしてみよう。

 私は夫と一緒に、彼の身に何が起きているのかを話した。


「なるほどなるほどー。それはまごう事なく『これって面白いの病』だね。ユーも災難だねー」

「はい。それで、ここに来れば『これって面白いの病』の特効薬を処方してもらえると聞きました。お願いです、薬をください」

「はっはっは、お安いご用。と言いたいところだけど……このバカチンがー!」


 バチコーン!


 先生の平手打ちが夫の頬にめり込み、椅子からぶっ飛んだ。


「きゃー! アナタ大丈夫ー!?」


 こんな筋肉ムキムキの先生に思いっきりひっ叩かれたのだから、大丈夫なはずがない。

 しかし床に倒れてピクピクしている夫の胸ぐらを、先生が掴む。


「何をするだぁ? 甘い、甘すぎるぞベイビー! お前のような奴は、ママのお腹の中からやり直してこーい!」


 ペチーン! ペチーン! ペチーン!


 容赦なく平手打ちを繰り返す先生。い、いくらなんでもやりすぎです!

 たまらなくなった私は止めに入る。


「もう止めてください! アナタ、特効薬が貰えないなら帰りましょう」

「ヘイヘイ、何を言ってるんだいお嬢ちゃん。アタシは別に、処方しないとは言ってないさ。ただ一つ、条件をクリアしてもらう必要がある」

「条件? それっていったい?」

「それはな……アンタが今書いているクソみたいな小説を、最後まで書き上げろ!」

「「ええーっ!?」」


 私も夫も、揃って声を上げる。

 それができないから困っているっていうのに。


「む、無理ですって。だって『これって面白いの病』に掛かってるんですよ!」

「甘ったれるなー!」


 ペチーン!

 ああ、また殴った!


「なに甘いこと言ってんだベイビー! お前は無理だ無理だって言って何もできない、のび太くんなのかい? 違うだろ違うだろー! 本物ののび太くんは今頃、『空の理想郷』に行ってるだろー!」


 ペチーン!

 や、やめてください。これ以上殴ったら、夫の首がもげちゃいます。


「世の中にはなあ。『これって面白いの病』に掛かっても根性で書いている奴だっている。そしてアタシの推しの漫画家が言っていたよ。『どんなゴミみたいな作品でも最後まで書き上げろ』ってな」

「漫画家……小説家じゃないんですね」

「細かい事を突っ込むなー!」


 ペチーン!


「とにかくだ。『これって面白いの病』に掛かったけど、薬を貰って治せばいいやなんて甘い考えは捨てろ。試練を乗り越えられないやつに、薬はやらん!」

「そう言われても。アナタ、どうする?」


 尋ねると、頬を腫らした夫は静かに答える。


「……わ、分かりました。できるかどうか分かりませんけど、やってみます」

「アナタ本気なの? と言うか、書けるの?」

「分からない。けどこのままじゃ特効薬も貰えないし、殴り殺されそうだ。だったら、やれるだけやってみるよ」

「おお、その意気だ迷える子羊ちゃん。頑張ってこーい!」


 バチコーン!


 もう何度目か分からない先生の平手打ちが、夫の頬を襲う。

 本人は激励のつもりだったのかもしれないけど、殴ることなかったんじゃ。


 まあとにかくそんなわけで、筋骨隆々な女医さんに何度も殴られた夫はボロボロ。

 私達は逃げるように家へと帰って、夫は執筆を再開させた。

 やっぱり筆の進みは遅くて、「もうダメだー」なんて言ってたけど、筆を止めたら先生が殴りにくる気がして。

 死ぬもの狂いで書き続けること1ヶ月後。ついに小説は完成して、私達は診療所へと向かった。


「せ、先生。完成しました。けど、やっぱり面白い気がしません」

「そうかいそうかい。まあいい。子羊ちゃん、その小説をネットにアップしろ」

「えっ? けどこんなの投稿しても、駄作だって叩かれるだけじゃ」

「バカもーん!」


 ペチーン!


「ぶっ叩かれたくなかったら、さっさとやれい!」


 先生、もう既に叩いてますって。


 と言うわけで、夫は震えながら投稿した。その震えが、酷評されるのを恐れてのものなのか、それとも先生が怖いからかはわからないけど。


 そして先生は、数日後にまた来るよう言ってきた。

 ここまでやったのにまだ特効薬をくれないなんてって思ったけど、逆らうのは危険。言われた通り、それから数日待ってみた。すると……。


「先生見てください! 投稿した小説に、面白いというコメントを頂きました!」


 隣に立つ夫はの顔は晴れやか。先生に何度も殴られた頬の腫れが未だ引かずに、腫れやかとも言えるけど。


「良かったじゃないか。で、子羊ちゃん。『これって面白いの病』は、もう治ったかい?」

「そういえば。読者からのコメントを読んでいるうちに、だんだんと自信がついてきました」

「そうだろそうだろ。何を隠そう、これこそが『これって面白いの病』の特効薬だ」

「えっ。どう言うことですか?」


 不思議そうに首をかしげる夫に、先生は説明する。


「読者からの「面白かった」。「このキャラクターが好き」。そんな応援の言葉が、『これって面白いの病』を治すための特効薬なのさ。書いてる時は辛いし、書き上げたところで、良いものができるとは限らない。だけどその作品を面白いと思ってくれる人がいるなら、特効薬は処方してもらえる。分かったかい?」

「そういうことだったんですね。先生、ありがとうございます」


 先生にお礼を言って、二人して診療所を出る。

 そして家に向かって歩いていると、夫が語りかけてくる。


「先生に診てもらってよかったよ。大切なことを教えてもらった。何度もボコボコに殴られたせいで別の病院に通うことになっちゃったけど、それでも良かったよ」

「そうね。治療費50万円もぼったくられちゃったけど、良かったわね」


 読書からの応援の言葉が、『これって面白いの病』の唯一の特効薬。それが分かったのだから、怪我や50万円くらい安いもの。

 書きあがったところで処方してもらえる保証はないけど、書かなきゃいつまで経っても治らないんだ。


 もしも私が『これって面白いの病』に掛かったら、今度は診療所に頼らず、自分で治してみよう。

 夫と歩きながら、心の中でそう誓う。


 あのクレイジーな先生が無免許及び患者への暴行で警察に逮捕され、診療所が潰れるのは、もう少し後のお話です。





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