黄金くじら 後語り~ピノ~

 彼は螽斯キリギリスと云った。

 詩人であり、歌い手であり、口伝師くでんしであった。

 いま、彼の眼前には、地平一面に広がる黄金の砂漠。

 いま、彼の眼下には、陽を照らし流れる黄金の大河。


 彼は今、一つの物語の結末を謳い上げ、その新緑の瞳を再び開く。

 額に浮かんだ汗がまだ癒えぬ傷に染み、支えきれぬ身体が重く、膝をつく。

 その姿はまるで、戦い終わった戦士のようであり、悲しみ嘆く老人のようであった。

 生命を燃やした英雄の物語は、歌い手の生命を燃料に、金色の地平に響き渡った。


「まるで見ていたように歌うんだな」


 そう声が掛かり、螽斯は杖を頼りに立ち上がり、振り向く。ここまでの道中、道連れになりサイドカーに乗せてくれた黒足の青年だった。


 螽斯は彼に上出来だったろう? と得意気に胸を張り、送ってくれた礼を告げる。

 その後、


じゃない。のさ、パンプス君」


 そう名前を呼んだ。黒足の青年は驚く。


「どうして、俺の名前を?」


「あの黄金の爆発の日……、あぁ、花火だったね。私は街の外壁に上って、高いところで歌うのが好きでね。あの日私は。その星が、私の視界の半分と引換えに見せてくれた! 音や声は分からないが、英雄の生き様を! これでも吟遊詩人でね。唇の動きくらいは分かるのさ。星を見てみるかい?」


 そう、螽斯は眼帯を外した。そこに在るのは新緑ではない、黒く輝く瞳。


「なっ!? アンタそれ」


「パンプス君なら分かるかい? これは君の親友の、英雄の瞳さ。ところでパンプス君、君はこの瞳の主との約束は果たせたのかい?」


「それは……」


 浮かない顔の黒足に、螽斯は納得の表情で頷く。無理もない。人知れず行われた偉業を讃えるには、国は疲弊し過ぎていた。

 ならば、やる事は決まっている。


「なぁ、パンプス君。その役目、私も手伝わせてくれないかい?」


「アンタが?」


「そうだとも! 私の歌でこの物語を、忘れられた君達を英雄にしてみせよう! 星を受けて生きた私が出来る、使命だと確信している! 君は団長として、私を横に乗せてくれたまえ」


「団長? アンタ、何言ってるんだ?」


 狼狽える黒足の青年。そんな彼に、螽斯は大仰に嘆き、また歌うように言葉を紡ぐ。


「君こそ何を言ってるんだい?! 私はこうやって歌うことしかできない! それに何かい? 君はこんな怪我人に独りでやれと、そう言うのかい?」


「……アンタ、何だかアイツに似てるな」


 青年は笑う。


「光栄だ。君だけを一人にしたらいけないと、英雄の優しさが私と君を引き合わせたのさ。もっとも、私は君達に比べれば歳だがね」


 螽斯は青年のように素直な笑みは浮かべない。だが、異なる色を宿す両眼は優しく細められていた。

 いつの間にか、黒足の青年は泣いていた。

 その涙の美しさに、螽斯は青年の中に在る、人の心を動かす団長としての才を見た。


「悲しいのかい?」

「いや、嬉しいのさ」

「黒足に、涙か。君もまた、二つのチカラがあったのだね」

「……?」


 螽斯の青年に対する言葉は、奇しくも英雄と重なった。

 なんでもない。行こうかと、渾身の力を込めて大地に立ち、螽斯は両手を広げる。


「さぁ、パンプス君! 君の友と、その最愛の女性つるぎが世界を救ったのなら、私達はその名を世界へ轟かせてみせようではないか!」


 その声は美しく、金色の砂漠に広がり、この日より世界に広がっていく──。





 その昔、螽斯という一人の歌い手がいた。

 彼は詩人であり、口伝師であり、そして世界一の劇団の創設者の一人であった。

 劇団の名前は、


黒足アリとキリギリス』


 今もなお多くの劇団員を抱え、その劇団を表すシンボルは、二輪動力車を走らせる泣き虫の黒蟻とサイドカーに乗った陽気な螽斯が描かれている。


 そんな劇団の一番人気の演目ポスターは、初代の演者の頃から変わる事がない。

 杭のような大剣を背負った黒髪の青年。そして、空を飛ぶ黄金のくじら。


 演劇を観た人々は、青年を英雄と呼び、また己を重ねてと称し、その儚くも勇敢な生き様に想いを馳せた。


 演目の題名は変わらない。



『人知れず造られた僕の為のテレジー



 現在いま、世界中の人々がその題名を知り、酔いしれている。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人知れず造られた僕の為の剣 つくも せんぺい @tukumo-senpei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ