青い夜の夢
藤野 悠人
青い夜の夢
軽やかなエンジンの音と二つの車輪が、私をどこまでも連れていく。背負った相棒のギターと一緒に、理由もなく世界中のどこにだって行ける気がした。西の空は真っ赤に燃えて、夕日がやけに遠く感じる。ベージュ色の原付バイクも、夕日が真っ赤に染めていた。
夕日はどんどん遠ざかって、夜空が今か今かと出番を待っている。
震えるエンジン。ケースの中で踊るギター。車輪は黙々と私を運び、向かい風は私の
そうして走っていると、
夕日に照らされた波打ち際は、跳ねて踊る
そうしている間にも、夕焼けは遠ざかる。入れ替わるように、空では星が瞬き始めた。昼間は太陽の光で隠されていた光の粒が、空いっぱいに広がっていく。
いまの季節は何の星座が見えるんだっけ。そう思ったけれど、すぐに星座なんかどうでもよくなった。夜空の中を、ぼんやりした光が泳いでいる。ひとつだけではない。青、赤、緑、紫、黄色。鮮やかなそれらの光が、水平線に向かって尾を引いて向かっていく。あれは何と呼ぶんだっけ。
「ほうき星だ!」
すぐ近くから、女の子の声が聞こえた。いつから居たんだろう。白いワンピースを着た女の子が私の近くに立っていて、空を眺めて嬉しそうに笑っている。
「見て、ほうき星だよ!」
女の子は空を指差しながら、私に笑いかけた。思わず私も笑っていた。そうだ、あれはほうき星と呼ぶんだった。
海の上には、いつの間にか大きな月が顔を出していた。月明かりに照らされて、水面は銀色に輝く。星空は群青色だった。
「夜空って明るいんだね」
私がそう言うと、女の子は不思議そうに首を傾げた。
「お姉ちゃん、知らないの? 夜はね、黒色なんかじゃないよ。夜はね、青いんだよ」
「うん、青いね」
深く、穏やかな青い空。昼の空とは全く違う青い空の中を、たくさんの星と、鏡のような月が漂っていた。
不意に、穏やかだった潮騒が、大きく水の弾ける音に変わった。私も女の子もびっくりした。海を見ると、大きな尾びれが海面から飛び出している。
「あ、ツキナガスクジラ!」
女の子はまた嬉しそうにそう言った。
「月? シロナガスクジラじゃないの?」
「お姉ちゃん、知らないの?」
女の子は、また不思議そうな顔をして私に言った。
「月が綺麗な夜にだけ出るんだよ。月みたいに銀色なんだよ。だから、ツキナガスクジラっていうんだよ」
「へぇ、初めて知った」
「じゃあ私、お姉ちゃんより物知りだ!」
女の子が誇らしげに胸を張る。でも、しばらくするとしょんぼりと肩を落とした。
「でもね、どうしても分からないことがあるの」
「どうしたの?」
「私のワンピース、真っ白でしょ」
そう言うと、女の子は空を見上げた。
「夜空って、深くて綺麗な青色でしょ。こんな夜空みたいなワンピースが着たいんだ」
「じゃあ、染めればいいんだよ」
私がそう言うと、女の子は目を丸くした。
「染める?」
「そう、染めるの」
私は女の子と同じ目線になるように腰を落とした。女の子の目は小さな水晶玉のようにキラキラしていた。
「染物っていうのがあるんだよ」
「そめもの?」
「そう。木とか、花とか、植物をお湯に付けるとね、その植物の色がお湯の中に出てくるの」
「そうなの?」
「そう。色は混ぜるとね、いろんな色になるんだよ。そうして出来たお湯に、白い服を
「へー……」
女の子は不思議そうな顔をして呟いた。
「初めて知った」
「じゃあ、染物のことはお姉さんのほうが物知りだ」
不思議そうにしていた女の子の表情は、だんだんわくわくしたものに変わってくる。いいことを思いついた、と言わんばかりの笑顔が、私にぐっと近付いてくる。
「じゃあ、夜空みたいな色の染物もできる?」
「うん、きっとできるよ」
「じゃあ頑張って夜空の色、探してみる!」
「うん、頑張んな」
女の子のわくわくした笑顔につられて、気付けば私も笑顔になっていた。
海の方で、どんな楽器でも鳴らすことのできないような不思議な音が響いて、海面が大きくザブッと跳ねた。銀色に輝く大きなクジラが、月明かりの中、青い夜空へ飛び出した。
夜空に向かって泳ぐツキナガスクジラの声が、遥か彼方の星空に響き渡った。
青い夜の夢 藤野 悠人 @sugar_san010
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