ギフト

福山典雅

ギフト

 僕は空から罪もなく降る雪に、ただ見惚れていた。


 今日はホワイトディの前日。


 喜びも悲しみも、そして諦めさえも、雪みたいに淡く溶ければいいのに。


 もうこの冬で三度目の雪だ。


 一度目の雪は昨年のクリスマスだった。







 その時の僕は、せっかくのクリスマスを惨めな気持ちで過ごしていた。


 少し前に偶然呼び止められた街角占い師に、「三回雪が降る。君は決断をしないといけない」と言われた。広がる鮮やかなイルミネーションみたいな詐欺師だと思った。


 僕は占いを信じない、……わけでもない。実はとても暗示にかかりやすい。それが僕の人生の敗因らしい。


 そのせいではないにしても、こうしてクリスマスに一人ぼっちであり、誰にでもわかる孤独を晒しながら、行き場のない感情を携えて街角を歩く羽目に陥っている。


「人生で嘘をつくのは5回までだ」、そうとある有名な宣教師は言って、汚職で捕まっていた。僕は果たして、何度嘘をつけば気が済むのだろう。


 夜空は暗く、ふわりと降り積もる雪は、まるで星々が天空から零れ落ちて来るようで、その欠片が僕の肩でゆっくりと溶けるのを見ると、無性に泣きたくなった。


 行き場のない切なさを胸に秘め、僕は僕自身を苦しめて何が楽しいのだろう。


 ポケットにしまい込んで渡せなかったプレゼント。彼女が欲しがっていたピアスは、僕が無残に箱を握り締め潰し、既に贈り物としての役割を喪失していた。


 僕は馬鹿だ。僕は……。








 年が明けてバレンタインデーを翌日に控えたその日、彩葉から呼び出された。


 大陸からの寒波はエクレアにかかったチョコレートみたいに列島を覆い尽くし、横着をしてマフラーを巻かなかった僕は後悔していた。


 寒波に強風のアシスト、この役にも立たないセンタリングのおかげで、僕は適当に羽織ったチェスターコートの広い胸元をどうにかしないと、もう明日の朝陽を拝める気がしない程にすっかり凍えていた。


「蒼汰くん、1日早いけど、はい、チョコレート」


 彩葉は待ち合わせのカフェで、そう言ってにっこり微笑んだ。


 その無防備な笑顔は、安らぎを僕の心から引き出し、ほんのりと少しだけ顔を上気させた。


 彼女のお手製のラッピングは高級ブランドチョコとはまるで違い、送り主の懸命さを可愛くもいじらしく、ちょっぴり誇張気味に主張していた。


 弾む心が抑えられない。思わず顔が綻んでしまう。僕は浮かれる感情を小犬みたいに眺め、見つからない何かを探していた。


「ねぇ、早速味見してみて!」


「うん、……でもまずかったら嫌だなぁ」


「そんな事言ったら、泣いちゃうかも!」


 僕等は大学で「いみじくもひとごこち」という、まるで目的が見えないサークルの仲間だ。やっている事と言えば、スイーツや焼き立てパンの隠れた名店を巡ったり探索したりする。


 僕は親友の晴斗に誘われ、そこで彩葉と出会った。特徴的で艶やかなロングヘアーが、細くて背の高い彼女に抜群にマッチしていて、一見近寄りがたい空気を纏っていた。


 でも彼女がふわりと笑った瞬間、僕は恋に落ちたのかもしれない。


 サークルは男女合わせて5人のグループ。割り切れないその数字は、もちろん割り切れない僕らの関係性を物語っていた。


「ねぇ、美味しいかな? 美味しいよね?」


 不安を浮かべながらも、無邪気に笑いかけてくる彼女は、ブルーベリーよりも遥かに甘酸っぱく、僕の心を優しく震わせた。


「みんなきっとおいしいって言うと思うよ」


 僕の当たり障りのない一言に、彼女は小さくガッツポーズを作った。


「おし! ―――って違う! みんなの予想じゃなくて蒼汰くんはどうなの?」


「……おいしいと思う」


「と思う?」


「いや、おしいいです」


「もう、言わせた感があるけど、まあ、いいや。ありがと」


 彩葉はいつもこうだ。


 僕がほんのちょっぴり自分の考えをぼかして誤魔化すと、何故か一歩も二歩も踏み込んで来て、僕のホントを見つけ出そうとする。ずるいよ、君は。僕もそうだけど。


 だから僕が彼女を好きだと自覚するまで、そんなに時間はかからなかった。


「蒼汰くんも明日の飲み会に来ればいいのに……。折角私達女子2人がモテない男子3人を接待してやるって言うのに!」


 明日はサークルリーダーの清史郎懇願により、「バレンタイン強制、俺達を励ませ会」を実施する。イケメンの癖に残念なあいつらしい飲み会だ。いや、セクハラだ。


「またさ、妹が来るからさ、こっちも接待」


 僕は少しだけ早口でそう言った。


 これは僕が嘘をつく時の癖だ。妹は来たりしない。僕は都合が悪いと妹のせいにして逃げていた。


「ホントかなぁ? シスコンはこれだからまったく……」


 僕の瞳に映る嘘を、じっくりと覗き込む様に彼女が悪戯っぽく笑った。






 あのクリスマスの夜、その日はサークルの飲み会で、彩葉は飲み過ぎて風に当たりに外に出た。酔っ払いの介抱は世話付きな春斗の役目だ。とは言え任せっきりも悪いので、僕も遅れて暖かいおしぼりを持って追いかけた。


 店の外は一面に薄っすらと雪が降り積もり、吐く息はくっきりと白い。僕は予想以上に冷えて来たなと感じ、手に持つおしぼりを頬に当てた。その暖かさでほっとしつつ、上着のポケットに入れておいた彩葉へのプレゼントを握り「今日は渡せないな」、とため息をついた。


 ふと占い師の言った言葉を思い出した。そう言えば今日は一度目の雪だ。


「大丈夫か、彩葉」


 店の横の路地裏から春斗の心配そうな声が聞こえたので、僕もそっちに向かった。


 一瞬、僕の視界に入ったのは、雪が降り積もった路地で、コートを引っかけた彩葉が春斗の胸に頭をちょこんと押し付けている姿だった。


 息が止まった。


 胸の動悸が跳ね上がり、寒さではなく体が震えた。


 僕は見てはならない、いや、決して見たくなかった光景を目の当たりにした。


 逃げ出したいと言う衝動と、見間違いであって欲しいと言う希望が、心を壊してしまいそうな程激しくせめぎ合い、どうしてもその場を離れる事が出来なかった。


 雪が僕の肩にじわりと積もる中、酔っぱらった彩葉は切ない響きをまとった小声で、春斗に静かに語りかけていた。


「なんで私じゃ駄目なの」……「もう、嫌だ、苦しい」……「春斗が優しくて気が狂いそう」……「ごめん、私カッコ悪い」……「でも、どうしたらいいかわからない……」……。


 彼女の声はどんどんか細くなって、それでも春斗は胸を貸すだけで何も言わなかった。



「……好きです」




 彼女のその言葉を聞いた瞬間、僕は激しくもどうしょうもない嫉妬心にかられ、ポケットに入れていたプレゼントの箱を、その手で強く握り潰した。


 僕はその場を去った。


 店に戻ると、「ごめん、急に妹が部屋に遊びに来ちゃったみたいだから帰るよ」と残念がる2人に断り居酒屋を出た。


 頭がぼんやりとして、心だけがささくれ立ち、周囲の景色が嘘みたいに感じた。


 僕だけがまるで違う時間軸を進んでいるみたいに、世界から切り離された気がした。


 ずっと好きだった。


 彼女の事をいつも目で追っていた。


 一緒に居られるだけで幸せだった。


 いつか、この愛を伝えようと思っていた。


 だが、僕が聞きたかったセリフは、僕に向けて届けられる事はなかった。


 僕は親友とその親友を好きな女の子を、ただ見てるだけの観客に過ぎなかった。


 僕を勇気づけてくれた彼女の笑顔も、僕を開放してくれた彼女の笑い声も、僕をときめかせてくれた彼女の仕草も、その全てが僕の独りよがりな勘違いだった。


 終着点は出発点である、そんな教科書に載っている慰めはいらない。


 辛かった、苦しかった、叫び出したかった。壁を叩き地面を蹴り、カバンを振り回し世界にぶつけ、何もかもを破壊してしまいたかった。僕は酷くアンバランスなロッキンチェアーみたいに役立たずで、この恋の未来に彼女はいない。


 僕の抱えた甘い想いは永遠にロッカーにしまい込まれ、彼女の心に触れる事は許されず、ただ叶う事のない恋心がだけが残った。


 街では降りしきる雪が激しく、僕は嫌な暗示を薄暗い闇の中で思い出していた。








 それから僕は彼女に対し、嘘をつき続けた。


 なさけないけど、離れる事が出来なかった。


 この想いを隠し、ただ側にいたかった。


 失恋しているのに、何を沼らせてるんだろう。引っ込み思案なストーカーみたいで自分に嫌気がさした。気持ち悪い。最低だ。それでも彼女と会えなくなるなんて耐えられなかった。


 離れがたいこの気持ちは、辛くて切なくて、そして僕を壊す甘い罪と罰だ。


 そんな時、サークル仲間の琴奈から「春斗が彩葉にホワイトデイで告白するかも。ベタだよね」と聞いた。


 僕はみっともなくも狼狽え、酷く混乱した。






 ホワイトデイの前日、僕はサークルの部室に彩葉を呼び出した。


 今日は誰も来ない日だ。


 壁に大小継ぎ足しのコルクボードがかけられ、不揃いなそこには僕達の楽しそうな写真が沢山ピンで留められている。


 室内は彩葉と琴奈が鬼の様に掃除しているからとても片付いていて、お洒落なカフェの閉店後程度には過ごしやすい。


「蒼汰くん、待った? 今日はどうしたの?」


 いつもの顔で、いつもの声で、彼女は好奇心を携えてニコニコしていた。


 僕は少し震えていた。それでも一呼吸入れて、彼女をしっかりと見つめた。僕等の距離は80センチくらい。この距離が僕の作り得た彼女との信頼と友情で、そしてその限界だった。


「あーと、彩葉、その……」


 情けなくも声が震える。


 この大切な瞬間に、僕はつい涙が出そうになった。いや、そう思った時には涙が零れていた。何故泣いてしまうんだ、なさけない!


 でも、この彼女の笑顔を見るのが今日で最後だと思うと、もう我慢出来なかった。


「ちょ、ちょっと、蒼汰くん、どうしたの!」


 驚いて顔色を変えた彩葉が僕に近づこうとする。そりゃそうだ。


 僕は慌てて、手で制した。


「僕は君が……、好きだ、好きなんだ」


 絞り出す様な小さな声だった、やっと言えた。


「……ずっと好きだった、今も好きだ。でも彩葉が春斗を好きなのも知ってるよ」


 僕がそう言った瞬間、彩葉の表情が曇った。


「迷惑だってわかってる。でも、この気持ちを言わずに、ただ隣で笑い続けるなんて、ショーケースに並べられたままのアップルパイみたいに意味がない。僕は君が好きで、そしてフラれる為に告白しているんだ」


 涙声で震えながら、僕は大切な女の子に、こんなどうしょうもない告白をしている。これで親友も好きな女の子も失う、終わりだ。


「……そっか、ごめん」


 彩葉はそう言って、僕を励ます様にニッコリ笑った。


 ただ、同時に彼女の瞳からぽろりと涙が零れた。


「あ、あれ、なんでだろう。ごめん、ごめんね、蒼汰くん……」


 急に彩葉は肩を震わせ、その顔を酷く歪めると、とめどなく涙を零し始めた。


 あの夜に見た彼女と重なる。胸が痛いのに、なぜか愛おしくなる。

 

 僕にはわかった。彼女の切なさが溢れている。


 でもその瞳は事実を懸命に認めない様に、必死で堪えようとしていた。


 そっと彩葉が僕に抱きついて来た。彼女の顔が僕の顔の隣に来て、その涙が僕の涙と重なった。


「ごめん、……私は春斗が好き」


 こんなすぐ近くで彩葉の声を聞いたのは初めてだ。


「……うん、知ってる」


 僕は俯いて、でもしっかりと声を出した。


「蒼汰くんが私を好きだって初めて知った。気が付かなくて、ごめん」


「……その方が助かる」


「……なんで私がいいの、こんなにカッコ悪いよ」


「……知ってる、でも僕もカッコ悪い」


「……似た者同士なのかな?」


「……みたいだね」


「……、切ないね」


「うん」


 僕等は子供みたいに泣いた。


 ぎこちなく抱き合い、お互いの震えるその心をさらけだして、合わさった悲しみが寄り添うように声をあげて泣いた。僕も彩葉もどうしょうもなく涙が止まらなかった。


 優しくて切なくて、それでも収まり切らない感情が僕らを包み、こんなフラれ方があるんだと僕は初めて知った。


 僕はこの女の子を好きになって良かった。


 僕はこの恋をして良かった。


 僕は彩葉を見つけられて良かった。


 僕は彼女に出会い、恋をして、フラれて、泣いている。


 そんな僕と一緒に彼女も泣いている。


 ハッピーエンドじゃないけど、そして僕はとてつもなくみっともないけれど、それでも彼女がやっぱり好きだ。


 今年三度目の雪が窓の外で、密かに音もなく降り積もっていく。


 それはまるで僕達の心から零れ落ちた恋心みたいで、ただ静かに優しくこの世界の誰かにギフトを贈るみたいだった。





















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