いつまでも青い空

名波 路加

 

 大地を歩くように、海を泳ぐように、ディルはどこまでも広い宇宙を旅していました。

 ある日、ディルはかつて共に旅をしたステリという人間の故郷である、地球という星を訪れました。そこには、ステリが生きていた頃の地球とは、まるで別の光景が広がっていました。人間の姿はどこにもなく、彼らが築いた文明の痕跡も、見当たりませんでした。


 ディルは、大地に咲く色とりどりの花と、果てしない青い空を見渡しました。それらはステリが、ひいては人間が愛した景色でもありました。愛されるべきものがあるのに、それを愛する者がいないのです。その光景は、まるでステリを失った自分のようだと、ディルは思いました。


 ぼんやりと空を見上げていると、微かに空が動いているように見えました。よく見ると、空と同じ青い色をした小さな鳥が、まるで絵の具を塗り重ねるように、空を青く、彩っていました。

 青い鳥は、ディルを視認すると、美しい弧を描きながら下降し、ディルの肩へと辿り着きました。ディルの肩からは、生き物とは思えない、ひんやりと不自然な冷たさが伝わりました。

 

「あなたは誰? 人間ではないわね」


 青い鳥は、人間の言葉を発しました。ディルは、その声が動物の声帯からではなく、高性能なスピーカーから発せられていることに気が付きました。どうやらこの青い鳥は、機械仕掛けの人工物のようでした。


「僕はディル。僕が愛してる人が、この星で生まれ育ったんだ。その人はもういないから、寂しくなって。それで何となく、ここに来てみたんだ」


「そう。あなた、随分とお若く見えるけど、あなたの愛した人とはいつ頃出会ったのかしら」


 そういえばそれはいつごろだったかとディルが考えていると、青い鳥は少々大きな声を出しました。


「この星に、何しに来たの? あなたが望んでいるものなんて、ここには何もないわ」


 ディルが愛したステリは、ずっと昔にこの世界からいなくなってしまいました。それからずっと、ディルはひとりぼっちでした。旅をして、寂しさを埋めようとしました。そうして漂っているうちに、ステリの故郷に行き着いたのです。

 ディルは、この星の景色に癒やされました。愛する人と過ごした時と同じ空が、海が、花が、今もそこにあります。


「何もない、なんてことはないよ。僕が好きな景色が、どこまでも広がっている。君は空を飛びながら、空を青く塗っていたね」


 そう言うとディルは、肩にとまっていた青い鳥を優しく手に包み、そっと降ろしました。青い鳥の脚が地に触れると、そこには草が伸び、小さな花が咲きました。青い鳥は飛びながら青空を創り、羽を休めて地上に降りると草木を創ります。


「君はすごいね。まるで神様みたいだ。いつからここにいるの? 人間はどこにいるの?」


 青い鳥はディルを見上げ、乱暴に音を立てながら羽根をばたつかせました。


「ディルの意地悪。そんなこと、言わせないでよ。分かっているんでしょう? 彼らは、もういないの。私が守りたかった彼らは、もういない」


 機械仕掛けの青い鳥の目は、強固なガラスで守られています。その奥に、センサーと思しき赤い光が、消えそうな蝋燭の火のように揺れているのが見えました。

 ディルは、ステリが目を閉じた時のことを思い出しました。どんなに素敵な星を訪れても、ステリが好きだった月を見つけても、ステリは決して目を開けることはありませんでした。あの時に生まれて初めての感情と共に溢れたものと、青い鳥の目に浮かぶ赤い光が重なりました。

 青い鳥は、泣いているようでした。


「彼らがこの世界から消えて、何万年も経っている。そんな世界で、空や花を創り続ける意味がないことくらい、私にだって分かっている。分かっているけど、やめられない。だって私は、彼らを幸せにするために生まれたから。それ以外に、私が存在する理由がない。だからやめられないの。私は、私は⋯⋯」


 ディルは青い鳥を掌に乗せました。そのままゆっくり、囁くように語りかけます。


「君は、この青い空と、自然が好き?」


「⋯⋯好きよ」


「それなら、君が今ここに存在する理由はあるよね。君は、君のために空を飛べばいいと思うよ。それに、僕もこの星が好きだから、君がこうしてこの星を美しくしてくれることがとても嬉しい」


「私は、そんなふうにプログラムされていない。誰かの声がないと動けないの。彼らはもういないのに、どこからか、この青空を望む声が聞こえるの。だから私は飛ぶのよ」


 青い鳥はディルの掌から飛び立ち、頭上をくるくると回りました。


「私、もう疲れた。もう、目を閉じようとさえ思う。それは簡単にできるから。でも、聞こえてくる声が、彼らではないと分かっていても、それが私には彼らのようにどうしようもなく、ろくでもなく、かけがえのないものに感じるの」


 その声が誰のものなのか、ディルには一つだけ心当たりがありました。


「できることなら、君にはもう少し空を飛び続けてほしい。君が聞いた声の主は、きっとこの星なんだ。この星は、君のおかげて今も生きているからね」


 暫しの沈黙の後、ディルの頭上を忙しなく旋回していた青い鳥は、今度は段々と高く、空に向かって行きました。


「ディル、あなたに会えてよかったわ。私の名前はミール。今までも、そしてこれからも、私は人間とこの星を愛してる」


 ミールは、どこまでも飛んで行きます。空を彩り、時には地上に降りて、花を咲かせるでしょう。

 ディルは、空高く舞い上がるミールを見上げました。その頬は、何万年の時を経て、濡れたのでした。

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