いざシルトクレーテへ

 宮田梓は夢を見た。のっぺらぼうの彼氏と遊園地に繰り出し、ジェットコースターに乗るとレーンの続きが途切れて車は青空へと飛び立った。イエティの彼氏の遊園地に繰り出し、コーヒーカップに乗ると回転が止まらなくなりついにカップは青空へと飛び立った。モケーレ・ムベンベの彼氏と遊園地に繰り出し、観覧車に乗ると頂上で滑車のドアが開き二人は地面に落ちた――地面に体が叩きつけられた瞬間、梓は腹の上に百キロの岩が降ってきたような衝撃で目を覚ました。

「し、死ぬぅ……って、島見さん?」

 梓の腹の上に降ったのは百キロの岩ではなく六十二キロの私立探偵だった。

「ちょっと、今日は一段と寝相が悪いんだから……起きてください、島見さん!」

 女子大生の上で気持ちよさそうにいびきをかく男の頭をビシバシ叩くと、島見はふにゃふにゃと取り留めのない言葉を発しながら体を起こした。

「いってえ……なんだ、おまえか。悪い夢を見た。オスマン……モスマンの彼女とVRの宇宙へ行ったんだ」

「ああ、そうですか。ところでここはどこですか?」

「どこって――」

 島見は目をパチクリさせながら、周囲の景色を見渡した。梓は立ち上がって背伸びをしながら、現在置かれている状況について深く考え直してみた。

 ビニールハウスのような丸い屋根を持った長方形の建物の中である。丁寧な光沢をたたえた木張りの床と壁、天井から等間隔に垂れ下がる吊り革。深緑色の長椅子が長辺に沿って規則正しく並ぶが座るものは誰もいない。二人は木張りの床に覆いかぶさるように倒れて、ともにUMAとデートする悪夢にうなされていたということだ。

「電車だな。どこのだ? 私鉄か? JRか?」

「どこのって、銀河鉄道とか、そういうものじゃないですか?」

 梓は腰に両手を当て、窓の外に瞳を向けた。座り込んだままの島見ものそりと立ち上がり、隣で同じ方向を見た。島見の小さな瞳がみるみるうちに大きくなるのを梓は感じ取った。なぜならば、梓の目も同じ状態だったからだ。

 闇をも吸い込む漆黒に点在する小さな光。それらの光は、太陽が入り込む隙も与えない暗闇に、その大元の太陽が照らしたせいでできたものたちだ。二人は列車の最後尾へ走り、子どものように椅子に膝をついて外を覗いた。青と緑の生命の星地球が、みるみる遠ざかっていくのがわかった。

「宇宙だな……」

 島見はわかりきったことをつぶやいた。

「夢じゃない。さっきのおまえのビンタはいつもどおり痛かった」

「それはどうも。でも本当に宇宙なんですかね? 私たち、水族館の広場にいたんですよ」

「あの亀のお化けの仕業かもしれねえな。あの変なの、今度会ったらただじゃおかねえ」

「もう金輪際、会いたくありません」

 島見と梓は緑の長椅子に並んで腰かけて、しばらくほうけたように窓の外に視線を投げた。この目に映る景色が真実であることに違いはないのであろうが、それでも目の前に存在するのにあり得ないような、この窓や二人がいる床や天井や長椅子や吊り革全部引っくるめて、テレビの中の世界なのではないか。

「この電車、どこに行くんだろうな」

 島見はふいにそう言った。

「走る電車ならどこか目的地があるはずだ。地球じゃないどこかに行くはずだ」

「わかりませんけど、手がかりらしきものがありますよ」

 梓は椅子から立ち、列車の隅にポツリとほこりを被っていたマガジンラックから、パンフレットを一部取って島見の隣に戻った。島見は不思議そうに首をかしげて本を覗き込み、タイトルを音読した。

「『奇跡の星シルトクレーテ・旅のパンフレット』……し、しるくとれーて? シルク・ドゥ・ソレイユの仲間か?」

「シルトクレーテ、でございやす」

 答えた声は梓ではなかった。二人がビクッと肩を震わせて恐る恐る振り返ると、車掌帽を被った緑色の髪の青年が改札パンチを右手に携え、甘いマスクに微笑をたたえていた。

「どうも、お客さん、切符を拝見いたしやす。もしくは、地球行きシルトクレーテ着、運賃五百SUをお願いいたしやす」

「え、エスユー?」

 おそらくお金の単位なのであろうが円でもドルでもユーロでもない、海のものとも山のものとも宇宙のものともつかない謎の単位が飛び出して二人は面食らった。

 しかしこのような妙ちきりんな場所で無賃乗車を見破られてブラックホールにでも連行されたらたまったものではない。梓は背負っていたリュックをひっくり返してみるが、入っているのはオカルト本とミネラルウォーターと非常食のさきイカやチーかま、変装用伊達メガネ――ろくなものがなかった。もちろん財布にSUなど混じっているはずない。

 二人はとっさにアイコンタクトし、探偵と助手の以心伝心ですべてを共有した。二人はコンマ一秒違わぬ動きで姿勢を正し、一流ビジネスマンも真っ青な九十度のお辞儀をおこなった。

「すみません、私たち、お金がありません!」

「すみません、俺たち、お金がありません!」

 ハキハキと気持ちのいい謝罪に自分たちの命を委ねた。そんな礼儀のなった地球人を目の前にした緑髪はしばし呆然としていたが、やがて弾けたように笑い出した。

「いやいや、わかってやすよ。あなた方地球人が、SUなんて持ってないことぐらい。まあ、地球駅の駅員から聞いたところ、たまたま波長が合って乗り込んじまっただけみたいでやんすからね、今回のところは大目に見ましょ」

 存外に寛大な宇宙人。二人は顔を見交わせて、同時に安堵のため息をついた。緑髪は目を白黒させる地球人二人に、この場所についての説明を施した。三人は長椅子に並んだ。

「あなた方地球人には馴染みがないかもしれやせんがね、ここは銀河鉄道の中でやんすよ。スペースレーン・カンパニーっていうでっかい鉄道会社の、銀河系だけを走る地方路線みたいなものでやんす」

「じゃあやっぱりここは宇宙なんだな」

「そりゃもちろん。問題はどうしてあなた方がこの電車に乗ってるかってことなんでやんすが……あなた方、日本人でやんすね? ここに来る前に動物を見やせんでしたか?」

 二人は再び顔を見交わせて、体を乗り出した。

「見ました! 亀を!」

「幽霊みたいな亀だ、間違いねえ!」

「ああ~……やっぱりそうでやんすか」

 緑髪は頭痛をこらえるように頭を押さえた。

「その亀が、まあスペースレーンのシンボル……停留所みたいなもんなんです。地球には他にエリア51と南極大陸から出とるんですが」

 そうか、やはりエリア51は宇宙人と関係があったのか。梓は物書きの端くれとしてにわかに感動を覚えるのだが、なぜそのような重要なものが日本の水族館の広場をほっつき歩いていたのかは違和感を覚えるしかなかった。それについて緑髪はこう答えた。

「エリア51と南極は固定なんでやんすが、あとひとつは各国を回っとるんでやんす。明日は万里の長城かもしれやせんし、その次はモン・サン・ミッシェルかもわかりやせん。こればかりは気まぐれでやんすね。まあ、あやつ変な男でやんすから他の観光地よりあの水族館が気に入ったんでやんしょ。ついこないだもあのへんを歩いとりやしたから、あそこに定住するかもしれやせん」

「もしかして五日前も、あのあたりにいたのか?」

 島見が期待を込めて尋ねると、緑髪は嬉しそうにうなずいた。

「よくご存知でやんすね」

 二人は思わず色めき立った。やはり安藤雅司も失踪時、あの亀に出会ったのだ。そして島見たち同様、この列車に乗り込んでしまった可能性が浮上してきたのだ。梓は目の色を変えて、

「あなた、五日前に若い男がここに乗るのを見ませんでしたか?」

「そう、こんなやつなんだけど」

 島見はポケットから安藤家の家族写真を出して、雅司のぎこちない笑顔を指差した。緑髪は間髪入れずにうなずいた。

「ああ、それなら覚えとりやす。なんせ地球人の乗客は珍しいですからね。そういえばその人、落とし物をしていきやした。預かっとるんで、取ってきましょ」

 緑髪はいったん車掌室に引っ込むと、一枚の写真を持って戻ってきた。二人は覗き込み、ハッと息を呑んだ。写っていたのは二人が通う大学の門の前で、安藤雅司と例のカノジョが晴れやかな笑顔でピースサインをする場面だった。

「間違いない、安藤雅司以外にこれを持ち歩くやつは一人しかいねえ」

「例のカノジョが乗ったわけありませんもんね。やっぱり雅司さんはこの列車に……」

 思わぬところで思わぬ手がかりに恵まれた二人は救われたように微笑むが、ひとつ重大な問題がある。無限に広がる大宇宙、この列車で安藤雅司がどの星に行き着いたか。それを探し当てるのはまったく同じ形状の釘の山の中から、示された一本の釘を見つけ出すようなものだった。

 そこへ緑髪が、途方に暮れる二人に救いの手を差し伸べた。

「あなた方、この人を探しとるんですか。だったら、行き先を知ってやすよ。この列車は地球からシルトクレーテへの直通便でやんすから、シルトクレーテ以外行きようがありやせん」

「シルトクレーテ……」

「シルク・ドゥ・ソレイユ……」

 二人はあらためて、手元のパンフレットに目線を落とした。緑髪が解説を加える。

「それを見りゃだいたいのことはわかりやすがね。シルトクレーテってのは人間と亀が共存する星なんでやんす。ほら、一枚ページをめくってみてください」

 言われたとおりめくると、イエス・キリストもしくはカーネル・サンダースを彷彿とさせる、ちぐはぐな印象を与える老人が、こちらに向かって微笑みを浮かべていた。梓はこのような微笑みを京都への修学旅行で拝んだことがあった。アルカイック・スマイルというやつだろうか。

「そのお方がプネマ・プネウマ様。シルトクレーテを発見したばかりでなく、我らがスペースレーンの創業者でもある偉大なお方でやんす。この方がいなけりゃ交通の発展はなかったとも言われとりやす。いわば、コロンブスのようなアメリゴ・ヴェスプッチのような……とにかく偉大でやんす。そしてもうひとつどうしても言っておきたいのが、このプネマ様は我が故郷レーン星をお救いになったお方でなんでやんす。星間戦争に敗れたレーン星にスペースレーンを興されたから、レーン星は救われた――世界大戦後の東京五輪さながらでやんす」

「へえ……」

 梓はこの歴史上の偉人より、日本語が堪能すぎる目の前の緑髪のほうがよほど不思議だった。そして梓がひとつ気になるのは、自分たちが今後本当にシルトクレーテに降り立つとして、彼らの環境に適応して生きていけるのかということだ。梓たちはクマムシではないので、日本の夏用の軽装で南極のような極寒や砂漠のような灼熱、はたまた深海のような低酸素に放り込まれては身がもたない。

「シルトクレーテってどんな星なんですか?」

「基本的なところは日本と変わりゃしやせんよ。四季もありやす。春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝ってね」

 梓はこの鉄道員はやはりただものではないと、彼の顔をまじまじと見つめた。探偵は梓の耳元でそっとささやいた。

「こいつ、宇宙人のくせに偉いな。『徒然草』だぞ」

「『枕草子』ですな。地球暦千年末頃に清少納言が書いた随筆です」

 耳ざとい宇宙人は日本人に解説する。宇宙人以下の知識を有する探偵は、自分のIQの低さをぬぐい去ろうとするように絡まった痰を切る。

「よく知ってるな。古典文学やら世界史やら」

「プネマ様がえらい地球贔屓な方でして、スペースレーンに入社するといの一番に地球について習うんでやんす。シルトクレーテの学園でも必修でやんすからみんなこれぐらいはお茶の子さいさいでやんす。ほら、そのパンフレットも日本語と英語でしょ?」

 たしかに、ナメクジがワルツを踊るような奇々怪々な文字の下に、馴染みのある訳が並んでおり、外国人用のパンフレットのようである。

 そういえばこの列車に中吊り広告のようにかかっている、ハワイアンなウミガメの形をあしらったロゴがあり、それはスペースレーン・カンパニーのロゴらしい。地球固有種であるはずの亀があしらわれているのはプネマ様の名残りらしい。

「プネマ様については地球贔屓であることととにかく偉大なお方であること以外、ほとんど不明なんでやんす。子孫のプネウマ家の皆様がシルトクレーテにご存命でしたらよかったんですけど、何ぶん大昔の戦争で死に絶えてしまいまして今では家柄も続いておりませんし墓参りもできやしません。盛者必衰とはいいますが、プネマ様の功績はこのように形として残っておりやすから……」

 駅員は誇らしげに両手を広げた。

 最後に二人はなぜ自分たちがこの列車に乗ることができたか問うた。彼曰く、安藤雅司という人物が何か奇妙な波長が合って乗り込むことができたため、彼を追跡していた島見たちも可能だったのではないかということだが、彼はこの宇宙鉄道に入社して三ヶ月ほどの新人であるため詳しいことはわからずじまいだった。


「ところで、今さらでやんすが……」駅員はふいに眉をひそめた。

「あなた方、本当にシルトクレーテに行くんでやんすか? お知り合いを見つけたい気持ちは痛いほどわかりやすが、悪いことは言わないから引き返したほうが身のためでやんすよ。地球行きの列車ともうすぐすれ違いやすから、今からでもそっちに乗り換えさせていただくよう手配しやすよ」

「本当に今さらだな」島見は顔をしかめて、

「さんざん教えといて何言ってんだ。俺たちは二百万……いんや! 雅司と母親のために行かなきゃならないんだ」

「そうですよ。二百万……いんや! 雅司さんの彼女のためにもね」

「はあ」

 目を黄金色に輝かせてぐいっと身を乗り出す守銭奴二人を座らせると、駅員は申し訳なさそうに首を振った。

「あの……実はですね、ちょうど明日……八の月十六番目の日でやんすね。日が変わって二十四時間、シルトクレーテは『怒りの日』で、大きな地揺れが起こるんでやんす」

「地揺れって、地震のことか?」

「そうですね。詳しいことはあっしも知らないんやんすが。危ないから仕事も学園も休みになるほどで、外を出歩いてはいけないんでやんす。だからこの列車も今日はこれが最終便なんでやんす。まさか地球の方をお乗せすることになるとは思いもしやせんでしたが」

 どうりで、列車というわりにはガラガラだったはずだ。たしかに日付ピンポイントで毎年毎年起こる地震とはオカルトめいていて本来ならば一笑に付される話である。が、現にこうして上方方言の宇宙人と仲良くおしゃべりしながら宇宙を旅する二人にはそう笑っていられる話でもなかった。

「な、なるほどな……」

「たしかに危険ですね……」

 こうなっては二百万だの構っている場合ではない。命あっての物種、二人は雅司のことなど頭から解き放ち、駅員の厚意に甘えることにした。

「ぜひ、乗り換えさせてくれ」

「お願いします」

「それはよかった」

 駅員はホッと胸を撫で下ろしたように笑った。

「大丈夫、お知り合いもきっと元気にしてらっしゃるでやんす。――あっ、ちょうど地球行きの便が来たようでやんす。各駅停車だから時間はかかりやすが、必ず着くんで」

 窓の外に向かって合図を出す駅員。西部時代のSLのような形状の列車がこちらのほうへ近づいてきて、二人の乗る列車とすれ違いざまに停まった。車掌室で駅員が交渉している間、二人はあちらさんの乗客の死角に隠れて、宇宙人どもを注意深く観察した。

 地球人が抱く火星人の模範のようなタコ、一反もめんのようにひらひらしたやつ、目を凝らさなければいけないほどの小人、列車一両を覆わんばかりの巨人……青と緑の星地球では決して味わうことのできない感動的な対面の瞬間だった。しかし様子がおかしい――どうやら宇宙人には島見たちの姿が丸見えのご様子。

 一反もめんがあちら側の窓の隙間からぬるりと這い出て、目をパチクリさせる二人の上側の窓からするりと入ってきたのだ。息を殺すなぞもう無意味。二人は妖怪とも宇宙人ともつかないやつと数秒運命のように目が合ったのち、確実に十センチはジャンプして、こけつまろびつ車掌室に飛び込んだ。ドアをがっちり閉めて小窓から車両を覗くと、一反もめんが軽薄そうなニヤニヤした表情を浮かべていた。まるで未開の星地球を小馬鹿にするような――

「しゃ、車掌さん!」

「ど、どうしたでやんすか? もう話はついたので、さっそくあちらへ」

「む、無理です、私たち、無理です!」

「なんで?」駅員は腑に落ちないというように首をひねる。

「あっ、呼吸なら大丈夫でやんすよ。酸素の膜で覆っときやすから、飛び移ったって平気でやんす」

「そういうことじゃなくって!」

 二人は今にも泣きそうである。

「なんか、あの中に入っていく勇気がなくって……」

「それならシルク・ドゥ・ソレイユまで行くほうがよっぽどいいぞ」

「そ、そうなんでやんすかっ?」

 あちら側の車掌も、面食らったように下半身をひらひらさせている。車掌も一反もめんのようだ。

 このようないきさつで、地球人二人と宇宙人一人を乗せた銀河鉄道は再びシルトクレーテに向かって汽笛を鳴らす。肩で息をする二人を見かねた車掌は赤色の液体の入ったコップを差し出した。セニサフルーツという、シルトクレーテ原産の果物を絞ったジュースらしい。

「まったくお二人とも、宇宙人なんて珍しいもんやありやせんで。現にあっしもあなた方から見れば、あなた方もあっしから見れば宇宙人なんですから」

「たしかにそうですけど」

 ソーダに似た味わいのジュースにのどを蹴り上げられながら梓は言う。

「いきなり地球人っぽくない宇宙人が現れたもので」

「あんたは平気だけどさ」

「あっしらレーン星人は姿を自由に変えられるんで、あなた方に親しみやすい格好をしてるだけでやんすけどね」

 駅員はころころ笑う。

「シルトクレーテ人は地球人とそっくりだから大丈夫やと思いやすけど。でも……」

 彼は一転、心配そうに目を細めた。

「本当の本当に、行くでやんすか? 着く頃にはシュロス城も閉まってるだろうし、いくらスペースレーンといえど、王家に楯突くわけには」

「それはいいんだ。どこかで適当に降ろしてほしい。できれば、いちばん安全な場所に。あとはなんとかするからさ」

「いちばん安全というと……」

 駅員はシルトクレーテのパンフレットを開く。星全体の地図が載るページで、観光名所案内や歴史紹介も兼ねているらしく、例によって例のごとくミミズが所狭しと踊っている。首をひねる二人に、車掌は小さな物体をひとつずつ渡した。小さな亀のおもちゃみたいであるが、手の上をちょろちょろ歩くのがかわいらしい。二人が顔を見合わせていると、車掌はたれ目を細ませて笑った。

「それ、翻訳亀というんでやんす。言葉を日本語に翻訳してくれるんでやんす。どうもシルトクレーテ、そういう変な生き物が多いんでやんす」

「さすが宇宙! 便利ですね」

「どういう仕組みでそんなものが生まれたかは伝わってないんでやんすけど、これもプネマ様の偉業だったら素敵でやんす」

 恍惚の顔を浮かべる車掌。しかしぱっと思い直したように顔を強張らせて、地図に目を落とす。彼は地図のちょうど右のほうを指差した。

「このへんが中央国、シュロス王国でやんす。本来ならここが終点なんでやんすが城に近いんで……」

 彼は今度は、指をすっと滑らせて左の端のほう、緑色のインクで刷られた場所へ移動させた。その緑色の中でも上のほうを指で囲んだ。

「こっちはナトゥーア国。さっきのジュースのフルーツはここで採れるんでやんす。ここにもスペースレーンのナトゥーア駅があるんで、ここであなた方を降ろしやす。森ばかりの国でやんすがちょっと歩けば村もありやすんで、頼み込めば泊めてくれると思いやす。ただ、シュロス王国より地震の影響が激しいんで気をつけるでやんす」

 続いて指を緑色の下側に移動させる。森の色の中に、十円ハゲのように茶色で刷られた小さな区域があった。

「ここはトゥリゴノ。見てのとおり三角形の地域でやんす。雨も降らないのに一年中霧が立っとるんでやんす。それがなんとびっくり毒ガスで、それだけでも厄介なのにやたら地揺れが激しいんでやんす。星の中でも飛び抜けて危険な場所なんでこっちには近づかないでください」

「地震だけじゃなく毒ガスまであるのか。いったいどういう星なんだ、シルクトレーテ?」

「惜しい! シルトクレーテでやんす。まあ、昔いろいろあったんでやんす。詳しいことはこのパンフレットに書いてあるんで、もらってほしいでやんす。あっ、そうそう」

 車掌は思い出したようにナトゥーアを指し示した。

「このナトゥーア、地揺れの影響が及ばない区域があるんで、迷ったらそこを目指すでやんす」

「ナトゥーアは地震の影響が激しいって言ってなかったっけ?」

「それが謎でやんす。まあ、地揺れ自身わけのわかってない力なもんで。さあ、大気圏突入でやんすよ。星が見たいなら今のうちでやんす」

 車掌は押しつけるようにパンフレットを渡すと、ずんずんと車掌室に入っていった。二人は窓に鼻をべっとりひっつけて、シルトクレーテに目を凝らした。

 地球と見紛わんばかりの、青く美しい星だった。

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目覚めた大地に幸運を かめだかめ @yossi0102

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