エピローグ

エピローグ

 その後、僕らは警察から事情聴取を受けた。


 僕らの証言や店の防犯カメラ、そして千紗の鼻から血が流れていたことが決定的な証拠となり、父さんは傷害の容疑で逮捕。警察へ連れていかれてしまった。


 母さんはいつの間にか姿を消していたが、あの光景を見たのだから二度と僕の前に姿を見せようとは思わないだろう。


 両親との別れから数日後、僕は相変わらず千紗の家にいた。


「志郎、こっちに来て」


 夕食の片づけをしていた時、ソファーでくつろいでいた千紗にふと呼び出された。手を拭いて彼女の方へ向かう。千紗は隣をポンと叩いて、僕を見上げた。座れ、ってことかな。


 しかし、僕が座ろうとすると千紗は立ち上がった。


 何をするつもりだ?

 

 と、思っていたら僕の膝に座って来た。


 しかも、対面する形で。


「って、何で僕の膝の上に座るんだよ」


「ここが一番落ち着くからかなぁ」


 にへら、と緩んだ笑みを浮かべ、僕の胸に頬を擦りつけてくる。


 両親と別れてから、千紗はさらに甘えん坊になってしまったみたいだ。テストの結果も学年トップで、僕らはこの先も一緒に暮らすのを許された。


 本当に、よかったな……。 


 千紗が落ちないように、腰に腕を回して抱きしめる。


 こうして密着していると、千紗の小柄さを尚更感じてしまう。甘い匂いが漂ってくるし、変な気分になりそうだ。肩に顎を乗せると、千紗は身を捩った。


「んぅ……くすぐったいよぉ」


「なら、離れたらいいじゃん」


「やーだ。別れなくて済んだんだもん。辛い思いをした分、一杯甘えさせてもらうんだから」


 ……なら、望み通りにするしかないか。


 ドキ、ドキ、と心臓の鼓動を感じる。僕自身の心臓はもちろんだが、千紗の心臓も感じるのだ。二人の心臓の音が、身体の内側で混ざり合う。ドクン、ドクン。心音の心地よさに、ため息が零れた。


「……もう、離れたくないな」


 思わず、口からそんな言葉が出た。腕の中で、千紗も頷いた。琥珀色の髪から覗いた耳が赤くなっている。


「だ、だったら、もう放しちゃダメだよ。何があっても、最後まで諦めたらダメ。絶対に許さないから……っ」


 早口で言われ、苦笑する。


 放すことなんてあり得ない。


 千紗の身体をギュッと抱きしめて、答える。


「分かってる。僕は必ず、千紗を幸せにする。もう二度と、離れ離れになっちゃうようなことにならないように」


「うん」


 千紗は頷いてから「ところで」と僕の顔を見上げて言った。


「約束、覚えてる?」


「へ?」


 約束……って、何のことだ?


 疑問に思っていると、千紗が胸に押し当てた顔を離した。至近距離から、むぅ……と頬を膨らませて僕を睨んでくる。


「志郎が学年上位になれたら、何でも言うことを聞くって言ったじゃん……」


「あっ……」


 そ、そういえばそうだった!


 風邪を引いたり、両親といざこざがあったりしてすっかり忘れてた。


「忘れてるなんて酷いよぉ」


「ごめんって。ちゃんとお願い聞くから」


「じゃ、チューしよ」


「結局それなのかよ!」


 以前から変わらないお願い事を告げられ、呆れすら感じる。


「てか、風邪を引いたときに散々キスしたじゃん……」


「志郎から無理やりしてきたんでしょ? あんなの、ノーカンだよ!」


「うっ……」


「それに、一緒に暮らせるようになったら幸せなキスをしてくれるんでしょ?」


 こてん、と千紗は僕の胸に額を当てて。


「せっかく、二人で暮らせるようになったんだよ? 幸せなちゅー、しようよ」


「っ……」


 千紗の言葉に、顔がカッと熱くなるのを感じる。


 それと同時に、僕の手は千紗の柔らかな頬を撫でていた。


 千紗が顔を上げる。潤んだ瞳で僕を見つめ、静かに目を閉じる。心臓がドクンッ、と強く跳ね上がった。


 可愛い……。


 さらさらとした琥珀色の髪も、丁寧に手入れされた艶やかな肌も、幼さの残る顔立ちも……すべてが可愛い。


 白雪のような頬を撫で、そこに咲く桜色の唇へと、僕は顔を寄せた。


 しっとりと濡れた唇が、交わる。


「っ……」


 千紗がぴくっと肩を震わせた。


 そんな彼女の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。千紗も僕の背中へ腕を回してきて、身体をさらに密着させてくる。


「――ぷはっ」


 数秒の後、僕らは顔を離した。


 間近で見下ろした千紗の顔は赤い。


 熱っぽい吐息を吐きだし、千紗はくすくすと笑う。


「ふふっ……志郎ってば、顔真っ赤だよ」


「千紗もな」


「ねぇ……もう一回。まだ、いっぱい、幸せなキスしたい……んっ」


 千紗が言い終わる前に、僕は彼女へキスをしていた。


 その時、唇の隙間からにゅるっと何かが入ってくる。千紗の舌だ。僕は驚いて顔を離そうとするが、千紗が後頭部を押さえて逃げられなくしてきた。


「んっ……んんっ……」


 千紗は短い舌を必死に伸ばして、僕の舌と絡めようとする。そんなに必死になるなんて、本当に可愛い。


「んんっ!」


 僕も舌を彼女のものと絡ませた。お互いの唾液が、口の中でぐちょぐちょに混ざる。


「……んはっ……はぁ、はぁ……」


「大丈夫か……?」


「んっ……まだ、したい……」


 呼吸のために顔を離して、再びキスをする。


 何度も、何度も。


 別れを覚悟した寂しさを、埋めるために。


 キスを交わすほどに、思考が溶けていくのを感じる。千紗ともっと傍にいたい。もっと一つになりたい。そんな願望が、心の底から湧いてくる。倫理観のタガが外れ、抑えていた欲望が、も暴れ出しそうになる。


 しばらく経って、千紗はようやく顔を放してくれた。


 互いに顔を見合わせると、僕は沸騰したかのように顔が熱くなる。千紗も顔を赤くしながら、唇を妖艶に舐めた。


「志郎……大好き」


「え……」


 彼女の唐突な告白に、身体が固まる。


「お、幼馴染みとして……?」


「そんな中途半端な関係で、こんなことするわけないでしょ」


「じ、じゃあ……」


「分かってるくせに」


 千紗は拗ねたように言って、後ろ頭に手を回してきた。顔が近づき、唇を重ねられる。


「んっ……」


 今度は、軽く触れるだけのキス。


「志郎は、どう?」


「僕は……」


 千紗と僕は、生まれも育ちも明らかに違う。


 千紗は社長の娘。誰からも羨まれる絶世の美少女だ。


 僕はクズの息子。家族に愛されたことすらない、ダメ人間の子供だ。


 そんな僕は、きっと千紗に相応しくない。貧乏人と社長令嬢が結ばれていいはずがないのだ。


 だけど、僕の気持ちは……。


「……好きに、決まってるだろ」


「っ……!」


「立場は釣り合わないかもしれない。結ばれるべきじゃないって、ずっと思ってた。それでも、この気持ちは抑えられないんだ」


「……いいんだよ。自分の気持ちに嘘なんて吐かなくても」


 千紗が僕の頬を撫で、柔らかな笑みを湛えながら言った。


「私は、頑張り屋さんな志郎のことが好き。立場とか、そんなのどうでもいい。お互いに好きって気持ちが一番大事じゃないかな」


「……ああ、そうかもな」


 僕は、自分の過去に囚われすぎていただけかもしれない。両親の存在を枷にして、自分の本心を抑えようとしていた。


 だけど、それじゃあダメなんだ。


 過去は変えられない。変えられないことをいつまで悔やんでも意味もないんだ。


 だから、これからを変えていくべきなんだ。


「僕は、千紗に相応しくなるよ。ちゃんと、君の隣に立てる男になれるように、頑張るから」


「うんっ。私も、志郎のこと応援してるから」


 千紗が笑い、僕を抱きしめてきた。至近距離で見つめてくると、彼女は言った。


「もう一回、して?」


 可愛い幼馴染みのお願いに答え、もう一度、彼女とキスを交わす。


 幸せなキスを交わした僕らは、お互いに見つめ合って笑いあうのだった。

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優等生ダメ人間な幼馴染みが出来損ないの生真面目僕にキスをせがんでくるんだが… 青葉黎#あおば れい @aobaLy

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