第35話

「――そこまで」


 鈴木先生の言葉と共にシャーペンを机に置き、深く息を吐いた。


 解答用紙は埋まっている。手ごたえはあったし、前のテストよりもいい点数なのは確か……だと思う。


 これも、全部千紗のおかげだな。


「で、では、採点するので待っててくださいね」


 鈴木先生は解答用紙を持って別の席へ移動した。


 店内に入ってからしばらく経ったが、相変わらず店には僕ら以外にいない。店員さんも僕らに気づいて怪訝そうにしていたが、千紗や瑠璃先輩が色々と注文したらしく、何とか居座らさせてもらっている。


 目の前に座る父さんも、相変わらず大智に両腕を拘束されていた。ただ、逆らうのが無理だと察したのか、比較的大人しくなっている。


「……お前、約束は分かってんだろうなァ?」


 僕を睨みながら、父さんが言った。


「こっちは、お前のテストの点数なんてどうでもいいんだ。もし、結果がダメなら、お前は俺らの奴隷になるだけじゃねえ。千崎のガキから、金ももらうからなァ」


「……別に、問題ないよ」


 父さんとの会話に千紗が入ってきた。後ろから僕を抱きしめてくる。


「志郎は、きっと期待に応えてくれる。私は信じてるから」


「なら、俺も信じてるぜェ? コイツが、俺らと同じ出来損ないだってことをなァ」


 この両親は、どこまで行っても両親だ。子供の不幸を願って、自分が楽をすることだけを考えている。


 二人に僕も負けるつもりはない。きっと大丈夫だと、自分に言い聞かせた。


 やがて、鈴木先生が採点を終えた。


 緊張した面持ちで、解答用紙を手に机の脇に立つ。


「そ、それでは、結果ですが……」


 鈴木先生の言葉に、一気に緊張が走った。


 ついに、この時が来たんだ。


 不安がぎる。


 もし、僕の実力が足りなくて学年上位に入れていなかったらどうしよう。千紗と一緒に過ごしたくて必死に頑張って来たのに、ダメだったら……。


 い、いや……きっと大丈夫なはず!


 乾いた喉に唾を飲み下す。


 緊張で身体が強張っていた時、千紗が後ろから僕の手に自らの手を添えてきた。


「……大丈夫だよ、志郎」


「っ……」


 僕の不安を見抜いて、そう声をかけてくれる。


 そうだ。今まで千紗と一緒にいるために頑張って来たじゃないか。


 きっと、僕らは運命を乗り越えられる。これから先も、二人で一緒に暮らすんだ!


 鈴木先生が、冷や汗を垂らしながら僕と父さんとを交互に見ていた。乾いた唇を開き、震える声で話し始める。


「こ、今回のテストですが……志郎君は――」


 震える声で、鈴木先生は結果を告げた。




「――学年10位、でした」




「「――ッ!」」


 鈴木先生の言葉が耳に響いた途端、僕と千紗は身体を跳ね上げた。僕は後ろへ振り返り、千紗の顔を見つめる。彼女は瞳を潤ませ、僕に腕を伸ばしてきた。


「やったじゃん! これで、まだ一緒にいられるんだよ!!」


「ああ……! 千紗のおかげで、ここまで頑張ってこられたんだ!」


 安堵した途端、涙が溢れてくる。


 一時期は、もうダメかと思って諦めかけていた。それでも最後まで諦めずに考えてよかった。


 椅子から立ち上がった僕は、千紗を抱きしめた。彼女は僕の胸に顔を埋め、涙を流している。


「父さん、母さん……これで、僕は二人みたいにはならないって証明したよ。僕は千紗と共に、家族として生きていく。だから、もう二度と僕の前に――」


「認めるかぁあああ!!!」


 突如、響いた声に僕らは弾けるように振り向いた。


 大智の拘束を逃れた父さんが、こちらへ駆けてくる。飢えた狼のような形相で、拳を握りしめた腕を引き絞ると。


「がっ……!」

 

 僕の頬を殴ってきた。


 身体が吹っ飛ばされ、床に倒れ込む。い、痛ぇ……。


 頬を押さえて身体を起こそうとする。


 その時、父さんが拳を振り上げているのが見えた。


 二撃目……!


「よくも、一攫千金のチャンスを無駄にしやがってェ! やっぱりテメェは、出来損ないだァ!!」


 叫び声が店内に響くと同時、拳が振り下ろされる。


 咄嗟に目を瞑り、腕で顔を覆って迫りくる拳をガードしようとした。


 殴られる……!


 しかし、待っても痛みはやってこなかった。


 恐る恐る、目を開けてみる。


 僕の目の前に立ちはだかった千紗が、頬を殴られ吹き飛ばされていた。


「え……」


「あぐっ!」


 千紗が琥珀色の紙を舞い上げながら床に倒れる。頬を押さえて身体を起こした彼女の鼻から、つぅ、と血が流れていた。


「ち、千紗!」


「チッ……! 千崎のガキが邪魔してんじゃねェ!」


「……ふざけないで。負けを認められないくらい、あなたたちは子供なの?」


「何だとォ……!」


「自分の思い通りにいかないからって、周りに当たるのはただの子供でしょ! あなたたちは、やっぱり志郎とは違う。志郎は他人を傷つけたりしない! 自分の弱みも認めて成長してるんだから!」


「千紗……!」


「あなたたちは志郎の親なんかじゃない! もう二度と、彼に近づかないで!!」


「だ、黙れ……ただのガキが偉そうにィ……!」


 千紗の言葉に、父さんは歯噛みした。


「このオレに、命令してんじゃねぇえ!!」


 叫び、再度千紗を殴ろうと拳を握りしめた。


 その瞬間、僕は跳ぶように駆け出す。父さんの身体を抱きしめ、千紗から距離を離そうと押し出した。


「は、放せ、志郎! お前が痛い目に遭いてぇのか!?」


「千紗を傷つけられるくらいなら、僕を殴れよ!」


 父さんの身体を押し返しながら、僕は叫んだ。


「たった一人の大切な幼馴染みを守れないで、何が男だ! どれだけ痛くて苦しい思いをしようが、千紗を傷つけられて堪るかよ!!」


「志郎……!」


「黙れ、黙れ黙れェエ! この、ゴミ息子がぁあ!!」


 叫び、父さんが握りしめた拳で僕の背中を殴って来た。


「がはっ!」


 息が詰まる。だけど、放さない。力いっぱい、父さんの身体を抱きしめて反対側へと押し出そうとする。


「ぐっ……お前、本当に志郎か? 今まで、オレに逆らえなかったくせに……!」


「あんたが見てない間に、俺だって成長してんだよ! あんたが僕を捨てたのは中学の時! でも、今は高校生だ。どうせ、身体だって、成長してるんだからなッ!!」


 僕は父さんの足の間に自分の足を差し入れた。膝のところに足を絡ませ、上半身を押す。


 身体のバランスを崩した父さんは、そのまま店の床に倒れ込んだ。


 暴れて立ち上がろうとする前に、肩の上に膝を載せて身動きを封じる。


「は、放せ! 父親にこんなことをしていいと思ってんのか!?」


「だったら、父親らしいことの一つくらいしてみろよ!」


「ッ!」


「あんたは、努力から逃げてきたんだろ! そんな自分から目を逸らすために、僕が出来損ないだっていう烙印を押したいだけなんだ! でも、僕は違う……! 僕は、自分に出来ないことを言い訳に、自分の弱さを認められない人間にはならない!」


 父さんに跨りながら、胸ぐらをつかんで積年の想いを吐きだす。


「僕は、あんたたちを親だと思わない! 見た目が大人になっただけの子供に、とやかく言われる筋合いはないんだよっ!!」


「ぐっ……ガキのくせにぃい……!!」


「な、何をしている!?」


 その時、店に誰かが慌てた様子で入って来た。父さんに跨りながら振り返れば、警察の姿。


「私が通報したのだよ」


 瑠璃先輩が、冷徹な目で父さんを見下ろしながら名乗り出た。


「千崎ちゃんを殴り、店の物を破壊した。傷害と器物破損でアウトだね」


「なっ……! お、俺のせいじゃない! このガキが悪いんだ!!」


「はいはい。ひとまず、こっちに来てくれる? 事情を聞かせてもらうから」


「ふ、ふざけるなぁああ!!」


 父さんは叫び、僕の身体を弾き飛ばした。


 僕が床に倒れている間に、父さんは店から逃げようとした。しかし、すぐに警官に取り押さえられてしまった。


「暴れたら公務執行妨害が付くよ?」


「ぐっ……どうしてオレがこんな目に……! 息子のくせに、俺を裏切るつもりか!?」


「裏切るって……自分の息子を置いて逃げた父さんには言われたくないよ」


 僕はすっかり冷え切った心で、父さんへ告げた。


「さよなら。もう二度と、僕の前に姿を現すなよ、赤の他人さん」

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