第34話

 週末、僕は両親を喫茶店へ呼び出した。


 休日だけど、店の中にいるのは僕らだけだ。店員さんも、あまりやる気がないのか厨房へ引っ込んでいる。


 閑散とした店内の片隅の席で、僕らは対面するように座っている。木の香りが漂う店内に、両親のタバコの匂いがツンと鼻を刺した。


「呼びだしたってことは、テストの結果が出たのか?」


「どうせ、アンタじゃムリだったろうけどね」


 静かな店内に、二人の笑い声が響く。鼓膜をズンズンと突き刺し、脳が揺さぶられる。嫌な音だ。不満を喉の奥へと押し込み、顔を上げた。


 両親と視線が交錯する。その途端、過去に二人から受けてきた行為が脳裏をよぎった。身体が震える。怖い。だけど、逃げるわけにはいかない。


 拳を握りしめ、頬に冷や汗が伝うのを感じながら、僕は嘘一つない言葉で告げた。


「――僕は、テストを受けられなかった」


 両親は、無言だった。


 そんな二人へ、続けて話す。


「テスト前に熱を出して、一日だけ受けられなかったんだ。学年の順位は、全教科の総合点で掲示される。だから、僕は学年上位にはなれなかった」


 言葉が、重い。


 うまく回らない舌で、最後まで言い切った。


「……あははっ!」


 その時、父さんが笑った。

 

「やっぱり、お前は俺の息子だなァ! そんな下らない言い訳をして、怖くなって逃げ出したんだろォ?」


「違う! 僕は、逃げてなんて――」


「お前みたいな出来損ないの言うことを、誰が信じるんだ!   お前は俺の息子だ。クズの俺のなァ!」


 父さんは、僕へ指を突きつけて怒鳴った。


「そうやって、テストを受けられなかった言い訳をすれば俺たちが許すとでも思ったかァ? 言い訳なんてさせねぇ……これからは、オレらと暮らしてもらうからなァ」


「……断る」


 次の瞬間、張り手が飛んできた。


「ぐっ!」


 頬を叩かれ、その勢いで椅子ごと倒れる。ガタンッ! と大きな音が店内に鳴り響いた。


「約束が違ぇなァ……お前がテストで結果を出せなかったら、千崎とかいう金持ちから金を貰って、お前はオレらの奴隷になるんだろォ?」


「……ああ、そう約束したよ。だけど、まだ終わりじゃないから」


「はァ? 何を言って……」


「お待たせ、志郎。準備、できたよ」


 その時、僕らの下へ千紗が現れた。両親も彼女に気づいて、怪訝そうに睨んでいる。


「……何をするつもりだ?」


「僕は、確かにテストを受けられなくて、学年上位にもなれない。それでも、千紗と一緒に暮らしたいんだ。だから、父さんたちとの約束を守った上で、どうすればいいかを考えたんだ」


 視線を店の入り口に向ければ、千紗の後に続いて店に入ってくる三人の姿が見えた。片方は小学生ほどの身長の少女、瑠璃先輩。もう一人は大智。


 そして、残るもう一人は――。


「ど、どうして僕がこんなことに……あぁ、先生辞めたい……」


 自信なさげに、ネガティブ発言を繰り返すのは、僕らの担任の鈴木先生だ。


「あ、あのぉ……本当にやるんですかぁ……?」


「今さら何を言っているんだね。あれだけ根回しをしたというのに、今さら引き返すことなどできないのだよ。それとも、あの秘密を暴露されるほうがマシだと言うのかね?」


「や、やだああ! それだけは許して下さぁあい!!」


「な、何なんだ、こいつらは」


 こちらに歩み寄ってくる二人に対し、父さんは幽かな苛立ちを露わにする。


「二人は協力者だよ。これから、父さんとの約束を果たすためのね」


「何をする気だ……」


「今から、ここでテストを受けるんだよ」


「は……?」


 唖然としたように呆けた声を漏らす。


「何を言っているんだ。テストはもう終わったはずだろ!」


「うん。テストの結果も、来週には発表されるよ。けど、先生たちは採点を終えて、結果自体はもう出てるんだよ」


「だ、だからどうしたって言うんだよ」


「僕はこれから、この場でテストを受けて鈴木先生に採点してもらう。その点を、これまでに受けたテストの合計点に加算して順位をつけるんだ。流石に成績には反映されないけど、順位だけは分かる。それで上位の点数を取れたら、父さんたちとの約束も果たしたことになるでしょ」


 僕はテストを受けられないことばかり考えていた。


 でも、父さんとの約束は学年上位に入ることだけだった。


 たとえ、成績に反映されなくても、この場で順位を出すことだけは出来る。


 その順位で、証明してやるんだ。


「――僕はもう、二人の言いなりになんてならない。あんたたちみたいなクズに成り下がるつもりはないんだよ!!」


「ぐっ……そんなの、ただの屁理屈だろうが!」


 父さんが机から乗り出し、僕の胸ぐらをつかもうと腕を伸ばしてくる。


 しかし、その手首を大智が掴んだ。


「うがっ! は、放せ!」


 父さんが抵抗しようとするが、筋肉だるまの大智の握力は生半可なものじゃない。振りほどけず、苦悶に顔を歪めている。


「な、何故だ……どうして、お前には味方がいるんだ! 俺と同じ血が流れるクズのはずだろォ!?」


「志郎は、あなたたちとは違うから!!」


 千紗が父さんに向かって叫んだ。


「志郎は、私のために頑張ってくれるの! 誰かのために一生懸命になれるの! 自分のことしか考えられないあなたと違ってね!」


「何だ、偉そうに! 大人を敬えないお前もゴミだな!」


「人を大事にできないあなたは、見た目が大人になっただけの子供じゃない」


「ッ……」


「志郎は、絶対にあなたたちの言いなりになんてならない。これから、証明するんだから」


 千紗は父さんに向かって言い放つと、身体を引いて鈴木先生と場所を入れ替わった。机の脇にやって来た鈴木先生は、鞄からテストの問題と答案用紙を僕らの前に並べていく。


「はぁ……本当は、こんなことしちゃダメなんだけどなぁ。学校の情報の持ち出しとか、バレたら絶対にクビ……いや、それよりも酷いことになっちゃうかも……」


「なら、今から辞めるかい? その時には、私の持っている君の秘密が表に漏れてしまうだろううがね」


「ひぃっ! やらせていただきます、瑠璃様ぁあ!」


 鈴木先生は、瑠璃先輩に脅されながらも準備してくれた。そこまで怯えるほどの秘密って、何なんだろう……。


 しばらくして、準備が終わる。鈴木先生はストップウォッチを持って机の脇に立った。


 千紗や瑠璃先輩は別の席へ移り、店員さんに注文をしている。しばらく居座ることになるので、量は少し多めだ。大智は父さんの腕を後ろに回して固定して暴れないようにしている。母さんは吠えるだけで臆病なので、何もしてこないだろう。


「ふんっ。どうせ、お前に出来るわけがない」


 父さんが鼻を鳴らして言った。


 少しの前の僕だって、同じ感想だっただろう。勉強が出来ない自分を受け入れるしかなかったから。


 それでも、千紗に勉強を教えてもらったんだ。彼女の努力も、無駄にはしたくない。


 これで、本当に千紗と別れるかどうかも決まる。


 僕は、負けるわけにはいかないんだ……!


「そ、それじゃあ、始めるね。よーい……スタート」


 鈴木先生の合図と共に、答案用紙と問題用紙をひっくり返して、テストを始めた。

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