第33話
翌日には、熱下がった。
「ほんと、タイミングが最悪だな……」
千紗の部屋のベッドで熱を測った僕は、ため息を溢した。目の前に立った千紗も、むっと不機嫌そうな表情をしている。
「あと一日、早かったら可能性があったのにね」
「まあ、過ぎたことを言っても仕方ないよ。準備をして学校に行こう」
僕は千紗と離れ離れになるかもしれないという現実から目を逸らすように、朝食を作るために千紗の部屋からキッチンヘ向かった。
朝はご飯派だ。ご飯は炊く時間がなかったので、レンジで温めるものを使い、他に目玉焼きを焼くことにした。準備をしていると、いつもは机でダラダラしている千紗がキッチンに入って来た。
「私も手伝う」
「いつもどおり、ゆっくりしてていいんだぞ」
「……やだ。少しでも長く、志郎のそばにいたい」
千紗は僕の服の裾を摘まみ「ダメ……?」と上目で訊ねてきた。捨てられた子犬みたいな目をされると、流石に断れない。琥珀色の髪を撫で、「ありがとう」と返事をした。
それから、準備し終えた朝食を二人で食べ、支度を整えた。
いつも通りの時間に、千紗と一緒に玄関に立つ。
「待って」
玄関の扉を開けようとした時、後ろに立っていた千紗が声を上げた。振り返った瞬間、僕の唇が塞がれた。
「っ!」
「ぷはっ……行ってらっしゃいのチューだよ」
「一緒の学校に行くんだからいらないだろ」
「嬉しいくせにぃ。ね、ね、志郎はしてくれないの?」
千紗が僕の方へと詰め寄りながら言ってくる。断ろうと思ったが、千紗が僕の腰の辺りに腕を回してきた。これは、キスするまで離れるつもりないな……。
仕方なく、僕は千紗にキスをしてあげた。触れる程度の接吻をして顔を話すと、千紗が顔を赤くさせていた。
「顔、真っ赤だぞ」
「志郎だって同じじゃん……」
千紗がくすくすと笑う。自分でも、顔が熱いのは自覚していた。
こうしてからかわれる日々も、あとどれくらい続くんだろう。
ふと
***
その後、学校へ到着した僕らはテストを受けた。
いつもなら、あまりの出来の悪さに落ち込んでしまうところだったが、風邪を引く前に千紗が勉強を教えてくれたおかげで何とか乗り切った。手ごたえは、思った以上にいい。
さらに翌日は、テスト最終日だった。
その日最後のテストを終えると、僕は椅子の背もたれに深く沈み込みながらため息を溢した。僕が受けたのは二日だけだったが、それでも集中していれば疲れは感じる。
「テスト、上手くいったか?」
後ろから大智の声が聞こえ、僕は無言で頷いた。
テストの結果は、きっと僕の中で最高のものになるだろう。千紗に教えてもらったおかげだ。
だけど、気分は晴れなかった。
その日はテストが終わると、軽くHRを済ませて解散の予定だ。授業もないので、午前中に帰れる。
帰りのHRを終えたところで、僕はすぐに教室を出て行った。大智に打ち上げに誘われたが、今日は断ることに。僕が一緒じゃなくても、栞奈さんと行くだろう。
千紗も、すぐに教室を出ていた。彼女の方が扉に近いので、僕より数歩前の廊下を歩いている。
学校でイチャつける場所は限られている。
でも、家に帰れば僕らは誰の目にも届かない。
やろうとしていることは、お互いに一緒だった。
だから、早く帰ろうとしている。
一刻も早く一つになり、これから訪れるだろう寂しさを少しでも埋めるために。
けれど、下駄箱で靴を履き替えているときだった。
「君、ちょっといいかい?」
制服姿の幼女……じゃなかった。
瑠璃先輩が僕を呼び止めた。
「何ですか? 急いで帰りたいんですけど……」
振り返れば、昇降口の前に千紗が立っていることに気づく。こちらを見つめていたが、やがて走って行ってしまった。
「ふむ……彼女と何かあるようだね。やけにテスト勉強を頑張ってたらしいことと、何か関係があるのかい?」
「そうですね。詳しい事情は、何も言えませんけど」
「風邪の時の焦りぶりから、何かあったことは察しているさ。それでも相談しないのは、余程の事情があるからだろう」
以前、千紗の風邪をどうにか治せないかと相談したときのことを言っているのかな。瑠璃先輩の言ったことを試したとは言えない……。
「でも、もうテストは終わりました。なので、問題も解決したんですよ」
「その割に、昨日は来てなかったらしいじゃないか」
「って、どうして知ってるんですか……」
「君の彼女から聞いたんだよ」
「千紗は彼女じゃないです」
「誰も、千崎ちゃんだとは言ってないよ」
くすくすと、瑠璃先輩が笑う。
「からかうために話しかけてきたのなら、帰りますよ」
「ああ、待ってくれ」
くいっと、瑠璃先輩が歩き出した僕の服の袖をつまんできた。
「君が問題を抱えていることは分かっている。ただ、一人ですべてが解決するわけじゃないということは覚えてて欲しい」
「……何が言いたいんですか」
「さっき、千崎ちゃんから君が休んでいることを聞いたと言っただろう? その時、彼女は泣いてたんだよ」
「っ……」
「ただ事じゃない事情がある……それだけは分かる。だから、あえて言わせてもらうよ。一人で解決できないなら、周りを頼るんだ」
「でも、言ったところであの人たちは変わらないんだ……!」
「あの人たち……?」
「っ……! と、とにかく、僕なんかに優しくしなくて大丈夫ですから」
「私が、ただ辛そうな君を見て手を差し伸べているだけだと思うかい?」
「え……?」
ど、どういうことだ……?
振り返れば、瑠璃先輩が真剣な眼差しで僕を見ていることに気づいた。
「君が色々と頑張っていたことは、私も知っているんだ。バイトでもそうだが、家でも毎日勉強を頑張っているそうじゃないか」
「どこまで知ってるんですか……」
「全て、千崎ちゃんから聞いている」
「あいつ、どこまで喋ったんですか……そもそも、どうして瑠璃先輩と千紗が知り合いなんですか?」
「言ってなかったかい? 私たちは、中学の頃に同じ部活だったんだよ」
「えっ!? って、ことは……瑠璃先輩もあの私立中学に通ってたんですか?」
千紗が通っていた中学は、この辺りで最も偏差値の高い私立中学だ。まさか、瑠璃先輩も通っているとは思わなかったな。
「そういうわけで、彼女とは以前から付き合いがあるのさ」
瑠璃先輩は目を伏せると、何かを思い出すように言った。
「千崎ちゃんは、中学の頃から変わったよ。きっと、君と出会ってから、だろうね」
「……すみません。小学校までの千紗しか知らないんですけど、中学の頃の千紗ってどんな感じだったんですか?」
「そうだね……まあ、とにかく”無”だったよ」
「え?」
「大切なものがないというか、周りからの期待に応えるためだけに行動しているような子だった。テストでも部活でも、不満一つ溢さずに成果だけを取っていく。まるで、大切なものを奪われたみたいに」
「大切なものって……」
「その当時は、分からなかった。でも、今なら分かる。――君だよ。君と千崎ちゃんは中学で別々の道へ進んだのだろう? 傍に君がいなくなったから、彼女は心を殺して、期待に応えるだけの人形になろうとしてたのさ」
「っ……」
「中学の千崎ちゃんは、とても放っておける状態ではなかったね。だから、私から声をかけたんだよ。あのまま行けば、彼女の心は完全になくなっていた。でも、高校生になった千崎ちゃんはまるで別人だった。そして、その隣に君がいたのさ」
瑠璃先輩は伏せていた目を開き、僕を真っすぐに見つめてきた。
「この間、千崎ちゃんと話して確信した。きっと、また君を失う事態に陥っているんじゃないかってね。君がいなくなれば、千崎ちゃんはまた元に戻る。それでも、君は周りに相談せずに諦めるつもりかい?」
「僕は……!」
諦めたくない。
千紗と過ごした日々を、今さら壊されるなんて絶対に嫌だ!
「僕は、幼馴染みを悲しませたくないです……!」
「……なら、話してみたまえ。解決策を共に探そうじゃないか」
「でも、瑠璃先輩と二人で解決できるかどうか……」
「――あれ? 先に帰ったんじゃなかったのか?
と、その時、声が聞こえてきた。
振り返れば、大智が栞奈さんと腕を組んで立っている。
「ふふっ、これで二人ではなくなったね」
「巻き込むの、気が引けるんですが……」
「プライドと幼馴染み、どっちが大事だい?」
「幼馴染みですね」
「即答とは、流石だな」
茶化すような一言をひとまずスルーし、僕は大智や栞奈さんへ向き直った。
「二人にも聞いて欲しいことがあるんだ。僕と、千紗のことについて」
それから、僕は三人に今の状況を話すことにした。
千紗との生活を守るために、何ふり構っている暇なんてないんだ。
――幼馴染みを悲しませてたまるか!
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