第3話 殺風景な雨(恋愛・現代ドラマ)
からん、と僅かに残る氷が音をたてる。
グラスの中のアイスコーヒーは溶けた氷と混ざり合い、水っぽい味になっていた。
カフェの中は人も少なく、静かだった。シトシトと降る細い雨が、窓を小さくひっかいていくようだった。テーブルの向かい側には、半分だけ飲まれたコーヒーがぬるくなったまま放置されている。ここで武弘と話していたのはつい三十分前の出来事だ。それなのに、ずっとずっと遠い昔の事のようだ。
三十分前。私はここで、武弘と別れ話をしていた。
「俺たち、別れよう」
別れないか、でもなく。
別れたい、でもなく。
別れよう。
武弘の表情は付き合いたての優しい表情だった。まるで私もそれを望んでいるのだと言わんばかりの表情だった。
そんな台詞は恋愛ドラマの中だけでしか聞かないと思っていた。
私は何も言えずにいた。頭が真っ白になっていた。だって私は、まだ関係は修復できると思っていたからだ。一度友達になってしまった人と別れがたいように、喧嘩をしても仲直りするように、一度縁が出来た人とは離れないと思い込んでいた。
「ど、どうして」
武弘は、少しだけ驚いたように目を見開いた。、私から「どうして」なんて言葉が出てくるのは驚きだったんだろう。
「……ごめん」
後から思い返せば、小学校、中学校の友達とはいくら家が近所であっても付き合いが無くなることもある。だけど恋人は違うと思っていた。思い込んでいた。だから別れるなんて思ってもみなかった。
「ねえ、待ってよ。まだ間に合うよ」
私の言葉はいかにも空虚だった。
どうしてこんなことになったのだっけ。必死に思い出す。
ちょっとしたことで私がそっぽを向いても、武弘はいつも優しかった。翌日になればまるで何も無かったかのように接してくれるから。だから私は……。私はうまくいっていると思っていた。
「ごめん」
武弘は優しかった。
「ねえ、待ってよ」
こんな台詞も、恋愛ドラマの中だけでしか聞かないと思っていた。カフェで置いてきぼりにされ、取り残される側の常套句だ。そんな台詞が自分の口から出てくるとは思わなかった。いま思うと笑ってしまうような台詞だ。だけどそのときは必死だった。なんて惨めでどうしようもないのだろう。
それから、ずっと出るタイミングを逃してここにいる。
ドラマの中でもマンガの中でも、誰かを置いて出ていったら場面が切り替わってしまう。だけど現実は違う。私はまだこのカフェでじっとしている。
とりとめのないことを思い出しながら、いましがたあったことは遠い昔のことで、まだ修復できるんじゃないかと縋っている。
携帯電話を取り出す。最期の武弘からの返信は、「少し遅れる」という素っ気ない言葉だけだった。
さっきから私はずっと空っぽだ。
原因を探ることもできないし、何か考える事もできない。
まるでこの雨みたいだ。
霧雨が、窓硝子に傷をつけていく。何もかも覆い隠して、そこに何も無かったみたいになっている。
きっと私の心の中にも霧雨が降っているのだ。
すべてを覆い隠してしまう雨が。
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