第7話 雨に宣戦布告(SF・雨のやまない世界)

 憂鬱などという言葉はとうの昔に消えてしまった。

 なにしろ、人間は常に憂鬱だからだ。


 それが普段の顔なのだから、改めて言う必要はない。

 憂鬱でなければ、なんだというのだ。


 なにもかも、この雨のせいだ。

 こいつは五十年近く降り注いでいる。何やら天候兵器だか天候操作装置だかの暴走でそうなった。まだ二十年も生きていない俺たちにとってはこの雨は日常のひとつで、代わり映えのしない日常だ。


「おーい!」

「よう!」

「お前も行くことにしたのか?」

「もちろん!」


 俺はとある場所への道すがら、友人の一人と一緒になった。


「お前がいれば心強い」

「俺だって」


 俺たちは憂鬱に沈む人々を窓辺に置き去りにして、雨の中を移動していた。


「あっちから船に乗って、三十五番の建物の中だ」


 船着き場は昔は何かの屋上だったらしい。そこにいくつもの板や渡し場を作ったものだ。雨のせいですぐ劣化するので、専門の渡し場を作る業者もいる。三十五番と呼んでいる建物も、昔は別の名前があったらしい。三十五番の入り口も、元々は高層階の窓だったものを外して扉を付け直したものだ。俺もここの事はなんとなく覚えているが、子供の頃は三階ほど下が入り口だった。この十年かそこらで三階分の水位が上がったのだ。

 階段を上がって指定された部屋に入ると、既に三人の人間が待っていた。


「おーっす」

「よう」


 俺たちは挨拶を交わしてから、全員がにやりと笑う。

 見たことある顔ばかりだが、五人も集まればいいところだ。

 たった五人、されど五人。


「もうこれで全員か?」

「そうかも」

「来るかもしれないけど、先にはじめてようぜ」


 俺のその一言で、そうなった。


「それじゃあ、言い出しっぺのお前が音頭頼むわ」

「マジかよ。俺?」


 だが確かに先にはじめようと言ったのは俺である。

 渋々と白いボードの前に立つと、少しだけ咳払いをした。


「俺たちが、『水中探索』で古いメモリーカードを見つけてから今日で一年になる」


 そのメモリーカードはまだ生きていた。

 かろうじて動いたそいつをパソコンで見てみると、不思議な映像が再生された。


 それは、物語だった。

 世間に隠れて魔法を使う人々の物語だった。記憶を無くした男が、自分を取り戻す物語だった。ヒーロー達がタッグを組んで、悪と戦う物語だった。約束を破ってとんでもないことになる物語だった。改変してしまった過去を戻そうと奮闘する物語だった。

 物語の洪水に、俺たちは飲まれた。

 そこには見た事もない世界が広がっていた。

 そして何より、見た事もないものがいくつもあった。

 地面だ。

 緑の野が広がり、山がそびえ、花は大地に咲いていた。

 地面の上を人が歩き、壊れているものしか見た事の無い車が走り、そして動物たちが暢気に草を食んでいる。

 どこまでが本当の事で、どこまでが虚構なのかわからなかった。

 だが、物語を見るうちに確信していった。

 この物語が撮られたとき、確実に、世界は。


 動画を見ていた一人が、呟いた。


「『晴れ』だ……」


 物語の中で青く澄み渡った空は、俺たちの心を掴んだ。


「これ、もしかして『映画』ってやつじゃないか?」

「えいが?」

「まだ俺たちが産まれる前の文化だったって。人がキャラクターを演じて、音楽とかつけて、動く作品にしたっていう」

「これがその『映画』なのか?」

「地面がある。これ、雨が降る前の映像なんだ……」


 俺たちは物語なんてそっちのけで、青い空を見つめていた。

 雨すらも効果的に使われていた。選択肢があった頃の、物語なのだ。


「あれから一年だ。俺たちは、覚悟を決めた。こうして武器を手にして、手段を手にして、船や食料をがっつり用意した」


 それもこれも、ここからの始まりのためだ。


「俺たちは、老人どもの思い出の中にしか存在しない『晴れ』を見るために――くそったれな天候兵器をぶち壊す!」


 俺が拳を振り上げると、集った仲間たちはにぃっと笑い合った。

 このくそったれな雨への宣戦布告だった。

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