アオ、二十歳になる

 主従だろうが、恋人だろうが、夜の10時以降に、何の先触れもなく部屋を訪れるのは、あまり褒められたことではない。

 ただ、今日くらいは許してくれ、常識。

 そう思いながら椿は、アオの部屋の前に立って、中に呼びかけた。


「アーオー」


 普通に呼びかけようと思っていたが、思わず、不満さが声に出てしまった。

 部屋の中からドタバタと音がする。小さくはあるが「え、何で、うわどうしよ」と声も聞こえる。

 珍しく少し時間を置いてから、そろそろと、何かを恐れるかのように襖が開いた。


「椿さん、いらっしゃいませ。どうされましたか?

 普段通りのような顔をしているが、その頬はほのかに赤い。

 隠そうとでもしたのか知らないが、背後のローテーブルの下には、缶やビンが置かれている。


「本当に一人で酒飲んでやがった」


 先程、メッセージアプリに、祖父から連絡が来たのである。「二十歳になったからって浮かれすぎてるかも知れんから、様子見てやれ」と直接的な言葉ではなかったが、椿はそれを見て、あいつ一人で酒を飲んでやがる、と直感した。

 一応、直感だからなと半信半疑に思いつつ、来てみたら、これだ。

 アオは気まずそうに視線をそらした。


「さすがに、お爺様と飲む訳にはいきませんし」

「そっちじゃねえだろ。俺に言えよ!」


 夜中であり、祖父の部屋が近いので小さめではあるものの、椿は声を上げた。


「二十歳の誕生日で、同じ家に恋人が住んでて、初めて酒飲むって状況で、一人でこそこそ飲むって選択肢は……ないだろ!」


 言っているうちに、そんなのは個人の自由だし、あんまり理屈がないなと気がついたが、人間は論理のみにて生くるものにあらずと無視する。


「いやー……嘔吐したりと手間をかけさせる可能性も考えると、さすがにちょっと……。不敬ポイントが高くて」

「知らんポイントを作るな」

「単に飲み物を飲むだけですし……」


 素直に部屋にあげる気はないようで、アオはもだもだと口ごもっている。

 その様子を見て、何か他に真の理由があるなと感じる。


「アオ」


 呼ぶと、視線どころか体まで傾いた。

 だが、本当の理由を言うには言った。


「あと、椿さん、二十歳未満、なので……。お酒を飲む場に呼ぶのは、不適切かと」

「あがるぞ」


 今までも一歳の年の差で何度か悔しい思いをすることはあったが、これが随一だ。


「もー……だから言わなかったのに……」


 既に酔っているのか、アオはふわふわと呟きながら、座布団を持ってきた。

 ローテーブルの下に置いた酒を、テーブルの上に置き直し、自分も座布団に座り直す。


「椿さんはズルはしないと思いますけど、一応、言いますね。お酒は二十歳からです。で、テーブルのこっちが割り材で、こっちがアルコールなので、割り材の方は好きに飲んでください。おつまみも。グラス……はこれ、まだ使ってないので」

「何か初めてにしては、量が多くないか?」


 割り材も含んでいるにしても、ローテーブルには思いの外、多くの缶やビンが載った。


「量は飲んでないです。人によって好みとかもあるので、味を、色々と知っておいた方がいいかな、と思って、飲み比べを」

「……人によって、って」

「お酒を好きな方は多いですから。色々と知っておけば、話を合わせやすいです。役に立つのは、椿さんが二十歳になってからでしょうが」


 つまり、いつもの調査の一環だ。取引先や会社の重役、業界の有名人などと話す時、話題についていけるように。しかも、アオではなく、椿がついていけるように。


「という訳で、飲みますね。すみません。椿さんも……お酌はするのもされるのもお嫌でしょうから、ご自由にどうぞ」


 アオは複数のグラスに、それぞれ別の酒を注いだ。

 確かに、一杯一杯の量は、控えているようではある。

 だが、塵も積もれば山となると言う。それに一口に酒と言えど、アルコール度数は異なる。酔いやすい、酔いにくいの相性もあると聞いたことがある。

 また、単純に、今のアオからはどことなく危うい雰囲気を感じる。


「そろそろ、控えておいた方がいい気がするんだが」

「あと八種類くらいなので」


 酒に関する知識は、椿もあまり持っていなかった。

 さすがに自分の状態は把握していて、本当に危なそうなら自分で留まるだろうと、何となくアオを信じたのが仇になった。

 残り四種類になった時点で、アオは完全に夜の繁華街でたまに見かける、酔っ払いになっていた。

 膝とクッションを一緒に抱いて、椿を見ながらにこにこと笑っている。


「椿さんは、私のことが好きなんですねぇ」

「……まあ、はい」

「嬉しいなぁ」


 普段はしない顔、普段は言わない言葉だ。

 平和な酔い方で良かったと思いつつ、椿はつまみにあった芋けんぴを食べる。


「どこがいいのか分かりませんが、椿さんに好きになっていただけて、良かったです」


 酔っ払いの言うことに真面目に返しても、あまり意味はないのだろう。だが、微かに見えた自虐が少し腹立たしい。


「言っておくがアオ、モテるからな」

「そうなんですか?」


 アオが気づいていないだけで、話を聞いている限り、今もモテている。勧誘時期が過ぎてからもサークルに誘われ続け、学食で昼食を取っているだけで見知らぬ人物に話しかけられる人間はあまりいない。

 だが、椿にとって特に思い出深いのは、中学の頃だ。

 中学入りたての頃のアオは、今よりも周囲に対して無関心で、世間体を取り繕う意識がなく、椿第一であることを全く隠していなかった。そのため、大分疎まれていた。

 だが、その性格を知っていたにも関わらず、椿に向ける笑顔や態度を見て、うっかり惚れてしまう人間が大勢いた。

 大きな問題にはならなかったのだが、椿へのやっかみは、相当あった。嫉妬まじりの下品な言葉をかけられたりしたこともあった。

 また、手に入らない悔しさからか、アオ自身もいじめスレスレのちょっかいを出されていた。アオはあれを「モテていた」とは思っていないだろうが、はたから見れば明白だった。


「まあ、仮にモテていたとしても、私は椿さんの愛の結晶なので……つまり皆さん、椿さんの愛に心動かされているのですね」


 アオにちょっかいをかける人々に、憐れみと優越感を感じながらも、アオにはバレないように押し込めて、椿はため息をついた。


「色々違う。愛の結晶ってそうじゃないだろ」

「小粋なジョークですよ」

「めっちゃくちゃに酔ってるな。何が小粋だ」


 言っても無駄と思いながらも、真面目に返してしまう。


「あと、俺の愛がどうとかじゃなく。俺と会う前までも、会ってからも、ずっと、アオにはアオの価値があるんだからな」


 アオは膝を抱える手に力を込めて、笑みを深くした。


「はい、存じております。とりわけ、そう言ってくださる人に会えた、自分の幸運に関しては、いつも心より誇っております」


 表情が緩みに緩んでいるせいか、いつもよりかわいく見える。


「……水飲んで、歯磨いて、さっさと寝ろ」


 このまま放置していると、アオだけでなく自分も危ういと感じて、一刻も早く眠らせる方針を取ることにした。

 だがそれを、アオは勘違いした。


「む。酔っているから言っているのだとお思いですか?」

「思ってねえよ」

「機嫌が良いのは確かですが、今のは、私が常々思っていることですよ」

「知ってるって」

「これはちゃんと、素面でも言わねばなりませんね」

「聞け」

「またアオが何か言ってんなぁ、って思っていそうな顔をしています」


 気のせいであり、被害妄想である。


「何を言っても酔っ払いの戯言と思われるのであれば、お酒を飲んでいる時は、大切なことは言わない方がいいですね。学習学習」


 何を言っても聞く耳を持たないのはアオの方だ、と言いたくなったが、それすら聞かれないことは明らかだったので、言葉を飲み込む。

 代わりに、膝で抱いているクッションを引っ張る。

 アオはクッションを離そうとせず、クッションに釣られるように、床に寝転がった。


「……とすると。大切なことよりも、酔っ払っている時にしか言えないようなことを言う方が、建設的でしょうか」

「酒飲んでる時に建設しようとすんな、工学部。諦めて寝なさい。ベッドには運んでやるから」


 アオはクッションを枕にした。

 だが、目をつむろうとはせずに、椿を見上げている。


「これは素面では言えないので言いますが」


 少しだけ、気になってしまった。

 アオにも言えないことがあるのか、と。

 どれだけ近しい相手でも、むしろだからこそ、言えないことの一つや二つあるのは当たり前ではあるのだが、アオにはなさそうな気がしていた。先程の言葉だって、本当に素面で言う人間なのだ。

 耳をすませてしまう。

 アオは手をのばして、わずかでも繋がりを結ぼうとするように、椿の足の甲に触れた。


「実は、ですね。さっき、椿さんが来る時まで、椿さんが来てくれないかなー……って、ぼんやり思っていたのです」


 ぱちぱちと、まばたきが増える。


「だから、来て、構ってくれて、嬉しかったです……ありがとうございます……」


 眠気に耐えかねたように、アオのまぶたは落ちた。

 足の甲の上に、手は置かれたままだ。


「……まあ、誕生日だからな」


 いつ何時でも、求められたらそうするので、理由にはなっていなかったが、椿はそう答えた。

 そして、手に手を重ねた。

 明日が辛くならないよう、水を飲ませ、ベッドに移して、布団をかけてやるべきなのだろうが。

 しばらく、こうしていてもいいだろうか。

 椿は誰にともなく、問いかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

椿とアオ 早瀬史田 @gya_suke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ