雪中の蛇姫

斑猫

白椿の祠

 椿の花には魔性が宿る。そのような伝承があるのを知ったのは中学生か高校生くらいの頃だった。それよりも前に母や祖母は「椿の花はボトリと落ちる。首が落ちるみたいで縁起でもない」とわたしに言い含めていたような気もするが。

 だが椿の花と魔性の関係性を聞いたとて、そこで何かが変わる訳では無かろう。何せすでに、私は椿の花の虜になっていたのだから。年数を経た椿が化けるという話も、恐ろしい牛鬼の正体であるという話も、より一層椿の花の美しさを際立たせるエッセンスになっているように思えてならなかった。何せ桜ですら妖艶さが憑き纏い、その根元に埋まる骸を幻視した作家さえいるのだから――

 わたしの奇妙で幻想的な出会いもまた、椿が仲介者として存在していたのだから。


 最強寒波の煽りは、わたしの住む町にも例外なく訪れていた。大学生として一人暮らしをしていたわたしは、降り積もった雪の多さに圧倒し、自主休講を決め込んだ。後で解った話だが、そのような判断を下した学生は数多くいたらしい。

 そしてそのまま雪が太陽光で溶けて水になるまで、要は丸一日家に引きこもっておこうとわたしは思っていたのだ。

 しかし現実はままならない物である。昼になってから、わたしは出かけざるを得なくなったのだ。何という事は無い、買い物である。食料が底をつきかけていた事に気付いてしまったのだ。


「あー、くそ。くそ寒いのに出かけないとなんないなんてなぁ……」


 マイバッグと言うには貧相な、使い回しのレジ袋に詰め込まれた荷物をブラブラさせながら、わたしは思わずぼやいていた。寒ければ寒いなりに最短距離でさっさと帰り、さっさと暖を取って暖まるべきなのだろう。しかしわたしは若干迂回して帰路を辿っていた。

 そんな回りくどい事をしていた理由は二つである。一つ目に凍ったり雪が深そうな路面を裂けて歩いていたのだ。二つ目は……白椿の植わった祠の傍を通ろうと思っていたからなのかもしれない。我が事なのにかもしれない、なんて他人事のようであるが、本当に曖昧なのでしょうがないではないか。実際問題、白椿の祠はわたしも好きだった。セピア色の祠と幹、緑に艶めく葉、そして純白の椿の花――雪のない冬に見る椿と祠のコントラストはそれは見事な物だった。雪景色の中で椿はどのように見えるのか。そんな事を考えていたのかもしれない。


「あのぅ……」


 おずおずと声をかけられたのは、まさに祠を通り過ぎようとしたその時だった。

 積もった雪でたわむ白椿を背に、一人の若い女性が佇んでいた。多分私と同じくらいのだろう。そして彼女が私に声をかけてきたのは明白でもあった。

 私の事は姫とでも呼んでくれるかな。濃緑色――所々鱗模様らしきものが見える――のロングコートを身にまとった彼女は、わたしを見てそんな事を言ったのだ。


 身体が冷えたから暖めて欲しい。そうでないと死んじゃうわ。そんな事を宣った姫を連れて、わたしはアパートの自室に戻っていた。心臓はドキドキを通り越してバクバクしていた。最強寒波が襲い来る中で外でボーっとしている女の子を放って帰るなんて事はもちろんできない。とはいえ自分がした事が正しかったのか、それはよく解らなかった。


「あ……もう無理……」

「え、嘘! しっかりするんだ」


 姫は眠そうに目をこすり、そしてそのまま倒れ込んだかのように思えた。実際にはその姿が変貌し、一匹の蛇に変化しただけだったのだが。


「うーむ。君は姫と名乗っていたけれど、姫と言うよりむしろ青大将なんじゃないかな」

「そうだったかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ」


 暖房とホットカーペットを利かせた中で、わたしと姫は向き合いながら話し合っていた。わたしが連れて帰ったのは女の子だった。だが今はもう人型を保たずに、大きな蛇としてとぐろを巻いていたのだ。鱗の色は濃緑色である。丸い瞳も女の子の姿だった時の面影を残し、何となく可愛らしい。


「驚かせてごめんなさい。冬眠してたんだけど、あんまり寒すぎて飛び出してきちゃったの。あれだけ寒かったら、流石に凍え死んじゃうから……」


 そうだったんだね。わたしは言いながら、蛇姫に生卵を一つ差し出した。冬眠明けの彼女は空腹だったらしく、舌をチロチロさせながら生卵を呑み込んでくれた。


「確かにこの寒波は異常だからね……そりゃあ誰だって凍え死んじゃうよ。人も猫もそれこそ蛇だろうとね」

「あすこの椿は生き生きしていたわ」


 蛇姫はちょっと憤慨したように言い返した。あすこの椿と言うのが祠の傍らに植わっている白椿である事はわたしもはっきりと解っていた。


「それにしても、どうして俺を頼ったの?」

「どうしてって、前に助けてくれたことがあったから。それであなたなら頼りになりそうって思ったの」


 瞬きもせず見つめてくる蛇姫を前に、わたしは首を傾げた。青大将を助けた事なんてあったかしら。記憶を探ってみたがどうにも解らなかった。

 解らなかった事が解ると、あっさりと考えを打ち切った。蛇姫がそう言うのならばそういう事にしておけばいいかと思ったのである。

 この蛇姫様も、きっとあの椿と縁深い存在なのだろうな。牛鬼の伝承を脳内で反芻しながら、わたしは密かにそう思っていた。

 何せ椿が化けたとされる牛鬼は、半人半蛇の濡れ女と夫婦であるとも、同一の存在であるとも伝わっているのだから。

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雪中の蛇姫 斑猫 @hanmyou

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