短編【女の子を大切にしない男はチョコ食らって死ね!】

ボンゴレ☆ビガンゴ

【女の子を大切にしない男なんかチョコ食らって死ね】

「急に言われても無理。バイトだわ」


 急じゃないです、と出かかった言葉を必死に呑み込んだ。

 付き合って2年目。今年はバレンタインが日曜日だから、会いたいですって、ずっと言ってたのに。

 モトキ先輩は悪びれる様子もない。


「……わかりました。急にごめんなさい」


 肩を落とし通話を切る。

 ため息をついてオーブンの中を覗く。

 萎む心と裏腹にガトーショコラは膨らみ始めていた。


「なにこの匂い? 姉ちゃんチョコ作ってんの!? あの大学生の彼氏にぃ?」


 小学生の弟がキッチンに顔を覗かせた。


「うるさい。あんたには関係ないでしょ。向こう行ってな」


「ははーん、わかった。セーリってやつだ。女はジョーチョフアンテーだからなー。扱いに困るぜー」


 どこで余計なことを覚えてきたのか、このバカ弟は。


「友達に配るクッキー。あんたにもあげようと思ってたけど、やーめた」


「別にいいもん。明日カノジョにもらうから」


「は? 彼女? あんたが?」


「まーね。あんま可愛くないけど告られたから付き合ってる。本命ができるまでの繋ぎってやつ。これで俺も陽キャの仲間入りだー」


 ホント生意気。こんなデリカシーのないチンチクリンのガキンチョを好きになるなんて、その女子も見る目がないな。

 ……なんて思いながら、私も同じかもって心がもやもやした。


「ま、惚れた方が負けってことじゃん? あ、やべ。ガガキンの配信の時間だ。姉ちゃんにかまってる場合じゃねー」


 弟はリビングのソファに寝転び、タブレットで動画サイトを見始めた。


 もやもやしてても仕方がない。

 よし、と思い切ってモトキ先輩にラインを送る。


「明日何時までバイトですか? 夜だけでも会えませんか?」


 すぐに既読になったけど、なかなか返事は来なかった。


 焼け上がったガトーショコラに粉砂糖をまぶして、粗熱をとって、冷蔵庫に入れた頃、ようやく返事が来た。


「飲み会があるかもだから明日は無理」


 ごめんの一言もない。

 惚れたもん負け。弟の言葉が脳裏に甦った。


 弟のタブレットではガガキンなる男が恋愛相談に乗っていた。

 彼氏のバイト先のスタッフが女性ばかりで浮気が心配。という内容だった。


「バイト先に押し掛ければいいじゃん。彼氏なんのバイトしてんの? ファミレス? そーか、なら、友達とでも行って、私が彼女なんですってアピールしつつ、周りの女どもを牽制しちゃえばいいんだよ。彼氏に手出したら殺すわよってさ」


 何気なく聞いていて、その手があったか、と気がついた。

 モトキ先輩のバイト先のコンビニは私の家から電車で二駅。デートは出来なくても、チョコくらい渡しに行っていいよね。

 友達用にたくさん焼いたクッキーも少し持って行って、バイト仲間にもあげて、良い彼女アピールをすれば、モトキ先輩ももう少し私に時間を割いてくれるようになるかも。


 ☆


 次の日、私は精一杯のおしゃれをして電車に乗り込んだ。

 可愛い柄の紙袋にガトーショコラと手紙を忍ばせた。


 モトキ先輩のバイト先には何度か行ったことがある。

 最初に行った時は、まだ私はモトキ先輩のことを知らなかった。店に入った私を見て、モトキ先輩はジャニーズ顔負けの綺麗な歯を見せて笑った。


「あれー、うちの制服じゃん。可愛いね。一年生?」


 初めて男の人に可愛いって言われて、私はドギマギした。


 その場で押し切られるように連絡先を交換して、買おうとしていたルイボスティーを「いいよ、奢ってやるよ」とレジを通さずに押しつけられた。あれからもう。


 出会った頃のモトキ先輩の笑顔を思い出しながら、電車を降りコンビニに向かう。

 コンビニの前でスマホを取り出し、身だしなみをチェックする。髪型乱れなし。前髪オッケー。アイライン崩れなし。リップは……マスクしてるからいいか。よし。


 意を決して自動ドアをくぐる。


 レジに立つ気だるそうな店員さんが「っせー」とほぼ聞き取れない言葉で挨拶をしてくる。モトキ先輩は見当たらない。少し迷ったけどレジの店員さんに聞いてみることにした。


「あの……すみません」


「ぁーい」


 相変わらず気だるそうな態度の店員さん。


「えっと、梶原さんっていますか?」


「……梶原? モトキっすか? あー。今日は休みっすねー」


 予想もしない言葉に面食らう。


「え、でも今日バイトだって……」


「あー、元々シフト入ってたんすけど、急に彼女とデートの予定が入ったとかって、それで無理やり仕事押し付けられたんすよ。だりーっす」


 デート?

 彼女?

 嘘……。


「で、君は何? モトキの友達っすか?」


 私は返事もせずに店を飛び出した。


 モトキ先輩が大学に入ってから会う機会は減っていた。

 大学生は忙しいって言われていたし、ラインの返信は日を跨ぐことも増えたし、日曜日とか祝日にはバイトばかりだったし、クリスマスだって会ってくれなかった。今思えば不審な点はあった。

 けど、私はモトキ先輩のことを信じていた。……勝手に信じきっていた。


 今朝、送った「バイト頑張ってね」のラインは既読のまま返事はない。前はすぐに返事をくれたのに。

 今、モトキ先輩は誰と何をしているのだろう……。

 胸が締め付けられるように苦しい。


 もやもやした心のまま駅前に着いた。

 肩を落とし、改札に入ろうとした時、向こうから歩いてくるひと組の男女にふと目が向いて、私は立ち尽くした。


 モトキ先輩が女の人と歩いてきたのだ。

 モトキ先輩は白い歯を見せて楽しそうに笑っている。女の人は背が高くて私と違ってすらりと長い脚をしていて、とても綺麗な人だった。


 モトキ先輩は私に気付きギョッとした顔になった。

 でも、そっぽを向いて気づかないふりをして通り過ぎようとした。


「モ、モトキ先輩……っ!」


 慌てて声をかけた。けど、あからさまに無視された。

 ショックのあまり、呆然としているとモトキ先輩の隣の女の人が立ち止まった。


「モトキ? 呼ばれてるよ?」


 先を急ごうとするモトキ先輩の袖を掴み、女の人が私を見た。

 それでようやくモトキ先輩は立ち止まった。


「あ、ああ。……なんだ、ユウリか。気づかなかった」


 気づかなかったって……。さっき目があったのに。


「友達?」


 女の人が聞くとモトキ先輩は片頬をピクリと歪ませた。


「……高校の後輩だよ」


 私、彼女ですよね。って言いたかったけど、うまく口が動かなかった。


「あの……。さ、さっきモトキ先輩が働いてるコンビニに行きました。そしたら、今日は休みだって聞いて……、彼女とデートだって聞いて……、それで……」


 なんとか言葉を紡ぐが、うまく口から出てこない。けど、聞かなきゃいけないことがある。


「そ、その人、誰ですか?」


 心を奮い立たせてモトキ先輩の顔を見つめる。


「お前には関係ないだろ」


 モトキ先輩は冷たい口調で言い放った。


「ちょっとモトキ、そんな言い方ないじゃん。モトキの彼女のカオリっていいます。よろしくねー」


 女の人は無邪気な笑顔でこちらを見た。私なんかよりずっと綺麗でモデルさんみたいだった。


「てかさ。会えないって言ってんのにバイト先まで来るなんて非常識じゃね?」


 それに引き換えモトキ先輩は突き放すような口調。


「待ってください、そんなこと言わないでください……私、バレンタインだから、モトキ先輩に喜んでもらおうとチョコを持ってきただけで……」


 私が泣きそうになっている横で、カオリさんの表情が変わった。


「ちょっと待って。どういうこと? 君、モトキのなんなの?」


 彼女にしてみたらデートの最中に突然現れた女が自分の彼氏にチョコを持ってきたのだ。険しい顔になるのもわかる。けど、私にしてみたら……


「私、モトキ先輩が高校の頃から付き合ってます……。今も……です」


 必死に勇気を振り絞る。


「え、何それ。意味わかんない。どういうこと?」


「ったく。違うって。もうだりいな。ユウリ、お前とはもう終わってんの。気づけよ。毎日毎日返事もしてないのにライン送ってくるし、勝手に店くるし。だからガキは嫌いなんだよ」


 じわりと目頭が熱くなって、私は駅前だってのに泣き出してしまった。


「すぐ泣くし、そういうのが面倒だってんだよ」


「私のこと、好きじゃなくなっちゃったんですか……?」


「はじめっから好きじゃねーよ。たままた彼女がいなかったから遊んでやっただけなのに勘違いしてさ。ふつーさ、高校卒業したらそこで終わりじゃん? そんくらい分かれよ」


 モトキ先輩の顔が見たことないくらい怖くて、私は俯いてしまう。せっかく作ってきたガトーショコラの紙袋にポタポタと涙がこぼれていく。


「そういうことね。ユウリちゃん。君がモトキのことを好きなのはわかった。けど、モトキは君のこと好きじゃないみたいよ? だから、諦めたら?」


 カオリさんの口調は強くて、有無を言わさぬ迫力があった。

 どうして私が怒られるのだろう。

 モトキ先輩が私に隠れて浮気していたのに……。

 言いたいこと、言わなきゃいけないことはたくさんあるのに、涙が溢れて声が詰まって何も言葉にできない。


「わかった? モトキのことは諦めなさい」


 更にきつく言われて、怖くて辛くて、気持ちとは裏腹に頷いてしまった。

 モトキ先輩は嘲笑うように頬を歪ませていた。


「もうライン送って来んなよ。行こうぜカオリ。映画遅れちまう」


 モトキ先輩が歩き出そうとした。


「待って」


 カオリさんがモトキ先輩を引き止め、私の手元の紙袋を指差した。


「それ、モトキに作ってきたんでしょ。せっかくだからもらってこうか?」


「おいおい、カオリ。やめろよ。そんなのいらねえよ」


 こんな屈辱的なことはない。


「……いいです。持って帰ります」


「いいから。ちょうだい」


「あ、やめて……」


 カオリさんは私の手から紙袋をひったくった。

 そして、その場で乱暴に包みを開いた。

 一生懸命作ったガトーショコラが剥き出しになった。


「へー。上手く作れてるじゃん。手紙もある。読んじゃお」


 カオリさんはなんて意地悪な人なんだろう。


「もうやめてください……」


 カオリさんは私の手紙に目を通して、フンッと鼻で笑った。


「やっぱり、このケーキはモトキにあげようっか」


「えー、いらねえって」


「そう? でもせっかくだから……食らいなよっ!」


 カオリさんは突然、ガトーショコラを思いっきりモトキ先輩の顔面に投げつけた。


「ぐわっ!?」


 まるでパイ投げだ。モトキ先輩は顔面にガトーショコラを受け、みっともなく尻餅をついた。


「ななな、なにすんだよ!」


「うっさい。あんた最低よ。胸糞悪い。女の子を大切にしない男なんかチョコ食らって死ね!」


 腕を組んでモトキ先輩を見下ろすカオリさん。モトキ先輩は目を白黒させていたが、


「もう二度と私の前にも、この子の前にも顔見せないで!」


 吐き捨てると、私の手を強引に掴んでカオリさんは歩き出した。


 私の手を引いて駅を出て、人通りが少なくなったところまで歩き、ようやくカオリさんは振り向いた。

 彼女の目は充血していた。


「ごめんね。辛かったね」


 優しい香水の匂い。カオリさんは戸惑う私を抱きしめ、頭を撫でた。

 私はまた涙が溢れた。


「あんなクソ男だとは知らなかった。最悪。何よ、あの言い方。腹立つ」


「でも、初めての彼氏だったんです……優しかったんです」


「騙されてたのよ。忘れなさい」


「でも……忘れられそうもないです」


ポロポロと涙は止まらない。


「なら私が忘れさせてあげる」


 私の頬にそっと手を伸ばしたカオリさん。


「……え?」


戸惑う私の頬を彼女はぎゅっとつねった。


「痛い痛い! 何すんですか!?」


 悲鳴をあげるとカオリさんはケラケラ笑った。


「そうそう。泣いてたって仕方ないのよ。切り替えなきゃ」


 カオリさんは私の頭をくしゃくしゃ撫でた。


「ねえ。この後ひま? 映画のチケットもったいないから一緒に行こうよ」


「でも……」


「いいでしょ」


 強引な彼女の誘いを断りきれず、そのまま二人で映画を見た。

 つまんない映画だったけど、二人とも号泣した。


「連絡先教えて。また遊ぼ。あいつのこと思い出す暇がないくらい遊びに連れてってあげるよ」


 別れ際、カオリさんはニカっと笑った。


 ☆


 帰り道、初めて失恋した日だっていうのに気持ちは晴れていた。

 全部カオリさんのおかげだ。

 私もあんなふうにカラッとしたかっこいい女の人になりたいと思った。


 家の前に着くと、ちょうど弟がいた。

 弟のシャツはなぜかチョコまみれだった。


「どうしたん?」


 しょんぼりしてる弟。


「チョコケーキ投げつけられてフラれた」


 思わず吹き出してしまった。


「ばーか。女の子を大切にしない男なんかチョコ食らって死ねばいいのよ」


 カオリさんの真似をして大笑いしてやった。



 終




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