セロひきのゴーシュ

宮沢賢治/カクヨム近代文学館

セロひきのゴーシュ

 ゴーシュはまちかつどうしゃしんかんでセロ(チェロ)をひくかかりでした。けれどもあんまりじょうずでないというひょうばんでした。じょうずでないどころではなくじつなかがくしゅのなかではいちばんへたでしたから、いつでもがくちょうにいじめられるのでした。

 ひるすぎみんなはがくまるくならんでこんまちおんがくかいだいこうきょうきょくれんしゅうをしていました。

 トランペットはいっしょうけんめいうたっています。

 ヴァイオリンもふたいろかぜのようにっています。

 クラリネットもボーボーとそれにつだっています。

 ゴーシュもくちをりんとむすんでさらのようにしてがくつめながらもういっしんにひいています。

 にわかにぱたっとがくちょうりょうらしました。

 みんなぴたりときょくをやめてしんとしました。がくちょうがどなりました。

「セロがおくれた。トォテテ、テテテイ、ここからやりなおし。はいっ。」

 みんなはいまのところのすこまえのところからやりなおしました。ゴーシュはかおをまっかにしてひたいあせしながらやっといまいわれたところをとおりました。ほっとあんしんしながら、つづけてひいていますとがくちょうがまたをぱっとうちました。

「セロっ。いとわない。こまるなあ。ぼくはきみにドレミファをおしえてまでいるひまはないんだがなあ。」

 みんなはどくそうにしてわざとじぶんのをのぞきこんだりじぶんのがっをはじいてみたりしています。ゴーシュはあわてていとなおしました。これはじつはゴーシュもわるいのですがセロもずいぶんわるいのでした。

いままえしょうせつから。はいっ。」

 みんなはまたはじめました。ゴーシュもくちをまげていっしょうけんめいです。そしてこんどはかなりすすみました。いいあんばいだとおもっているとがくちょうがおどすようなかたちをしてまたぱたっとをうちました。またかとゴーシュはどきっとしましたがありがたいことに、こんどはべつひとでした。ゴーシュはそこでさっきじぶんのとき、みんながしたようにわざとじぶんのちかづけてなにかんがえるふりをしていました。

「ではすぐいまつぎ。はいっ。」

 そらとおもってひきしたかとおもうといきなりがくちょうあしをどんとんでどなりしました。

「だめだ。まるでなっていない。このへんはきょくしんぞうなんだ。それがこんながさがさしたことで。しょくんえんそうまでもうあととおしかないんだよ。おんがくせんもんにやっているぼくらがあのかなぐつだのさとうのでっちなんかのあつまりにけてしまったらいったいわれわれのめんもくはどうなるんだ。おいゴーシュくんきみにはこまるんだがなあ。ひょうじょうということがまるでできてない。おこるもよろこぶもかんじょうというものがさっぱりないんだ。それにどうしてもぴたっとほかがっわないもなあ。いつでもきみだけとけたくつのひもをきずってみんなのあとをついてあるくようなんだ、こまるよ、しっかりしてくれないとねえ。こうあるわがきんせいおんがくだんが、きみ一人ひとりのためにあくひょうをとるようなことでは、みんなへもまったくどくだからな。では今日きょうれんしゅうはここまで、やすんで六にはかっきりボックスへはいってくれたまえ。」

 みんなはおじぎをして、それからたばこをくわえてマッチをすったり、どこかへったりしました。

 ゴーシュはそのそまつなはこみたいなセロをかかえてかべほういてくちをまげてぼろぼろなみだをこぼしましたが、をとりなおしてじぶんだけたったひとりいまやったところをはじめからしずかにもいちどひきはじめました。

 そのばんおそくゴーシュはなにおおきなくろいものをしょってじぶんのいえかえってきました。いえといってもそれはまちはずれのかわばたにあるこわれたすいしゃで、ゴーシュはそこにたった一人ひとりですんでいてぜんのまわりのちいさなはたけでトマトのえだをきったりキャベジのむしをひろったりしてひるすぎになるといつもっていたのです。ゴーシュがうちへはいってあかりをつけるとさっきのくろつつみをあけました。それはなんでもない。あのゆうがたのごつごつしたセロでした。ゴーシュはそれをゆかうえにそっとくと、いきなりたなからコップをとってバケツのみずをごくごくのみました。

 それからあたまを一つふってへかけるとまるでとらみたいないきおいで、ひるのをひきはじめました。

 をめくりながらひいてはかんがかんがえてはひきいっしょうけんめいしまいまでくと、またはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごうひきつづけました。

 なかもとうにすぎてしまいはもうじぶんがひいているのかもわからないようになってかおもまっかになりもまるでばしってとてもものすごいかおつきになり、いまにもたおれるかとおもうようにえました。

 そのときだれかうしろのとびらをとんとんとたたくものがありました。

「ホーシュくんか。」

 ゴーシュはねぼけたようにさけびました。ところがすうととびらしてはいってたのはいままで五、六ぺんたことのあるおおきなねこでした。

 ゴーシュのはたけからとったはんぶんじゅくしたトマトをさもおもそうにっててゴーシュのまえにおろしていいました。

「ああくたびれた。なかなかうんぱんはひどいやな。」

「なんだと。」

 ゴーシュがききました。

「これおみやげです。たべてください。」

 ねこがいいました。

 ゴーシュはひるからのむしゃくしゃをいっぺんにどなりつけました。

「だれがきさまにトマトなどってこいといった。だいいちおれがきさまらのもってきたものなどうか。それからそのトマトだっておれのはたけのやつだ。なんだ。あかくもならないやつをむしって。いままでもトマトのくきをかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。ってしまえ。ねこめ。」

 するとねこかたをまるくしてをすぼめてはいましたがくちのあたりでにやにやわらっていいました。

せんせい、そうおおこりになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロメライ(トロイメライ)をひいてごらんなさい。きいてあげますから。」

なまなことをいうな。ねこのくせに。」

 セロひきはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらくかんがえました。

「いやごえんりょはありません。どうぞ。わたしはどうもせんせいおんがくをきかないとねむれないんです。」

なまだ。なまだ。なまだ。」

 ゴーシュはすっかりまっかになって、ひるまがくちょうのしたようにあしぶみしてどなりましたが、にわかにえていいました。

「ではひくよ。」

 ゴーシュはなんとおもったかとびらにかぎをかってまどもみんなしめてしまい、それからセロをとりだしてあかしをしました。するとそとから二十日はつかぎのつきのひかりがへやのなかへはんぶんほどはいってきました。

なにをひけと。」

「トロメライ、ロマチックシューマンさっきょく。」

 ねこくちをふいてすましていいました。

「そうか。トロメライというのはこういうのか。」

 セロひきはなんとおもったかまずはんけちをきさいてぶんみみあなへぎっしりつめました。それからまるであらしのようないきおいで「インドのとらり」というをひきはじめました。

 するとねこはしばらくくびをまげていていましたがいきなりパチパチパチッとをしたかとおもうとぱっととびらほうびのきました。そしていきなりどんととびらへからだをぶっつけましたがとびらはあきませんでした。ねこはさあこれはもういっしょういちだいしっぱいをしたというふうにあわてだしてひたいからぱちぱちばなしました。するとこんどはくちのひげからもはなからもましたからねこはくすぐったがってしばらくくしゃみをするようなかおをして、それからまたさあこうしてはいられないぞというようにはせあるきだしました。ゴーシュはすっかりおもしろくなってますますいきおいよくやりしました。

せんせいもうたくさんです。たくさんですよ。ごしょうですからやめてください。これからもうせんせいのタクトなんかとりませんから。」

「だまれ。これからとらをつかまえるところだ。」

 ねこはくるしがってはねあがってまわったりかべにからだをくっつけたりしましたがかべについたあとはしばらくあおくひかるのでした。しまいはねこはまるでかざぐるまのようにぐるぐるぐるぐるゴーシュをまわりました。

 ゴーシュもすこしぐるぐるしてきましたので、

「さあこれでゆるしてやるぞ。」

といいながらようようやめました。

 するとねこもけろりとして、

せんせい、こんやのえんそうはどうかしてますね。」

といいました。

 セロひきはまたぐっとしゃくにさわりましたがなにげないふうでまきたばこを一ぽんだしてくちにくわえ、それからマッチを一ぽんとって、

「どうだい。ぐあいをわるくしないかい。したしてごらん。」

 ねこはばかにしたようにとがったながしたをベロリとしました。

「ははあ、すこれたね。」

 セロひきはいいながらいきなりマッチをしたでシュッとすってじぶんのたばこへつけました。さあねこはおどろいたのなんのしたかざぐるまのようにふりまわしながらいりぐちとびらってあたまでどんとぶっつかってはよろよろとしてまたもどっててどんとぶっつかってはよろよろまたもどっててまたぶっつかってはよろよろにげみちをこさえようとしました。

 ゴーシュはしばらくおもしろそうにていましたが、

してやるよ。もうるなよ。ばか。」

 セロひきはとびらをあけてねこかぜのようにのなかをはしってくのをてちょっとわらいました。それから、やっとせいせいしたというようにぐっすりねむりました。


 つぎばんもゴーシュがまたくろいセロのつつみをかついでかえってきました。そしてみずをごくごくのむとそっくりゆうべのとおりぐんぐんセロをひきはじめました。十二もなくぎ一もすぎ二もすぎてもゴーシュはまだやめませんでした。それからもうなんだかもわからずひいているかもわからずごうごうやっていますとだれかうらをこっこっとたたくものがあります。

ねこ、まだこりないのか。」

 ゴーシュがさけびますといきなりてんじょうあなからぼろんとおとがして一ぴきのはいいろのとりりてました。ゆかへとまったのをるとそれはかっこうでした。

とりまでるなんて。なんのようだ。」

 ゴーシュがいいました。

おんがくおそわりたいのです。」

 かっこうどりはすましていいました。

 ゴーシュはわらって、

おんがくだと。おまえのうたは、かっこう、かっこうというだけじゃあないか。」

 するとかっこうがたいへんまじめに、

「ええ、それなんです。けれどもむずかしいですからねえ。」

といいました。

「むずかしいもんか。おまえたちのはたくさんなくのがひどいだけで、なきようはなんでもないじゃないか。」

「ところがそれがひどいんです。たとえば、かっこうとこうなくのと、かっこうとこうなくのとではいていてもよほどちがうでしょう。」

「ちがわないね。」

「ではあなたにはわからないんです。わたしらのなかまならかっこうと一まんいえば一まんみんなちがうんです。」

かっだよ。そんなにわかってるならなにもおれのところへなくてもいいではないか。」

「ところがわたしはドレミファをせいかくにやりたいんです。」

「ドレミファもくそもあるか。」

「ええ、がいこくまえにぜひいちいるんです。」

がいこくもくそもあるか。」

せんせいどうかドレミファをおしえてください。わたしはついてうたいますから。」

「うるさいなあ。そら三べんだけひいてやるからすんだらさっさとかえるんだぞ。」

 ゴーシュはセロをりあげてボロンボロンといとわせてドレミファソラシドとひきました。するとかっこうはあわててはねをばたばたしました。

「ちがいます、ちがいます。そんなんでないんです。」

「うるさいなあ。ではおまえやってごらん。」

「こうですよ。」

 かっこうはからだをまえにげてしばらくかまえてから、

「かっこう。」

と一つなきました。

「なんだい。それがドレミファかい。おまえたちには、それではドレミファもだいこうきょうがくおなじなんだな。」

「それはちがいます。」

「どうちがうんだ。」

「むずかしいのはこれをたくさんつづけたのがあるんです。」

「つまりこうだろう。」

 セロひきはまたセロをとって、かっこうかっこうかっこうかっこうかっこうとつづけてひきました。

 するとかっこうはたいへんよろこんでちゅうからかっこうかっこうかっこうかっこうとついてさけびました。それももうもういっしょうけんめいからだをまげていつまでもさけぶのです。

 ゴーシュはとうとういたくなって、

「こら、いいかげんにしないか。」といいながらやめました。

 するとかっこうはざんねんそうにをつりあげてまだしばらくないていましたがやっと、

「……かっこうかっこうかっかっかっかっか。」

といってやめました。

 ゴーシュがすっかりおこってしまって、

「こらとり、もうようがすんだらかえれ。」といいました。

「どうかもういっぺんひいてください。あなたのはいいようだけれどもすこしちがうんです。」

「なんだと、おれがきさまにおそわってるんではないんだぞ。かえらんか。」

「どうかたったもういっぺんおねがいです。どうか。」

 かっこうはあたまをなんべんもこんこんげました。

「ではこれっきりだよ。」

 ゴーシュはゆみをかまえました。かっこうは、

「くっ。」

とひとついきをして、

「ではなるべくながくおねがいいたします。」

といってまた一つおじぎをしました。

「いやになっちまうなあ。」

 ゴーシュはにがわらいしながらひきはじめました。するとかっこうはまたまるでほんになって、

「かっこうかっこうかっこう。」

とからだをまげてじつにいっしょうけんめいさけびました。

 ゴーシュははじめはむしゃくしゃしていましたがいつまでもつづけてひいているうちにふっとなんだかこれはとりほうがほんとうのドレミファにはまっているかなというがしてきました。どうもひけばひくほどかっこうのほうがいいようながするのでした。

「えいこんなばかなことしていたらおれはとりになってしまうんじゃないか。」

とゴーシュはいきなりぴたりとセロをやめました。

 するとかっこうはどしんとあたまたたかれたようにふらふらっとしてそれからまたさっきのように、

「かっこうかっこうかっこうかっかっかっかっかっ。」

といってやめました。それからうらめしそうにゴーシュをて、

「なぜやめたんですか。ぼくらならどんなないやつでものどからるまではさけぶんですよ。」

といいました。

なになまな。こんなばかなまねをいつまでしていられるか。もうけ。ろ。があけるんじゃないか。」

 ゴーシュはまどゆびさしました。

 ひがしのそらがぼうっとぎんいろになってそこをまっくろくもきたほうへどんどんはしっています。

「ではおさまのるまでどうぞ。もういっぺん。ちょっとですから。」

 かっこうはまたあたまをさげました。

「だまれっ。いいになって。このばかどりめ。かんとむしってあさめしってしまうぞ。」

 ゴーシュはどんとゆかをふみました。

 するとかっこうはにわかにびっくりしたようにいきなりまどをめがけてちました。そしてガラスにはげしくあたまをぶっつけて、ばたっとしたちました。

「なんだ、ガラスへ、ばかだなあ。」

 ゴーシュはあわててってまどをあけようとしましたががんらいこのまどはそんなにいつでもするするまどではありませんでした。ゴーシュがまどのわくをしきりにがたがたしているうちにまたかっこうがばっとぶっつかってしたちました。

 るとくちばしのつけねからすこしています。

「いまあけてやるからっていろったら。」

 ゴーシュがやっと二すんばかりまどをあけたとき、かっこうはきあがってなにがなんでもこんどこそというようにじっとまどむこうのひがしのそらをみつめて、あらんかぎりのちからをこめたふうでぱっとびたちました。もちろんこんどはまえよりひどくガラスにつきあたってかっこうはしたちたまましばらくうごきもしませんでした。つかまえてドアからばしてやろうとゴーシュがしましたらいきなりかっこうはをひらいてびのきました。そしてまたガラスへびつきそうにするのです。ゴーシュはおもわずあしげてまどをばっとけりました。ガラスは二、三まいものすごいおとしてくだけ、まどはわくのままそとちました。そのがらんとなったまどのあとをかっこうがのようにそとびだしました。そしてもうどこまでもどこまでもまっすぐにんでってとうとうえなくなってしまいました。ゴーシュはしばらくあきれたようにそとていましたが、そのままたおれるようにへやのすみへころがってねむってしまいました。


 つぎばんもゴーシュはなかすぎまでセロをひいてつかれてみずを一ぱいのんでいますと、またとびらをこつこつとたたくものがあります。

 こんなにてもゆうべのかっこうのようにはじめからおどかしていはらってやろうとおもってコップをもったままちかまえておりますと、とびらがすこしあいて一ぴきのたぬきがはいってきました。ゴーシュはそこでそのとびらをもうすこひろくひらいておいてどんとあしをふんで、

「こら、たぬき、おまえはたぬきじるということをっているかっ。」

とどなりました。するとたぬきはぼんやりしたかおをしてきちんとゆかすわったままどうもわからないというようにくびをまげてかんがえていましたが、しばらくたって、

たぬきじるってぼくらない。」

といいました。ゴーシュはそのかおおもわずそうとしましたが、まだにこわいかおをして、

「ではおしえてやろう。たぬきじるというのはな。おまえのようなたぬきをな、キャベジやしおとまぜてくたくたとておれさまのうようにしたものだ。」

といいました。するとたぬきはまたふしぎそうに、

「だってぼくのおとうさんがね、ゴーシュさんはとてもいいひとで、こわくないからってならえといったよ。」

といいました。そこでゴーシュもとうとうわらしてしまいました。

なにならえといったんだ。おれはいそがしいんじゃないか。それにねむいんだよ。」

 たぬきはにわかにいきおいがついたようにひとあしまえました。

「ぼくはだいかかりでねえ。セロへわせてもらってこいといわれたんだ。」

「どこにもだいがないじゃないか。」

「そら、これ。」

 たぬきはせなかからぼうきれを二ほんしました。

「それでどうするんだ。」

「ではね、『ゆかいなしゃ』をひいてください。」

「なんだゆかいなしゃってジャズか。」

「ああ、このだよ。」

 たぬきはせなかからまた一まいをとりしました。ゴーシュはにとってわらいしました。

「ふう、へんきょくだなあ。よし、さあひくぞ。おまえはだいたたくのか。」

 ゴーシュはたぬきがどうするのかとおもってちらちらそっちをながらひきはじめました。

 するとたぬきぼうをもってセロのこましたのところをひょうをとってぽんぽんたたきはじめました。それがなかなかうまいのでひいているうちにゴーシュはこれはおもしろいぞとおもいました。

 おしまいまでひいてしまうとたぬきはしばらくくびをまげてかんがえました。

 それからやっとかんがえついたというようにいいました。

「ゴーシュさんはこの二ばんいとをひくときはきたいに(へんに)おくれるねえ。なんだかぼくがつまずくようになるよ。」

 ゴーシュははっとしました。たしかにそのいとはどんなにばやくひいてもすこしたってからでないとおとないようながゆうべからしていたのでした。

「いや、そうかもしれない。このセロはわるいんだよ。」

とゴーシュはかなしそうにいいました。するとたぬきどくそうにしてまたしばらくかんがえていましたが、

「どこがわるいんだろうなあ。ではもういっぺんひいてくれますか。」

「いいともひくよ。」

 ゴーシュははじめました。たぬきはさっきのようにとんとんたたきながらときどきあたまをまげてセロにみみをつけるようにしました。そしておしまいまでたときはこんもまたひがしがぼうとあかるくなっていました。

「あ、けたぞ。どうもありがとう。」

 たぬきたいへんあわててぼうきれをせなかへしょってゴムテープで、ぱちんととめておじぎを二つ三つするといそいでそとってしまいました。

 ゴーシュはぼんやりしてしばらくゆうべのこわれたガラスからはいってくるかぜっていましたが、まちくまでねむってげんをとりもどそうといそいでねどこへもぐりこみました。


 つぎばんもゴーシュはどおしセロをひいてけがたちかおもわずつかれてがっをもったままうとうとしていますとまただれかとびらをこつこつとたたくものがあります。それもまるでこえるかこえないかのくらいでしたがまいばんのことなのでゴーシュはすぐきつけて、

「おはいり。」

といいました。するとのすきまからはいってたのは一ぴきのねずみでした。そしてたいへんちいさなこどもをつれて、ちょろちょろとゴーシュのまえあるいてきました。そのまたねずみのこどもときたらまるでけしごむのくらいしかないのでゴーシュはおもわずわらいました。するとねずみはなにをわらわれたろうというようにきょろきょろしながらゴーシュのまえて、あおくりひとつぶまえにおいてちゃんとおじぎをしていいました。

せんせい、このがあんばいがわるくてにそうでございますがせんせいになおしてやってくださいまし。」

「おれがしゃなどやれるもんか。」

 ゴーシュはすこしむっとしていいました。するとねずみのおかあさんはしたいてしばらくだまっていましたが、またおもったようにいいました。

せんせい、それはうそでございます。せんせいまいにちあんなにじょうずにみんなのびょうをなおしておいでになるではありませんか。」

「なんのことだかわからんね。」

「だってせんせいせんせいのおかげで、うさぎさんのおばあさんもなおりましたしたぬきさんのおとうさんもなおりましたしあんなわるのみみずくまでなおしていただいたのにこのばかりおたすけをいただけないとはあんまりなさけないことでございます。」

「おいおい、それはなにかのまちがいだよ。おれはみみずくのびょうなんどなおしてやったことはないからな。もっともたぬきはゆうべがくたいのまねをしてったがね。ははん。」

 ゴーシュはあきれてそのねずみをおろしてわらいました。

 するとねずみのおかあさんはきだしてしまいました。

「ああこのこはどうせびょうになるならもっとはやくなればよかった。さっきまであれくらいごうごうとらしておいでになったのに、びょうになるといっしょにぴたっとおとがとまってもうあとはいくらおねがいしてもらしてくださらないなんて。なんてふしあわせなどもだろう。」

 ゴーシュはびっくりしてさけびました。

「なんだと、ぼくがセロをひけばみみずくやうさぎのびょうがなおると。どういうわけだ。それは。」

 ねずみはかたでこすりこすりいいました。

「はい、ここらのものはびょうになるとみんなせんせいのおうちのゆかしたにはいってなおすのでございます。」

「するとなおるのか。」

「はい。からだじゅうとてものまわりがよくなってたいへんいいちですぐになおるかたもあればうちへかえってからなおるかたもあります。」

「ああそうか。おれのセロのおとがごうごうひびくと、それがあんまのかわりになっておまえたちのびょうがなおるというのか。よし。わかったよ。やってやろう。」

 ゴーシュはちょっとギウギウといとわせてそれからいきなりねずみのこどもをつまんでセロのあなのなかれてしまいました。

「わたしもいっしょについてきます。どこのびょういんでもそうですから。」

 おっかさんのねずみはきちがいのようになってセロにびつきました。

「おまえさんもはいるかね。」

 セロひきはおっかさんのねずみをセロのあなからくぐしてやろうとしましたがかおはんぶんしかはいりませんでした。

 ねずみはばたばたしながらなかのこどもにさけびました。

「おまえそこはいいかい。ちるときいつもおしえるようにあしをそろえてうまくちたかい。」

「いい。うまくちた。」

 こどものねずみはまるでのようなちいさなこえでセロのそこへんしました。

だいじょうさ。だからごえすなというんだ。」

 ゴーシュはおっかさんのねずみをしたにおろして、それからゆみをとってなんとかラプソディとかいうものをごうごうがあがあひきました。するとおっかさんのねずみはいかにもしんぱいそうにそのおとのぐあいをきいていましたがとうとうこらえきれなくなったふうで、

「もうたくさんです。どうかしてやってください。」

といいました。

「なあんだ、これでいいのか。」

 ゴーシュはセロをまげてあなのところにをあててっていましたらもなくこどものねずみがてきました。ゴーシュは、だまってそれをおろしてやりました。るとすっかりをつぶってぶるぶるぶるぶるふるえていました。

「どうだったの。いいかい。ぶんは。」

 こどものねずみはすこしもへんじもしないで、まだしばらくをつぶったままぶるぶるぶるぶるふるえていましたがにわかにきあがってはしりだした。

「ああよくなったんだ。ありがとうございます。ありがとうございます。」

 おっかさんのねずみもいっしょにはしっていましたが、まもなくゴーシュのまえてしきりにおじぎをしながら、

「ありがとうございますありがとうございます。」

とおばかりいいました。

 ゴーシュはなにがなかあいそうになって、

「おい、おまえたちはパンはたべるのか。」

とききました。

 するとねずみはびっくりしたようにきょろきょろあたりをまわしてから、

「いえ、もうおパンというものはむぎこなをこねたりむしたりしてこしらえたものでふくふくふくらんでいておいしいものなそうでございますが、そうでなくてもわたしどもはおうちのだなへなどまいったこともございませんし、ましてこれくらいおになりながらどうしてそれをはこびになんどまいれましょう。」

といいました。

「いや、そのことではないんだ。ただたべるのかときいたんだ。ではたべるんだな。ちょっとてよ。そのはらわるいこどもへやるからな。」

 ゴーシュはセロをゆかいてだなからパンをひとつまみむしってねずみのまえきました。

 ねずみはもうまるでばかのようになっていたりわらったりおじぎをしたりしてからだいじそうにそれをくわえてこどもをさきにててそときました。

「あああ。ねずみとはなしするのもなかなかつかれるぞ。」

 ゴーシュはねどこへどっかりたおれてすぐぐうぐうねむってしまいました。


 それからむいばんでした。きんせいおんがくだんひとたちはまちこうかいどうのホールのうらにあるひかえしつへみんなぱっとかおをほてらしてめいめいがっをもって、ぞろぞろホールのたいからきあげてました。しゅよくだいこうきょうきょくげたのです。ホールでははくしゅおとがまだあらしのようにっております。がくちょうはポケットへをつっこんではくしゅなんかどうでもいいというようにのそのそみんなのあいだあるきまわっていましたが、じつはどうしてうれしさでいっぱいなのでした。みんなはたばこをくわえてマッチをすったりがっをケースへれたりしました。

 ホールではまだぱちぱちっています。それどころではなく、いよいよそれがたかくなってなんだかこわいようながつけられないようなおとになりました。おおきなしろいリボンをむねにつけたかいしゃがはいってました。

「アンコールをやっていますが、なにかみじかいものでもきかせてやってくださいませんか。」

 するとがくちょうがきっとなってこたえました。

「いけませんな。こういうおおもののあとへなにしたってこっちののすむようにはくもんでないんです。」

「ではがくちょうさんて、ちょっとあいさつしてください。」

「だめだ。おい、ゴーシュくんなにてひいてやってくれ。」

「わたしがですか。」

 ゴーシュはあっけにとられました。

「きみだ、きみだ。」

 ヴァイオリンの一ばんひとがいきなりかおをあげていいました。

「さあきたまえ。」

 がくちょうがいいました。

 みんなもセロをむりにゴーシュにたせてとびらをあけるといきなりたいへゴーシュをしてしまいました。ゴーシュがそのあなのあいたセロをもってじつにこまってしまってたいるとみんなはそらろというようにいっそうひどくたたきました。わあとさけんだものもあるようでした。

「どこまでひとをばかにするんだ。よしていろ。インドのとらりをひいてやるから。」

 ゴーシュはすっかりちついてたいのまんなかました。

 それからあのねこたときのようにまるでおこったぞうのようないきおいでとらりをひきました。

 ところがちょうしゅうはしいんとなっていっしょうけんめいいています。ゴーシュはどんどんひきました。ねこがせつながってぱちぱちばなしたところもぎました。とびらへからだをなんべんもぶっつけたところもぎました。

 きょくおわるとゴーシュはもうみんなのほうなどはもせずちょうどそのねこのようにすばやくセロをもってがくへにげこみました。するとがくではがくちょうはじめなかがみんなにでもあったあとのようにをじっとしてひっそりとすわりこんでいます。

 ゴーシュはやぶれかぶれだとおもってみんなのあいだをさっさとあるいてってむこうのながへどっかりとからだをおろしてあしんですわりました。

 するとみんながいっぺんにかおをこっちへけてゴーシュをましたが、やはりまじめでべつにわらっているようでもありませんでした。

「こんやはへんばんだなあ。」

 ゴーシュはおもいました。ところががくちょうっていいました。

「ゴーシュくん、よかったぞう。あんなきょくだけれどもここではみんなかなりほんになっていてたぞ。一しゅうかんとおあいだにずいぶんげたなあ。とおまえとくらべたらまるであかぼうへいたいだ。やろうとおもえばいつでもやれたんじゃないか、きみ。」

 なかもみんなってきて、

「よかったぜ。」

とゴーシュにいいました。

「いや、からだがじょうだからこんなこともできるよ。ふつうのひとならんでしまうからな。」

 がくちょうむこうでいっていました。

 そのばんおそくゴーシュはぶんのうちへかえってきました。

 そしてまたみずをがぶがぶのみました。それからまどをあけて、いつかかっこうのんでったとおもったとおくのそらをながめながら、

「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれはおこったんじゃなかったんだ。」

といいました。

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