願い

日乃本 出(ひのもと いずる)

願い



 古ぼけたアパートの一室の中、一人の青年がほくそ笑んでいた。その手にはうすよごれた部屋とは不釣合いな、きらきらと金色に光るものがにぎられている。

 その光るものとは、ランプ。それもアラビアンナイトの物語にでてきそうな形のランプだった。

 もちろん、青年がこんな値がはりそうな品物を購入できるわけはない。

 だからといって、非合法な手段で手に入れたわけでもない。いつものように、コンビニのアルバイトからの帰り道に、ゴミ捨て場でなにか光るものがあるなと思って近寄ってみたら、このランプが捨ててあったのだ。これは値打ちものかもしれないぞとそれを拾い、意気揚々と帰ってきてそれを眺めているという次第。


「これはひょっとすると本当に値打ちものかもしれないぞ。大きさの割にはずいぶんとずっしりとした重みがあるし、ひょっとしたら金でできているのかもしれないな」


 だらしなくニヤついた顔で、しげしげとランプをなめるように見つめていると、ランプの側面になにやら文字のようなものが刻まれていることに気づいた。しかし、その部分だけ、ゴミ捨て場で汚れでもついたか、薄汚れていてよく読めない。

 いったい、何が書かれているのだろう。青年がシャツの袖口でランプをこすってみると、突然、ランプがブルブルと小刻みに震えだした。


「なっ、なんだっ?!」


 思わずランプを放り出す。ドスンッ! という重い音が床に響いたと思うと、それをきっかけにしてか、ランプからもくもくと黒煙が立ち上り、部屋の中に充満しはじめた。

 黒煙に視界をうばわれ何度か咳き込みはしたが、思いのほか黒煙はすぐに消え去った。

 やれやれ、いったいなんだったんだ、と床のランプを見やると、ランプの口元だけ黒煙が残っている。いや、残っているというより、口元からふきだしているといったような感じだ。

 青年はそのふきだしている黒煙の先に目をやった。すると、そこにはアラビア風の身なりをした筋骨たくましい男の上半身だけが宙にういていた。


「……どなたでしょうか?」


 この返事について、大方の予想はついているが、それでも青年はその上半身だけの男に聞いてみずにはいられなかった。


「俺はランプの魔人だ」

「バンザイ!! やっぱり人生こうでなくちゃいけない!! 今までは、貧相なその日暮らしの人生を送ってきたけど、これで逆転満塁ホームランだ!! パターンから考えると、あなたは願いを三つ叶えてくれるんですよね?」

「早合点をするな。確かに願いは叶えてやるが、三つではなく一つだけだ」

「そんな、ケチくさいことをいわずに、三つの願いにしてくださいよ」

「確かに、お前のいうように、昔は俺も三つの願いを叶えてやっていた。だが、三つとなると、一つ目と二つ目はすぐに願うくせに、最後の一つとなると、もったいないという気持ちが強くなってくるのか、なかなか願おうとしない。ひどい奴にいたっては、死ぬ寸前まで願わないやつもいた。そうすると、どうなる。考えてみろ。俺は様々な人間の願いを叶えてやるために存在しているのに、そんなみみっちい人間のせいで俺の仕事は滞ることになるのだ。それならばと、俺が願いを三つから一つにしたとしても不思議はあるまい。これなら一度願ってもらえれば、俺はすぐに別の人間の願いを叶えてやれる。正直に言わせてもらえば、忌々しい仕事ではあるが、俺はそのために存在しているのだから仕方がない」

「なるほど、確かにあなたのいうとおりかもしれませんね。今の時代は効率と回転率こそ求められる時代。実に理にかなっています。それに一つだけでも願いを叶えてもらえるだけでも幸運と思うべきなのかもしれませんね」

「そうだろう? よし、じゃあ納得したところで願いを一ついえ」


 魔人から促され、青年は考えた。だが、一つだけといわれてしまうと、かえってなかなか思いつかない。青年は容姿にあまり自信がなかったから、イケメンにしてくれと願おうと思ってもみたが、それもなにかもったいない気がするのだ。第一、イケメンになったとしてもこんな貧乏所帯では、結局何もできずに終わってしまうに違いない。じゃあ、何が必要だろう。そうだ、お金だ。今の時代、お金があればとりあえずなんとかなるし、なんでもできるに違いない。その証明に容姿に関しては整形という方法もあるではないか。青年は意を決して願った。


「それじゃあ、僕を死ぬまで遊んで暮らせるような大金持ちにしてください」

「悪いが、それはできない」

「どうしてですか? ははぁ、さてはあなたはそこまで魔力が強くないのですね。だからこそ、願いを叶えてくれる数も三つじゃなくて一つなんだ。それならそうと、早く言ってくれればいいのに」

「そういうわけではない。お前が望めば、世界を滅ぼすことだって造作もない力を俺は持っているのだ。そうだお前、試しに世界を滅ぼせと願ってみないか? そうすれば、俺のこの忌々しい仕事も終わりを迎えられる」


 魔人は自嘲気味に笑いながら青年にいった。


「イヤですよ。せっかくの幸運を不運に変えてしまうなんて誰が考えますか。しかし、どうして僕を大金持ちにできないのですか?」

「お前の願いは抽象的すぎるのだ。お前は死ぬまで遊べる財産を、という願いを望んでいるわけだが、お前がいつ死ぬかなど俺にはわからない。極論をいってしまえば、お前は明日にでも事故を起こして死ぬかもしれないのだ。それに遊ぶとはどのようなことを指すのかもわからない。だから、どの程度の財産をお前に与えてやればいいのか、判断ができないのだ」


 なるほど、確かに言われてみればそうなのかもしれない。青年はもう少し具体的な願いを口にした。


「それじゃあ、僕を世界一の金持ちにしてください」

「ふむ、そんなこと、おやすいごようだ。だが、その願いを叶えてやるにはいくつかの確認事項がある」

「確認事項、ですか?」

「うむ。まずひとつめだが、お前は世界一の金持ちになりたいとのことだが、それは現時点での世界一ということで問題ないのだな?」

「え? ええ、たぶん」

「たぶんなどという抽象的な言葉を使うな。もう一度聞くぞ、お前は現時点での、世界一の金持ちになりたいのだな?」

「はい。それで間違いありません」

「うむ。ではふたつめだ。お前はどの国の通貨で世界一の金持ちになりたいのだ?」

「世界一のお金持ちになれるのでしたら、どこの通貨だろうとかまいませんよ」


 青年の言葉に魔人は角ばった顔をくしゃくしゃにゆがめた。


「お前はそうかもしれないが、それではこちらが困るのだ。よく考えてみろ。たとえば、俺がドルを基準にしてお前の願いを叶えてやったとする。すると、どうなると思う」


 魔人の問いに、今度は青年のほうが顔をくしゃくしゃにした。


「すみません、わかりません」

「まったく、想像力のないやつだ。いいか、さっき言ったようにお前をドルを基準にして世界一の金持ちにしてやったとする。つまり、かなりの量のドルが世に流通することになるのだ。ということは、ドルが急激に増えたためにドルの価格が落ちてしまう。すると、他の通貨の金持ちの方がお前より金持ちになってしまうということが起こってしまうというわけだ」

「なるほど。世界の為替相場が変動してしまうのですね」

「そのとおりだ。だからそうならないように、お前が願った通貨が暴落しないように、他の通貨も大量に流通させなければならないのだ。つまり、お前が通貨を決めて願えば、その通貨以外をお前以上の金持ちができないようにバラまくことになる」

「ということは、僕が願えば僕以外の何人かの人間が、棚からぼた餅のような幸運にあずかってしまうということですか?」

「まあ、そういうことになるな」


 それを聞いて、青年はちょっと考えた。なんだか面白くないな。このランプを拾った幸運は自分のものなのであって、それを他の見ず知らずのやつにわけあたえてやるというのはどうにも気に食わない。しかし、そんな青年の葛藤など魔人は気にすることも無く、青年に答えを促してきた。


「さあ、どこの通貨で世界一の金持ちになるのだ?」

「ちょ、ちょっと待ってください。ここまで話を進めておいて勝手なことなのですが、願いを変えることはできませんか?」

「まだ願いを叶えてやっているわけではないからな。願いを変えたいのなら変えてもかまわないぞ」


 ありがとうございます、と頭をさげながら青年は持てる頭脳の全てをつぎ込んで熟考した。

 通貨がダメならば、他に何があるだろう? そうだ、金はどうだろう――いや、金も相場があるからきっとまたややこしいことを言われるに違いない。通貨もダメ、金もダメとなると他に何があるだろう……そうだ、宝石はどうだろう。それも、ダイヤモンドなんてどうだ。ダイヤモンドなら流通量うんぬんで価値が変わることはない。ダイヤモンドの価値はカラット数、つまり大きさでその価値が決まるのだ。青年は頭をあげ、自らの閃きに自信をもって魔人に願った。


「それじゃあ――」


 世界一の大きさのダイヤモンドをくれと言おうとして、青年はふと考えた。世界一の大きさといっても、それ一つだけで果たしてこれから一生遊んで暮らしていけるような価値があるのだろうか? そう思い不安になった青年は、願いにいささかの変更をくわえた。


「――宇宙一の大きさのダイヤモンドをください」

「うむ、お安いごようだ。ところで宇宙一といったが、それは現時点での――――」


 先ほどと同じような質問をはじめかけた魔人に対し、機先を制するように青年は言った。


「ええ、現時点での宇宙一で構いません。どうか願いを叶えてください」


 すると、魔人は浮かべていたしかめっ面をひっこめ、満面の笑みで何度も何度も青年に念押しをはじめた。


「宇宙一の大きさのダイヤモンドだな? 確かにそれでよいのだな? 本当にそれでよいのだな?」

「ええ、かまいませんよ。ですから早く願いを叶えてください」

「よし、わかった。お前の願いを叶えてやろう」


 魔人はそう言うと、両手を頭上に高々と掲げ、何やら呪文のような言葉をブツブツと呟いた。呟き終わると、掲げていた両手をおろし、パンッ! と胸の前で拍子を打った。


「これでお前の願いは叶えられた。一時間ほどで、お前の手元に宇宙一の大きさのダイヤモンドが届くことだろう」

「本当ですか?! ありがとうございます! ああ、これで僕の負け組人生も終わりを迎えるんだ! あなたにはいくら感謝しても感謝しきれません!」


 青年は力いっぱいに魔人の手を握り締め、ぶんぶんと上下に勢いよく振って感謝の念を示した。すると、魔人は、


「いや、感謝をするのはむしろこちらのほうだ。これで長かった俺の仕事も終わるのだからな」


 と言って、不敵な笑みを浮かべたかと思うと、その体を煙に変えてランプの中へと戻っていった。そしてそのランプも、まるで空気の中に溶け込んでいくように、ゆっくりとその姿を消していった。

 残された青年は、今までの出来事が現実か確かめるために、思いっきり自分の頬をつねってみた。


「痛い。ということは、これはやっぱり夢なんかじゃなくて現実の出来事なんだ! あの魔人は一時間後に宇宙一の大きさのダイヤモンドを届けてくれると言ってたけど、いったいどれくらいの大きさなんだろうな。人間の頭くらいの大きさかな? いや、宇宙一っていうくらいだから、この部屋に入りきらないくらいの大きさかもしれないぞ」


 青年は、宇宙一のダイヤモンドというのがどれほどの大きさかと想像し、心を躍らせながら今か今かと魔人との約束の時間がくるのを待ちかねるのだった…………。






 いっぽう青年が魔人に願いを願ったそのころ――――。


「いったい、何があったというんだ?!」


 某国の宇宙観測所の所長の怒号が所内に響き渡る。だが、その怒号すらをかき消すほど、所内は謎の天体の突然の出現によって騒然としていたのであった。


「ええい!! まずは報告しろ!!」

「は、はいっ! 火星付近に突如として出現した天体は、地球のおよそ四倍ほどの大きさをしており、その構成物質は、どうやら炭素の塊――すなわち、ダイヤモンドであると思われます」

「そのような天体がどうして急に出現したのだ?!」

「それはわかりません――ですが、たった一つだけわかっていることがあります……」

「それはなんだ?!」

「はい――なぜかはわかりませんが、その天体はものすごいスピードで地球へと迫っており、計算では、およそ一時間後に地球に衝突してしまうということが……」

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