600光年の誘拐

武智城太郎

600光年の誘拐

「河童の正体が、グレイ型エイリアンなのはよく知られてる」

 俺は敏夫さんの家の居間で、スケッチブックを片手に熱弁していた。例によって、聞き手は敏夫さん一人だけども。

「でも不思議なことに、天狗の正体がオリオン星人であることはあまり知られてないんだ」

「オリオン星って、オリオン座の?」

「そう。オリオン星は地球より五万年も科学技術が進んでて、地球から600光年離れてる」

「光の速さで600年か。気が遠くなるほど遠いね」

 敏夫さんは少し野暮ったい黒縁眼鏡越しに、俺が手書きしたスケッチブックの宇宙図に注目する。

 俺の理解者で幼馴染でもある、この年上の友人は実に心地良い合いの手を入れてくれる。おかげで俺の研究発表は、ますます熱っぽくなる。

「最も重要な言い伝えは、〝天狗 さらい〟だ。天狗が子供をさらい、その子供は何年後かにひょっこりと戻ってくる。いなくなった時の姿のままで。これはあきらかに相対性理論によるウラシマ効果だ」

「ああ、アインシュタインの」

「さらわれた子供たちは、みんな不思議な天狗の国に連れていかれたと証言してる。それはまちがいなく、科学技術の進んだオリオン星のことだ」

「そういう本が出版されてるの、ネットで見たことあるよ」

「こんな古い時代から、わが国でもオリオン星人による誘拐〝アブダクティ〟が行われていたんだ。おそらく歩美も……」

 ここで俺は言葉を詰まらせてしまう。

「何か飲み物持ってくるよ」

 敏夫さんが気を使ってくれて、居間を出る。

 俺の二つ下の妹の歩美は、7歳の時に行方不明になった。いつもと変わらない、ある晴れた日曜日に。突然、何の前触れもなく煙のようにだ。

 あれから13年。懸命な捜索を続けているにもかかわらず、いまだに見つかっていない。手がかりさえつかめていない。

 こんな現象は、とても人間の仕業とは思えない。そう考えるのが当然だろう。歩美は今も、遥か600光年離れたオリオン星に囚われているのだ。


 夕飯。いつものように、俺と両親の三人。静かすぎて、食器に箸が触れるかすかな音さえダイニングに響きわたる。歩美がいた頃は、あんなにいつも賑やかだったのに。

「和真、また敏夫君のとこに行ってたの? 近所だからって、あんまりお邪魔しちゃダメよ。あの子は仕事があるんだから」

 食事中の静寂を破るのは、いつも母の小言だ。

「基本、在宅ワークだから、そんなに忙しくないみたいだけど」

「そんなことないでしょ。いい大学出て、ITのプログラマーなんだから。お母さんも亡くなって一人暮らしなんだし。敏夫君、家のこともぜんぶ自分でやってるのよ。掃除も洗濯も」

「料理も外食よりほとんど自炊だって。お金持ってんのに」

「子供の頃から、大人しいけどしっかりしてる子だったからね。それで、あんたはちゃんと大学の勉強はしてるの? バイトばっかり行ってるみたいだけど」

 実際、俺はここ三カ月ほど倉庫の商品整理のバイトに勤しんでいた。まとまった金が必要だからだ。

「アメリカに行きたいんだ。むこうで、ちょっと勉強したくて」

「海外留学ってこと?」

「そんなに大げさなもんじゃないけど。アメリカのアブダクティ団体とネットで交流してるんだけど、直に話を聞きたくて」

「いい加減にしろ!」

 ずっと黙っていた父が、激昂して怒鳴り声をあげる。

「おまえはおかしくなってる! そんなことで、歩美が見つかったりするわけないだろう!」

 俺は立ち上がり、負けじとやり返す。

「じゃあ、何なんだよ! じゃあ、なんで歩美はいなくなったんだ!? エイリアンの仕業でないなら、他に何があるんだ!」 


 俺は夕飯を放り出して二階に上がった。自分の部屋ではなく、隣りの歩美の部屋に入る。

 いかにも少女っぽい、ファンシーな雰囲気。飾ってあるヌイグルミや小物は、彼女が好きだったデブ犬のキャラクターばかりだ。

 すべてが十三年前そのまま。机の上に出しっぱなしになってるノートや、カレンダーさえも。まるで時間が止まったように。まるで今でも、七歳の歩美がここで暮らしているかのように。

「…!?」

 俺は窓越しに、歩美の姿を見つける。家の前の道路にポツンと立っていて、じっとこの部屋を見上げている。七歳の姿のままで、服も行方不明になった日に着ていたものだ。

 衝撃でしばらく声も出せなかった。我に返り、震える手で窓を開ける。

 とたんに歩美は背をむけ、走り出してしまう。

「歩美!」

 大声で呼びかけるが、振りむきもしない。俺は階段を駆け下り、靴も履かずに家を飛び出した。

「やっぱりアブダクティだ!」

 必死で追いかけるが、すでに彼女の姿を見失っていた。

「どこだ! 歩美ーっ!」

 見慣れた家の近所で叫び声をあげる。とっくに日は落ちていたが、まだ大半の家の明かりは点いているし、外灯もある。俺は懸命に探し続けた。

 だが朝まで町中を駆けずり回っても、歩美は見つからなかった。

  

 俺はその足で、敏夫さんの家に飛び込んだ。

 二階の寝室で眠っていたところを起こしたみたいだが、俺のただならぬ様子を察して、すぐに居間で話を聞いてくれた。

「………」

 いつもは柔和な笑みを浮かべて俺の話に耳を傾けてくれる敏夫さんが、今日に限っては表情が芳しくない。半信半疑の険しい顔つきだ。

「信じてくれないんですか?」

「まあ…ありえないから」

「なんで? まさにアブダクティなのに! 妹は、オリオン星から帰ってきたんだ! 思った通りだ!」

「それが…ありえないから。あれはフィクションだよ」

 敏夫さんは気まずそうに告げる。

「そんな! なんで今さらそんなこと⁉」

「ごめん、和真君。それは…カウンセラーの人が、頭ごなしに否定するより好きに話をさせてあげたほうがいいって。そのほうが自分で矛盾に気づくからって…」

 俺はショックで口をつぐむ。敏夫さんは、俺をずっと病人だと思って接していたのか? 俺の理解者のような顔をして。

「!」

 そこへ、また歩美が姿をあらわした。今いる居間と続き部屋になっている台所に。すぐ目の前だ。物言いたげに、俺のことをじっと見つめている。

「和真君、どうしたの?」

 敏夫さんは俺のほうを向いていて、まだ背後にいる歩美の存在に気づいていない。 

「後ろ!」

 俺は歩美を指差す。

「え?」

 敏夫さんは振りむき、台所をジッと見つめる。それこそ、立ち上がって手を伸ばせば届くくらいの距離に歩美はいる。

 三十秒ほども経ってから、こちらに向きなおり、

「……何もないけど?」

「え⁉」

 俺は耳を疑った。

 敏夫さんは、これ以上はないくらいの困惑顔をしている。

 俺は初めて自分の頭を疑った。あれは幻なのか? 俺は狂ってるのか?

 歩美は踵を返し、台所を駆け出る。そして階段を駆けのぼる音。二階へ向かったのだ。

「ほら、この音! 階段を上る音!」

「……何も音なんか聞こえないよ」

 俺は立ち上がり、歩美の後を追おうとする。

「和真君!」

 敏夫さんに体をつかまれ、制止される。

「ちゃんとカウンセリングを受けたほうがいい!」

 俺は振りきり、階段を上る。二階は二部屋あり、敏夫さんの仕事部屋と寝室になっている。

 二階に着くと、まず仕事部屋のドアを開ける。誰の姿もなく、静まり返っている。この部屋は、俺が小学生で敏夫さんが大学生の頃によくお邪魔していた。たいてい最新のゲーム機とゲームソフトが目当てだったけど。自宅からわずか六軒隣りの近所だから、幼かった歩美もたまにいっしょだった記憶がある。

 次に、寝室のドアを開ける。やはり誰の姿もない。

「………」

 カタッとかすかな音、がしたような気がする。気のせいと言われても仕方ないほどの。天井裏からだ。

 俺は寝室に入り、収納スペースの扉を開ける。

 中に入ってるのは、敏夫さんが子供の頃に使っていたらしきもの。野球のグローブや古いオモチャの類。いっぱいには詰め込んでおらず、手前のスペースに余裕がある。上面はベニヤ板のようだが、一部の正方形の板がかすかにズレている。

 そこを軽く押してみると、上に押し上がる。ここから天井裏に上れるのだ。

 俺は収納スペースに入り込み、正方形の板を取り外して、頭を突っこむ。当然ながら天井裏は真っ暗で、何も見えない。

 カチッとスイッチが入る音がして、パッと周囲が明るくなる。

 裸電球が照らし出した空間は、簡易に改造された屋根裏部屋だった。布団やちゃぶ台、小さなタンス。最低限の生活必需品がそろっている。それに何に使うのかわからないが、動物用の首輪が柱に鎖で繋いである。

「‼」

 気配に気づいて振りむくと、歩美が目の前に立っていた。

 俺は小さな出入り口に擦りつけるように体をくぐらせて、屋根裏部屋に上る。俺の身長では、背を丸めないと立っていられない。

「きみは歩美だろ!」

 俺は少女に詰め寄り、肩に手をおく。Tシャツ越しに、薄い肉と小さな骨格をはっきりと感じ取れる。けっして幽霊ではない。600光年離れたオリオン星から、歩美が帰ってきたんだ!

 少女は俺を指差し、

「…あなた、お兄ちゃん?」

「そうだ! 和真だよ!」

 俺は思わず大声をあげる。

「おかあさんのお兄ちゃん?」

「……?」

 不意に、少女の顔色が変わったかと思うと、 

「里美!」

 背後で怒鳴り声が響く。

 振りむくと、一目で正気でないとわかる形相で敏夫さんが立っていた。手には出刃包丁。隣りの仕事部屋から上ってきたらしい。

「勝手に外に出たのか! 絶対にダメだって言っただろ!」

「敏夫さん。これは……」

 俺の言葉は耳に入っていないようだ。すぐ横を素通りして、少女に近づいていく。出刃包丁を握っている右腕を振り上げた。

 俺は反射的に少女を抱きかかえ、敏夫さんから離れた。硬く薄いもので、肩を引っ搔かれたような衝撃を受ける。切りつけられたらしいが、痛みは感じなかった。

 敏夫さんは血のついた出刃包丁を構えたまま、ジッと俺たちのことを見つめていた。

 何秒後か何分後か、敏夫さんは自分の首を出刃包丁の切っ先で搔き切った。血を噴き出し、声もなく前のめりに崩れ、床に血溜まりを作って事切れる。

「お父さん、死んじゃった?」

 少女は、驚くほど感情のこもらない声で尋ねる。

「うん」

 俺は冷え切った顔面に笑みを作り、

「これからは、もっと広くて明るい部屋で暮らせるよ」

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