終末のネクロマンサー

あぐたまんづめ

第1話

 玄関のドアを開けると、目の前に複数の死体が転がっていた。体にはハチの巣のような穴があき、そこからまだ乾いてない血があふれ、地面を濡らしている。


 虚木うつろぎは火薬と血の匂いに眉間にしわを寄せ、靴を汚さないように死体の間を縫って進んだ。家の前で行われた銃撃戦のおかげで睡眠不足だった。


 ぼんやりした頭を抱え職場へ向かっていると、路上の端に人影が見えた。


 男3人が何かを取り囲んでいる。

 下手に興味を示して絡まれるのも面倒だと思い素通りしようとした時、耳に入ってきた呻き声に反射的に顔を向ける。


 男たちの中心に、口にテープを貼られ、手錠で拘束された全裸の女が倒れていた。腰までたれた長い白髪が特徴的で、その白い体にはいくつもの痣がある。


(最悪なもの見せやがって)


 心の中で舌打ちをすると男たちに近づき、その内の一人の肩をつかんで注意した。


「抵抗できない相手にここまでやるなんて大人げないんじゃないか?」


「てめぇには関係ねーよ! 向こう行ってろ!!!」


 男は虚木の手を払いのけ、その肩を思いきり突き飛ばした。

 すると別の男が「まあ、待て」と仲間を牽制する。


「あんたも俺たちの仲間に加わりたいんだろう?」


「なんだと?」


「カッコつけないで素直になれ。ほら見ろよ、こぼれんばかりの乳とムチムチボディを。きわめつけに顔もすこぶる良い。こんな上玉めったにお目にかかれないぜ」


「ンン……」


 男は下卑た笑みを浮かべ、うなだれた女の髪を無理やりつかんで顔を上げさせた。


 顔が腫れて痛々しいが、端正な顔だちをしていることが見てとれる。西洋絵画に出てくる慈愛に満ちた表情で祈りをささげる女性のようで、聖域とさえ思わせる魅力が彼女にはあった。


 刺激に飢えた輩にとって高嶺の花を犯すことは背徳的な快感なのだろう。


「あんたもこいつを犯したくてたまらないんだろう? 条件しだいで考えてやってもいいぜ」


 男は親指と人差し指で輪を作る。「混ざりたければ金をよこせ」というジェスチャーである。


 虚木は心の中で「下衆が」と悪態をついた。


 この女の美しさと価値は認めても、欲に忠実な男たちとは同じ気持ちにはなれない。むしろ彼女に嫌悪感さえ感じていた。


 焦点の定まらなかった女の視線が虚木と重なる。

 すると何か訴えたいのか拘束された体を揺さぶり、声にならない叫びを発した。


「ンーーッ! ンン……!!」


「黙っとけ! 暴れると殺すぞ!!」


「ン゛!!!」


 男が女の顔を地面に容赦なく叩きつけた。


 その瞬間、虚木の目の色が変わる。その男の後頭部を、しょっていた刀袋で殴打した。

 地面に沈んだ仲間と虚木を交互に見た男たちの表情が、驚きから怒りに一変する。


「クソガキがっ…やってくれたなぁ! 生きて帰れると思うなよ!!」


 虚木はとっさに目についたゴミ箱を襲いかかる男たちに向かって蹴飛ばした。

 彼らはつまずきそうになり、情けない声をあげる。


「うわっ――」


 ゴミ箱に注意を向けてしまった二人の運命は、すでに倒れている仲間と同じものだった。

 虚木は男たちの死角に回りこみ、各々の頭に刀袋を振り下ろした。


 気絶した男たちを見届けた後、一部始終をながめていた女のもとに駆けより、口のテープと手錠を解いた。「足は折れてないようだが、立てるか?」とたずねると、女はコクリとうなずき立ち上がる。


「あの……ありがとうございます」


 自身のスーツの上着をかぶせてやると、女は感謝を伝えた。


「この地域は犯罪組織が縄張り争いをしていて治安が悪い。これに懲りたらもう二度とここへは来るな」


「まって――――」


 そう言って女が虚木の腕をつかんだ瞬間、彼の体がビクリと痙攣する。


「さわるなっ!!!」


 とつぜんの拒絶に女は驚きに目を見開く。

 虚木は自身の震えをおさえるように顔を手で覆い、告げた。


「――悪い。俺にできることはここまでだ」


(最低限のことはした。これ以上、彼女とかかわる必要はない)


 自分に言い聞かせて立ち去ろうとした時、路地裏から投擲されたレンガが、虚木のこめかみに直撃した。ぐわんぐわんと脳内がシェイクする。


「ぐっ――!」


 その場に倒れそうになるのを片膝でもちこたえる。裂けた額から血がにじみ、ポタポタと地面に落ちた。


(くそっ! もう一人いやがった)


 立ち上がろうとした体が蹴り飛ばされ、立つどころか後方へと吹っ飛ばされた。


 路地裏から現れたのはスキンヘッドの強面な男。威圧感がすさまじく、地面でのびている男たちとは段違いに危ない印象だ。


「おう坊主、俺の後輩によくも手ぇあげやがったなぁ。どこの組織のもんだ、答えろ」


 そうは言うものの、答えさせる気のない殺意のこもった蹴りが何発も入る。ゴキンと骨が折れる音がしても、表情一つ崩さない。それどころか楽しんでるようだ。


 何度かの蹴りのはずみで虚木の体があお向けになった時、スキンヘッドはあることに気づいた。


「灰色のネクタイ……なんだ、お前も『鼠』かよ。他の組織のやつならぶっ殺してたんだけどよお。命拾いしたな」


 興が冷めたようにため息をつく。スキンヘッドのネクタイも灰色だった。


「それにしては見ない面だ。新入りか?」


「……雇われ用心棒だ」


「組織を転々としているコウモリ野郎がウチに来たって噂は耳にしていたが、まさかお前のことだったとはなぁ」


 スキンヘッドは虚木の頭をグリグリと踏みつけながら、あざ笑う。


「そうそう。もう一個、面白いネタがあるんだけどよぉ。お前、女性恐怖症なんだって? なのに女を守るためにナイト気取りってか。面白いジョークだなぁ、おい」


「……っせぇ」


「あ゛? 何か言ったかチキン野郎」


「いつまで人の顔に足置いてんだ、ハゲ。臭くてかなわねー」


「女にビビッてるやつがイキがってんじゃねぇ――よっ!」


 虚木の頭をボールのように蹴りとばす。


「ぁ……がっ――」


 衝撃で先ほどレンガが当たった額の傷が、さらにパックリと開き、血があふれる。


「後輩を可愛がってくれた礼はたっぷりしなくちゃなあ?」


 スキンヘッドはそばにある皮製の刀袋を発見し、いたずらを思いついたようにニタリと笑う。


「刀の切れ味がどれ程のものか試してやるよ。お前の腕でな」


 しかし刀袋を拾い上げた時、ある違和感に気づいて舌打ちする。


「おいおい、カラッポじゃねーか」


「えいっ」


ザクッ――


 殺伐とした空気に似合わない、鈴を転がしたような声に、スキンヘッドも虚木も注目する。


「よいしょっ」


ザクッ――


 スキンヘッドの思考が一瞬、停止し、その手から刀袋がするりと落ちた。彼は目の前で行われている光景に目を疑った。


「……何やってる」


 地面に倒れている仲間の胸に刀を突き刺す人物に、スキンヘッドはややうわずった声でたずねた。


「ああ…これ? トドメを刺してるところだよー」


 白い女は顔に返り血を浴びながら、ほほえんだ。曇りのない笑みは天使のように美しく、不気味だった。


 もう一人はすでに息絶えていた。現在刺されている男も大量の血を流し、時間の問題だ。

 男が最後の力をふりしぼってプルプルと手を動かすが――


ザクリ――


 最後の一撃が、無慈悲にも心臓を突き刺し、男の手がそれ以上動くことはなかった。

 その死に顔に女がそっと口づけをしたので、虚木とスキンヘッドはギョッとする。


「おいっ――!」


「ざんねんだけど、もう手遅れ。この人たちすでにボクの"子ども"なんだよねー」


「何をわけのわかんねぇことを――」


 女の奇行は続き、今度は歌い出した。甘く透き通る美しいソプラノで。


(子守唄…か? 日本語でも英語でもない。どこかで聞いたことがあるような…懐かしい不思議な気分だ)


 虚木は痛みを忘れ、その歌声に聞きいっていた。


 暖かいひだまりの中で、母に抱かれる赤子とはこのようなものだろうか。


 荒れていた心がおだやかになる。

 人生の中でこんな心地いい気持ちになったのは、生まれて初めてだった。


「クソアマがぁああああ!!!」


 つかの間のやすらぎは怒声でかき消された。


 最初はひるんでいたスキンヘッドだが、彼の怒りはそれ以上のものだった。


 虚木には目もくれず、女に襲いかかる。仲間の命を奪った彼女を残虐の限りを用いて殺してやろうと。


 それでも女は笑みを絶やさない。絶対的な勝利を確信しているように。


 美しい旋律が止まる。彼女の瞳が深紅に染まり――


『――さあ、起きて。食事の時間だよ』


 天使の歌声が悪魔のささやきへと変わる。


「ぎゃあっ――――!!!」


 女の首に手がかかりそうなすんでのところで、スキンヘッドの首に死んでいたはずの仲間が喰らいついた。スキンヘッドは悲鳴を上げ、その場に倒れる。


「なっ…お前ら、なんでっ…やめ、やめろ! やめっ――ぎゃあああ!! 痛えっ痛えよおお!!!」


 必死の形相で仲間を引きはがそうとするが、追打ちをかけるようにもう一人が足に喰らいつく。


「ぎぃっ!!! ぐっ、ちくしょう……! この――」


 スキンヘッドは彼らの髪をむしったり、目を潰したり、殴ったりと死にものぐるいの抵抗を続ける。しかし彼らは決して離れず、生きている仲間の皮膚を噛みちぎり、血肉をむさぼりつくす。


 およそ人の行為にあらず。理性をもたない獣そのものだった。


「……まるでゾンビだ」


「ピンポン! 正解したキミにはお姉さんのキッスをプレゼント~。あ、死体と間接キスになるから、さすがにイヤだよね。じゃあ次の機会までおあずけってことで」


 この惨状を作りあげた女は無邪気に笑う。咀嚼されていく男を前にして、あまりにも無邪気だった。


「お前、何者だ」


 虚木はおそるおそるたずねる。未知への恐怖を抱きながら。


「ボクはエリス。ネクロマンサーやってます♡これから『鼠』ブッ壊しに行く用事あるんだけど案内役死んじゃったし、代わりにキミがアジトに連れてってくれない?」


 ――これが虚木とエリスのはじめての出会い。

 青空のようにすがすがしい狂気をまとった女によって、彼の人生が大きく変わることを、この時はまだ知らない。

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