因習島村民大狂宴
目々
贄にはアロハがよく似合う
べたりと青く塗り潰された空を蹂躙するように太陽が照っている。
獰猛な日射しの中、何度目かも分からない乾杯が響く。喚きたてる笛の音と心音を刻むようなコンガの音が、夏の茹だるような熱気に揺蕩う。
大輪の赤い花が咲き乱れる洞窟の前、広場には老若男女が車座になって飲み騒いでいる。
「今連絡入れたでよ、それまではここにある酒飲んどいてくれや」
酒瓶を無造作に数本俺たちの前に置いて、ショウさんがにっかりと歯を剥いて笑った。
「すぐ外から来た人だって分かったよお。島の若いやつとは違うなってほら、一目で」
「やっぱ見慣れない顔、みたいな目立ち方しますか」
「それもまあちょっとはあるけど、ここまで酔ってたら顔はね、どんでもいいから」
男は赤くなった顔にへらへらとした笑みを浮かべて、友人のマサキと俺を順繰りに指さした。
「そのさあ、赤いアロハよ。あれだべ、船降りて観光案内のシマさもらったべ」
その言葉に、船着き場でこちらに満面の笑みを浮かべて手を振っていた大男のことを思い出す。何事かと思ったが役所の観光課の人間だと名乗った彼の白いアロハの胸元には、確かに島崎だか嶋原だかの名札が留められていたような気がする。
「貰ったんで民宿行ってから着たんすよ。あれっすか、ノベルティみたいな感じですかこれ」
浮かれた調子でまくし立てて、マサキは意味もなく片手を太陽に透かす。持ち上げた片腕、赤いアロハの袖が熱風を孕んで膨らむ。
掌は歌のようにうまく透けずに黒々とした影になった。
「ノベルティっていうかあれよ、旅行者用。そのアロハはよ、今年のお客さんにしか着せねえからよ。貴重よ。お客さん滅多に来ないものここ」
なんせ田舎だからねえと明るい調子で言って、ショウさんはまた一息で酒を干す。そのまま手酌で自分の杯に注いだかと思うと、俺たちの方をじっと見た。
「出しなさいよ。注ぐから」
「あの、まだ入ってるんで」
「じゃあ飲みなさい。お客さんなんだから、飲んでもらわないとね、困るからね」
優し気な声の中に有無を言わせぬ圧力を感じて、俺とマサキは顔を見合わせてから慌てて杯を干す。そのまま差し出せばショウさんは満足げに何度か頷いて、豪快に酒を注いでくれた。
酒宴の輪の中にはひっきりなしに誰かが歩み出ては流れる音楽に合わせて踊っている。神楽のようでもありそれにしては滑稽で扇情的な曲調のそれは、この酒盛りがただの宴会なのか祭なのかの判断を難しくしている。神楽だとすれば輪の中心で踊っているのもれっきとした舞手なのかもしれないが、いかんせん浮かれたアロハや柄シャツや半裸の野郎どもがよろつく足で踊っているばかりなのでよく分からない。
ふと視界に影が差した気がして、俺は振り返る。
いつの間にか女性が一人、背後に立っていた。
年の頃は俺たちより少し上だろうか。よく日に焼けた肌は、健康的な褐色だった。瞠られた目は大きく、白眼が青みがかっている。
その双眸で座り込んだ俺たちをしばらく眺め下ろしてから、赤い唇に笑みが浮かんだ。
女性は黙ってマサキの空になっていた盃を奪い取る。酒をどぷどぷと注ぎ入れ、ぐいと差し出した。
「あ──ありがとう、ございます」
マサキは狼狽えながらも杯を受けとり、軽く頭を下げてから口をつける。
周囲からどよめきに似た喝采が上がった。
そのままマサキが一息に飲み干せば盛大な喚声と指笛が鳴り渡り、べたつく熱気が増したように感じられた。
「どなたですか今の」
「サヨちゃん。お客さん方運がいいねえ」
「いいんですか」
ショウさんは何やら嬉し気に手元の酒を飲み干しては同じことを繰り返すばかりで、説明はどうやらしてもらえそうにないと俺は諦めた。
女性は現れた時と同様に忽然と姿を消していた。
一斉に盛り上がりマサキを取り囲み始めた周囲を見て、俺はふと胸に浮かんだ疑問を口にした。
「この時期の客ってのは、その、何かあるんですか」
「何? ……毒なんか盛ってないよう。飲んでくれないと悲しいよおじさんは」
ショウさんが大仰に眉毛を下げる。俺は慌てて首を振った。
「そうではなく──その、民宿でも思ったんですけど、歓待が尋常じゃないなって」
そもそもこの酒盛りに参加したのも民宿の宿主から勧められてのことだった。
いい感じの海辺と洞窟があるからその辺で飲んでる連中が居たら飲んでくればいいですよお客さんなら大歓迎だ──そんないい加減な案内をアロハに着替えた途端に投げつけられて、そのまま信じる方がどうかしている。それでも他に客がいないせいか執拗な勧誘に空恐ろしいものを感じて、半信半疑ながらも宿を出た。そうして散策がてら歩き回っていたら笛の音や喚声が聞こえてきたのだから、何もかもが信じられないような気分だった。
本当に昼間からその辺の空き地で宴会を始めている人間がいるということも、そこに躊躇なく招き入れられたことも俺にとっては驚きだった。
気候が温暖だと頭も温かくなるのだろうかと寒冷地に育った人間らしく卑屈なことを考えた俺を置いて、マサキは真っ先に酒盛りの輪へと突撃していった。
その結果、二人とも酒杯を渡され輪に取り込まれて今のような状況に至るのだから、悪口を言えた立場ではない。日射しと酒に頭が煮えたという言い訳は通るのだろうかと考えて、そもそも誰に対しての弁解なのかを悩もうとして諦めた。
「さっきも言ったけども、旅行客が滅多に来ないからって歓迎してるとこもあるねえ……お前さん方なんで来たのこんな辺鄙な場所」
「観光です」
「観光ってこの島なんもないよお。酒と魚は美味いけど、それだって目玉になるかっていったらってねえ」
「俺ら大学生なんですけど、サークルの先輩が去年ここの島来たんですよ。二年の夏休みなんてただ暇なんで、じゃあちょっと豪勢にあったかいとこ行こうぜって友達と」
去年の夏休み明けにどうかと思うくらいに日焼けして帰ってきたサークルの先輩は、休み明けの九月にもなって濃紺のアロハを着たまま海鮮せんべいを配って歩いていた。
そのあまりな浮かれ具合と海鮮せんべいの意外なうまさが忘れられず、俺とマサキは暇を持て余す二年生の夏休みにバイトで貯めた軍資金などを放り出して能天気な旅行へと繰り出したのだ。
「ああ去年来た人ん知り合い。そりゃあありがたい……」
ショウさんは拝むように何度か頭を下げてから手にしていた酒を干し、自身の杯に注いでからじっと俺の方を見る。俺は慌てて手元の杯を飲み干してから差し出せば、容赦なくどぶどぶと勢いよく酒が注がれた。
強い酒だ。風味としてはラムに近い気がするが、それにしても甘い。
「観光ったってなあ。都会の人喜ぶような話、あんまないからなあ」
「こうやって酒盛りに混ぜて頂いただけでも十分ですけどね。いつもこう、賑やかなんですか」
ショウさんはゆるゆると首を振った。
「いつもここまで集まんないよ。やっぱりね、お客さん来るって船のやつから連絡があったから、じゃあなんとなく歓迎の祭りみたいなことやるべいかって話になった……けどみんなめんどくさくなっちゃって酒飲んで騒いでるってのがね、今だから」
音楽は絶えず流れ、笑声も絶えることはない。ときおりどっと歓声が弾け、宴はまだ終わりそうにない。
また輪の中央に濃い緑のアロハシャツを着た男が躍り出て、ふらふらと踊りめいた動きをしている。
そういえばこれだけ人間がいるのに赤いアロハは俺とマサキしかいないのだなと益体もないことに気づいた。先程ショウさんが言っていた、旅行者だけの特典のようなものなのだろうか。
「祭り、あるんですか」
「あるよお。酒飲んで踊って盛り上がる口実はみんな好きだもの」
「口実」
オウム返しに固まる俺が愉快だったのか、ショウさんは口の端を吊りあげて続けた。
「一応ねえ、由来はあんのよお祭りの。あの岬と洞窟とかね、そんなの」
太い指で指された先、黒々とした穴の周囲には見たことのない大輪の赤い花が咲き乱れている。
「あそこの穴一本道でね、中に道あるんだけどずっと抜けるとねえ、崖んなってんのよ。断崖絶壁っていうか、海に真っ逆さま。だから人入れてからあの入り口塞いじゃえばあれよ、風通しのいい牢屋よな」
あそこで昔女が死んだんだよとショウさんは続けた。
昔々、島に訪れた旅人が村の巫女と恋に落ちた。当然島の人間はそれを許さず、男を捕まえ巫女を洞窟へと閉じ込めたのだという。
爪のような月が空に昇った夜に男は島から逃げ出し、巫女は捨てられたことを悟り海に身を投げた。
「なんもねえ、その後はあれよ、天変地異でどんがらがっしゃん」
「どんがらがっしゃんですか」
「一応ね、島長と神主がすごい人にどうすべいやって聞きに行って……まあ、お祭りをね、やるようになったから。島民みんな賑やかに騒いで巫女も満足してめでたしめでたし」
だから俺らこうやってのうのうと酒が飲めるんだなあとショウさんは酒杯を空けてからへらへらと笑った。
俺は杯にちびちびと口をつけるふりをしながら、周囲をぼんやりと見回す。
晴れ渡る空は作り物じみて青く、日射しは剥き出しの首筋を焦がす。
人々は弛緩した表情で酒を酌み交わし、よろめくように踊り、悪ふざけのように演奏は続いている。
楽園という言葉がふと浮かんで、俺は苦笑する。こんなに俗な楽園があってたまるものか。
わあっと歓声が上がる。酔いのせいでふらつく視界にどうにか力を込めて、俺は声の方へと視線を向ける。
女性が一人、迷いのない足取りで輪の中心に歩み出た。
伸びた背筋と横顔の鋭さが、彼女自体を刃物のように見せていた。
剥き出しの肩は艶やかな褐色。肩口で切り揃えられた髪は黒々と日射しに映える。
その手に握られた斧は無骨ながらもどういうわけか彼女にはひどく似合って見え、周囲の連中も誰一人としてその凶器を気にしている様子はなかった。
褐色の腕がしなる。踏み出した脚は一定のリズムを保って優雅に地を叩く。
それまでの連中とは明らかに違う、それほどに正しい『舞踏』だった。
靭かな脚が舞うたびに、衣服の裾が華やかに広がっては纏いつく。鮮やかな足捌きと共に彼女は片手に手にした大斧を軽々と振り回し、分厚い刃が日にぎらつくたびに悲鳴に似た風切り音が熱風を劈いた。
さしずめ斧舞とでも言うべきだろうか──華麗とも無骨とも分からない異様な舞を、俺は呆然として眺めていた。
「酒があって音楽があったらねえ、みぐせえ野郎がへろへろ与太つくよりか綺麗な子が踊った方がそりゃ巫女もお喜びだよ。死んでりゃ尚更」
「神楽みたいなものですか」
「そうなんかね。まあ盛り上がるからいいんでねえの」
「何で斧を……」
「ああ、ミヤちゃん力持ちだから」
神主さんとこの娘さんだよと言ってショウさんはこれ見よがしに酒瓶を振る。俺は空のままにしていた酒杯を差し出す。
神主というのは先程の昔話に出てきた人のことだろうかと考えて、少しくらりと視界が揺れた。酔いが回ってきたようだ。
「あの人、さっきマサキに酒注いでくれた人ですか」
「いや、あれはサヨちゃんの方。妹だよ」
「どうして……どうして刃物をってとこ、聞いてもいいですか」
「剣舞みたいなもんなんでない? あるでしょ剣舞。そんで見映えがいいもの。おっきい刃物だと尚更」
彼女──ミヤが軽々と斧を振るたびに、凶暴な日差しに刃が煌めく。
軽やかな足取りと共に周囲の伴奏も歓声もいや増していき、酒のせいもあるのだろうがひたひたとした熱狂が満ちていくのが肌で分かった。
くるりくるりと回る度に衣装の裾が翻る。照りつける日射しに肌が光る。
その最中、彼女の黒々とした目がこちらに向けられているような気がして、俺は何となく目を伏せた。
「──よし」
覚えのある声が聞こえて、俺は咄嗟に首を向ける。
どれほど飲まされたのか、首筋をうっすらと赤く染めたマサキは据わった目でミヤを見つめて、何を思ったか一息に酒盆を飲み干す。
そのまま立ち上がってよろつく足で輪の中心へと歩み出せば、いよいよ周囲から叫ぶような歓声が上がった。
ミヤが差し伸べた手をマサキは躊躇なく取った。
そのまま二人は踊り始める。酩酊した足取りのままよろめくマサキの周囲を、ミヤは微笑んだままくるくると回る。
周囲の熱狂そのままに、演奏は激しさを増していく。笛の音は嬌声のように、鉦は合図のように打ち鳴らされる。
やがてマサキはゆっくりと跪く。
その周囲をミヤは何度か軽やかに周り、背後に立った途端に、手にした斧を振り上げる。
揺れた髪の合間に、重たげなイヤリングがぎらりと日を跳ね返して覗く。
艶やかな褐色の腕が踊るように振られる。
マサキの首はごろりと横に落ちて、少し遅れて胴体が前のめりに倒れた。
「島の掟だでなあ。さっき話したろ、旅人と巫女。島長と神主さんもね、やっぱり生贄って便利だって教わってきたから……今年は旅人の男の番なんよ」
来年になったら島一番の美人が行くでなとショウさんが歯を剥いて笑う。
いつの間にか肩に置かれた手に力が籠もる。日射しに熱されて立ち上る血の匂いに酒と人いきれが混じり、俺は咳き込む。
目の前に影が差す。
顔を上げれば双子の一方──サヨがにこにこと屈託のない笑みを浮かべて、とっくに空になっていた杯を俺の手から取り去る。そのままどぷどぷと注いで、目の前に酒杯を差し出す。
受け取った酒杯には酒が波打つ。表面には鏡のように周囲の景色が映り込んでいる。
島の凶暴な日差しと共に映り込む俺の顔は見たこともない形相で、もしかしたらこれが死相というものなのかもしれないと思った。
因習島村民大狂宴 目々 @meme2mason
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