うん10年前。授業であったとに、担当の教師が論いこき下ろしていたことを印象深く覚えております。
うん10年ぶりに読んでみて、はたして太宰治はなにを目的としてかいたのだろうか、と考えさせられました。
「義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。」
それが核(テーマ)となっているようですが。
当時の太宰治がどのような状況にあり、どのような心情にあったのか、ということになるのでしょうが。
そして、当時の読者はどうおもい、現在の読者はどうおもうのか、気になりました。
私がおもうのは、『桜桃』とおなじではないか、ということ。
メロスは派手で賑やかで、桜桃は地味でしみったれたかんじではありますが、ちがいは表層だけであって、中身はかわらない。そう感想をもちました。
さて、あなたはどう読まれましたか?
小学生(中学生?)のときに読んだまま読み返すことのない小説、というのはよくあります。話の内容はわかっているし、当時は道徳的な匂いのするものは繰り返し読む、ということはありません。
今回カクヨム近代文学館のひとつに「走れメロス」が収録され、ちょっとした空き時間に一気にいけるかな、と思い、たいした思い入れもなく読み出しました。
素晴らしかった。まさに走り切った。気の迷い、誘惑、障害、さまざまな困難が登場し、あやうく飲み込まれそうになりながらも、ゴールに達するさまは、まるで映画を見ているような気持ちになりました。
あれ? こんなに面白かったっけ?
小さい頃に読んで、筋を覚えている話、というのは、実はすごく面白いものなのではないか? だって、筋も覚えていない話は無数にあるのだから。