富嶽百景
太宰治/カクヨム近代文学館
富士の頂角、
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はっきり、よく見える。小さい、真っ白い
昭和十三年の初秋、思をあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。
御坂峠、海抜千三百メートル。この峠の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、
井伏氏は、仕事をしておられた。私は、井伏氏のゆるしを得て、当分その茶屋に落ちつくことになって、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合っていなければならなくなった。この峠は、甲府から東海道に出る
私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経って、井伏氏の仕事も一段落ついて、ある晴れた午後、私たちは
その翌々日であったろうか、井伏氏は、御坂峠を引きあげることになって、私も甲府までおともした。甲府で私は、ある娘さんと見合いすることになっていた。井伏氏に連れられて甲府のまちはずれの、その娘さんのお家へお
「おや、富士」と
井伏氏は、その日に帰京なされ、私は、ふたたび御坂にひきかえした。それから、九月、十月、十一月の十五日まで、御坂の茶屋の二階で、少しずつ、少しずつ、仕事をすすめ、あまり好かないこの「富士三景の一つ」と、へたばるほど対談した。
いちど、大笑いしたことがあった。大学の講師か何かやっている
「どうも俗だねえ、お富士さん、という感じじゃないか」
「見ているほうで、かえって、てれるね」
などと生意気なこと言って、煙草をふかし、そのうちに、友人は、ふと、
「おや、あの
「富士見
「ばか言うなよ。
「いや、いや。脱俗しているところがあるよ。歩きかたなんか、なかなか、できてるじゃないか。むかし、
私が言っているうちに友人は、笑い出した。
「おい、見給え。できてないよ」
能因法師は、茶店のハチという飼犬に
「だめだねえ。やっぱり」私は、がっかりした。
乞食の狼狽は、むしろ、あさましいほどに右往左往、ついには杖をかなぐり捨て、取り乱し、取り乱し、いまはかなわずと退散した。実に、それは、できてなかった。富士も俗なら、法師も俗だ、ということになって、いま思い出しても、ばかばかしい。
「それは、かまいませんけれど」私は、苦笑していた。「それでは、君は、必死の勇をふるって、君の仲間を代表して僕を偵察に来たわけですね」
「決死隊でした」新田は、率直だった。「ゆうべも、佐藤先生のあの小説を、もういちど繰りかえして読んで、いろいろ覚悟をきめて来ました」
私は、部屋のガラス戸越しに、富士を見ていた。富士は、のっそり黙って立っていた。偉いなあ、と思った。
「いいねえ。富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。よくやってるなあ」富士には、かなわないと思った。念々と動く自分の愛憎が恥ずかしく、富士は、やっぱり偉い、と思った。よくやってる、と思った。
「よくやっていますか」新田には、私の言葉がおかしかったらしく、
新田は、それから、いろいろな青年を連れて来た。皆、静かなひとである。皆は、私を、先生、と呼んだ。私はまじめにそれを受けた。私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまずしい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生と言われて、だまってそれを受けていいくらいの、苦悩は、経て来た。たったそれだけ。
「モウパスサンの小説に、どこかの令嬢が、貴公子のところへ毎晩、河を泳いで
「そうですね」青年たちも、考えた。「海水着じゃないでしょうか」
「頭の上に着物を載せて、むすびつけて、そうして泳いでいったのかな?」
青年たちは、笑った。
「それとも、着物のままはいってずぶ
「いや、令嬢のほうで、たくさん
「そうかも知れないね。外国の物語の令嬢は、勇敢で、
「ありますか」青年たちも、眼を輝かせた。
路を歩きながら、ばかな話をして、まちはずれの田辺の知合いらしい、ひっそり古い宿屋に着いた。
そこで飲んで、その夜の富士がよかった。夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰っていった。私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だった。富士が、よかった。月光を受けて、青く透きとおるようで、私は
富士に、化かされたのである。私は、あの夜、
吉田に一泊して、あくる日、御坂へ帰って来たら、茶店のおかみさんは、にやにや笑って、十五の娘さんは、つんとしていた。私は、不潔なことをして来たのではないということを、それとなく知らせたく、きのう一日の行動を、聞かれもしないのに、ひとりでこまかに言いたてた。泊まった宿屋の名前、吉田のお酒の味、月夜富士、財布を落としたこと、みんな言った。娘さんも、
「お客さん! 起きて見よ!」かん高い声である朝、茶店の外で、娘さんが絶叫したので、私は、しぶしぶ起きて、廊下へ出て見た。
娘さんは、興奮して
「いいね」
とほめてやると、娘さんは得意そうに、
「すばらしいでしょう?」といい言葉使って、「御坂の富士は、これでも、だめ?」としゃがんで言った。私が、かねがね、こんな富士は俗でだめだ、と教えていたので、娘さんは、内心しょげていたのかも知れない。
「やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ」もっともらしい顔をして、私は、そう教えなおした。
私は、どてら着て山を歩きまわって、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとって来て、それを茶店の
「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお
ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合うと、思い込んだ事情があったからである。御坂峠のその茶店は、いわば山中の一軒家であるから、郵便物は、配達されない。峠の頂上から、バスで三十分ほどゆられて峠の
河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶店に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布を着た青白い端正の顔の、六十歳くらい、私の母とよく似た
老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草」
そう言って、細い指でもって、
三七七八メートルの富士の山と、立派に
十月のなかば過ぎても、私の仕事は遅々として進まぬ。人が恋しい。夕焼け赤き
「おばさん! あしたは、天気がいいね」
自分でも、びっくりするほど、うわずって、歓声にも似た声であった。おばさんは
「あした、何かおありなさるの?」
そう聞かれて、私は窮した。
「なにもない」
おかみさんは笑い出した。
「おさびしいのでしょう。山へでもおのぼりになったら?」
「山は、のぼっても、すぐまた降りなければいけないのだから、つまらない。どの山へのぼっても、おなじ富士山が見えるだけで、それを思うと、気が重くなります」
私の言葉が変だったのだろう。おばさんはただ
ねるまえに、部屋のカーテンをそっとあけてガラス窓越しに富士を見る。月のある夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立っている。私は
朝に、夕に、富士を見ながら、
富士にたのもう。突然それを思いついた。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、そんな気持ちで振り仰げば、寒空のなか、のっそり突っ立っている富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して
そのころ、私の結婚の話も、一
「それで、おうちでは、反対なのでございましょうか」と、首をかしげて私にたずねた。
「いいえ、反対というのではなく」私は右の手のひらを、そっと卓の上に押し当て、「おまえひとりで、やれ、というぐあいらしく思われます」
「結構でございます」母堂は、品よく笑いながら、「私たちも、ごらんのとおりお金持ではございませぬし、ことごとしい式などは、かえって当惑するようなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます」
私は、お辞儀するのも忘れて、しばらく
かえりに、娘さんは、バスの発着所まで送って来てくれた。歩きながら、
「どうです。もう少し交際してみますか?」
きざなことを言ったものである。
「いいえ。もう、たくさん」娘さんは、笑っていた。
「なにか、質問ありませんか?」いよいよ、ばかである。
「ございます」
私は、何を聞かれても、ありのまま答えようと思っていた。
「富士山には、もう雪が降ったでしょうか」
私は、その質問に
「降りました。いただきのほうに、──」と言いかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。へんな気がした。
「なあんだ。甲府からでも、富士が見えるじゃないか。ばかにしていやがる」やくざな口調になってしまって、「いまのは、愚問です。ばかにしていやがる」
娘さんは、うつむいて、くすくす笑って、
「だって、御坂峠にいらっしゃるのですし、富士のことでもお聞きしなければ、わるいと思って」
おかしな娘さんだと思った。
甲府から帰って来ると、やはり、呼吸ができないくらいにひどく肩が
「いいねえ、おばさん。やっぱし御坂は、いいよ。自分のうちに帰って来たような気さえするのだ」
夕食後、おかみさんと、娘さんと、かわるがわる、私の肩をたたいてくれる。おかみさんの
甲府へ行って来て、二、三日、さすがに私はぼんやりして、仕事する気も起こらず、机のまえに
「お客さん。甲府へ行ったら、わるくなったわね」
朝、私が机に
「そうかね。わるくなったかね」
娘さんは、
「ああ、わるくなった。この二、三日、ちっとも勉強すすまないじゃないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿用紙、番号順にそろえるのが、とっても、たのしい。たくさんお書きになっていれば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそっと様子を見に来たの、知ってる? お客さん、ふとん頭からかぶって、寝てたじゃないか」
私は、ありがたい事だと思った。大げさな言いかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの
十月末になると、山の紅葉も黒ずんで、
「退屈だね」
と大声で言って、ふと笑いかけたら、娘さんはうつむき、私はその顔を
それからは、気をつけた。娘さんひとりきりのときには、なるべく二階の室から出ないようにつとめた。茶店にお客でも来たときには、私がその娘さんを守る意味もあり、のしのし二階から降りていって、茶店の一隅に腰をおろしゆっくりお茶を飲むのである。いつか花嫁姿のお客が、紋付を着た
「あら!」
と背後で、小さな叫びをあげた。娘さんも、素早くその
「
「
私は年がいもなく、顔を赤くした。私の結婚の話も、だんだん好転していって、ある先輩に、すべてお世話になってしまった。結婚式も、ほんの身内の二、三のひとにだけ立ち会ってもらって、まずしくとも厳粛に、その先輩の宅で、していただけるようになって、私は人の情に、少年のごとく感奮していた。
十一月にはいると、もはや御坂の寒気、
「お客さん、二階はお寒いでしょう。お仕事のときは、ストーヴの
「相すみません。シャッター切って下さいな」
私は、へどもどした。私は機械のことには、あまり明るくないのだし、写真の趣味は皆無であり、しかも、どてらを二枚もかさねて着ていて、茶店の人たちさえ、山賊みたいだ、といって笑っているような、そんなむさくるしい姿でもあり、多分は東京の、そんな
「はい、うつりました」
「ありがとう」
ふたり声をそろえてお礼を言う。うちへ帰って現像してみた時には驚くだろう。富士山だけが大きく大きく写っていて、ふたりの姿はどこにも見えない。
その
富嶽百景 太宰治/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
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