【夢十輝石】世界の終わり

 目を覚ますと、真っ白な空間に私はいた。

 あまりに白いので、私は何度も瞬きをした。眩しいというのとは違う、物の輪郭や境界線がまるで見つからなかったからだ。


 身体を動かそうとして、ひどく全身が疲弊しているのがわかった。もう何年も動かすことのない機械を動かそうとしているかのようだ。動かそうとする度に、錆びた間接がきしきしと音を立てる。

 それでも、私は、なんとか上半身を起こすことに成功した。


「なに、これ……」


 久しぶりに聞いた自分の声は、擦れて、喉がひどく乾いていることに気が付いた。思わず咳き込み、胃から何かがこみ上げてくる感覚に嗚咽し、涙が出た。胃の中は空っぽだったようで、口から出るものは、僅かな唾液と胃液だけ。


 顔を上げた私は、自分の身体の異変よりも、目の前の光景に驚愕した。

 人、人、人、人…………たくさんの人が、透明な箱の中で横たわっている。一体、いくつあるのか見当もつかない。

 そして、私も同じ透明な箱の中にいた。それはまるで、棺のようだと思った。

 起きて動いている人は、私以外に一人もいない。生きているのか死んでいるのかもわからなかった。箱の中に手を入れて確認する勇気はない。どれも真っ白な顔をして眠っているかのようだ。


 探さなければ、という強い想いに駆られた。

 でも、何を探せば良いのかわからない。とても大事なものだった気がするが、何も思い出せない。頭に靄がかかっているかのようだ。


 周囲を確認すると、一番近くの壁に扉らしきものが見えた。

 とにかくここを出なければ、と扉へ向かった。足はまるで生まれたての小鹿のように頼りなかった。

 あまり気は進まなかったが、透明な箱を伝いながらなんとか辿り着く。扉には取手がなかった。どうやって開けようかと手で触れてみると、さっと左右に開いた。


 部屋の外には、細長い廊下が横に伸びており、正面の壁にもう一つの扉が見えた。廊下の先は明かりが点いていないようで暗くて見えない。

 とりあえず私は、正面の扉に近づいた。やはり取手は見当たらないが、今度は扉の横に液晶パネルがついている。扉を開くためにパスワードが必要なのだろうか。

 適当にボタンを押してみたが、液晶画面に反応はない。壊れているようだ。試しに扉に手を触れてみると、さっと扉が左右に開いた。


 中は真っ暗だった。誰かがいるような気配はない。恐る恐る足を踏み入れると、ぱっと明かりが点いた。そこは、どこかの家のリビングのように見えた。

 テーブルに椅子、壁際には居心地の良さそうな長椅子が置いてある。どれも埃を被っており、長い間誰も使っていないことを物語っている。


 部屋は三面それぞれに扉があり、他の部屋へと繋がっているようだ。一つは寝室、もう一つはお風呂とトイレ。最後の一つは、書斎のようだった。

 書棚には本が綺麗に収められているのに、何故か机の上にだけ一冊の本が置いてあった。気になって開いて見ると、中には日付と共に誰かの手書きで綴られた文章で埋め尽くされていた。それは、とある監視者の日記だった。


――自分の望む異世界へ自由に行くことができる《夢輝石》。

  多くの人々がその魅力に夢中だ。皆が現世での生活を捨てて、異世界で新たな生を歩みだす。これこそ新人類の進化した姿なのだ。――


――今日、監視対象であった夢主の一人が亡くなった。

  冷凍睡眠機能に問題はない。あるとすれば、異世界で何かが起きたのだ。――


――また犠牲者が出た。このところ数が増えてきている。

  対象者の脳波を見ていると、ある一定の乱れがあることがわかった。

  恐らく強い不安や恐怖を感じているのだろう。

  直前に夢輝石を着脱してみたが、救うことはできなかった。

  こうなったら、夢主の居る異世界へ私も潜って調査を行う必要がある。

  代々受け継いできた監視者の一人として、私は必ず人類を救ってみせる。――


――今日、夢主の異世界へ潜り込み調査を行った。

  そこで私は、悪夢を見た。黒い影が夢主を襲って食らっていたのだ。

  私はどうすることもできず現世へ戻った。

  一体どういうことなのか……まるで異世界が意志をもって夢主を襲っているかのようだ。もしかすると異世界には、元の均衡を戻そうとする何らかの制御の力が働くのかもしれない。異なる世界からやってきた夢主は異物と認定され、排除の対象となったのだ。

  もし、このことが夢主たちに知られたら、パニックに陥るだろう。

  それに、どうやら長い歳月を異世界で過ごすうちに、夢主たちは現世での記憶を失っている。目覚めさせるには、直接彼らと異世界で対面し、彼らの意識と共に異世界へ転移させた夢輝石の欠片を奪う必要がある。監視者の数は年々減ってきていて、夢主たちの数は膨大だ。彼ら一人一人の夢輝石を奪うのに一体どれだけの年月がかかるか……悪夢に襲われる前に、間に合うだろうか。――


――協力者を得た。魔法が使える世界で異世界を自由に飛ぶ力を手に入れた彼の能力は大変力になるだろう。――


――失敗した。

  夢主から直接夢輝石を奪うことで目覚める筈だったのに、何がいけなかったのだろう。もしかすると、現世の記憶を失っていることが原因なのだろうか。

  やはり、本人の意志で目覚めようとしなければ意味を成さないというのか……――


 そこまで読んだところで、私は自分の頭に手をやった。そこには、リング状の固い物が装着されている。慌ててそれを外すと、かしゃんと音を立ててリングが床に落ちた。恐る恐る近寄って手に取って見る。中央に取り付けられた石は金剛石のようにも見えるが、少しくすんで見える。

 突然、私はひどい頭痛に襲われた。頭が割れるようだ。


 あまりの痛みに立っていられなくなった私は、持っていた日記を小脇に抱えてリビングへ戻った。そこで倒れるように長椅子に横になると、目を瞑って痛みが引くのを待った。


 痛みと共に、私の頭で何かの映像が次々と現れては消えていく。それはまるで嵐のように私を襲った。それらが私の記憶であると、しばらくして気付いた。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。嵐のような頭痛が嘘のように消え去ると、私は全てを思い出していた。

 この世界から逃げるように、夢輝石を使って異世界へ行ったこと。

 異世界での生活は、まるで夢のように消えて思い出せなかったが、現世での記憶はすっかり戻っていた。

 あまり思い出したくないものもあったけれど、なぜかあまり恐怖は感じなかった。全ては過去の出来事となっていた。私の中で何かが変わったようだ。

 気持ちが落ち着いてくると、私は再び日記を開いた。この結末を私は知らなければならない。


――これが最後の日記になるだろう。

  私は異世界へ潜り、全人類を目覚めさせるまでここには戻らない決意でいる。

  なぜなら、ある者と約束をしたからだ。

  人類を救うために私は私にできることをする、と。

  ただ、もしこの日記を読んでいる者がいたら、これだけは伝えなければいけない。


  あなたが今いるこの世界は、あなたが思っているほどひどい場所ではない。

  時にあなたは深く傷つき、死を選ぶほど苦しい想いをするかもしれない。

  でもそれは、あなたがそれだけ世界を、人を愛しているからだということを忘れないで欲しい。愛や信頼、絆がなければ、裏切りという言葉は生まれない。

  世界に、人に、希望や期待を抱いているから、あなたは傷つき、悲しむのだ。


  私は、あなたのような人たちを救おうとする者がいることを知っている。

  その者は、幸せになりたいというあなたの想いを知っている。

  その者は、あなたを直接幸せにはできないかもしれない。

  けれど、あなたが幸せになろうと思える世界を、新しい世界を創ると私に約束をした。あなたが目覚めたのなら、その世界でいつかその者に出会えるだろう。

  例え出会えなかったとしても、その者によって世界は前よりも少しだけ生きやすいものになっている筈だ。

  だから、生きることを諦めないで欲しい。

  あなたの生きている世界はここなのだ。

  世界は、あなたが思っているよりも、きっとずっと素晴らしく、美しい。――


 私は施設の中を彷徨って、出口を探し当てた。外に出た私はあっと息を飲んだ。施設の外は森になっていた。ここへ来た時には、こんな風景ではなかった筈だ。


 ぐるりと施設の周りを歩いてみたが、やはりどこも木々と草に覆われて道らしき道はない。

 ただ、施設の裏側は崖になっていて、ちょうど昇ってきた朝日が眼下に広がる世界の一部を照らしていた。

 そこには見えうる限りに緑が生い茂り、文明や人間が存在していた気配は全くない。

まるで太古の原始時代にでも遡ったかのようだ。


 私は、一人。

 この世界で、どうやって生きていけば良いのだろう。



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夢†輝石 風雅ありす @N-caerulea

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