あなたとあたしで、食物連鎖

豆腐数

血肉の味か、慈愛のルビーか

 ──最近ご主人の元気がない。いつか旅の途中で見た夕日のような色の長い髪はツヤがなくなり、萎びたトマトのような色だし、プリンのようなプルプルした肌はかさついて、頬はこけている。それでも。犬の自分の頭を撫でる手の温かさ、慈しむ瞳の揺らぎは変わらなかったから。犬は変わらず、ご主人の事を愛していた。骨に皮膚を張り付けただけのようになっても、いや、その身体が衰えれば衰えるほどに、主人の犬を見るまなざしはいっそう熱を持ち、かつての夕日色の髪を飛び越して、上等のルビーのように研磨されていくのだ。


 犬は、主人の瞳の輝きがどこまで洗練されていくのか見届けたい気持ちだった。頭の良くない犬にしては珍しく、知的好奇心をくすぐられるように、魅入られる輝きなのである。


「だけどね、ご主人。死んだら元も子もないから、やっぱりあなたは食べるべきだと思うんですよ」


 言って犬は、その辺で捕まえた活きの良いコオロギを捕まえて来て彼女に差し出したし、海に出たイカのモンスターも狩って引きずって主人の前に放り投げた。ズズンと地響き立てて、イカの死体が草っ原に昼寝する。もう日は落ちたから夜寝だろうか。


「そうは言うけどね、ミミ。もう私は食べたくないのだよ」


 たき火で焼いたコオロギもイカの魔物も優雅に食べてみせながら、主人は言う。こんなものは、主人にとって大した栄養にならない。


 主人に食べさせるなら、もっと大きな動物でないと。牛とか豚でもない。主人と見た目そっくりな──人間。


「どうして。人喰いのご主人には、人間しか栄養にならない。あなたが一番解っている事でしょう」

「あなたが大半、人間だからよ」


 たき火の前に座った犬コロの姿は、犬らしい垂れ耳とフサフサのしっぽこそついていたけれども、十代前半の人間の少女と言って差し支えない姿をしていた。茶色いぼさぼさのショートヘアーに、揃いの茶色の大きな瞳。白い手足。もっとも人間からしてみれば耳としっぽがついてるだけで犬畜生で、石を投げて遊ぶにちょうどいいらしいけれど。ミミの故郷の同じ年頃の男子はそう言って、実践さえしてみせた。


 主人はミミを抱き寄せた。ミミは主人に抱きしめられるのが好きだったけれど、今も変わらないけれど。最近は主人の身体がまた痩せ衰えたのを実感してしまうから、抱きしめられると胸の奥がしくしく切なかった。けれど主人はまだここにいる。ミミを抱きしめてもくれている。


「気まぐれに拾って愛玩した生き物が、どうしてよりによってエサの人間の形をしているのかしらね。いっそお前がただの犬だったら良かったのに」

「ねえ、ご主人があたしを食べたら、ご主人の飢えは満たされるのかな。犬だから、食べても栄養にならない?」

「どうかしらね。『耳付き』は珍しいから、私も試したことがないわ」


 主人は穏やかに犬を抱きしめ続けるばかりだったが、その赤い瞳にゾッとする焔が燃え上がったのを、ミミは見逃さなかった。餌を焼いて食いちぎってやりたい。そんな人喰いに揺らぎかけたのを、腕の中で理解していた。


 ──人喰いの本能を誘惑出来たんだから、あたしは多分ご主人の栄養になれる。そしたらずっとご主人と一緒になれるのに。


 ご主人は今、強靭な精神力で本能に打ち勝っているが、いつか負けてミミの喉笛を、膨らみ始めた胸を食いちぎるかもしれない。或いは慈しみに輝く真っ赤な瞳を極限まで研鑽させて、一等星の輝きをミミに見せた瞬間、永遠に瞳を閉じるのかもしれない。


 ──ご主人が死んだら、代わりにあたしがご主人を食べればずっと一緒なのかな。


 ミミは考える。そばでたき火が燃え続ける。

 

 ──あたしが犬じゃなくてウサギだったら。たき火に飛び込んで、その肉をあたしにとっての神さまみたいなご主人に差し出したのかも。


 ミミは考える。ああでも、あの神話のウサギは結局、神さまに自分の身体を食べてもらえる事はなかったのだっけ。

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