第2話

 単調な電子音と共に冷気が一哉を襲う。

 一哉は、布団の中から手探りで目覚まし時計を止めた。


 人の体温の感じられない部屋がひんやりと冷たい。

 風が一つしかない窓を叩き、冬を知らせているようだ。

 今日も一段と寒くなるだろう。


 一哉は気が重かった。

 今日は朝8時から夜の10時までファミレスでのバイトが入っている。

 昨日は生肉工場で、明日、明後日も何かバイトが入っていたはずだ。

 そして、その後もず―っと、バイトの入ってない日はない。


 別に、ほしい物があると言うわけではない。

 人と関わる事は嫌だったが、何かをしていないと落ち着かないのだ。

 今の一哉にはバイト以外にやる事が何もない。


 でも、そのお陰でお金には困らなかった。

 毎月の収入は30万を超えていたし、いいバイト先が見つかった時なんかは、最高で50万も稼いだ事もある。

 ただ、その使い道がなかった。


 身支度を整え、顔を洗うと、冷たい水道水が朦朧とした意識を覚まさせてくれた。

 ふと、机の上にわざと伏せて置かれた写真立てに目がいった。

 傍に置いてあるスマホの液晶には、11月22日という日付が表示されている。


(あれから、もう一年か……)


 今日は、結未の命日だ。

 一哉は、伏せて置いてある写真立てを起こして見た。

 そこには、まだ幼さの残る高校生時代の結未と自分の姿があった。

 結未が一哉の部屋に置いて行った物だ。


 この一年間、恋人がほしいとは思わなかった。

 結未の事を忘れられない等と言う甘い感情からではなく、ただ関心が持てなかったのだ。

 毎日、目的もなく彷徨い、何も感じない、何も思わない、一哉は死んでいるも同然だった。


 いっその事、死んでしまおうかと考えた事もある。

 でも、その度に結未の最後の白い顔が浮かんでくるのだ。

 お前には死ぬ資格もないんだよと、そう言われている気がした。


 二人でいて幸せだった頃の思い出が一哉の脳裏に甦ってくる。

 純粋で汚れを知らない、真っ白な思い出。


 しかし、それはもう傷つき、汚れてしまった。

 そして、枯れ果ててしまった涙が一哉の瞳を濡らす事はない。


 ファミレスは、午前中は空いていたが午後から客の出入りが多くなり、一哉は結未の事を考えないで済んだ。

 一哉は厨房で料理長の手伝いをさせてもらっている。

 接客の仕事は出来る限り避けたかったのだ。


「おい、ちょっと裏に行って残飯を捨てて来てくれ!」


「はい」


 料理長に命じられた一哉は、厨房の裏口から出た所にある残飯置き場へと向かった。

 外に出ると火照った肌に冷気が心地良い。

 厨房は真冬でも、忙しい時なんかは暑くて堪られなくなる。


「はあ~……」


 一息吐くと、空気が白く濁って消えていく。

 一哉は、頭に浮かんできたあの時の情景を振り払うかの様に、さっさと残飯を捨てて厨房へ戻ろうとした。


「にゃあ~……」


 その背後から、か細い鳴き声が聞こえた。

 裏口から小道を挟んだ向かい側の外灯の傍にある段ボールの中からのようだ。

 中で何か黒い塊がもそもそと動いている。


「にゃ~、にゃ~」


 一哉の存在に気付いたのか、その小さな黒い塊は、鳴き声を増した。

 しかし、一哉はそのまま残飯を捨て、厨房へと戻って行った。

 厨房の中は蒸し暑い。


「おい、遅いじゃないか! さっさとそこの食器洗っとけ!」


「はい」


 料理長に怒鳴られつつ、一哉は仕事に戻った。

 それでも頭の中では、さっき聞いた黒猫のか細い鳴き声がしばらくの間消える事なく響いていた。


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