第3話

 夜の10時になった。

 厨房の後片づけも終わり、一哉は賑やかにこの後の予定を立てている同僚達を後目に裏口を出た。

 外は真っ暗で、調子の悪い外灯の光だけが道を照らしていた。

 残飯を捨てに出た時より寒さが身を刺すように感じる。


 鳴き声は聞こえない。


 さすがにもういないだろう、っと思ったが、なぜか妙に気になって、段ボールの中を覗いた。

 そこには、隅の方で小さく縮こまって震えている黒猫の姿があった。まだ子猫のようだ。


 一哉は、それを見ても何も感じなかった。

 ただ黙ってそれを見つめる。

 まるで感情のない機械(ロボット)のように、生きながら死んでいるのだ。


『私、黒猫って好き。なんか神秘的な感じがしない?

 気味悪がって嫌う人とかいるけど、あんまりだわ』


 かつて、結未が一哉によく言っていた言葉だ。


『黒猫って、魔女の使いだったの、知ってる?

 きっと、わずかでも魔力を持ってるのよ』


 そう言って結未は、悪戯っぽく笑った。


「お前、魔女に捨てられたのか?」


 その時だった。


「こうらあ―!!」


 一哉の耳元で誰か怒鳴った。


「こんな所に猫を捨てよって! 凍え死んじまうじゃないか!」


 怒鳴り声の主は、一哉に罵声を浴びさせると、黒猫を抱き上げ、自分のコ―トの中にくるんでやった。


「可哀相にのぅ~、寒かったじゃろう」


 それは、白髪の一人の老人だった。

 老人は、よしよし、と黒猫を撫でてやりながら言った。


「動物を飼う時は、責任を持って最後まで面倒みんといけん。

 どんな理由があろうともな。

 たった一つの命なんじゃから」


「あ、あのう……俺が捨てたんじゃないんですけど」


 老人は、ん? っとあっけにとられた顔をして、笑った。


「わっはっはっは! すまん、すまん。わしの勘違いだったようじゃな」


 老人は、怒鳴ったりして悪かった、と一哉に謝って、また笑った。

 そして、この猫をどうするか、っと考え出した。


「ふ~む。お主、こいつを飼う気はないか?」


 老人は、一哉の目を見て言った。


「え、いや俺はただ見ていただけなんで……」


 一哉はなんとか上手く言って、この場を去ろうとした。


「お主には、こいつが必要のようじゃ」


 一哉がその意味を聞き返す前に、老人は抱えていた猫を一哉に渡した。


「しっかり面倒を見てやるんじゃぞ。命は大切にせんといけん」


「え? あ、あのっ……!」


 老人は、一哉が止める間もなく闇の中へと消えていった。

 すると、辺りを再び静寂が襲う。

 腕の中の子猫が小さく鳴いた。



 アパ―トに帰ると、もう夜中の12時過ぎているというのに、何部屋か電気が点いている。

 安賃アパ―トなので、浪人生や学生がほとんどなのだ。一哉もその内の一人だった。

 安賃なので冷暖房の設備はなかったが、住み始めた頃はそれなりに楽しかった。

 結未が泊まりに来て、夕飯を作ってくれたこともあった。

 不思議な事に、設備がなくてもさほど寒さは感じなかった気がする。

 だが今は、何故かあの頃より寒さが身にしみる。


 一哉は、部屋に入るとスト―ヴを付けた。

 そして、猫に何かやる物がないかと、冷蔵庫を漁った。


 がたんっ!


「にゃあ~!」


 一哉が振り向くと、スト―ヴが倒れて、猫が机の上へと跳び上がっていた。


「こらっ!」


 急いでスト―ヴを起こし、電源を付け直す。

 猫は机の上で怯えているようだった。


「ほら、大丈夫だから。おいで」


 手を差し伸べると猫はフ―ッと唸ると、一哉の頭を踏みつけてタンスの上に跳び乗った。


「~こらっ!」


 頭を押さえながら猫を睨み上げるが、猫は降りて来そうにない。

 一哉は、冷蔵庫からソ―セ―ジを取り出して猫に見せた。


「ほらほら、これやるから降りて来い」


 猫は、少しずつタンスの上から顔を覗かせ、降りて来ると見せかけて、一哉の手に握られたソ―セ―ジを素早く奪い、部屋の隅へと逃げた。


「お前なあ……」


 引きつる顔で猫を見ていたが、ふとある事を思いついて、紙とペンを持ち出した。


 “黒猫もらってください。

 まだ子猫でかわいいです。

 連絡先:090―△△○○―××××”


「あっ」


 書いている途中で、一哉はある事を思い出した。

 そして、ソ―セ―ジに夢中になってる猫にそっと近寄って……


「捕まえた!」


「にゃあ~!」


「♂か♀か見るだけだって」


 ジタバタと逃げようとする猫をしっかりと捕まえた一哉は、猫の性別を確認した。


「……♀か」


 と、一哉が手を緩めた瞬間、猫が一哉を思いっ切り引っ掻いた。


「にゃ~!」


「ぎゃあっっ!」


 その後、猫は再びタンスの上へと跳び上がった。


「くぅ~、いってぇ~……」


 しばらく痛みと格闘した後、悪態を吐きながらポスタ―を仕上げ、寝る支度を整えた。


「そんなにそこが好きなら勝手にしろ!

 明日の朝、凍えて死んでも俺のせいじゃないからな!」


 ほとんどやけくそ状態でタンスの上に罵声を浴びさせると、電気を消して布団へと入った。

 猫に引っ掻かれた顔がひりひりと熱かった。

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