第23話 ¡テキエロ!
「……はあぁ?」
柾木さんは本気の怒号を発していた。
「いやいやいや、ちょっと待って、ちょっと待って。まじで何話したのあのオヤジと?」
柾木さん、系列会社の社長が「オヤジ」になってます。いや、それどころじゃない。
「言ったじゃないですか。料理の話と柾木さんの話しかしてませんよ」
私は大慌てで説明する。
「俺の話って何?」
一瞬詰まる。が、これは言わなくてはならないだろう。
「……柾木さんに……、どうやったら私のこと興味持ってもらえるかって……」
柾木さんが次の言葉を発する前に、急いで付け加える。
「私が言い出したんじゃありませんから! オルティス氏が『カイに興味を持ってもらえる言葉を知りたくないか』って」
柾木さんは、まだ不機嫌そうにしている。
「……それが……これ?」
私はうなずく。
「……多分」
そう言っている間に次のメッセージが来た。
『君は読み方を知らないだろうから、発音を書いておく』と英語で書いてあった。私が発音を読み上げようとすると、柾木さんに止められた。私は柾木さんを振り返る。
「もしかして口にしちゃいけない言葉ですか? 私、言う練習させられそうになったんですけど!」
「あー……」
柾木さんは額に手を当てた。そして黙ったままだった。私は真っ青になって、両手を口に当てた。そんな私に柾木さんが気付く。
「泣かない、泣かない!」
「……でも」
「違うから! そういうんじゃないから!」
柾木さんがちょっと赤くなっていることに気が付いた。
「いい言葉だけど、ちょっと、なんつうか」
私はここでやっとぴんと来た。
「……オルティス氏に言われました。『この言葉を言うにはタイミングがある』って」
私の言葉に柾木さんは嫌そうな顔をする。
「だから、とっといた方がいいですよね。また今度に」
柾木さんは今度は少しがっかりした顔をする。
「いや……、今度っつうか」
柾木さんは頬を指先で掻いた。
「今晩。バルに一緒に来て……そいで言ってくれたら最高なんすけど」
(そんなことしたら前回のバル訪問の再放送になっちゃいますよ、柾木さん!)
そう思いつつ、私は抗えずに――うなずいた。
柾木さんと二人で喫茶店を出ようとしたとき、私はガラスのドアに映った自分の顔を見てぎょっとした。さっき泣いたので、本当にタヌキみたいな顔をしていた。
「あっ、あのっ、ちょっとお化粧を直してくるので、先に行って、会社のロビーのところで待っててください。すぐに行きますから!」
「えー、そのままでもいいのに」
「全っ然良くないです! すぐですから!」
私は化粧室に走り込んだ。鏡を覗くとお化粧が剥げているところと、涙で滲んでいるところが混じっていた。こんなひどい顔のまま、柾木さんと話していたのかと思うと恥ずかしくなった。思い切って顔を洗って、お化粧し直すことにした。
顔を洗っていると、メッセージの届くチャイムがした。また誰だろうと思って、携帯を開くとオルティス氏からだった。柾木さんは隣にいないのに、思わず周りを見回してしまった。オルティス氏は英語でこんなメッセージを書いていた。
もう魔法の言葉は試したかい? 電話がないから上手く行ったんだと思っている。辞書で調べたかも知れないけれど、あの言葉は文字通りに訳すと「あなたが欲しい」という意味になる。「あなたを愛している」という言い方もあるけれど、こちらの方が一般的だ。なんて直接的な表現なんだ、と思うかも知れないけれど、僕はこの言い方が好きだ。誰かを好きになるのは、その人のことを知りたい、その人の近くに居たい、その人の笑顔が見たい、と欲求だらけだろう? 取り繕わず、まっすぐに言われたら、大概の男はまいるはずだ。特に君みたいな魅力的な子にはね!
なにやら下心は十分だった気はしたけれど、オルティス氏は悪い人ではないのかもしれない。ちょっと温かい気持ちになった。
(……はっ、早くお化粧しなくては! 柾木さんが待っている!)
結局かなり時間がかかってしまい、私は喫茶店を走り出た。会社のビルの方向を見ると、離れたところを歩いていく柾木さんの後ろ姿が見えた。多分、喫茶店の前でしばらく私を待っていてくれたのだろう。リズミカルで歩幅の大きい、柾木さんの歩き方。
先週まで、可もなく不可もなくだった柾木さん。彼の「どうせぼっちの宅飲みだったんで」という一言と表情が、私の中の彼のすべてを変えてしまった。ほんの何日かの出来事のはずなのに、私は彼をもっとずっと長く知っている気がする。そして、もっと深くこの人を知りたい、もっとこの人と一緒に居たいと思う。
もうすぐビルのドアに入ってしまいそうになる柾木さんに、振り返って私を見て欲しい、と私は強烈に感じた。
「櫂さぁん!」
私は背伸びをして手を振った。
柾木さんが驚いたように振り返る。
その柾木さんに向かって、私は覚えたばかりの言葉を叫んだ。
「テキエロ!」
柾木さんは、息を呑んだ。そして、周りを振り返る。
「
私はもう一度叫ぶ。
柾木さんが慌てて走ってくる。私は嬉しくなって、柾木さんの方に駆け出す。
走ってきた柾木さんの腕の中に私は飛び込み、柾木さんを見上げながら言う。
「ごめんなさい。バルまで待てなかった」
柾木さんは何も言わない。ただ、私を見つめて私の額から髪を撫でた。私は彼の胸に頬を埋める。柾木さんは私の髪を撫でながら言った。
「……本当に先が読めないっつうか、危なっかしいっつうか……。バルまでたどり着けなかったらどうすんの」
「大丈夫、バルでもう一回言うって約束するから」
私は笑いながら柾木さんを見上げる。柾木さんが照れたように私を見返す。私は柾木さんにも私と同じ言葉を言って欲しくなる。勇気を出して聞く。
「……櫂さんも……私が、欲しいですか?」
柾木さんの目が一瞬見開く。そしてゆっくりと優しげに細まる。
「もちろん」
そして、今までに見たことのない、困ったような嬉しいような表情になって囁いた。
「Te quiero mucho, cariño mio《愛してます、私の可愛い人》」
私は、胸の奥からぽうっと暖かくなる感覚に全身を満たされながら、柾木さんの柔らかい唇を私の唇で受け止めた。
El Fin y ¡Gracias a todos por leer esta historia!
謝辞:
まさぽんたさん、今回も読んでいただいてありがとうございました!
ほかの方の小説で応援マークにまさぽんたさんの名前を見ると「読んでもらえていいな……」と思っていたのでとてもうれしいです! また何か読んでもらえるような作品を書けるように頑張ります!
¡テキエロ! ワインとタパスとギターとあなた イカワ ミヒロ @ikamiro00
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