第22話 またお前か!

「あー、最高」

 笑いに一息吐いて、柾木さんが言う。そしてもう一度私の頬に手を伸ばす。

「悔しいけどオルティスは正しかったな」

「……何がですか?」

「あいつ空港に行く車の中で、俺のこと散々ディスりやんの。誰もスペイン語わかんねえのいいことに」

(すみません。さっきから「オルティス」って呼び捨てなのも気になってたんですが、系列会社の社長さんを「あいつ」呼ばわりしていいんでしょうか)

「『あかりの良さをすぐに見抜けないお前は青過ぎる』って」

「えっ、良さも何も、オルティス氏と大した話してませんよ、私」

 柾木さんの大きな右手が私の頬を包み、その親指が何度も頬を撫でる。

「『あかりは俺がもらってやる』って」

「トルティーヤと柾木さんの話しかしてませんからね」

 柾木さんの顔が近づいている気がする。なんだか焦ってしまう。

「三十分も話してないくせに」

「そうですよ、三十分もありませんでしたよ」

 柾木さん! 近い、近い!

「俺は一晩一緒にいた」

 柾木さんの左手が私の顎を持ち上げる。私は言葉を返せなかった。彼の唇が私の唇を塞いだからだ。

 私から彼の唇が去るときの、あの泣きたくなるような感じを覚えながら目を開ける。私はいつの間にか、彼のジャケットの襟元を掴んでいた。慌ててその手を外して取り繕う。

「こ、公共の場ですよ……」

「この間は自分からしたくせに」

 柾木さんが私の頬を軽くつまんでからかう。

「あれは……ちょっとはしゃいでて……」

 うつむいた私の頭を柾木さんがぽんぽんと叩いた。

「大丈夫だよ、人がいないし、誰も見てないから」

 その言葉に私は頭を上げて、柾木さんと一緒に周りを見回した。

「「……あ」」

 二人で同時に言ってしまった。

 目が合ってしまったのだ。窓の外で目をまん丸にして固まっていた朝岡課長と。

 課長が持つ駅前のスーパーのロゴが入った、買い物でいっぱいのエコ袋からは長ネギが突き出ていた。駅前で夕食の買い出しをしてから、自宅に歩いて帰る途中だったのだろう。

(会社から家まで歩いて十五分くらいって言ってたっけ……)

 土曜日に手助けに来てくれた課長を思い出した。

 課長は、口を横一文字に結んで、手で「お口にチャック」のジェスチャーをしてから親指を立てた。私たちも呆然としながら、親指を立てる。課長はにっこりと笑うと、何も無かったかのように歩いて行った。

 二人で顔を見合わせる。私は、今日までに起きたことを考え、急に心配になる。

「だ、大丈夫でしょうか?」

「大丈夫だよ」

 柾木さんは余裕綽々だ。

(どうしよう、ホテル行って、社長と電話番号交換して、会社のすぐ近くでキスって、立て続けに前科が増えてしまった……)

 不安気な私に柾木さんはにっこりする。

「コンプライアンス担当、俺なんで」

 ぽかんとする私をよそに、柾木さんはコートのポケットから携帯を取り出した。

「電話番号」

 柾木さんの言葉に、私も急いで携帯の画面を開く。私は一応エンジニアなのだが、携帯の操作にはあまり詳しくない。わたわたしながら連絡先を交換した。

「じゃ、テストしてみよう」

 柾木さんが自分の携帯の画面を隠すようにして何かを打ち込んだ。しばらくしてピロリンと私の携帯にメッセージが表示される。

『これからちょっとだけ、またバルに行きませんか』

(うっ……、行きたい! 行きたいけど……)

『この間、あんな感じで店出たから店長と良太からどうなったか突かれてんだよね』

「ひええ、恥ずかしい。そんなこと言われたら、二度と行けませんよ」

 私は口頭で返事をする。

「ダメだよ、ちゃんと書いて返事くれないと」

 柾木さんが携帯越しに私を見る。その間にもメッセージが届く。

『今度二人で来たらカヴァ開けてお祝いしてくれるって』

「ほらぁ、行きたくなってきたぞぉ」

 彼の脛で私の脛を打つ柾木さんの声を聞きながら、一生懸命早く打ち込む。

『でも明日の朝、新幹線早いので……』

『今日はちゃんと家まで送るから』

「うぅん、もう、誘惑しないでくださいよぉ」

 私は携帯の画面を開いたまま、カウンターに突っ伏す。ピロリンとまたメッセージが到着する。

『なんなら荷造りも手伝うから』

 私が画面を覗いている間にも次々にメッセージが届く。

『朝、駅まで送るから』

『乗り遅れたら実家まで送るから』

「ええ〜、もう」

 画面を見たまま、何と返事をするか悩んでいると、柾木さんは私の携帯から勝手に私の返事を書き出した。

『はい、それでは一緒にい』

「あー! もう、何勝手に書いてるんですか。本人の前でなりすましは止めてくださいよ」

 土曜日にクレマ カタラナでふざけあったように、携帯の上でふざけあう。良かった、またこの人とこんな風に楽しく過ごせるんだ。そう思うと本当に嬉しかった。

 が、その空気が次の瞬間に暗転した。

 メッセージが来たのだ。オルティス氏から。私の携帯に。

 私は既にオルティス氏の番号を連絡先から消していたので彼の名前は表示されなかったが、柾木さんは表示された国番号からすぐにオルティス氏だと推察した。私は、柾木さんが見ているその前で恐る恐るオルティス氏のメッセージを開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る