終章
元ヒーローは日常へと赴く
眠い。腹が減った。
三大欲求のうち二つに支配されている真はグッタリと机に頬をつけていた。小刻みに腹の虫が鳴っている。
そんな彼の反対側、窓際の席に座っているクリスは授業中にもかかわらず小声で話し掛けてくる。
「犬崎くん、朝ごはん食べてこなかったの?」
「食べてる暇なんてなかった」
あの後は急いで家に帰ったが、一眠りする暇も朝飯を悠々と食べている時間も無かった。
ある一つの作業に追われ、遅刻すれすれに登校してきたのだ。
しかし体はそろそろ限界を訴え、今も「ぐぅ」と腹が鳴り響き、真の体力が最底辺まで削られていく。仮にゲームキャラだったなら、雑魚敵の一発で瀕死になるだろう。
「というか教室内で気安く話し掛けてくるなよ」
「なんでよー、別にいいじゃないの」
真はクリスの方を向いて机に倒れている。理由は、反対側にあるクラスメイトの視線に耐えきれないから。
突然距離が縮まった二人に対して女子は疑問を、男子は殺意を抱いているのだ。
ただでさえ体力が無くなりそうなのに、精神的にもゲームオーバーになりそうだった。
「そこっ、授業に集中しなさい」
教師に怒られ、ボソボソと会話をしていた二人は大人しくなる。が、相も変わらずクラスメイトはちらちらと様子を覗ってくる。
居心地の悪い中で授業が進み、やがてチャイムが鳴った。これで昼休み。そう思うと、少し元気が沸いてきた。
カバンを持って教室から出る準備をする。
「あら、どこに行くの?」
「メシだよ」
扉に手を掛け、なんでか着いてくるクリスにそう言うと、勝手に扉が開いた。
「あ、せんぱい。丁度良かったっす。迎えに来ましたよー」
「……来るなよ……マジで来るなよ」
「えぇ、酷いっすね……ま、その反応するの分かってて来ましたけど」
確実に嫌がらせをしにきたイオが現れ、真の口元がヒクついた。
「まぁまぁ、可愛い後輩が迎えにきて嬉しいっすよねー?」なんて発言をした彼女は腕に抱きついてきて、今気付いたような顔で近くに居るクリスを見た。
「あれー? 猫宮せんぱいじゃないっすか。転校してきてもう数日経ってますけど、ご友人は出来ましたかぁ? この前『友達欲しいよー、一緒にお昼ご飯食べる友達がー』なんて嘆いてましたけど、進捗どうっすか?」
「は? そんなこと一言も言ってないわよ。というかアンタと学校でこうして話すのは――」
真との仲を見せつけるようにしながら変な事を宣ったイオ。クリスは額に血管を浮かばせながら発言を否定すると、後ろから複数の人がやってくる気配を感じた。
「猫宮さん! 友人が欲しいなら是非ぼくがッ」
「いいや俺がッ、なんならその先の関係に!」
「ちょっと男子ー、クリスちゃん困ってるでしょー。私たちと一緒にお昼しよ」
正体はクラスメイトだった。何を話しているのか気になって、聞き耳を立てていたに違いない。
続々と集団に取り囲まれてクリスがあたふたしていると、外からそれを見ているイオが笑いながら棒読みで言う。
「いやー、心配は杞憂でしたね! モテモテで羨ましいっすよー。じゃ、いきましょ。犬崎せんぱいっ」
「お、おい。いいのかよ」
「アタシは猫宮せんぱいの友人作りに貢献しただけっす」
真はイオに引き摺られ、教室から離れていく。
後ろから『た、たすけてっ、マイヒーロー!』なんて叫びが聞こえてくるが、隣のイオが笑顔で威圧してくるので今回も見捨てざるを得なかったのだった。
***
もはやただの置物となった
「おぉ、重箱」
「朝飯の分も詰めてきたからな。結構多いが、いけるか?」
「もちっす。アタシもぺこぺこっすから」
蓋を開けると、サンドイッチがたっぷりと入っている。
一面真っ白の中身に、彼女はよだれをたらした。
「約束とはいえ、別に今日じゃなくても良かったんすけどね」
「じゃあ、お前は食わないってか」
「食べるっすよ!」
彼女は一つ摘まみ、口に入れた。そして頬を抑え、身じろぎする。
「やっぱ美味しいっすー」
一つ、また一つ。ハイペースで食べ進めるイオ。
落ち着いて食えよ、と言いながら真も食べようとするが、目を付けていたものを先に取られる。
食い意地はりすぎだろ……なんて引いていると、取られたソレを口元に差し出された。
「どした?」
「……分からないんすか」
むすっとしながらそう言ったイオ。
真はその意味を理解していたが、少し恥ずかしかったので思わず分からないふりをした。だが彼女はそれ以上に恥ずかしさを感じているだろうと思い、意を決して口を開ける。
――バタン!
「やっぱりここ……ってなにしてんのよ!」
幸か不幸か、そんなタイミングで屋上の扉を乱暴に開けて現れたクリス。
行き場を失ったサンドイッチは結局イオの腹に収められ、彼女はすくっと立ち上がる。
「さすが元ヒーロー、ご都合的なタイミングで登場しますね」
「悪の組織が犬崎くんを誑かそうしているなら、私はそれを阻止するわ!」
「ほう、宣戦布告っすか。受けて立つっすよ」
バチバチと火花をぶつけ合う彼女たち。
そこへ、強風が吹いた。
「「あ」」
風は彼女たちのスカートを大きく捲りあげていき、すぐさま収まった。
被害者の女性たちは犯人の風でなく、傍観していた男に詰め寄る。
「け、犬崎さん、みみ、見たっすか?」
「あのあのっ、別にやぶさかではないけれど、心の準備がないとさすがに」
以前だと有り得ないくらいの赤面顔を晒すイオと、反応に困ることを言いながら同じくらいに赤い表情をしているクリス。
――ヒーロー、そして悪の下っ端として関わった彼女たち。これからもこの付き合いは続いて行くのだろうと、ぼんやり考える。
精神的にも体力的にも疲れそうだが、不思議と嫌な感情はない。むしろ困っていたらすぐに助けに行こうと思えるくらいは好印象だ。
彼女たちが何か自分に求めるなら、もちろんできる限り応える。
だから今は、これを受け入れようじゃないか。と、真は諦めたように目を閉じた。
「「えっち!」」
バチンッ、両頬に発生した痛みに倒れ、青空を仰ぎ見た。
――犬崎真は元ヒーローであり、元悪の幹部。
そして今はただの犬崎真として彼女たちを助け、守ると決めている。
「あ、金の問題どうしよ……」
しかし彼女たちの前に自分の生活を守らなければ危ういため、すぐにでもバイトを見つけなければいけない。
「あ、犬崎さん。いいアルバイトがあるんすけど――」
「詳しく」
「そんな怪しいものより、私と同じスーパーの――」
ヒーローでも、悪でも、一般人でも。
結局、彼の日常は変わらないのであった。
元ヒーローは悪の組織へ赴く サトミハツカ @satomi20k
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