山羊人・互藤はすみの手記
江古田煩人
山羊人・互藤はすみの手記
記録、って何を書きゃいいんだ?
俺がどこから来たか、俺は……覚えてない、一番最初に思い出せるのは辺り一面にゲロがぶちまけられた電柱横の景色だ。そこにうずくまって、親切な誰かに飯を恵んでもらおうと(もっと言えばやたらと口うるさい丹本自警団とかに見つからないよう)息をひそめていた。あの頃の俺はたぶん、四才くらいだったと思う。俺と同じ角を生やしてるであろう親の顔は知らない、気付いたら俺一人でガラ通りの裏路地にいた。小便臭い路地のすみっこで、ほかの小汚えガキと一緒にボロ切れにくるまってじっとしてたんだ。今なら分かる、俺は両親に捨てられた。今はそれほどでもないが、俺が右も左も分からねえ子供だった頃は、他にもそういう奴らが結構いた。もしかしたら両親が自警団にでもしょっっぴかれてったのかもしれない、とにかく俺の子供時代はロクなもんじゃなかった。いつも飢えていた。
この国じゃ山羊人は貧乏人の代名詞みたいなもんだ、
そんなわけで俺は、ごたごた着飾った中心街にツバを吐きながら宇佐見やいなほと一緒に貧民街の一つ、ガラ通りで暮らしてる。別に自由に行き来ができないわけじゃない、ただ……貧民街には不穏分子が多いってんで、スタンバトンを腰に付けた
貧民街って呼び方はずっと昔に中央政府が決めた奴らしいが、そんなゴミクズみてえな名前はいつの間にかすっかり馴染んじまって、今ではそう呼ぶのが普通になってるらしい。貧民がたくさん住んでるから、貧民街。単純だ。
馬鹿にしやがって。
ガラ通りじゃ中心街と比べて蝙蝠人や爬虫人、鼠人の数がいっとう多い。多分ここだけじゃない、ほかの貧民街でもそれは同じだろう。新聞やニュースでは化け物の巣窟みてえに言われる貧民街だけど、俺らはそのど真ん中で暮らしてる。中心街みたいにとはいかねえけど、生活に必要な色んなものを売ってる店はあるし、タバコ屋だってある。それにガラ通りには
そんなガラ通りで、俺はいま探偵をしている。
刃物を持った奴らがうろうろしているような危ねえ場所をあっちこっち歩き回るばかりで楽な仕事じゃない、でも俺は思う存分体を動かせるこの仕事が好きだ。依頼の内容はいろいろある、迷い人を探してくれだの、盗まれた自転車を見つけてほしいだの。一番稼ぎが大きくて楽しいのは、チンケな盗みや暴力沙汰を起こした犯人の吊し上げだ。生存税も払えねえような貧乏人を自警団は守ってくれない、それは俺たちにとっちゃ常識だ。助けを求めてそこら辺のお巡りさんに声を掛けたって、結果は先に書いた通り、スタンバトンの一撃をもらうのが精々だ。
それに、貧民街の周りを自分からうろうろしてる連中は、得点とワイロ欲しさに俺たちを殴りつけたがってうずうずしてるんだから、うっかり自警団に声を掛けたやつはボコされるわ財布をパクられるわで大抵ひどい目にあう。それならトラブルは住人でなんとかしちまおうってことで、ガラ通りで悪事を犯した奴らを痛めつけるのは昔から探偵の仕事ってことになってる。もちろんボランティアじゃねえ、貰うものはそれなりにたっぷり貰う(大体は依頼人から少しと、犯人の財布まるごと)。仕事なんだから金のことを第一に考えるのは当たり前だ、そうだろ?
一緒に働いてるのは、さっき名前を出した宇佐見といなほの二人。まずは宇佐見のことから書くのが筋だろう、クズで自己中な色情魔だけど俺の育ての親だ。
宇佐見。物好きでデブな兎の獣人(たぶん。やつは自分の事を悪魔だとか言う、アホくせえ)。染めたみてえに濃い紫の毛皮と、俺の手のひらくらいもあるでかい目玉が特徴。おまけに一つ目だ。やつがどうしてそんな化け物じみた見た目をしてるのかは知らない、聞いたところで教えちゃくれない。だけどガラ通りには他にもおかしな見た目をしてる奴らがうじゃうじゃいるんだから、これくらいは普通なんだろう。なるべくそう思うようにしてる。
さっきも書いたけど、やつは俺の育ての親だ。路地裏で痩せっぽちのガキだった俺を拾って、そのまま自分の
やつは俺を長く生かすつもりはなかったらしい。仕事の途中で
やつがどこで何をしていたか、俺の知ったこっちゃなかった。ヤクザの下請けをしていたとか殺し屋をしてただとか、いろんな噂は聞いたけど、ガキだった俺には分別なんてものはなかったから、こいつに付いていけばしばらく食うには困らないってことだけで俺には充分だった。もちろんタダ飯をもらえるわけじゃない、色んな仕事に手を出した。荷物の受け渡しや借金の取り立て、復讐代行、まだ数えきれないほどあるけど、そのどれもがやばい仕事だった。何度か死にかけたし、殺されかけたことだってある(俺は殺したことはない)。こうして今、事務所の机に座ってものを書いてるのが不思議なくらいだ。そういった意味で、やつは腐れ野郎だが確かに俺の命の恩人ってことになる。
俺らはいつも一緒に暮らしていた。狭いボロのビートルの中で、薄い毛布にくるまり合って眠り、朝になったら起きて車を出す。それが俺の毎日で、普通のことだった。やつから一方的にキスを受けたり尻を差し出したりするのが普通のことじゃねえって気づいたのはずっと後のことだったが(世間的にはやつに飼われてたってことになるらしい)、気づいた頃にはそれがもう普通のことになっちまってたから俺は別にいやだとも思わなかった。書いちまおう、俺は今もやつに毎晩抱かれ続けてる。でも、だからって俺は自分を不幸だとも思わない。母親が子供をハグするみてえに、それは俺にとって普通のことだ。
今やっているような探偵の仕事を始めるまでは、クソッタレの便利屋といった感じの仕事をしながら、やつのビートルで各地を転々としていたが、そのうちにやつが一箇所に腰を据えたいと言い出した。歳をとると、人は誰でもそうなるらしい。昔の知り合いが雑営団地で暮らしてるってんで、二人でガラ通りに来て安い事務所を借り、住人相手に探偵の仕事を始めた。それが五年前。車中泊の時代から数えると、宇佐見とはもう十年近い付き合いになる。
ガラ通りはよそ者に厳しい、受け入れられるまでにはずいぶん苦労した。近所のばあちゃんから水をぶっかけられた事も二度や三度じゃない。ただ、元から暴力まがいのことを仕事にしてたから、ガラ通り流の探偵稼業に慣れるのにもそれほど苦労はしなかった。俺たちはよその事務所と違って、法外な値段をふっかけたり依頼人をゆすって金をたかったりはしない(最初の頃は、よそからずいぶん妨害を受けたっけな)。この街の住民に受け入れられるには時間と信用がなにより大事だって、宇佐見は事あるごとにそう言っていた。そのうちに宇佐見の言うとおり、よその事務所が数年足らずで潰れていく中で、俺たちの所にはトラブルの解決を求めて客がぽつぽつやってくるようになった。儲からない仕事だが、とりあえず生活の基盤ってやつはできた。今はもう、それほど苦労することもない。ただ、一応は住民の味方ってことになる仕事だから、ご近所さんにはできる限り愛想よくしなきゃならねえってのはあるけど。
俺たちの新しい仕事がようやくうまくいき始めた頃だった。ちょうど二年くらい前に事務所へ転がり込んできたのがいなほだ。御朱門いなほ。狐人。何かの冗談かと思った。なんでって、金持ちの狐人は普通、貧民街なんかにはわざわざ来ないだろ。もし貧民街に狐人がいるとしたら大抵は面白半分にスラム街を見物しに来やがった物好きか、なにかの弾みでうっかり貧民街に迷い込んだ挙句に皮剥ぎだの目抜きだの(文字通りの意味だ。性悪の臓器売買人はそうやって
翌朝、朝刊を握りしめた宇佐見が俺を叩き起こした。ついに気が狂ったのかと思ったが、そのわけはすぐに分かった。なんとかいう大貴族のご令嬢(確かでかい神社の跡取りって書かれてた)が何者かに誘拐されたっていう一面記事に、その狐女の写真が載ってた。見間違うはずもなかった、全く同じ顔だったんだ。
俺はソファで丸まって寝てるいなほを叩き起こして、どういうわけだか説明するよう言った。今思うと年下の女に対して勢い任せにずいぶんひどい事も言っちまったが、それでもやつは負けずに言い返してきた。言い分はこうだった。
実家の神社を継ぐために望まない相手と結婚させられることになった。神社の跡取りとして今まで散々厳しくしつけられてきたけれど、家族の言いなりになるのはもう耐えられない。まさかガラ通りに逃げたなんて分からないだろうと思ったから、ここまで逃げてきた。殺されたって実家に戻るつもりはない。
今すぐこいつの尻を蹴っ飛ばして事務所から叩き出してもよかったが、悪くすると誘拐事件の犯人に仕立て上げられるのは俺たちだ。それにあいつがあんまり必死に頼み込むもんだから……はっきり書くけど、俺たちがあいつを中心街へ追い返してたらあいつはその足で電車に飛び込んだかもしれない。そのくらい、あいつの顔は思い詰めていた。宇佐見はどう思ったか知らないが、あいつが生半可な覚悟で住処を飛び出してきたんじゃないって事が、俺にはよく分かったんだ。
仕方なく俺たちは一緒に生活を始めた。ガラ通りじゃ、貴族のお嬢さんがどうこうなんて話題はクソの役にも立ちゃしない。そんな話題をいちいち気にするのは中心街に住んでるニュース中毒の一般市民くらいってもんだ。三ヶ月もすれば新聞の一面はお嬢様の誘拐事件っていうニュースから有名芸能人が不倫したなんてもっとクソみたいなニュースに取って代わられた。ガラ通りでいなほの事を気に掛けるやつはいなかった。多分、どっかの狐人が不倫相手に産ませた子供、くらいにしか思ってなかったんだろう。まさか名家のお嬢さんがこんな所で暮らしてるだなんて思いもよらないはずだ。俺だってそう思う。
たぶんいなほの家族は、あいつが結婚を嫌がって自分から出ていった事なんて知っていたんだろう。ただ、事が事だから大っぴらに捜索願いを出すわけにはいかず、それでデタラメの誘拐事件をでっち上げたってわけだ。あいつの家がどれだけ厳しかったか俺は知らないが、家を捨てた後継ぎなんてもう家族じゃない、くらいは思っていたんだろう。その証拠に、半年後になって、例のお嬢さんが遺体で発見されたって小さな囲み記事が新聞の最終面に載った(その記事を見た本人がどれほどショックを受けていたか、わざわざ書きたくはない)。狐人は血が冷たいってよく言うけど、そういうもんだろうな、と思った。
帰る家を無くしたあいつは、俺たちの事務所で住み込みで働くことになった。最初は狐人が貧民街に住むなんてふざけやがって、と思っていたが、見た感じあいつはガラ通りでもうまくやっている。客相手に愛想はいいし、近所のやつらとよく話をしては差し入れの一つや二つをもらってくることがあるし、たまにこまごました依頼なんかも拾ってくる。事務所に駆け込んできた頃と比べて、あいつの顔はずいぶん明るくなったみたいだ。たぶんあいつは中心街のセレブ暮らしより、こうした下町暮らしの方が性に合ってたんだろう。もしかしたら、狐じゃなくて山犬か何かの血が流れてるんじゃないかと思う。本人に言ったらどれだけ吠えつかれるか分からないから俺は黙ってるけど。
家族がどういうものだか知らないが、俺に妹がいたらあんな感じだろう。
俺たちの探偵事務所(天下の
もしあんたが俺らになにか依頼をしたいってんなら、事務所の依頼用ポストに手紙でもよこしてくれりゃいい。通信ポスト経由の電子書面だっていい、別にその分の手間賃は取らねえ。失くしものから人探し、復讐代行、借金の取り立てまでなんでもござれだ。ただ、大きな依頼をしたいってんならそれだけの金(とタバコが何箱か)が必要だってことはきちんと書いておく。
書き疲れた。続きはまた気が向いたら、もしくは宇佐見にせっつかれたら書く。
山羊人・互藤はすみの手記 江古田煩人 @EgotaBonjin
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