砂の夢

天野 星

第一話

陽国ひのくに

 四メートルのランタン前で、一組の父子がパラパラと散る火を見つめていた。


「ヒノ。今日からお前の居場所は『水国みずのくに』だ」

「はい、お父様。守護獣しゅごじゅうの名に恥じない仕事をしてみせます」


 岩よりも硬い赤銅色しゃくどういろの体毛と、赤橙色せきとうしょくの双眸を持つ『火獣ひじゅう』と呼ばれる獣人が住まう国の一画で、「ヒノ」と呼ばれた少年と父親が別れの挨拶をしていた。


「ヒノ。今から言うことを絶対に忘れるな」


 硬い声の持ち主をヒノが見上げる。


「先の大戦で一部を奪われた結果、風前の灯火となった『願火がんか』の守護が出来るのは、神獣『慈火じひ』の加護を授かった我が一族のみ。守護獣に選ばれたからには懸命に働きなさい」

「はい!」

「良い返事だ。寂しくなったら手紙を送れ。いや、送ってほしい、だな」


 先代の顔から親の顔へ。目尻の皺を深くして笑む父親とは対照的に、ヒノの顔は曇っていく。


「どうした? 怖くなったのか?」

「ううん。少しだけ寂しくなった……けど、大丈夫だよ!」

「必ず返事を書くから」

「約束だよ?」

「ああ、約束だ」


 互いの小指を絡ませると、ヒノの鋼鉄の尾羽が赤く染まった。


     *


林国りんのくに

 樹高五十メートル、幹周五メートルの巨木前で、一組の家族が十五センチメートルはある長球型の種子を囲んで一家団欒していた。


「クク。いよいよだな。私が言ったことは覚えているか?」

「覚えてる。覚えてる」


 地面にめり込む種子の前にしゃがんでいた少女がぴょんと立ち上がると、綿毛のような翠色すいしょくの髪と、右足から額にかけて巻き付いている蔓の先端がふよふよと揺れた。


「クク。ふざけてないで真剣に聞きなさい」

「おじいちゃんもお母さんも、暫く会えないのに説教するの?」


 土色の肌を覆おうケープ型の柔毛と、深緑色の双眸を持つ小形の獣人『森獣しんじゅう』が暮らす国。「クク」と呼ばれた少女は、祖父と母親の話を煩わしそうに聞いていた。


「クク。この種子を生み落とす『咲夜木さくやぎ』の一部を守れるのは、左胸にある咲夜木の花を象った『花石かせき』が咲いた者のみだ。しっかりと守るんだぞ」

「分かってるよ。お別れの挨拶なのに、最後の最後まで……遅刻しちゃうからもう行くね?」


 風に身を任せた綿毛のように、ふわっと祖父から離れると、家族の心配を余所に「いってきます!」と満面の笑みを浮かべて駆け出した。


     * * *


 十年後。午前一時。

 水国の市街地を一望できる高台に設置されたランタン前で、願火を守っていたヒノのもとを、咲夜木の守護をしているはずのククが訪ねてきた。


「これ見て!」

「勤務中だ。帰宅してからにしろ」 


 十年前。

 五歳になったばかりの二匹は、『海獣かいじゅう』という獣人が暮らす水国にある『願火』と『咲夜木』の守護獣となる為に単身移住してきた。

 同じ役目を背負った余所者の二匹。二つの同じが結んだ絆は、十五歳になった今でもほつれることなく繋がっている。


「今すぐ持ち場に戻れ」

「戻るからこれを見て!」


 突き出されたククの右手には目もくれず、赤銅色の左手を額に当て天を仰いだヒノが大げさに息を吐いた。そして、目線だけククに向けると「今度はなんだ?」と半ば諦めた声色で問うた。


「だーかーら。これを見てってば!」


 上から下に視線を移すと、翠色の綿毛から覗く土色の手のひらに、何かが乗っているのが見えた。


「小石?」

「石じゃなくて砂なの。私達が探してる例の砂だよ!」

「は?」


 例の砂。という言葉に反応したヒノの尻尾が跳ね上がった次の瞬間。

 ビダンッ――

 二人の声以外、物音一つしなかった神聖な地に、羽音や虫の鳴き声。果てはヒノの背後にあるランタンの火種が爆ぜる音まで鳴り響く。


「……すまん」


 地に叩きつけた鋼鉄の尾が力なく波打つ。誰の目にも明らかなほど肩を落としたヒノの姿に、ククの喉が「ぐっ」と鳴った。


「鋼鉄の尾羽だから仕方ないよ。うん。次から気をつけよう? じゃない! これ見て! ってない! どこいった! どこにいったの?」


 急に右往左往し始めたククの右肩を掴んだヒノが「どうした?」と問い掛けると。


「ヒノも一緒に探して! やっと見つけたの」


 振り返ったククの瞳が濡れている。今にも落ちそうな涙を拭おうと、ヒノが手を伸ばした直後。雲に隠れていた月が二匹を照らし出した。


「あ」

「ヒノ?」


 硬直したヒノを呼ぶも反応がない。代わりに左胸付近に視線を感じたククがとっさに腕で隠そうとしたところ。


「動くな!」

「はい!」

「だから動くな! そのままだぞ。絶対に動くな」

「ちょ! な! そ!」

「動くな話すな静かにしていろ」


 自身の繊細な部分に触れようとしているヒノを見ていることしかできなくて。

(恋人でもないのに! ただの幼なじみなのに!)

 固く目を閉じて心の内で抗議すること数十秒。


「本当に在ったんだな」

「え?」

 

 目を開けたククが胸元を確認しようと動いた時。

 コン――


「すまん!」


 ククの身体で唯一固い場所。

 花石に触れてしまったヒノが、目にも留まらぬ速さで後退した。


「そんなつもりは……じゃない。申し訳ないことをした」

「悪気があった訳じゃないし、それはいいとして。何が在ったの?」

「それはって……まあ、いい。お前が持ってきた物だよ」


 離れた距離の分だけヒノに詰め寄ったククが、「砂!」とヒノの赤くて分厚い手のひらを指した。


「苦労が水の泡になるところだった」

「……申し訳ない」

「ヒノのせいじゃないよ。でも、今日が満月でよかった」

「そうだな。見つからないうえに、発光しないじゃ探す意味がない」

「うん。て、うん?」


 月光を浴びて青く光る沙石。


「一緒に探すよ。お前の。いや。俺達の夢」

「うん。て、え?」

「探すんだろう? 消失した海の欠片と呼ばれる伝説の砂」


 声もなく受け取れと伸ばされたヒノの手にある

 月明かりに照らされ、猛火の如く輝く赤に劣らぬ輝きを放つ青の砂。


「いいの? 本当に一緒に探してくれるの?」

「約束したからな」

「忘れてると思ってた」

「覚えてるよ。で、どうするんだ? 探すのか、探さないのか」

「もちろん探すよ。『満海の砂』を集めて、失われた海を取り戻すんだから!」


(胸元に咲く石の花のように可憐な笑みを見せるクク。

 そんな彼女に暖かな眼差しを向けるヒノ。

 故郷でもない水国で、陽国の獣人と林国の獣人が二匹。

 友から聞いた夢を叶える為、)


「消失戦争で砕けてしまった海の欠片と呼ばれる『満海の砂』を探す決意を固めたのである」

「お前は何を言ってるんだ?」

「あれ? 声に出てた?」

「思いっきりな……妄想を垂れ流す癖。治した方がいいぞ」

「大丈夫。ヒノ以外に指摘されたことないから」


 ヒノから受け取った沙石を小袋に入れたククが、当然のように愛らしい笑みを向けるから。


「わかった、わかった」


 ヒノもまた、当たり前のようにククの全てを受け入れた。


 一ヶ月後。


  【百年前。

  七大陸の中央とも、七大陸の果てとも呼ばれる場所に、

  前人未踏の地であったが故に『不可視の丘』と呼ばれ、

  世界から永遠の夢とも称された、美しい大陸が在った。

  その名を『光彩色こうさいしょくの丘』と言い、

  『光王こうおう』と『色王しきおう

  と称する二人の王が、資源豊かな三国を統治していた。


  一カ国目『海国かいのくに』 ※現『水国みずのくに

  『満海まんかい』という、未来永劫干れることのない海を有した国。

  新鮮な魚介類や塩を輸出し、観光地としても栄えていた。


  二カ国目『森国しんのくに』 ※現『林国りんのくに

  『咲夜木さくやぎ』という、数百の木を生む種子を落とす花が咲く木を有

  した国。

  これにより豊かな森を築き、山の幸や薬草を輸出。

  薬草を用いて病を治す薬士やくしを育成し、他国に派遣していた。


  三カ国目『火国ひのくに』 ※現『陽国ひのくに

  火を司る神獣『慈火じひ』に守られ、永遠に燃える『願火がんか』  

  という火を有した国。

  火力発電によって文明を発展させ、他国へ電力供給もしていた。


  豊富な資源と二人の賢王が統べる大陸で、人々は穏やかな生活を営んでいた。

  しかし、平和というものは脆く、儚く。

  自国の資源を独占することで、他国を支配しようとする者が現われた。

  小さな欲望は、いつしか大きな戦へと変わり、

  その末路は誰もが望まぬ悲惨なものであった。

  豊かな生活を支えていた『満海』『咲夜木』『願火』という三国の資源は、

  終戦の条件として三等分に分かたれ、各国で厳重管理されることになったが。

  ――海は砕け、森は散り、火は消えた――

  斃された二人の王の嘆きか、私利私欲に駆られた神罰なのか。

  多くを犠牲にして手に入れた資源の効力は消失することになる。

  大海原は縮小し塩水に。豊かな森は疎らな林に。燃え盛る火は焼ける陽に変質  

  した。

  故に、この戦を『消失戦争』と称し、

  海国は水国へ。森国は林国へ。そして、火国は陽国へと名を改めた――】


「クク。ここは自宅じゃない。洞窟だ。何が出るか分からん場所で読書なんかするな」

「ヒノがいるから大丈夫。それよりも、ヒノの声でなに、か、」

「蚊?」


 ククの人差し指が示す洞穴の奥に目を凝らすと、一筋の光が差す場所を認めた。


「行くよ?」


 ククの額に巻き付いている蔓の先端。図鑑に載っていたゼンマイのように渦巻くソレが、彼女が動くたびにゆらゆらと揺れる。


「待て! 一人で行くな!」


 鼻腔を擽っていた植物が視界から消えると、ヒノも勢いよく立ち上がりククの背中を追った。

 

「夜目が利くと言っても深夜の洞窟だぞ!」


 風に乗る綿毛みたいに、ふわふわと駆けていくククの身を案じるヒノの叫びも虚しく、彼女はひたすら前進していく。そして。


「あった! あったよ!」


 天井から差し込む細い光が、翠色のククと地面に埋まっている〝探し物〟を照らしていた。


「……やっと、追いついた」


 膝に手をつき、肩で息をするヒノには一瞥もくれず、爛々とした目で地面を見つめるククが「早く! 早く!」とヒノを急かす。何十回目かも分からぬやり取りに嘆息すると、言われるがまま右腕に力を込めた。


「体毛の硬度が変えられるって、便利だよね」

「まさかとは思うが、工具を持参しなくて楽できる。とか考えてないだろうな」


 硬度を上げた体毛をツルハシ代わりにして採掘をしていたヒノが、座っているだけのククに冷めた目を向ける。


「ヒノは頼りになる相棒で、大事な家族で、心強い仲間だよ?」

「それはどうも」


 純粋無垢なククに皮肉は通じない。以降、黙々と作業を続けること十五分。

 発掘した〝探し物〟を、ククが壊れ物を扱うような手つきで拾い上げると、頭上から差す光を浴びたそれが、彼女の手のひらで青く輝き始めた。


「ヒノ! ヒノ! 十個目の『満海まんかいの砂』だよ!」


 きゅっと握り締めた手に頬ずりをして喜ぶククに「そうだな」と微笑みを湛える。


「嬉しい気持ちは分かるが、こんな所で落としたら惨事だからな? 先月のようにはいかないぞ」

「分かってますよー。ヒノ、お母さんみたい」

「じゃじゃ馬を産んだ覚えはないな」

「じゃじゃ馬って、で! すぐに叩く!」

「前みたいな事はごめんなんだよ。いいから貸せ。俺が預かる」


 乱暴な言葉とは裏腹に、柔く小さな手に静々と触れる。一本、一本、丁寧に指を開いて取り上げた沙石を、ククが用意していた小瓶に入れた。


「あの場所に幾つ沈めたらいいんだろうな」


 赤橙色の瞳に青い光が灯る。

 

「うーん……千個集めたら、満海だった水に入れてみよう?」

「千……本当に無色透明な水が、色彩も資源も豊かな海に戻るのか?」

「やってみるしかないでしょ?」

「だな……」


 小瓶分の距離。硝子の中の青とククのみどりの瞳が、かつて海国と呼ばれた水国に存在していた、満海という名の大海原を彷彿とさせた。


「お前は本当に学ばないな。前髪みたいにポヤポヤしてる蔓同様、ポヤポヤしながら歩くな!」


 洞窟から出て直ぐのこと。月に掲げようとしたククの手から滑り落ちた小瓶を受け止めたヒノが、正座をしているククを叱咤していた。


「俺、言ったよな? 先月のようにはいかないぞと。どういう意味か分かってるのか?」

「分かってます。すみませんでした」


 ククが頭を下げると、蔓の先端同様。胸元の花石までもが萎れたように花弁を垂れた。


「はあ……今日は満月じゃないから、万が一落としてみろ。微かな光を頼りに一晩、いや、次の満月までは見つけられない可能性もって、反省しているのは伝わったから。明後日の捜索からは気をつけろよ」

「はい……」


 落ち込むククに「ほら」と立ち上がるように促すと、「世話の焼ける奴だ」と毒づきながらも、膝についた小石を甲斐甲斐しく払っていく。そんな姿を見つめるククの視線に気づいたヒノが顔を上げると。


「お前なあ……」


 ほくほく顔のククと目が合った。


「ありがとう」

「どういたしまして。ほら、これ」


 腰を上げたヒノが、沙石の入った小瓶をククに渡す。

 受け取ったククが、左胸に咲く花石の裏にそれを差し込むと「ありがとう」と破顔した。


「なあ。探し始めてから一月ひとつき。一日おきに探してやっと十個。俺達だけじゃ難しくないか? そろそろカイにも」

「ううん」


 首を振るククに「どうしてだ? これはカイの夢だっただろう?」


 カイとは、水国にある満海の守護獣で、ヒノとククの同僚だ。そして友でもあった海獣。ヒノとククが守護獣として独立するまでの五年間、衣食住を共にした家族のような存在。ヒノとククが二匹暮らしを始めても繋がっていた絆だが、五年前のある夜を境にぷっつりと切れてしまった。


「カイは誰よりも海国という名を、満海を取り戻そうとしていた。ずっと焦がれていた。そんな奴が〝これ〟を見たらどう思う?」


 ククの両手が、咲夜木を象った石の花を包み込む。


「だから俺達だけで、三分の一から始めようとしたのか? カイが望んでいた〝小さな海から始める皆の幸せ〟とやらを」


 首肯したククの頭に、ヒノの手が触れる。

 その手は柔らかく、彼女の意思や夢を尊重し、受け入れているかのようだ。

 頭を撫でるヒノに身を任せていたククが「ヒノ」と彼の右手に左手を重ねる。


「ん?」


 覗き込んだヒノの目に、強い光を宿したククの瞳が映った。


「この国に現存する水を満海に戻したら。その時こそカイに話そう。私達が成し遂げたいことを。カイの夢の続きを一緒に聞こう? ね?」


 くしゃっと笑ったククの表情が、カイと袂を分かった夜の苦さを想起させた。


「分かったよ」


 さようなら。を受け入れた時でさえ泣かずに笑ったクク。

 さようなら。を見送った時でさえ名を零すことしかできなかったヒノ。

 あの夜から三匹は二匹となり、五年経った今でも二匹だけで〝友の夢〟を探している。


「満月の夜に強烈な光を放つ満海の砂。一夜の青い輝きが、かれることのない夢と、皆の幸せに繋がっていればいいのに……そしたら、また……」

「また繋がるさ。俺もお前も。そしてカイも。この国でたった三匹の守護獣であり、友なんだから」


 硝子の中で光る小さな沙石を夜の帳に掲げると、頼りない月影に呼応するように、砂の青が微かに強くなった。


 洞窟で砂を発見してから三ヶ月。

 二匹は勤務を抜け出して満海の砂を探しに行った。

 伝説とあって噂話以外の手掛かりは皆無。勿論、資料も史料もない。

 唯一、何か知っていそうなカイとは五年も会っていない。

 砂というだけあって、海岸だった場所は最初に捜索した。建造物に使用されている可能性もある為、深夜に眠る街の外壁に額をつけて調べもした。

 カイが仮眠を取っていると思われる時間帯に、満海の一部がある区域に忍び込んだりもした。ありとあらゆる場所を捜索したが、見つけられたのはたった一粒。


「やっぱり毎日にしない?」

「それは駄目だ。俺が言えた義理じゃないが、法を忘れたわけじゃないだろう?」

「そうだけど……これじゃ一年経っても三分の一どころか、百も見つけられない」

「それでも約束は約束だ」


 ヒノも捜索するに当たって、二人で決めたことがある。


 一,仕事に支障が出ないように、捜索は一日おきにすること。

 二,誰にも見つからないように、捜索時間は午前一時から午前二時までの一時間。

 

「これは俺達の命だけではなく、三国の歴史と多くの犠牲を守る為の約束だ。守れないのなら俺は下りる」


 固い絆で結ばれた二匹。同じ二つで繋がっている彼等にとって、互いの存在と存在理由は切っても切り離せないことはククも理解している。

 生まれた瞬間から定められた道。背負わされた役目。前を向いていられるのは、互いの存在があってこそ。


「そんなこと言わないでよ。ヒノの言うことは正しい。正しいけど」


 今宵は新月。夜目が利く獣人であっても、光らない砂を見つけることは出来ない。捜索日を一日ずらしたヒノとククは、散るように爆ぜる願火を前に話し合っていた。

「俺も」

――お前と同じ気持ちだ。


「ヒノ、クク。こんなところで何をしている?」


 ヒノの言葉を遮ったのは、記憶から霞かけていた声。

 名を呼ばれたヒノとククが、そろりそろりと振り返った。


「ど、うして、」


 時が停止したように、ヒノの声が闇に呑まれていく。

 突然の出来事に言葉を失ったククは、懸命に訊ねるヒノの横で呆然としていた。


「それは俺の台詞だ。勤務中であるはずの咲夜木の守護獣が、どうして願火の守護獣と一緒にいるんだ? これは立派な職務放棄だ。それが何を意味するのか。分かっての行動だろうな」


 カイの肌を覆う海碧かいへきの鱗が、願火によって妖しく光る。

 五年ぶりの再会は、ヒノとククにとって最悪なものとなった。

 全てを射殺すような漆黒の眼光。海獣独特の縦に伸びた瞳孔が、彼の怒りを如実にあらわしている。


「……管理はきっちりしている。放棄はしていない」

「午前一時から二時までの間。コソコソと何をしている?」


 ヒノが絞り出した反論に素早く返すカイ。彼の質問にヒノの表情が険しいものになる。


「尾行したのか?」

「それはお前達だろう? 俺がいない時を狙ったんだろうが、仮にも守護獣だ。区域の異変くらいすぐに分かる。それに、四ヶ月ほど前に地響きが聞こえてな。念のために咲夜木と願火を確認しに行けば、何やら盛り上がっているじゃないか。震源地がヒノだと判明したから声を掛けずに持ち場に戻ったが、やはり気になってな。動向を探っていたら驚いたよ。お前まで持ち場を離れているんだから」


 淡々と経緯を説明するカイに、ヒノとククが口を挟む隙はない。

 彼の言うとおり、一時間とはいえ守護獣の責務を放棄していたのだ。


「それで。何をしているんだ? 内容次第では死罪だぞ」


 死罪。それは守護獣に限らず、国民にも適用される刑罰。


「三つの欠片に許可なく触れた者。守護の役目を放棄した者。これ等は如何なる理由があろうとも即刻死罪とする。忘れたわけじゃないだろう?」

「ああ。嫌になる程、暗唱したさ。俺も、ククも」


 カイが纏う雰囲気に呑まれたのか。先刻から一言も発さず、微動だにしないククを安心させる為に、身を寄せる彼女の肩に手を回すヒノ。

 硬度を下げたヒノの柔らかい腕の温もりに安堵したのか。胸元で握り締めていた両手に一度力を込めたククが「あのね!」と声を張り上げた。

 突如響き渡った甲高い声に、ヒノとカイの視線がククに集中する。


「クク?」


 視線の先には、カイと別れた月夜と同じ笑みを浮かべるククがいて。

 華奢な肩を抱いていた腕の力が自然と強くなっていく。


「ヒノが言ったとおり。此処は、カイの国だから」


 芯の通った声でヒノに告げると、未だヒノとククを睨むカイに向き直り、一歩ずつ確実にカイとの距離を縮めていった。


「カイ。あのね」

「俺の国がなんだって?」


 ククの言葉にカイの声が重なる。


「相変わらずの地獄耳だな」


 ククの後から距離を詰めていたヒノが言う。


「御託はいいから、さっさと話せ」

「今話そうとしてただろうが……お前は黙って聞いてればいいんだよ。ほら、クク」


 ポン。と背中を叩かれたククが、横に並び立ったヒノを仰ぐ。

 すると、普段と変わらない、温かな火の色を灯す彼がいた。

 

「カイ。あのね――」


 二度と果たせなくなってしまったカイの夢を、ヒノとククが引き継いでいたこと。

 その為に、カイから聞いた伝説の砂と呼ばれる『満海の砂』を探していること。

 満月の夜にそれを沈めて、小さな塩水を『満海』に戻すこと。

 三分の一でも失われた満海が戻れば、カイの夢の第一歩に繋がるのではないか。

 この砂が、失われたカイとの絆を取り戻してくれるかもしれない。

 そう願って探し続けていることを、身振り手振りを交えてカイに伝え続けた。


「それでも私達がしていることは職務放棄だから。罰するなら私一人を罰して。ヒノは私の我儘に付き合ってくれただけ、痛い! 痛いって! 今、わざと硬めにして叩いたでしょう!」

「怪我してないだけ有り難く思え! お前はいつも一人で決めて。いつになったら俺の話に耳を貸すんだ? っいだ!」

「いたい!」


 頭頂部を押さえたヒノとククの悲痛な叫びが静寂を切り裂く。

 

「静かにしろ」


 頭を叩いたカイが、腰に手を当てわざとらしく息を吐いた。


「痴話喧嘩なら今度にしろ。今、そういう話の流れだったか? なあ、そういう話の流れだったか?」

「すまん」

「ごめんなさい」


 萎れるククと、脱力するヒノ。特徴的な花石と尻尾までもが、彼等の心情に同調している。


「く……くく……ふっ……」


 前方から漏れ聞こえる声にヒノとククが頭を上げると、肩を震わせ、口元を隠すカイがいた。


「……もう駄目だ。相変わらずの馬鹿二匹に、真面目に接しようとした俺が馬鹿だった……ふっ、……ククは萎れた蔓と花石。ヒノは尻尾をどうにかしろ。いや、今すぐどうにかしろ。でないと俺が、駄目だ。もう無理。あはは!」


 腹を抱えて笑うカイに首を傾げるヒノとクク。


「尻尾?」

「蔓と花石?」


 指摘された箇所を同時に確認する。

 

「あ」

「あ」


 息がぴったりのヒノとククに、カイの笑い声が一際大きくなった。

 カイの笑いが止まったのは、萎れた一部と脱力した一部を正したヒノとククが「いい加減にしろ!」と彼の腰と背中を叩いた数秒後のことだった。


「久しぶりに笑って疲れた」

「それは良かったな。で? 話を聞いたお前はどう思ったんだよ」

「カイとしてか? それとも守護獣としてか?」

「分かりきったことを訊くな」


 ヒノとカイの睨み合いが再開したところで「どっちもだよ」とククが間に割って入った。


「はあ……守護獣としては失格」


 失格という言葉に、ヒノとククが固唾を呑んで続きを待つ。


「失格だが……クク。見せて」

「はい!」


 水国でたった三匹の守護獣であり、家族でもあり、友人でもあるからこそ、一から十まで言わなくても通じる。迷いなく小さな夢が詰まった小瓶を手渡した。


「本当に存在してたんだな」

「ヒノと同じこと言ってるよ?」

「誰でもそう言うだろ」

「ヒノに同意する」

「それで? カイとしての答えは?」

「決まってるよね?」


 直球で訊ねるヒノと自信満々に訊くクク。

 真っ直ぐな彼等と向き合うように。海に似ている水色の双眸に光が宿った。

 

「俺は――」


 四メートルのランタン前に、三つの影が並んでいる。


 一つは水国の守護獣として満海の一部の番人をしている海獣。

 一つは陽国からやってきた、水国の願火の守護獣である火獣。

 一つは林国からやってきた、水国の咲夜木の守護獣である森獣。


 生まれも種族も違う三匹は、同じ国の守護獣となる為に出会い、一度は別離した。

 そしてこの夜を境に、二匹だけの〝友の夢〟は、三匹の〝小さな夢〟へと戻り、やがて大勢の獣人の〝幸福〟となり、光彩色の丘へと繋がっていくのである――


                                   〈了〉

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砂の夢 天野 星 @amano_sei

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