ポテチの袋の宇宙の彼女

鳥辺野九

ポテチの袋の


 最近とみに思う。ポテチの内容量がほんと少なくなった。袋に手を突っ込まないとポテチを摘めやしない。


 深夜。コタツで温まってノートPCで動画鑑賞しながらポテチを摘む。これを至福と言わずしてどうする。


 少ないながらさらなる幸せを掴み取ろうと袋奥深く手を潜らせたら、不意に誰かと手を握り合ってしまった。


 お互い、固まる。


 細くてすべすべした指は少しひんやりとして、僕のポテチの粉塗れの指を恐る恐る触れる。強く触ればほつれてしまう大切な刺繍を扱うように、初めて繋ぐ片思いの異性の手を包むように、僕の手を握る冷たい手。


 本能的に恐怖を感じてポテチの袋から手を引き抜いた。パサリ、軽い音を立てて揺れるポテチのパッケージ。息が止まるような緊張感が部屋に満ちる。ポテチの袋の中に誰かいる。


 ずるずると座椅子に身体を傾けて、横たわるポテチの袋を覗き込む。向こう側も同じようで、袋の中を覗く誰かと目が合った。


 宇宙を思わせる大きい瞳。まつ毛がくるんとカールしてて女性的で悩ましい。猫科の動物みたいに縦に切れた瞳孔で僕を見つめる彼女。肌は透き通るほど褐色でそばかすがキラキラと穏やかに光る。僕と目が合うと、びくっと震えて柔らかそうなブルーダークな前髪がさらりと垂れた。


 猫科宇宙人のような彼女が何か言った。ぷっくりとした唇がもぐもぐ動く。


 何か応えなければ。僕はポテチの袋の中の彼女に手を振って問いかけてみた。


「やあ、元気してる?」


 猫科な彼女が大きな瞳で瞬き一つ。ぎこちなくも僕の手の動きを模倣するかのように手を振り返してくれる。もう一つ大きく瞬きをして、今度は招き猫のように頬のそばに掌を持ってきて細い指先をくいくいっとしてくれる。彼女の世界の挨拶だろうか。


 僕も招き猫よろしく顔のそばで指先をくいくい。少し気恥ずかしい。彼女もそうなのか、照れ臭そうに大きな瞳を細めて微笑んでくれた。頬のキラキラそばかすが光りを強めて、猫科の八重歯が白く覗く。


 猫科な彼女がまた何か言ってくれた。残念ながらちっとも聞き取れない。どの地球言語の発音とも異なる吐息混じりのウィスパーボイス。ポテチの袋に手を突っ込んで、少し冷たいが柔らかい手をにぎにぎさせる。


 友好の握手を求めているのか。


 好意を持って女子と手を繋いだこともない僕にとって、あの悩ましげな猫科の瞳、八重歯が眩しい微笑み、柔らかく包む手のひら、すべてが恋に落ちる要因だ。


 僕はポテチの袋に手を差し伸べて、彼女と手を繋いだ。


 手指という部位はこんなにも関節の多いパーツだったのか。ほんの少し力を込めれば、組み合わさった骨の動きがよくわかる。抵抗するように力を入れ返してきて、居心地の良いポジションを探す彼女の指先。


 僕の手首を持ち上げるように角度を変えて、指をほどき、指と指の間に細い指先をするりと忍ばせる。絡め取る。手の甲にあたる爪の鋭さがかえって気持ちいい。指と指を絡み合わせて、手のひらと手のひらを重ねて合わせて、君が僕に柔らかい冷たさをくれるなら、僕の体温を君にあげよう。


 これはもう恋だ。


 猫科な異星異種族の彼女とポテチの袋の中で手を繋ぎ心を通わせる。違うポテチ宇宙でも手の形はほぼ同じだ。お互いの言葉は通じないけれども、同じ温度になるまで体温を分け合おう。だって、僕らはポテチの袋を通して恋し合っているのだから。


 この恋にどれくらい時間が費やされただろう。僕の宇宙と彼女の宇宙が溶け合うポテチの袋空間に時間なんて要らない。ただ恋し合って求め合えればそれでいい。


 つと名残惜しそうに僕の指から離れる彼女の指。袋の中を覗き見れば、彼女のしなやかな褐色の指が一枚のポテチを摘んで、カリッと小気味いいサウンドを立てた。


 猫が笑った。


 口角をにいっと上げて、大きな目を糸のように細めて、ほっぺたを膨らませてもぐもぐとさせる。


 また聞き取れないノイズ音で猫科な彼女が何か言った。僕も食べろと言っている気がする。


 ポテチの袋には、僕の宇宙のポテトチップスと彼女の宇宙のスナック菓子のようなものがごちゃ混ぜに存在していた。


 彼女の宇宙のお菓子だ。そう思うだけでその名状し難いカリカリ物質がとても愛おしく見えた。


 一つ摘んで、口へ運ぶ。


 カリッ。


 歯応えは軽くカリカリサクサクだ。塩気のある香りが口いっぱいに広がって、猫科な彼女の思考が僕を襲う。


 やられた。さうオモッた時にはすでに遅し。外宇宙はチキューニ優しくはないようだ。僕という獲物がオイシソーニ餌に食らいつくのを手ぐすね引いて待っていたのだ。彼女のワタシガ思考が僕の中にアナタニ入り込んでくる。これは侵略だ。そう。侵略よ。宇宙侵略だ。そうね。むしろ攻略。名状し難きカリカリスナックが噛めば噛むほど僕の思考をほどく。ポテチって言うの? 美味しいわね。繊維のようにバラバラにほつれてバラバラにしてあげる思考の最小単位に精神転換レベルよまでバラされていく。そして再構築再構成。僕は消えていく。アナタは消える。僕が消えていく。僕が猫科な彼女に侵されていく。ワタシが侵す。僕が。わたしが。ボクガ。返せ。嫌よ。カエセ。ボ。カ。……カエシテ。


 わたしはポテチと呼ばれる名状し難いスナック菓子の袋を覗き込んだ。『穴』はもう閉じている。カエシテ。


「よくもまあこんな身体に悪そうなに食べてるわね。とっても美味しいけどさ」


 最近とみに思う。ポテチの内容量がほんと少なくなった。袋に手を突っ込まないとポテチを摘めやしない。あらやだ。地球人の記憶がまだ残ってるわね。


「コタツ、か。これはたまんないわ」


 コタツと総称される対冷気用保温器具に脚部を収納した地球人の身体の具合も良さそうだし、もう少し温まっておこうか。地球侵略はそれからでも遅くない。同胞があちらこちらの『穴』から侵攻するだろう。


 ……カエシテ。うるさいな。わたしはコタツで丸くなるのよ。

 

 

 

 

          ……カエ  シテ


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