兎亀伝
高麗楼*鶏林書笈
第1話
獄に閉じ込められた金春秋の元に先道解が訪ねて来た。高句麗入りした際、念のためにと賄賂を渡しておいた官吏だった。春秋が旅立つ時、代買県の沙干・頭斯支が持たせてくれた青布300歩を使ったのだった。
先道解は下働きたちに運ばせた膳を春秋の前に並べた。
「今回は災難でしたね」
彼は春秋の杯に酒を注ぎながら言った。
「全くだ」
杯を受け取った春秋は困惑した口調で応じた。
先の百済との戦いの際、彼の婿である金品釋が戦死し、その後を追って娘の古陀炤が自決してしまった。娘夫婦を失くした春秋はその仇を討とうと高句麗に援軍を求めに来たのであった。
だが相手側は国の内情を探りに来たものと思ったようだ。そのため王は、
「貴国内の麻木峴と竹嶺は本来我が国のものであるゆえ返還せよ」
と厳しい口調で言った。
もちろん応じられるわけはなく、春秋は投獄されてしまったのである。
“さて、どうすればここから出られるのだろうか”
先程から春秋はそのことばかり考えていた。
「…ところで、あなた様はウサギとカメの昔話を御存知でしょうか」
相手が酒を飲み終えたのを見て、先道解が口を開いた。
「竜王が病気の娘のためにウサギの肝を求める話であろう?」
春秋は予想外の話に怪訝そうに聞き返した。
ウサギとカメの話は新羅でもよく知られた昔話の一つである。
昔、東海の龍王の娘が重い病気に罹ってしまった。御典医 は“この病にはウサギの肝が効く”と言うが、あいにく海中にはウサギがいなかった。
龍王が苦悩していると、カメが
「臣(わたくし)が陸に出てウサギを捕まえてまいりましょう」
と名乗り出た。
龍王はたいそう喜び自らカメを見送った。
海を出て砂浜に上がったカメは周囲を見まわした。前方の草むらに耳の長い動物が動いているのが見えた。
「あれがウサギというものだな」
カメは大急ぎで草むらに走った。
「もし、ウサギどの」
耳長の動物は振り向いた。
「私は海の中の島から来ました」
カメは親しげに話し始めた。
「どうでしょう、海の中を見に行きませんか。あそこは、こことは違い鷲や鷹など恐ろしい生き物は存在せず、気候は温暖で木々には美味しい果物がいっぱい実っていてとても良いところですよ」
「まるで天国のような場所ですね、行ってみたいなぁ」
ウサギはすっかりカメの話に魅かれてしまった。
「ならば善は急げですね。さっそくこれから参りましょう」
カメは気が変わらぬうちにと、さっさとウサギを背中に乗せて海の中へと入っていった。
海中に潜り、龍王の国が近づくとカメは安心したのか、
「実は龍王の姫君が病気でね、ウサギの肝を飲むと治るというので、あんたを連れてきたんだよ」
と話してしまった。
ウサギは内心とても驚いたが、そうした気配は一切見せず次のように答えた。
「その肝ですが、洗って家に干したままなんですよ。だから、今は持っていないのです」
「それはまずい。戻って取って来なければならないな」
カメはそのまま来た道を戻った。
陸に出るとウサギはもの凄い速度で走り出した。そして相当はなれた場所に来ると
「生き物が肝なしでどうして生きていられますか」
と大声で言ってそのまま山の中へ入っていった。
注がれた二杯目の酒を飲むと春秋はにやりとした。それを見た先道解は
「明日の朝、王に謁見できるようにいたしましょう」
と言って獄を出ていった。
翌朝、高句麗王に謁見した春秋は
「仰せの通り、麻木峴と竹嶺は貴国の領地でございます。臣(わたくし)が国に戻り、我が王に貴国に土地を戻すよう請いましょう」
と言った。
すると高句麗王は喜び、春秋を厚くもてなした後、帰国させた。
兎亀伝 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます