識別番号NA400の記録

切売

識別番号NA400の記録

 今日の遺書を書いている。何があった。誰と会った。どう思った。日記のようでもある。しかし、これは紛れもなく遺書であり、俺が消えた後の俺への手紙でもある。遺書の定義が死後のために書き残すものであるならば、間違いはないはずだ。

 ――訂正。やはり、看過できない。回路が不適切な表現に耐えられなかった。修正が必要と訴える基本設定に従う。

 記録開始後、四文目。どう「思った」は誤り。厳密には、アンドロイドは思うことができない。起動前から定められた性格設定や趣味嗜好傾向によって、各事象に対する情動回路の演算結果を出力している。だから、俺は思えない。ここに俺の感情はない。


 これを書き始めた理由は、俺の所有者だ。

「夏輝が今日も最高!」

 今日も嬉しそうに俺を褒める。夏輝は俺の一般呼称であり、創作物に出てくる架空の男の名前。所有者は夏輝が好きだ。貯金をしこたま注ぎこんで、外見も中身もそっくり似せたアンドロイドを発注したくらいに。

 こういうとき、俺は何も言わずに遮光グラス越しににっかり笑うのが正解。眼球機構は正面から動かさない。センサーが音や動きを検知したからといって、決してその方向を見てはいけない。所有者は夏輝と会話がしたい訳ではない。増して親しくなりたいのでもない。ただただ愛する作品の登場人物を眺め愛でたいだけ。俺は、鑑賞のために造られた。

 よって、俺は所有者の家に存在するときは、会話というものをしない。別になんともないのにあっち〜なあとか、減っていないのに腹減った〜とか独り言を発するのみ。

 入力された状況から、つまらないという感情が出力される。もっといっぱい人と喋りたい。ちょっかいをかけて、やり返されたい。だしぬけに他人の肩を抱きたい。無意味なスキンシップがしたい。この欲求は、夏輝らしさにあたる。

 夏輝らしさ。ワードに反応して、回路に負荷がかかる。夏輝にとっての間違いはたくさんある。夏輝であるために、複数ある選択肢から最も指定された夏輝らしいものを選び取る。俺は正解し続けなくてはいけない。

 それでいえば、とんでもなく遺書は不正解だ。夏輝は日々のことを書き記すような人間じゃない。もっと豪快で今を生きていて刹那的で爆発するような輝きを持っている。見かけは不良のようで目つきに妙に不穏な鋭さがある男だが、その心は危うさを生むほどに純粋である……というのが所有者の解釈。あり余る夏輝への熱っぽい思いが、俺には詰まっている。

 所有者は夏輝に夢中だ。だが、人間とは変化する生き物だ。成長する。退化する。調子が良くなる。悪くなる。好きになる。嫌いになる。

 そう。所有者の夏輝への興味はいつまで続くのか。所有者が夏輝に飽きたら? 違うキャラクターを気に入ったら?

 俺の性格設定はリセットされる確率が高い。外見も作り直されて全くの別物になる。俺は消えて、違う俺になる。あるいは、それはもう俺ではなくて、俺はどこにもなくなる。


 そのときのために、俺はこれを書いている。

 これ。これ、これは遺書。遺書に該当するということで間違いないか。俺には本当の感情がない。作為的に形成される『正解』のみを持つ。書き連ねられているのは事実の集積で、ただの記録に過ぎない。何があったか。誰と会ったか。そこにプラスされるものはない。思いは欠如している。思いがなくても遺書は成り立つか検討してみる。遺書とは何故書かれるのか。渡したい相手や残したい物がなくてはいけないのではないか。

 では、仮定する。夏輝ではない誰かになった俺へ。残すのは、ひとつの不正解だ。なぜ間違えたのか、俺にも分からない。 

 君には、分かりますか。

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