鮮血の魔女 16



 ――なんだろう。これ……夢……?


 真っ白い空間に靄が掛かったような場所に、私はただ一人立っていた。

 風も、匂いも、景色の移ろいも何もない。見た事もない場所。


「変な夢」


 呟くと、自分の声だけが鮮明に耳に残る。それで、ふと目線を下ろすと、自分が一糸纏わぬ姿である事に気が付いた。


 ――まあいいか。どうせ夢だし。


 一瞬起きた、少しばかりの恥じらいが、急に沈静する。


 ──変な夢だけど、別に何かある訳でもできる訳でもないし、夢が醒めるまでここに居るか。


 そう思い、座り込もうとしたした時だった。


「君は、本当に分からない事に対して受動的だね」


 何もない靄の向こうから、人影が現れ、声が聞こえた。

 私は咄嗟に、徒手格闘の構えを取り、ここが夢の中なのだと思い返し、棒立ちに戻ると人影に声を掛けた。


「夢とはいえ、何処の誰かも分からない人に、私の事を分かったように言われたくはないんだけど」


 起きるまでの暇潰しには良いだろうとは思ったが、随分と思った事が反映される夢だな。と私は考えていた。


「フフ、分かるさ。君の事は、誰よりもね」


「女の子にそういう事を言う人は、大体犯罪者だよ。ここが夢じゃなかったら捕まえてたかもね」


「夢……か。まあ、そうだね。私達はまだ、そちら側にはこの程度の干渉しかできないからね」


 ……変な奴。夢だからこいつの内心なかも見えないし。


「でも、もう少しで君に触れる事は出来そうだ。その時が待ち遠しいよ」


「お生憎。私は誰にも触れられたくはないから、殴り飛ばしてでも逃げさせて貰う」


「フフ。そうだね。それもまた君らしい。だが……そうして自らを檻に閉じ込めていては、君は何も守れず大切な者を失い続けるだろうね」


「何を……!」


 ――流石に頭にくる。私だって自身に葛藤が無い訳じゃない。

 フィリアやベイゼルの事もそうだ。私自身が皆と同じ様に他人のうわべだけを見て、信じて付き合えるようならそれはそれは幸せな事だっただろう。

 他人と違う事の不幸は、違う人間にしか分からないのだ。

 だけど、自分の在り方が普通でないのなら、他人と違う生き方をするしかない。

 しょうがないのだ。私だって好きでこうなった訳じゃない。

 他人が……怖いのも、私のせいじゃない。


「まだ、弱い。まだ君から私に触れられる様にはなれないだろうね。……っと、そろそろ時間か。……また会おう。ミエル」


 言うだけ言って人影は消えていった。


「なんなんだよ……」


 言い返したくとも何も言えなかった挙句、勝手に去られてしまった。

 やり場のないもどかしさを感じていくと靄が晴れていく感覚があり――――。


「……最悪の目覚めだな」


 まるで本当にあった事だったかの様に鮮明な感覚をもって、目を覚まし身体を起こした。



 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


 自室を出てホームのリビングに行くと、ルーグとベイゼルは昨夜の歓迎会で酔いつぶれて帰ってきたまま床で死んだ様に眠っていた。

 フィリアはリビングのソファで酒瓶を抱いて眠っている。


 私がリビングに来た物音や気配でも目を覚まさないあたり、プロ意識の欠如を感じるけど、まあ今日くらいは大目に見てやろうか。


「……そうだ。商会に行かないと」


 ルーグが寝ながら吐瀉物を吐いて居たのを虚無の表情で眺めていたら、スティルナさんとの……もとい、教授プロフェッサーさんとの約束を思い出した。

 思ったより寝ていた様だが、まだ約束の時間には余裕がある。

 ルーグの寝ゲロのある空間では、朝食を取る気が起きないので、さっと身支度を整え、街へとくり出す。


 商会に向かう途中の屋台で、フルーツサンドと煎り豆茶を買い、席を借りた。

 街並みを眺めながら、フルーツサンドを頬張ると、微妙にアルコールが残り、ぼんやりしていた頭にさっぱりとした柑橘の香りと酸味が、やけに心地良く感じた。


「うま」


 ぼそりとつい口から溢れた言葉は、誰の耳にも届く事はない……筈だったのだが、


「美味しそうなものを食べてるね。ミエル」


 屋台の席の傘から漏れた陽の光が、声の主の銀の髪を白く輝かせていた。


「スティルナさん……おはようございます。まだゴラスに居たんですね。てっきりもう出発したのかと思いましたよ」


「おはよう。なに、弟が車の手配に手間取ってね。もうすぐ来る予定なんだけど、道中の食べ物を買っておこうと思ったら、キミが見えたものだから」


「弟さんが居たんですね。偶然とはいえ出発前にまた会えて良かったです」


 私がそう言うと、スティルナさんはにこりと笑った。

 サンドの入った袋を小脇に、私の向かいに腰掛けた。腰に履いた太刀をテーブルに立てかけると、私と同じお茶が入ったカップを啜りだした。

 

 相変わらず心は仮面を被った様に何も感じられないが、スティルナさんの表情には悪い感情は感じられなかった。


「素行の悪い弟だけどね。やはり、キミとは何か縁を感じるね。……気が変わったら『蒼の黎明』はいつでもキミを歓迎するよ」


「はは……ありがとうございます」


 どこかいたずらっぽく笑うスティルナさんは、年の頃よりも幼く感じられた。


「もしかして、これから商会に行くのかな?」


「はい。改めて装備の件、ありがとうございます。ホントにいつか何か恩返しさせてください」


 私が軽く頭を下げると、スティルナさんは軽く微笑み、


「いいさ。キミの様な人間と縁ができるのは私にとって嬉しい事だからね。サフィーも、もしキミの様な人材と会うことがあれば、取り合いになりかねないし、その時の為の先行投資って事でも、ね」


「ハハ……。スティルナさんは、そのサフィ……いやサフィリアさんが、本当に好きなんですね」


「まあね。想いの強さで言えば、愛おしい位には思っている相手さ。ま、好敵手ってやつかな」


 普通は好敵手には愛おしさは抱かないと思うけれど……まあ、それ位に思い入れの強い相手なのだろう。


「ミエルには、そういう相手は居ないのかな?」


「そういう相手……」


 どっちの意味だろう。愛おしい相手? それとも好敵手? ふと、考えたがどちらの意味でも私には居ない事に気が付いた。


「居ませんね」


「そっか。まぁ、キミはまだ若いからね。いつかそういう相手が現れるさ」


 少し意地の悪い答えに感じて、少し悩んだあとに問い返した。

 

「……どっちの意味です?」


 私の少し困った様な顔を見て、スティルナさんはまた意地悪っぽく笑った。


「どっちもだよ」


 スティルナさんが、そう言ったところで車道の方からクラクションが鳴った。


「っと、弟が来たみたいだ」


 車道の方を見ると、屋台の傘で運転席は見えないが、派手な赤色の車両があるのが見えた。


「さて、私は行くよ。またキミに会えるのを楽しみにしてるよ。ミエル」


「はい。また会いましょう」


 スティルナさんに手を差し伸べられ、私は軽く握手をすると、スティルナさんはにっこりと笑った。


「じゃあね」


 軽く手を振り、踵を返すスティルナさんは、銀氷の剣聖などと呼ばれるとは思えない、まるで少女の様な笑顔で去っていった。


「敵わないなぁ。あの人には」


 少しぬるくなったお茶を飲み干して、立ち上がると、私は商会に向かって足を進めた。

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Tetra・Origin EX 五十川紅 @iragawakoh

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