トイレのピンチ

1週間後

カタカタと叩かれるキーボードの音が響く社内

その中俺は悶々とした気持ちを抱いていた

先週吉田に言われた一言が頭から離れない


「何で彼女最後に『向こう一月』って付けたの?」


気を抜くと頭の中に反響するあの言葉

吉田のこの一言はこの1週間で「恋」よりも「頻尿」よりも俺の人生の辞書にでかでかと赤色の文字を載せるようになった

何よりも悩んでいるのがこのことについてあの子に聞くか、だ

いや、もしかしたら有頂天で俺の口から漏れていたのかもしれないが、念のため、念のためである

トイレ掃除の青い服に身を包んだ彼女がもし心を読めるとしたら?

彼女がそのことについて聞かれるのを嫌がるとしたら?

せっかく顔まで覚えてもらったのに、ここに来て嫌われでもしたら俺はもうここでは働けないほどに落ち込むだろう

それはもう盛大に

しかも心が読めるとしたら俺はトイレの中で彼女に対してセクハラなんて言葉で例えきれぬほどの行為をしている

いやあそこで抜いたわけじゃないぞ?

ただ毎回変なおっさんが(なんて可愛んだ〜!!!)なんて悶えているのを分かっていたら、彼女はよくぞここまでやめなかったと拍手を送りたいほどである

(って、誰に言い訳をしているんだ...)

時刻は9時50分、そろそろ腹を括る時間である

しばしパソコンを打つ手を止め考えた後、結局行くことにした

このままなあなあにして終わらせるといつか仕事に支障が出るだろう

現に今日は一睡もできなかった

仕事をやめてゆっくりと立ち上がった俺に吉田は一瞥するといたずらっ子のようにニヤリと笑う

「行くのか?」

「行くさ」

こんな所で諦めてたまるか、と深呼吸をする俺を見て吉田はパソコンに向き直してボソリとこぼす

「....」

「え?」

聞こえなかったので聞き返した俺に、吉田は早く行けとだけ言って作業を再開した


_______________

「なんだ女!」

いつもより少し遅れて人の少ないトイレに着くと、誰かの怒鳴り声が聞こえてきた

何か起こったのかとトイレから死角になる場所に隠れて様子を伺う

俺のいる場所からは起こっている男の顔だけ見えて、誰に怒っているのかが全く見えないのでじりじりと死角から体を出していく

(なん...っ!)

驚きのあまり出そうになる声を抑えて覗き見を続ける

怒られている対象は清掃員のあの子だった

1週間前とおんなじ格好をしているが、男に壁まで追い詰められ目をきょろきょろと泳がせながら困っている

何があったのかとよく見ると相手の方は同じ部署の悪名名高い松崎である

上司の覚えも良くジムに行ったり海に行ったりと充実した人生をしているが会社の女の子と尻を追いかけてばかりのクズ、俺も嫌いな相手だ

(もしやあいつ!あの子に相手にされなくてキレてるのか!?)

「いや...悪いことはだめだと思いますぅ...」

俺の推理はすぐにあのゆっくりした声で否定された

「なんであの金の元を知ってるかって聞いてるんだろうが!」

なにやらきな臭い話を大声で叫ぶ松崎

よくここまでバレなかったなと思うほどの錯乱ぶりを見るに相当にまずい話らしい

「だってぇ会社のお金って言ってたじゃないですかぁ」

あの子が慌てて言い訳をするようにこぼす

その言葉に真っ青になって松崎が少女の襟を掴む

「どこで聞いた!」

松崎はもう周りが見えないほどパニックになっている

このままあの子が慌てて何かをまた言えば、確実に松崎はそのまま手を上げるだろう

どうしよう

助けに行く?でも俺はそんなあの子を助けられるような力は持ち合わせていないただの頻尿会社員である

でも助けに行かなくちゃ、でも、でも...

「仲間のことだって言いませんからぁ!」

悩んでいるうちにまたあの子が口を滑らせる

完全に焦った松崎が鍛えられた右腕を振りかぶる

助けなきゃ、でも!

頭がぐるぐると回ってまた言い訳を繰り返す

(でもじゃない!)

ふとどこかからか声が聞こえて、体が弾かれるように動く

「おらぁ!」

油断している松崎の脇に思いっきり体重をかけてタックルをかましてやる

案の定力を入れていなかったらしく松崎は大きな音を立てて吹っ飛び、自販機に頭を打って気絶する

「早く!人を呼んで!」

俺の言葉に固まっていた少女は走って人のある廊下の方へ行く

走って行ったあの子がいなくなるまで見つめると、今度は松崎の方を見る

暫く起きないだろう姿を見て肩の力がやっと抜けて、自販機横のベンチに座り息を吐く

「トイレ行きてぇな...」

濃厚なハプニングに紛れて欲が漏れた


_______________

暫くしてあの子が消えた方から足音がしたのでトイレを我慢して貧乏ゆすりをしていた足を止める

「よぉ、佐伯災難だったらしいじゃん」

「おま...!?」

あの子が連れて来たのは吉田だった

「なんで、おま、え?」

「違う違う、廊下でたらこの子が困ってたからさ〜」

聞くに、あの子...福田さんは廊下に出たものの、忙しそうに歩いていく会社員達に声をかけあぐねてあわあわしていたところを吉田が見つけ、話を聞いてみるとこれは確実に佐伯だなと思って笑いに来たらしい

「警備員に話はしたから許してよ〜」

ヘラヘラと笑う吉田に腹が立ったので軽くこづき、顔を耳に寄せる

「なぁ、トイレ行って来ていいか...?」

ダハハ!と豪快に笑う吉田の顔を今度は引っ叩き、トイレに走って入った

俺の交感神経達はもう緊張状態でないと判断したらしく、隠れていた頻尿がいいお天気ですねと言ってきていた

くそ!頻尿さえなけりゃ!

久しぶりに頻尿を恨んだ

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トイレの天使 ににまる @maruiyo

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