ぐんせしるか と えひでんほると

青猫

ぐんせしるか と えひでんほると

 襲撃は夜半だった。松明を持った二千の兵に、離宮のぐるりを取りかこまれ、四方から一気に踏みこまれた。

 闇をつく鬨の声が聞こえてからのことは、よく覚えていない。あっという間に離宮は燃え、人々はてんでばらばらになり、ここまで共に逃げのびてきた、女官や侍従、大臣や公達が、あっちやこっちでばさばさと、切り捨てられたり、首を飛ばされたり――

(このように、人は死ぬのか)

 火明かりに照らされる、荒武者の群れ。ぬらぬらと光る血塗りの刀。

(地獄とはこういうものか)

 ふと見ると、まわりにいたはずの側仕えは、一人もいなくなっていた。

 皆、彼をおいて逃げたか、殺されたか――そうして一人、燃え上がる炎の中を、走って、走って、どれだけの時がたっただろう。

 気がつけば彼は、宮の裏手に掘られた水路の中で、腰まで泥につかって座りこんでいた。

 頭上では、いまだに悲鳴が続いている。具足をつけた兵たちが、がちゃがちゃと走り回り、手当たりしだいに人を斬っている。どうやら、彼がまだ宮にいると思い込み、探し回っているようだ。

 それはそうだろう。その身に神の血を継ぐ、尊きすめらぎの王が、よもや一人の伴もつれずに、どぶに浸かりこんでいるとは思うまい。

「お探し申せ!」

「どちらにおわすか!」

 見つかれば殺される。重臣に寝返られ、隣国の兵を手引きされ、都を奪われ、宮を焼かれたのだ。院である祖父も、立太子したばかりの弟も、生まれたばかりの異母妹も殺された。ただ一人生きのびた彼を、彼らが見逃すはずはない。

 むしろ、自分はなぜまだ生きているのか? ああも大勢の者たちが、自分一人を殺すために、せわしなく走り回っているというのに。

「今上はいずこか!」

 遠く近く、敵の声が響く。

 見つかれば即、斬り捨てられるだろう。

 彼は冷たい泥の中から、炎に照り映える夜空を見上げた。赤く飛び交う、無数の火の粉を。

 都が、宮が炎に包まれたあの日から、ずっと、夢の中にいるような気がしている。

 いや……違う。本当はそれよりずっと前、物心がついたころから、彼は、どこかふわふわとした、居所のない思いをしつづけてきた。

 生後三日で尊位に即き、在位すること十四年。神の子孫、尊き御身とあがめられようと、それが形ばかりの敬意であることを、彼はよく知っていた。

 すめらぎの王の身分とは、言うなれば、この国でもっとも尊い、飾りものの地位。美しい絹を着せられ、多くの側仕えにかしづかれても、彼自身には、何の力もない。彼に許されていたことといえば、与えられた書物を読むことと、定められた后を迎えることだけ。あとのすべては、祖父である院と、叔父である大臣の望むままに。

 けれど。

 あれほどの権勢を誇った祖父も叔父も、国の外の敵に対しては、何の力も持たなかった。

 決壊は一瞬。都を奪われ、宮を焼かれ、彼はすべてを失った。

 数度しか会わなかった幼い后も、その才ゆえに学所から引き抜かれ、彼に学問を教えていた若き天文博士も、親について宮に出仕し、彼の牛車の護衛をしていた豪族の息子たちも、皆死んだ。

 そして今。死んだ院の離宮が残る、この山の辺の里まで逃げてなお、異国の兵は彼を追って来た。宮に住まう下男や端女、下働きの童までもを、手当たりしだいに斬り捨てながら。

(あのつわものどもは、朕の顔を知らぬ)

 ぼんやりと、彼は考える。

 生まれて一度も御簾の奥から出ることのなかった自分を、彼らが見知っているはずもない。

(だから、一人も取り逃がせぬのだ)

 そう考えて、目を落とし――

 彼はそこで、ようやく、あることに気がついた。

 冷たい泥中についた、彼の手。

 その指が触れるほど間近のところに、女童が一人、倒れていた。



(死んでいるのか?)

 まずそう思った。髪を切り、短い着物を着た女童は、体も顔も泥だらけのまま、泥の中に横たわっていた。耳の上あたりが腫れて、血が出ている。なぐられたらしい。

(むごいことだ)

 彼は泥の中を這い、少女に近づいた。もっとも、彼の哀れみなど、女童にとっては無用のものかもしれなかった。彼の一行がこの地に逃げこまなければ、彼女が死ぬこともなかったのだ。

 その事を思い、彼はため息をついた。それから、泥に汚れたおのれの袖の、少しでも汚れの少ないところを探して、女童の顔をぬぐってやった。そのままでは、閉じた目の中に、血と泥が流れこみそうだったのだ。

(いくら死人とはいえ、泥が目に入るのは嫌であろう)

 そう考えてから、彼はふと笑んだ。自分のふるまいが、我ながら物珍しかった。宮中であろうと、どこであろうと、彼は常にかしずかれる側で、人の顔をぬぐうなどということは、これまでに一度もしたことがなかった。

 すると。

「……う」

 かすかなうめき声をあげて、女童が目を開けた。死んでいると思ったが、そうではなかったらしい。

「声をたてるでないよ」

 そう、彼は小声で言った。

「見つかれば、二人とも殺されよう」

 目を覚ました女童は顔をしかめ、なぐられた頭に手をあてた。それから驚いたような顔で体を起こし、

「たまがない」

 と言った。

「玉?」

 聞き返すとうなずき、

「くろがねのたまが、ここにあったのに」

 そう言って、自分の耳たぶを触れる。それから、彼に向かって言った。

「あんたがとったの?」

「い、いや。とってはおらぬ」

 彼はあわててかぶりをふった。少女の言う、たま、が何かは知らぬが、よもや、そのような疑いをかけられようとは。盗みを問いただされるなど、彼の身分では考えられぬことだ。

 けれど、少し考え、正直につけ足す。

「いや……でも、朕が、落としたのかもしれぬな。そなたの泥をぬぐったときに」

 耳飾りなり、飾り玉なりを、払い落としてしまったのかもしれない。

「大事なものであったのか? ならば、探せば、まだこのあたりに――」

 そう言って泥の中を探ろうとすると、

「大事なものじゃ、ない」

 少女は大きくかぶりをふった。そうして何を思ったか、

「あんた、ふるいちすじ?」

 そう聞いた。

「血筋か? ……血筋は、古いな」

 彼は思わず苦笑した。なにしろ、皇家こそは国で一番古い家柄だ。千年の昔、禍つ民を封じ、この国を起こした皇祖神こそが、全てのすめらぎの御祖であり、彼の祖先なのだから。

 ……まあ、官吏はなんでも大袈裟に記すから、どこまで本当かはわからないが。

「ふうん」

 少女はこくりとうなずいた。それから、立ち上がると、あたりを見回し、

「こっち」

 そう言って、水路を歩きはじめた。



 水路は離宮の裏へと続いていた。はじめは深い堀だったものが、歩くうちに浅く、狭くなり、やがては小さな沢に変わった。その頃には燃える宮も遠ざかり、火明かりも見えなくなった。

 かわりに月が顔を出した。山の端からのぞく、そのわずかな光をたよりに沢を登る。

「そなた、道を知っておるのか」

「まいにち、たきぎをとりにきてる」

 ということは、この少女の親は、離宮の下働きか。

「……すまぬ。親兄弟と、はぐれてしまったな」

 などと、謝罪したところで、意味はない。少女の親も兄弟も、もはや生きてはいまい。

 ところが、少女はかぶりをふった。

「親なんかいない」

「いない?」

 問い返してから、その言葉の意味に、彼は自分で気がついた。……そうか。

 この少女、奴婢か。

 言われてみれば、顎までしかない短い髪や、膝下までのすり切れた着物は、宮の下働きにしても質素にすぎる。

 国を荒らした罪人や、禍事を呼ぶ禍つ民の子が、奴婢だ。金で売り買いされ、使役される。少女は十をいくつも越えていないように見えたが、そうであるならば、親と生き別れていても不思議はない。

「そうか」

 彼はうなずき、同時に、少しだけ気が楽になった。少なくともこの少女は、自分のせいで親を失ったわけではないのだ。

 二人、水草が茂る沢の中を歩く。そうしながら、手足や顔の泥を落とす。そのうちに月が高く登り、少女は沢すじを離れて、山道に入った。よほど慣れているのか、暗い道をすいすいとたどっていく。

 彼は遅れぬよう、その後を追った。この道案内を失ったら、間違いなく暗闇で立ち往生する。

 そうして、どれだけ進んだろうか。山の登りが険しくなってきたあたりで、ふと、少女が足を止めた。彼もぎくりと立ち止まり、ふりかえる。いちどは遠のいた兵の声が、ふたたび聞こえたように思われたのだ。

 じっと耳を澄ませる。聞き間違いではなかった。追ってきている。

(……そうであろうな)

 この暗い中、松明を持った追手から、逃れられるはずもない。

「――こっち」

 少女が道をそれ、夜の林に踏み入った。彼も後に続いた。手探りで笹や木の枝をかき分け、山肌を登る。

 月夜とは言え、林の中はほとんど何も見えない。太い枝が顔を打ち、笹の葉がむき出しの手足を切る。

 それでも、少女は進み続ける。雑木におおわれた山の斜面を、這いつくばって登る。彼も必死に着いていった。無事に逃げのびられると思うわけではない。ただ、わずかでも死から遠ざかりたい一心だ。自分より幼い女童が辛抱づよく歩を進めているというのに、ぶざまな弱音は吐けぬという矜持もある。けれど、じきに息が切れ、後ろに大きく遅れはじめた。

「あんた」

 斜面の先で、少女が立ち止まった。振り返る。

「どこかわるいの」

 わるいの、とは、具合が悪いのかという意味だろう。

「どこも、悪くはない、のだが」

 ぜいはあと息を切らしつつ、彼は思わず苦笑した。我ながら情けない。

「このような、ところを、登るのは、はじめてなのだ」

 玉砂利の敷かれた庭以外を、歩くこと自体が初めてだ。

「ふうん?」

 少女が首を傾げた、その時だ。

 怖れていたことが起きた。

 登ってきた斜面の下に、小さな赤い光があらわれたのだ。木立ちをすかしたその奥で、左右に揺れながら動いている。瞬く間に、その光は十ほどまで増えた。追手だ。

 ものも言わず、少女が踵を返した。彼もその後ろに続く。もはや、息が切れたなどとは言っていられない。

「――いたぞ! 残党だ!」

 手や顔が傷つくのもかまわず、獣のように走る。ふりむけば、松明の数はさらに増えている。

「どこじゃ!」

「そっちじゃ!」

 背後から声が飛ぶたび、少女が機敏に立ち回りを変える。彼も必死にあとに続く。

「ええい! 暗くて見えぬ!」

「火じゃ! 火を放ってあぶり出せ!」

 背後からいらだった声が飛び、彼は恐ろしさに震え上がった。皇都と離宮、焼け落ちる宮から、二度、生きのびたというのに、結局はこの山中で、炎に焼かれて死ぬことになるのか。

 けれど、もはや、死に方すら選べなかった。すぐに、斜面の下方から、ぱちぱちという音が聞こえ始め、煙があたりにただよい始めた。赤い炎が姿をあらわし、上へ上へと迫り来る。

 彼は少女の後につき、必死に山肌をよじ登った。追い詰められるだけとわかっていても、他に逃げ場はない。

 けれど、炎は追いついてきた。木々の幹の向こう、赤い光がどんどん広がり、煙と炎熱が斜面を吹きあげ、彼はごほごほと咳きこんだ。足元を、小さな獣が逃げていく。

 そして――とうとう。

 先をいく少女が、その足を止めた。険しい山肌を登りきり、どうにかたどりついた尾根の上――けれど、見下ろした行く手にも、赤い炎がいくつも広がっていた。山の裏手に先回りされ、火を放たれたのだ。

「――――……」

 ここまでか。

 彼は振り返って後ろを見た。赤々と木々を燃やす炎が、もう、すぐそこまで迫っている。ぱちぱちと枝の燃える音が聞こえてくる。無数の火の粉が宙を舞い、激しく熱が吹きつける。あたり一帯が煙でかすみ、彼はまた咳きこんだ。

「すまぬ」

 ごほごほと咳をし、息を継ぐ合間に、彼はかたわらの少女につぶやいた。こうなっては、彼女も死ぬ運命だ。

「すべて、朕のせいじゃ」

 自分が、この地に逃げ込みさえしなければ。

 もっとも、それとて、彼が決めたことではない。この地へ向かうと決めたのは彼の叔父であり、その叔父が死んでからは、その年若い息子であった。命からがら、ただ落ちのびるだけの道中に、護衛の兵も次々と姿を消し、後に残ったのは彼と同じく、逃げる先のない者だけだった。

 赤い炎が間近に近づく。熱い。熱風が猛る炎を巻きあげ、じりじりと赤らむ肌の痛みは、この先に味わう苦痛の前触れだ。

「すまぬ。……そなたには、何の咎もないのに」

 もう一度、彼は言った。

 すると、舞い飛ぶ火の粉の中から、少女が彼を見返した。じっと、何かを問うように。

 そして――

 ふいに、少女が口を開いた。大きく息を吸いこむと、鋭い声をはりあげる。


「――ついてきている? ぐん世知せしる鹿に、絵悲伝えひでんほる!」


 夜空に高く響いた声に、彼は思わず息を飲んだ。

 それから、あわてて後ろに下がった。すぐ足元の地中から、ぐうっと天に伸びあがるように、何か黒くて大きなものが、一気に噴きだしてきたからだ。それはぶわりと空に広がり、丸まった背中をすらりと解くと、黒い四肢を宙に突き出し――

 二頭の巨大な獣となって、彼の前に降り立った。

 一頭は鹿。一頭は兎。いずれも漆黒の巨躯を持ち、ぼうぼうと燃える炎の中、闇夜のようにたたずんでいる。

 少女はひらりと身を翻すと、黒い鹿の背に飛び乗った。そうして彼を見おろすと、

「あんたに、のれる?」

 そう言い放った。


 ――その瞬間。彼はじわじわと、事の次第を理解した。


 なんの力もない、奴婢の娘。自分と同じく死を待つばかりの、あわれな娘。彼の目に、少女はそう見えていた。

 けれど、そうではなかったのだ。奴婢とは禍つ民、すなわち、魔を呼ぶ民。この少女は彼の目の前で、まさに、その魔を呼んでみせた。――千年前、彼の祖先が封じた力を、ふるってみせた。

 となれば。

 彼はあのとき確かに、少女の身から、払い落としたのだ。くろがねで出来た、封じの玉を。

 岩を削り、山を割るくろがねは、強い破魔の力を持つ金属。

 千年の昔、この国の最初の王が、少女の一族の力を封じた玉を、この国の最後の王である彼が、その手で祓った。――言うなればそれは、千年の因果。


 彼はいっとき、少女を見上げた。大きな鹿の背の上から、黙ってこちらを見下ろす少女を。

 それから、目の前の黒兎に目を移す。大岩ほどもある黒い兎は、鬼火のように青白い、底の知れない目をしている。彼はごくりと唾を飲んだ。少女にとっても、獣にとっても、自分は決してこころよい相手ではない。千年の間彼らを虐げた、まさに、その血筋の王なのだから。

「そなた――朕を、のせてくれるか」

 ささやくような声でたずねる。

 兎は動かなかった。何も聞こえなかったかのように、じっと、宙を見続けている。

 けれど、ふいに、ぬうっと大きな頭を下げた。艶やかな毛でおおわれた顔を、彼の胸に触れるほど近づける。生臭い息を吹きつけられ、彼は全身を強張らせた。濁った青目に見つめられ、ぞっと背すじに怖気が走る。

「……っ」

 ぎゅっと目をつむり、彼は息を詰めた。今にもこの獣に食われるかもしれぬ。全身に粟が立ち、震えが止まらない。

 やがて、兎が動いた。丸い鼻先で彼の体を押し、ひょい、と宙に投げあげる。思わず手足をばたつかせたところを、どさりと背中で受け止める。

 そのさまを上から見届けた少女が、鹿の腹を蹴って走りだす。

「そなた――」

 彼は驚いて兎に呼びかけたが、兎は何も答えなかった。燃える斜面をとつとつと歩き、焼けた木々を踏み砕く。武者たちがどよめき、てんでに矢を射かける。

兎はうるさげに頭を振ると、突如、大きく跳躍した。ぐん、と炎熱が遠ざかり、冷たい風がびょうと吹き、彼はあわてて兎の首にしがみついた。少し先を行く少女が振り返り、うなずくような仕草をする。


 気がつけば、彼は暗い空の下、巨大な獣にまたがって疾駆していた。

 どことも知れぬ山の向こうへ。


 二頭の獣の行方を知る者は、誰もいないということだ。




  終わり     

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ぐんせしるか と えひでんほると 青猫 @kuroneko77hiki

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