お茶でもいかが
牧田紗矢乃
お茶でもいかが
「やあ、よく来たね。お茶でも飲むかい?」
部室に入った瞬間、先輩の声が出迎えてくれた。
部室の机ではアルコールランプで温められたビーカーに入った液体がふつふつと沸いている。
「先輩、タケセンに見つかったら怒られますよ?」
顧問の武田先生――通称タケセン――は滅多に部室に来ない。
それをいいことに元科学部の部室に居抜きで入った私たちは好き勝手に過ごさせて貰っているんだけど、たまに度が過ぎるとどこからともなくタケセンが来て怒られる。
監視カメラでも付いてるんじゃないかと思って部室内を全部ひっくり返して捜索してみたこともあったけど、その時はカメラも盗聴器も発見できなかった。
「きみは紅茶派だったね」
先輩は煮え立つビーカーの液体にティーバッグを沈めた。
紅い色がじわりと滲んで、水流の力で全体へと色が広がっていく。
「先輩、ビーカー洗いました?」
「……む」
「ここのビーカーなんていつから置きっぱなしかわかんないんですからね!
お腹壊したら責任取ってもらいますよ」
ビーカーを火からおろして、ティーバッグをシャーレによける。
匂いは完全に紅茶だ。
「さあ飲みたまえ」
「……ヤケドさせる気ですか。それとも先輩が先に味見します?」
まだコポコポと泡が上がってくる熱湯が入ったビーカーを先輩にぐいと押し付ける。
先輩は笑顔のままで後方へ跳ね飛んで逃げた。
「悪いね。僕は緑茶派なんだ」
「それは残念です」
先輩は新しいビーカーを持ってきてペットボトルの水を少しそそぐ。
それをゆらゆらと揺らして内側を軽くすすぎ、改めてペットボトルから綺麗な水を入れ直した。
「自分のだけ……ずるくないですか」
「僕は病気になりたくないんだ」
「わっ、ひどい。私は病気になっていいって言うんですね!」
手で顔を覆って大げさに泣いたフリをしてみる。
指の隙間から様子を窺うと、先輩は我関せずというように課題を解き始めているじゃないか。
「先輩っ!」
「なんだ、感動で涙が出るほど紅茶が美味かったか!」
「違います」
ずっと先輩のペースに乗せられてる気がする。
悔しい。
「そういえばきみ、知ってるかい。緑茶も紅茶も元を辿れば同じ葉っぱから出来てるんだよ」
「そうなんですか?」
騙されてるのかも、と思ってスマホで調べてみたら、どうやら事実らしい。
緑茶、紅茶、烏龍茶。全部おなじ葉っぱで発酵度合いが違うとかどうとか。
この先輩本当のことも言うんだ。
「……ということは、だよ」
先輩が意味深な笑みを浮かべてこちらへ歩み寄ってくる。
引き出しを開けるとそこには見るからに古そうな緑茶の袋が。しかも開封済みだ。
「十年ものさ。実質紅茶だと思わないかい?」
「思いません」
スパッと切り捨てると先輩はちょっとだけ悲しそうな顔をした。
「そんなに気になるなら先輩が飲みます? たぶん先輩の好きな緑茶味ですよ」
「いや! 僕は遠慮するよ!」
「ワインだって熟成したものの方が価値があるみたいな話聞くじゃないですか」
先輩の手から茶葉の入った袋を強奪し、ほのかに気泡がたち始めていたビーカーの中へ一振りする。
その瞬間に広がる緑茶の匂いとカビ臭さ。
「あああぁぁっ!!」
先輩が特大の悲鳴を上げ、ガックリと膝をついた。
ここまでオーバーなリアクションをされると私が悪いみたいだ。
「なんだい、きみは僕に恨みでもあるのかい!」
「やりすぎました。ごめんなさい」
先輩が涙目になってるところ、初めて見た。
ビーカーの中身は沼みたいな濁った緑色に染まり、茶葉が浮き沈みしている。
「あ、先輩安心してください! 腐ってるんじゃなくて抹茶パウダー入りの茶葉でした!」
「……きみねぇ。この臭いで本当に腐ってないと言えるの」
「腐ってるとは言いきれないと思います」
たぶん腐ってるけど。
「それならきみが先に飲んでくれよ」
「えっ?」
先輩がビーカーを持って迫ってくる。
やばい。
逃げないと!
私が教室の外へ向かって走り出すとタイミングよく扉が開いた。
ここって自動ドアだったっけ?
「お前らァァァァ!!!!」
タケセンだった。
私は慌てて左へ進行方向を変える。
先輩は止まりきれず、急ブレーキをかけた弾みでタケセンに向けてビーカーのお茶をぶちまけた。
「あっちぃぃッ!」
「すいませーん」
幸いにもお茶はほとんどが床にこぼれ、タケセンには
先輩はタケセンの前をひょいとすり抜けて廊下へ躍り出た。
付いてこいと私に目で合図を送っている。
「先生すいませんっ!」
自分と先輩のぶんのリュックを抱えて部室から飛び出す。
「お前らっ! そんなことしかしないんだったら廃部だからな!」
「……ぃーっす」
「ん?」
「いいっすよ。廃部で」
あっさりと言ってのけた先輩に私もタケセンも目を丸くした。
「え? 先輩っ……」
「いいから、逃げるぞ」
私の手から二人分のリュックを奪い取ると先輩は走り出した。
「あ、私のリュック! 返してください!」
「追いついたらな」
先輩にようやく追いついたのは学校から一キロほど走った先の河原だった。
先輩は肩で息をしながら草むらに倒れ込むように寝転んだ。
「先輩……、どうするんですか。あんなこと言って」
「どうって?」
「廃部、ですよ!?」
私が真面目に問い詰めているのに先輩はゲラゲラと笑っている。
「そもそもさ、何部なのあれ」
「え……」
私は答えに詰まった。
よく考えてみたら、先輩に新しい部活を作るから数合わせで入ってくれと言われて付き合ったはいいものの、活動らしい活動をしたことはないし他の部員もいない。
「あとね、僕同じクラスなんだけど」
そう言いながら先輩は乱れた髪を整えて制服のポケットから取り出したメガネをかける。
「あっ、男子生徒A!」
思わず指をさしてしまった。
同じクラスの地味な男子生徒。地味すぎて名前を覚えられないから心の中で「男子生徒A」と呼んでいる彼だ。
「もしかして僕の名前知らない?」
「詐欺師」
「違うよ。……っていうかネクタイの色でわかるでしょ。わかってて先輩後輩コントに付き合ってくれてるんだと思ってたんだけど」
言われてみれば。
うちの学校は学年によって男子はネクタイ、女子はリボンぼ色が変わる。
三年生は紺、二年生は暗めの緑、そして我々一年生は赤。彼がつけているネクタイは私と同じ赤。
「詐欺師詐欺師詐欺師詐欺師……」
「騙してごめんなさい」
「私の先輩を返して!」
掴みかからんばかりの勢いで迫ると彼の顔が引きつった。
「そんなに好きだったの?」
「『先輩が』ね」
ものの弾みでとんでもないことを口走ってしまった気がする。
けどまあいいや。
先輩が先輩だと思ってたから意味不明な部活にも付き合ったのに。
こんな地味な男子生徒Aが先輩だったなんて……。って、え?
「ちょいと失礼」
「えっ? えっ??」
うろたえる彼のメガネを引き剥がし、髪をくしゃくしゃにする。
そこには私の知っている先輩の姿が。
「慰謝料代わりに明日からこの格好で来てください」
「それはどういう……」
「いいから! 私の青春をめちゃくちゃにした罰です」
先輩……もとい男子生徒Aは何か言いたげな顔をしている。
「そうだ。仲直りついでにお茶でもいかがです? さっきは飲みそびれてましたよね、
お茶でもいかが 牧田紗矢乃 @makita_sayano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます