第72話 ダークエルフ

 騎士の案内を受けて街外れに辿り着く。すっかり枯れた針葉樹の群れの中、小屋がぽつんと立っていた。


 私は小さく息をつき、分厚い木の扉を叩く。

 扉が開け放たれた途端、その向こうから白煙が立ち込める。

「来たか。好きに入ってくれ」

 工房のような造りの家だった。燻る煙には冷気が混じっていて、私たちを目的の部屋へと案内してくれる。

 家主は最奥で書物を読んでいた。私たちに気づくや否や、朱い瞳が此方を向いた。

「……改めて自己紹介をしておこう。ロータス・ネブラ・ヴァンゲンハイムだ」

 この都において、彼の風貌は特徴的なモノだった。

 深い青色の髪と、透き通るような白い肌の男だった。戦士にしては小柄な体だけれど、彼が有する魔力は洗練された魔法使いのそれ。

 決して侮れない人物だと、そう思った。

 そして私の予想通り、彼は並々ならぬ事を口にする。

「精霊王を倒したそうだな。今回も、同じように女王を倒せる自信があるか」

 女王の腹心は瞠目して此方を見つめる。

 鎌をかけているのか、全て見抜かれているのか。

 どちらにせよ、判断に割ける時間は一瞬だけ。和平を捨ててメリアが動いた。私が屈むのと同時、真上を真っ白な雷が駆け抜ける。最速の一撃は確かにロータスの虚を衝いて、見事なまでに命中した。

 

 しかし、吹き飛んだのは工房だけだった。

「威力も判断力も申し分ない。僕の勘も当たっていたらしいな」

 ロータスは静かに立ち上がって埃を払う。

 その身にエルフの虚像を纏ったままで、メリアはじっと男を見た。私たちが国の者でないと判ったにしろ、それ以上の事実はまだ彼の前に現れていない。

 けれどそんな事も厭わずに、ロータスは口にした。

 決して他人ひとに知られてはならない、裏切りの言葉を。

「女王グラシエを、——義姉ねえさんを、打ち破れるか。できるのなら、僕はそれに力を貸そう」


 

 ロータスは続ける。

 訴えたいことがあるのだと。捨てなければならぬ在り方があるのだと。

「お前たちの最終目的は魔王の討伐だと推測する。違うか」

「概ね正しい。で、其方の目的は何だ。お前は女王に従うべき人間だろう」

「魔王軍からの独立だ。……解っているさ、許されざる行為だって事くらい」

 伏し目がちにロータスは呟く。

 ならば何故。私が直接言うより早く、メリアが同様の質問を投げた。

「魔王に隷属する時代はもう終わりだ。たとえ叛逆であったとしても、国を守る為の道は其方にある」

「ロータスさん。差し支えなければ、聞かせてほしい。何も知らないまま、貴方と共に戦うのは正解じゃないと思うから」

 すると彼は悲しげに、目元の隈を押さえながら呟いた。

 体に滲む異様な空気が、既に全てを物語っていた。

「……聞いてきて気持ちのいいモノじゃない。覚悟だけは、決めてくれ」


 ◆


 男の口頭による伝承、その写し


 其処にはかつて理想郷があった。

 国土は一体が森に囲まれていて、緑の栄えない場所はなかった。

 国民は他と交わることなく暮らし、独自の文明を絶えず発展させていた。

 彼らには先見の明があったとされる。千年前に魔王が現れ、勢力を拡大して間もない頃。すぐに従軍を表明し、一滴の血も零すことなく戦いを終えた。古参軍としての待遇を受けたことも、彼らが今に至るまで繁栄し続けた他ならぬ方法だった。

 大陸は手厚い保護を受けていた。

 王の領土に遍く魔力を満たし続ける、至極の泉を守るためだった。

 まだ国民がエルフだけだった頃、泉を私利私欲のために使う者はいなかった。

 全てを壊したのは新文明の流入だった。

 泉の魔力は他国を従わせる為の戦いに利用され、汚れ、みるみるうちに小さくなっていった。

 ついにある時、一人のエルフが音を上げた。

 

『泉が枯れれば国は終わる。魔王に従ってはならない』


 エルフの派閥は拡大し、いつしか反魔王軍と徒党を組むようになった。近隣の勢力は全て集結し、もはや制御の域を超えた軍団となる。

 二十年前。泉を取り合って、二つの勢力は八年間に渡る大戦争を引き起こした。

 たくさんの同胞同士が殺し合った。泉を大切に思う者は、たとえ相手が気の知れた友であっても殺した。恨みが募れば、別の友が彼を殺した。女子供も、邪魔だからと殺された。

 五年目のことだった。私情を乗せた殺し合いの末、泉はついに枯れてしまった。

 六年目、魔王軍の誰かが言ったと記録に残る。


『泉を独占しようとした罰です。ならばもう、森ごと焼いてしまいましょう』


 提案を魔王は承諾した。

 次の日、森を呪いが焼き払った。呪詛はエルフだけを蝕み、狂気の檻に閉じ込めた。

 正気を失ったエルフは敵味方構わず人を殺した。殆どのエルフが、自らの理性を抑えられなかった。

 ——誰もが敵で、誰もが独りになった。

 出会った全てが死に絶えた。

 地獄は一年半に及んだ。戦争を終結させるには、人々が強すぎたのだ。

 そして、七年と半年。

 この大戦争に終止符を打つ人物が現れる。後の女王グラシエだった。

 川から溢れる呪詛を抑え込むため、彼女は国土の全てを凍りつかせた。

 呪いが漏れ出ることはなくなり、エルフは理性を取り戻した。

 しかし都は荒れ果てて、生命は二度と育たなくなった。生き残ったエルフの体は黒く染まっていた。その髪だけが、まだかつての色を残していた。

 他の種族は皆外に逃げた。女王が徹底的な差別体制を整えた為だった。

 故にこそ。大戦のことを語る時、人々はエルフをこう呼んだ。


 ——ダークエルフ。


 

 ◇


 言葉など、出てこなかった。

 千年続く魔王の世界において、過ぎ去ったのは十二年の月日のみ。よそ者など、許せる訳がない。

「……地獄と呼ばずして、なんといえばいい」

 モミジが呟いた。ネリネも首を縦に振った。メリアは、一番痛切な表情かおをしていた。

「その一件依頼、女王グラシエは閉鎖的な体制を整備した。かつて非道を働いたドワーフを排斥した。同時、魔王に服属した。二度と戦争を起こさない為だ」

「反対は起こらなかったの? 服属の先に待つ未来なんて、簡単に想像がつくわ」

「女王がいなければ戦争は終わらなかった。エルフは皆正気じゃいられなかった。彼女が国を思って選択したのなら、従うのは道理だろう」

 ならば何故、ロータスは魔王からの解放を求めるのだろうか。

 そもそも彼は、どうして此処に?

「魔王の元に集うのは九つの悪鬼。魔王が惑星ほしを蝕み続ける為の道具だ。本来、従うべき相手じゃない」

「理解したよ。土の精霊が倒れた今、キミ達が独立したのなら——各地で反乱が起こるだろう」

 ロータスは静かに頷いた。

 魔王を支える強大な柱、そのうち一つの瓦解が与える影響は確かに大きい。

 それにもし、女王が魔王との離別を選ぶのなら、私たちが此処で戦う理由はなくなる。

 

 最善の選択は、独立と和睦の道に違いなかった。

「協力するよ。誰も傷付かなくていいのなら、それが一番だから」

「……感謝する。早速、計画を立てるとしようか」

「どうする。女王が我々の言葉に従ってくれるとは考えづらいが」

「力ずくで一人を説得できればいい。実力で味方につけたとなれば、彼女も聞く耳を持ってくれるはずだ」

「こころあたり、あるのか?」

 モミジの問いにロータスは頷く。

 挙げられたのは、予想しうる中で最も未知数の存在の名だった。

「女王グラシエの右腕、騎士メルセ。を此方側に引き込みたい」



 その日、私たちはロータスの家で休むことにした。

 凍える体を休めて夕食を摂り、何事もなく床についた。眠れなかったのは、昼間の話が原因だろうか。

 不図夜に目が覚めた。

 誰か起きているだろうかと、辺りに視線を送ってみる。すると同じ思いだったのか、横には退屈そうなネリネの姿があった。

「あら、今朝ぶりかと思ったら。眠れないの?」

「……うん。気にしなくていいと思っても、どこか落ち着かなくてさ」

「火を貸してくれるかしら。お茶を淹れるわ」


 出来上がったハーブティーに口をつけながら、私とネリネはリビングで喋っていた。

「和睦、上手くいくのかな」

「この国に戦いたい人なんていない。私たちも同じ。だとしたら、道は必ずある。……気負わなくていいのよ」

 ネリネに言葉を返す直前、奇妙な感覚が胸を叩く。

 私が肉体を委ねるや否や、すぐにサラマンダーが表へと飛び出してきた。

『随分甘い言葉よな。だが咎める理由もない——それより、悠長に茶など飲んでいる場合か。気づいておろう』

「昼間の騎士でしょう? 解っているけど、わざわざ戦う理由もないわ」

『その甘さは命取りだ。彼奴、交渉の上で最も邪魔になるぞ』

 ネリネはカップを机に預け、例の冷ややかな視線と共に立ち上がる。

「何か企んでる顔ね。いいわ、乗ってあげる」

 期待混じりのその視線に、私の体は頷いた。



 暗闇を紅と蒼の光が駆ける。

 魔力出力を極度に制限して針葉樹林を抜けた。

 暗黒の中、確かに騎士は立っていた。私は彼の背後を取ると、同時に魔力を爆発させる。

火の女イグニス・フェーミナ

 鎖を振るって炎を飛ばす。しかし彼は、攻撃の挙動を見るまでもなく——巨大な斧でそれらを弾く。

 轟音と共に雪を散らして、斧が逆袈裟に上げられた。命を狩りうる強烈な一撃を、サラマンダーは軽やかな身のこなしで躱してみせる。

「……来たか、異邦の戦士よ」

『解るのか。襲撃対策とは見上げた根性よな』

 騎士は首を横に振り、慣れた手つきで斧を下ろす。

「魔力を放っていたに過ぎない。何か今日は、強き者と出会えるような気がした」

 サラマンダーは微笑んだ。同時、眼前で魔力が爆発した。

『……注意せよ。此奴、正気を失っておる』

 禍々しい魔力の渦は、騎士の異常性を実直に語り尽くしていた。

「この名はジョフロワ。異邦の騎士よ、その力」

 

 騎士は既に地を蹴っていた。

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その日、私は龍に喰われた。 蒼井泉 @sen_sui

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