第二章 追悼

「政府の歪な内政、一億総中流の瓦解」「貧民地区の悲惨な実態、目を背ける富裕層」「日本国民の70%はアフリカの貧困層以下の生活、為されぬ救済」

 時計の文字盤ほどの大きさの機械から発せられる、空に浮かんだホログラムに指を置いて、サッと左へと動かす。「日本社会の分断は破滅を招く」「経済植民地日本、没落国家米国」

 酷いものだ。いつからこの国は、いや世界はこうなったのだろうか。珈琲に唇を付けながら、私は退廃的な、憐れむような気分になる。

「警部補?何を読んでいるのですか?」横から唐突に声をかけられる。一瞬、鼓動が大きく鳴る。

「ああ、巡査、少し新聞を読んでいてね。なにぶん夜は暇なもので。」回転椅子をほんのすこし巡査のほうへ向け答える。

「そうでしたか、突然失礼しました。それにしても見かけたことのない新聞社ですね。【ヘイセイシンブン】?ですか」

「アハハ、そう、【ヘイセイシンブン】だよ、平声新聞。ローカル紙でね。知らなくて当然だ」私はニコリと微笑を浮かべながら返す。哀れみも含ませて。

「ローカル紙でしたか。ここに配属されて少し経ちますが、まだまだ知らないことだらけでして……普段は新聞も読まないもので————くだらないことで話しかけてすみません」

 そう言うと彼は、自分の席に戻った。穏やかな顔で部屋の一番前にあるモニター、監視モニターを見ている。ローカル紙なんて嘘に騙され、世の中の更に大きな虚像に、踊らされる、純真無垢な顔で———。

 ホログラムを切り珈琲を一口、今度はしっかり飲んでから背もたれに体重を預け、背伸びをする。夜中の管制室には私と巡査しかいない。

 平和な夜だ。昔では考えられないほど、警官なんてもう要らないのでは無いかと思うほど。

しかし————、これはあくまで、我々の平和で、いつ崩れてもおかしくない。いや、もうすでに崩れているのかもしれない。

 崩れたときに起こるのは審判だ。全てを飲み込み、全てを裁く————ひとたび始まれば、誰もかれも、見境なく裁かれる。テロルのように平等に……

 王党派、反革命からジャコバン派、さらに普通の、無垢の人々も。

勿論私も裁かれる。罪人として、王党派として。

ギロチンが、私の首を刎ねる光景が脳裏にハッキリと浮かぶ。無垢の市民が首を刎ねられる所も————。

 市民はただ、知らなかっただけなのに、ただ革命の原動力と諸原因に触れることがなかっただけなのに。

 本当に罪があるのは、無気力と恐れから、現状を維持することしかできない、社会構造の如何を知っていながら、彼らに手を差し伸べられない私のような人間なのに————。

無知は罪なのか?無知は力なのだろうか……?

取り留めもない問答をしながら、私も先ほどの彼と同じように監視モニターを眺める。

彼とは違い、罪悪感と首が刎ねられることへの恐怖、この見せかけの平和を少しでも保とうとする愚かさが籠った目で。

 監視モニターには無数の緑の点が映っている。平和そのものだ。千代田、練馬、板橋、新二十一区外————、そして————「それ以外」

 これら全てが緑で、不確実な、不安定な平和————治安を証明している。証明をしているが、同時に残り0.1秒を切った終末時計でもある。

 私は珈琲を啜りながら、いつも通りの、動きのない静止画を眺めていた。

 反転。一瞬の事だった。それ以外、つまり郊外、いや、あえて言う。貧民地区の一角が赤く光った。赤い光を見た瞬間、時計が零へと針を進め、地面が割れ、私のこの身が地底へと落ちる感覚に陥った。しかし、すぐに意識を現実に戻した。

巡査に声をかける。

「どうやら厄介ごとが起きたみたいだ。すぐに行こう。車を出してくれ」

 よくあることだ。あそこは治安が悪い、駐在所も本署もないから、小さな揉め事と、そのせいで死人が出て、遺体回収————なんてのは日常茶飯事だ。

だから、赤くなった程度でおびえることなど無い。そんなこと、理解はしているが————。

 今日だけは、何故だかいつもと違う気がしたのだ。漠然とした恐怖———。虫の知らせなのか————。

 モニターに投影される通報内容に目を向ける。


「近くを通った監視ドローンから通報。 発砲音アリ 銃撃戦の形跡なし 自殺の疑い。 場所 東京都旧市街・江龍密地コウリュウミッチ・東棟四二〇号室。 当事者 国民生体ID照合氏名・東 悠アズマ ユウ

 監視ドローンの撮った画像には、鉄格子越しに横たわる人影があった。国産機のため解像度が悪く、詳しい状況は分からないが。

「発砲音、自殺」「当事者・東 悠」この文言がどうしても引っかかる。刺殺や扼殺、縊死、そんなのはよくあることだ。だが、銃に関する通報は、私の記憶が正しければ今まで、一度もなかったはずだ。

 そして、国民生体ID————氏名と紐づけられたを、なぜ貧民地区の住民がもっているのだろうか。

銃はどこから手に入れたのか、「東 悠」なる、当事者は何者なのか————、これらの疑問が靄のように、私の脳髄を覆う。

 そんな考え事をしていると、巡査が部屋に戻ってきた。

「警部補、車の用意できました」巡査が言う。

「わかった。行こう」

 私と巡査は、小走りに署を出て、梅雨のじめじめとした、六月の、人を殺すような空気に触れた。

 ドアを開け、車内に滑り込み、湿気から逃れるように空調を点ける。エンジンは既に始動している。

運転席と助手席の間にある、小さなパネルを巡査がいじると、車体はふわりと浮き上がった。


貧民地区へ向かう。


 今夜は、いつもより空路が空いていた。普段は赤色灯とサイレンで、無理矢理他の車をどかしながら、それでも遅いと思うくらいの速度でしか、東京上空を飛ぶことはできないのだが、今日は滞りなく飛べた。

 車体が貧民地区の、アスファルト舗装が剥がれた地面に降りる。

「着きましたよ」

少し緊張したような声で、私に目的地が正しいかどうか確認するように言う。

「降りるぞ」

 再び六月の空気の中へ潜りこみ、車体後部へ行き、トランクを開ける。

「一応、銃は持っておけ。あと医療セットも」

「銃?拳銃ならもうすでに携帯————」

巡査の言葉を遮り、トランクの、奥の方へと手を伸ばす。

「違う、こっちだ」

私は黒色のリュックサックと、トーラス社製のT4を彼に渡した。

「え、ライフルって……今回は自殺者の遺体回収で……別に立てこもり犯がいるわけでも、犯人がいるわけでもないのに何故……」

巡査はなにか、本能的に危険を感じたかのような顔で聞く。

「なんとなく……だ。私の気分的なものだと思って付き合って欲しい」

なんとなく、なんとなくだ……。

なんとなく必要だと、持っていた方が良いと感じる……銃という言葉に、発砲に、囚われ過ぎなのかもしれないが……。


 コンクリートに何を混ぜ込めば、何を塗りたくればここまで汚くなるのか。そう辟易してしまうほど汚い色をした、外壁の雑居ビル。その外階段を上がる。

銃が手摺にあたり、赤錆と擦れ、やすりで鉄を削るような音が響く。

「自殺なんて、気の毒な話ですね……」巡査の悲しげな声が、背後から聞こえる。

その発言に幽かな無責任を感じ、僅かな苛立ちを覚えた。ただの責任転嫁、押し付けでしかないのだが。

 不気味で古びた、「小九龍ショウクーロン」と呼ぶのが相応しい違法建築を、指示の通り、歩いていくと、「420」と印字されたプレートが雑にねじ止めされた、小汚い、ずっと昔のアパートメントのようなドアにたどり着いた。

 巡査は、ベストに入れていたタブレット端末を取り出し、位置情報とデータ、写真を念入りに確認し、

「ここです」と、画面とドアを数回見比べてから言った。

私はドアノブを捻る。開かない。

「駄目だ、鍵がかかってる。壊してくれ」

 巡査はリュックサックの中から小型のプラスチック爆弾を取り出した。

ドアノブ近くの、ちょうど鍵があるであろう位置に取り付けると、爆弾に着いている粗末なスイッチをいじり、

「離れて下さい」

 私と巡査はドアから距離を取り、耳を塞ぐ。プラスチック爆弾が煙を立て、ドアに黒い痕と穴ができた。巡査は爆弾と、器具の片付けをしている。

 私は外れかけたドアノブに手をかけ、今度は捻らずに引いた。ドアは甲高く軋む音を立てながら開いた。


 彼女は私からほんの少し離れた、しかし、そこまで遠くなく、そして自然な、直線状の、目線の先にいた。ドアを開いた先、貧相な四畳半で眠っていた。年頃の少女が、頭から血を流して。

 血が彼女の周りを赤黒い薔薇の花びらを散らしたかのように彩っていた。

 血の薔薇に体をうずめる彼女は、白いフリルのついた、新品の黒いワンピースを着ていて、それは、入口からでもわかるほど、上等で真新しい服だった。

 私はこの状況に、少なからぬ違和感と疑問を覚えたが、目の前の光景の、あまりもの強烈さ、異様さに圧倒され、薄らいでしまった。

 彼女の死因を詳しく調べるために、部屋へと踏み込み亡骸へ近寄る。右手には、合成樹脂製だろうか、粗悪な、明らかに密造品だと、樹脂の積層から、素人目でもわかる拳銃を持ち、左腕には紫陽花の花束を抱えていた。銃創は頭を右から左へ貫通していた。

 彼女の顔を覗き込む。

彼女は血の気が引いた青い死人の顔をしていた。その整った顔つきからは、生前の美しさが伺えた。そして、安らかな、眠るような、だが何かに絶望したような表情をしていた。

 私は彼女の黒いワンピースに身を包んで、赤黒い薔薇にうずまり、眠るという————その死に様に、ちょこんとした少女らしい体に、そして、整ったどこか大人びた顔まで、その全てに、どこか、感じてはならぬ、不謹慎で神聖で不可侵な美しさを感じてしまった。

 安らかでありながら、苦悶の入り混じった表情は、この世の愚かさを嘆く女神のように、世俗を恨み、何かを呪い、この世の全てに諦念と殺意を持っているかのように見えた。

その美しさの中に、薄ら寒い狂気のようなものが入り混じっているように見えた。

そして、私はその姿に責め立てられているような気がした————。

 腰を上げ、彼女に手を合わせる。弔いからなのか、罪悪感からなのか……。

 目を開け部屋を見回す。

ドアを開けた真正面を開いた瞬間、遺体が目についたので、部屋全体の詳しい状況は確認していなかった。

 狭くて独房のような部屋。それがこの部屋に抱く率直な感情だった。陶器でできた貧相な洗面台に、20世紀を思わせる地味な薬棚。茶やら赤やら黒やらで汚れたゴミ箱があった。

中には注射器や薬瓶、ほかにも薬のシートやパケ袋が詰まっている。

 そして、部屋の隅の窓際には、意味深にこざっぱりと片付けられた、小さなテーブルがあった。

 テーブルの上には、一目見ただけで、それが安物であるとわかる万年筆と、ブラックブルーのインク瓶が、そして茶封筒が置かれていた。

 テーブルへ寄り、茶封筒を持ち上げる。

茶封筒には「遺書」となにか話したげに、悲しげに、恨めしそうに書かれていた。

 茶封筒の封を破る。

 本来なら、遺書なんて読む必要はない。ここは市民地区でないのだから。

 それでも私はこの遺書を読むことにした。これが不合理で、時間を消費する、無駄な行為であることは理解している。理解している————が、

 何故だろうか、これも気まぐれというやつなのか。それともこの街に漂う、瘴気、邪気————媚、誘————どれとも取れ、どれとも定義しがたい空気に、雰囲気にあてられたからなのか。理解や合理は、切り裂いた頸動脈から流れ出る、鮮血として失われ、代わりに、好奇心とジャーナリズムという心情、大義が私の脳髄から四肢の端までを埋め尽くした。

切り裂かれた頸動脈には、グロテスクな縫痕と、瘡蓋ができていた。

私の思考と心情は、このように、ひたすら純粋で、残酷で、低俗な欲求と、正義によって支配された。

 彼女はなぜ死んだのか、彼女は生前、この世界に対して何を思ったのか。そして————そして、彼女が、この貧民地区の、不可触民の一員が、ここで何を見たのか。

ここから見える市民地区は、我々は、ノーメンクラトゥーラは、彼女の眼にどう映ったのか————。

 私はそれを確かめたいのだ。

 無論、私の求める問いが記されているという確証は無い。

しかし、私は手元にある封筒の中にそれがあると信じている————。


 封を切ると、ブラックブルーのインクがのった、四〇〇字の原稿用紙が二枚現れた。

 紙を広げ、二枚の紙を捲る。

ざっと全体を見る限り、文字は所々、手の震えからか線がぶれているところがあるものの、形自体は整っている。

そして、遺書には似つかわしくない段落がつけられていた。

 廃れた筆記、記録媒体と言い、妙に均整の取れた字と言い、段落と言い、妙な違和感を覚えながら、内容を読む。

 単調で率直な情景描写。死の宣言。己の為すことと、「一般論」「公序」との対立、それに対する反証————。

 嗚呼……やっと解った。やっと、付き纏っていた靄が消えた。

何故、とっくの疾うに廃れた万年筆や原稿用紙————入力、記録媒体を用いたのか、なぜあんな恰好を、死に装束をしていたのか————彼女が何故、銃で死んだのか、死ねたのか————、さいごの宣戦布告だと、末尾の皮肉交じりな自由律俳句によって……やっと気づいた……。

 終末時計の針は、既にゼロへと進んだ。我々の退路は断たれた。我々はもう戻ることはできない。

 審判は始まった。もうヴ・ナロードの声を揚げる者はいない。いたとしても、その声は終末を告げる喇叭の音に虚しくかき消される……。

 地に伏す老若男女、燃える遺構、斃れる二千年の系譜、散逸するレガリア、遂に主を失った城郭、泥犂と化す行幸大路、昭和二十年に顕現した地獄、四十年から長らく続いた鉛の時代————真新しいアルファルトは血で溢れ、人々は罪のあるなし関係なく首を落とされる、塔は焼かれ、街はバグダードと瓜二つ……。

 バグダードでは大義を失った者たちが、血と肉に飢え、セクトとアジテーションを新たな大義に、聖戦という名の自壊のゲバルトを繰り広げる。

 私はその光景を、ただ、胴と切り離され、反応を失った瞳孔から眺めるのみ……。

 これから起こることが鮮明に脳裏を過る。高い城の向かいのアパートに住む男が出した最後の変卦———「城郭崩れて壕に返る」これよりも現実的で、凄惨な末路が、もうそこまで迫っているのだ。予定されているのだ。

 我々はもう既に、コンコルド広場の処刑人の横に立たされている。靴を踏んだことを処刑人に謝る時間すら残されていない。

 遺書の主が、目の前で眠る彼女が————この露悪趣味なインテリゲンツィアのように、遺物で詩吟に興ずることすら、今の我々にはできない。

 私は見覚えがある!この万年筆に、この原稿用紙に!私はこれらを見たのだ。見ていたのだ。煉瓦造りの格式高いあの場所で————研究室で、大講堂で、半期毎に受ける科挙で!

 彼女が見たかもしれない————少なくとも、彼女の父母にあたる人物が見たであろう光景を、私は見たことがある。そして、彼女が知っていることは、私も知っている。そう断言できる。

 この地区に住む住人————「同族」をただ傍観した結果、我々は目の前の彼女に————同じ「市民」に突き落とされたのだ。

 なんと滑稽で、悲しいことだろうか。我々は最後まで同族を円卓越しに、話すことすらできなかった。バリケード越しに一言、交わすことすらできなかった。

 無言、或いはこの街の喧騒にかき消され、声を響かせることのなかった同族の、悲痛な叫び、最後通牒、宣戦布告は、同族ではなく彼女という市民によって放たれた。なんと虚しいことだろうか……。

 然し、これは自然なことなのだ、当然の仕打ち、報いなのだ。プロテスタントのいうところの、予定説————中華で言う天命————、我々で言うところの、演劇にありがちな、お約束。つまり、予定調和なのだ……。

 仕方ない、甘んじて罰を受け入れよう————。それが、贖罪になり得るのなら————。そして第一、私には同族に銃口を向けることなどできないのだから、そんな資格も、向けようという気力もないのだから。だから、黙って処刑台に立とう————。

 私は絶望感と、彼女に対する憎悪、そして一種の同情、敬意、これから起こるテロルと私に課される罰への覚悟……というより受容だろうか、納得だろうか、妙な腹の決まりだろうか、兎に角、一言では言い表せない、過多な感情から、非現実的な放蕩とした感覚に浸っていた。

 夢心地な、映画のような————幼少期の、酷い熱にうなされ、やっと目覚めたとき、微熱交じりで床から起き上がったときのような、そんな離人感が、私の現実感を奪っていった。目の前の彼女も、玩具と見分けのつかない、樹脂の積層が見える銃も、赤黒い、四畳半を満たす棺桶の薔薇も、全てがスクリーン越しに見る、脚色された俯瞰のようだった。

 途端に外から、大雨の、火薬と鉄の豪雨の降る音が鳴り出した。

 唐突な轟音に、そして嫌な予感……いや、予言の的中から、私の現実感が戻りかける。

 つづいて、入り口の方から、顔が赤いのか青いのか、如何にも目の前の様子を処理しきれないといった、混乱した顔をした巡査が、私めがけて転びながら、駆けてきた。

「外で!外で!」

 現実感が六割程度戻る。巡査がまた転ぶ。入口のへりに足を引っかけて転んだ。

「人が!皆が!」

七割程度。巡査は、立ち上がりながら叫ぶ。適切な語彙を探そうと躍起になって。

「集団が銃で……!銃を撃ってます!乱射!乱射!」

 私の現実感は完全に戻った。巡査がまた転ぶ。彼女の血で足を滑らせて転んだ。両手の平と、ベストの一部についた血痕を見て、私と巡査の間に横たわる、彼女の存在に気付いた。

「なん……ああ……なんだよ……本当に」

 巡査は、立ち上がりかけた、その体勢のまま、声を震わせる。

薔薇の上に二、三滴、透明な雫が落ちた。

 私は帯革から、小型のタブレットを取り出し、監視モニターで見たのと同じ東京の地図を見る。


「暴動発生 各員至急出動せよ」


 この文言と共に、半分以上が赤に覆われた、東京の地図が画面に表示される。赤は瞬きをするたびに、緑色の範囲を侵していく。千代田も、新宿も————。

「暴動だ。東京中で」

 落ち着き払って、妙な冷静と覚悟から、一言、巡査に放つ。

 巡査は、大きくたじろいだ後、憔悴しきった様子で、「この娘も……ですか?殺されたんですか……暴徒に……自殺なんかじゃなくて」

————』と、まるで自分や、その周りが、今後どうなるのか、この先、どのような目に合うかを、無意識に悟っているかのような、そして……、彼女を憐れむような、会ったこともない彼女を————、『』でありつづけていたら、すれ違うことすらなかっただろう彼女の死を、縁者のそれのように悲しむような調子で、私に聞いた。

「いや、自殺だ、自殺だよ。遺書があった。殺しじゃない」

 私は平坦に聞こえるように、そうつとめた声色で返事した。しかし内心は、巡査への驚きと、自己問答に————『果たして、私はなんの苦しみもなく、罰をうけて、贖罪をしてもいいのだろうか?』『ただ、知らなかった市民に、罪はあるのか?』『無知なだけの、ただ、純粋無垢な市民を、見殺しにしていいのか?』という命題に身を焦がしていた————。

『私には、まだ職責があるのでは————?予定調和は、予定説は———運命は、実のところ、行動を求めているのでは?』

 巡査は、私の返答と、周囲の血だまり、死に装束、密造銃に、悲哀の嗚咽と「どうして」「なんで」と、そして————彼は言った————そう、言ったのだ「なんで、同じひと同士で————」と、そういった。

 私は命題に決着をつけた。ただ悩み、ただ絶望するだけの、受動的ニヒリズムから脱却した。

 巡査は、そして恐らく各地の多くの市民は、今、やっと知り、或いは知ろうとしはじめ、そして、考えはじめたのだ。この社会構造の複雑さと残酷さを、そして、貧民地区のことを。すべきことは定まった。

 胸の前のT4を確と握る。私は安易な贖罪を拒む。最期まで苦しもう。不本意だが……、厭であるが、仕方ない。「同族」に銃口を向けよう。

 今、私は本当の贖罪のために、十字架を背負い、鎖に打たれる。この街の、狂ってしまった、不均等性から、疑似黒暗森林と化してしまった東京の、唯一の悪として、裁きを受ける。

 市民も、貧民地区の住民も皆、悪ではない。時代と予定に翻弄された『無垢』なのだ。それに対して、私は知っていながらなにもできなかった『悪意ある傍観者』だ。

 私はその、『傍観の罪』を不本意によって償う。同族への発砲という、資格なき闘争によって。

 外で再び、銃を乱射する音が聞こえた。巡査は何も言わず、ただ、涙を流しながら、血まみれになった両手を握りしめながら、立ち尽くしている。

「殺せ!殺せ!」「警官がいるぞ!」

「あっちの連中を殺せ!」「ぜんぶ焼け!」

「外来語を使うやつは殺せ!英語以外の外来語を使うやつは殺せ!」

「革命万歳!解放万歳!技術万歳!」

 ファンファーレのように、アポカリプティックサウンドのように鳴り響く銃声と、老若男女関わらず、大勢の人間の挙げる怒号、シュプレヒコールと、階段を駆け上がる無数の足音が聞こえる。足音はこの部屋へと迫って来ている。

 一階中階段、二階廊下、二階踊り場……、私は深く呼吸をし、そして頭の中で、自分の胸にバッテンの白襷しろだすきをかける想像をしてから、思い切り声を張り上げた。

「巡査!銃を持て、これから来るヤツは全員暴徒だ!反政府勢力だ!テロリストだ!投降しない限り、全員射殺しろ!職務を全うしろ!生き残れ!」

 巡査は驚き、慌てながら、しかしすぐに、恐らく「了解」といったのだろう、ほぼ叫びに近く、聞き取ることのできない単語をあげながら、銃を構え、安全装置を『AUTO』に操作した。

 入口に銃口を向け、照準を覗く目には、涙と恐怖があった。だが、その反面、野性的な生の欲求もあった————。


 私は祈る。予定説が真であることを。私の為そうとすることが、予定されていることを。そして、その予定が滞りなく進むことを————。


「流れよわが涙」と、私は言った。

安全装置は「AUTO」に、銃口は入口に。


東京に、調子の狂った、狂拍子の葬送曲が響く————。

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東狂葬送曲 東杜寺 鍄彁 @medicine_poison

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