十. 最後の仕事

 花山院忠長が蝦夷にいる間のことである。


 実は、慶広が家康に、二度も献上した物があった。それは海狗腎かいくじん=オットセイだったと言われている。


 もちろん、これは当時としては、蝦夷地でしか捕れない貴重なもので、オットセイは高価な毛皮や、さらには陰茎いんけい睾丸こうがんが精力剤などの漢方薬材料として珍重されたという。


 そして、慶広一行は、この時、津軽経由で南下しながら、すでに大御所として、駿府で政治を取っていた家康の元へと向かった。


 途中、彼は仙台城に立ち寄って、伊達政宗を訪ねている。

 その際のことだ。


 「独眼竜」と言われ、慶広とは親子ほども年が離れているにも関わらず、彼は家康が亡くなった後、天下取りに動くとまで噂されていた。


 慶広の「天才丸の目」はまだ生きていた。

 仙台城の大広間で謁見した際、彼の目に映った、伊達政宗という男は。すでに齢40を越えているとは思えないほどに、精悍な顔つきをした偉丈夫だった。


 右目がないが、その隻眼がかえって、精悍な顔つきを助長しているようにすら見える。

外ヶ浜そとがはまから江戸への陸路は遠い。伊豆守殿。ご子息を遣わしてはいかがかな」

 政宗の提案は、彼には願ってもないことだった。外ヶ浜は現在の青森県外ヶ浜町に当たり、津軽半島に当たる。


 双方の連携のため、そして蝦夷地から江戸や駿府に行くための道筋のため、あるいはもしも本当に伊達家が天下取りに動いた時に、情勢次第では素早く味方となるため。いずれの場合を考慮しても、伊達家と誼を通じて損はない。


 彼は、七男をやがて伊達家に遣わすことを約束するのだった。

 この七男が、安広やすひろという男であり、やがて伊達政宗に請われて仙台藩に仕え、栗原郡清水沢と江刺えさし郡小田代にて計千石を拝領し、のちに準一家の家格を与えられ、仙台松前家を作る元となる。


 ともかく、彼は江戸経由で駿府に向かった。


 駿府で大御所、徳川家康に謁見した彼に対し、家康は、

「おお、伊豆守。だいぶ年を取ったのう」

 しわがれた声をかけたが、この時、松前慶広は65歳、徳川家康は71歳になっている。


「大御所様は、相変わらずご壮健そうで、何よりにございます」

 一応、おべっかではないにしても、挨拶程度は心得ていた慶広だったが、大御所となった家康は、予想に反して、顔を顰めた。


「いや、それが最近、そうでもなくてのう。さすがにわしも年を取りすぎた。そこで、そなたに頼んでいたものが役に立つ」

「この海狗腎がですか」

 慶広が渡した海狗腎の臓器を家康は、受け取って、薬研堀型の器具を使い、それをすり潰してしまった。


「大御所様。何をなさっているのですか?」

「薬よ、薬」

 そう言って、粒のように小さくなった海狗腎の臓器を、家康は大事そうに持っていた小さな袋に入れてしまいこんでしまった。

 徳川家康は、常に健康に気を遣い、一種の「薬マニア」で、自分で薬を調合していたとの記録が残っており、実際にこの時、慶広が献上した海狗腎を薬に調合したという記録も残っている。


「さて」

 白くなった、自らの髭をさすった家康が、おもむろに慶広に向き合うと、今度は打って変わって、真剣な眼差しで、彼に諭すように呟いた。


「伊豆守。まもなく大坂方との戦が始まるぞ。その方にも働いてもらう」

「ご冗談を。この老骨をまだ働かせますか?」

 慶広としては、家中、特に跡取りに問題を抱えている状態で、戦に出るのは本意ではなかった。


 だが、家康は微動だにせず、老人とは思えないほどの鋭い眼光で睨むように彼を見てきた。

「『天才丸』。そなたの幼名らしいな」

「はい」

 どこから調べたのか。家康の情報収集力に脱帽している慶広に、彼は告げる。


「そなたの最後の務めになるやもしれん。そなたのことは信じておる故、よもやあるとは思わぬが、のことがあった場合、わかるな」

 念を押すように、告げてくる家康の顔が、まるで般若の仮面のように映っていた慶広。


 彼には「全く思い当たる節がない」わけではないだけに、肝を冷やす思いがすると同時に、この「脅し文句」の先を読むのだった。


「承知しております。松前家のことはそれがしにお任せ下さい」

「うむ。頼むぞ」

 途端に、好々爺のような表情に変化している家康。


(やはり大御所様にはかなわぬか)

 改めて、「天才丸」と呼ばれた男は、「真の天才」を前にして、自らをせいぜい「秀才」程度にしか思えない自分に気づくと同時に、家康という「化け物」の前では、「天才丸」の名すらも霞むと畏怖するのだった。


 やがて、家康の言葉通り、関東と大坂が手切れとなり、各地の大名に大坂への参陣が通達される。


 中央からはるか遠い蝦夷地にも来ることが予想されていたが、この最初の陣、つまり大坂冬の陣においては、


「出陣の儀は無用」

 との通達が、幕府から蝦夷地に届いていた。

 その代わり、使者に同行した別の男が、一通の書状を携え、


「大御所様よりです」

 と文を慶広に渡した。


 そこに書かれていた文章を読んだ慶広は、特に驚きも喜びもせずに、

「承知致しました、と大御所様にお伝え願いたい」

 とだけ言って、使者を返した後、すぐに主だった家臣を集めた。


 一種の軍議のような物が開かれるような勢いだったが、その時、話の中心に上がったのは、軍議ではなく、手紙の内容についてだった。そして、この軍議に唯一呼ばれなかった男の話題でもあった。


由広よしひろのことじゃ。大御所様よりの催促じゃ」

 慶広が家臣に見せた、家康からの手紙。


 そこには、こう書かれてあった。

「松前由広に、大坂方へ加わる動きがあり。そちらで対処願いたい」

 つまり、大御所、徳川家康は以前から、この由広が、裏切ることを察知していたことになる。

 天才丸を唸らせる洞察力と観察力、情報収集力であり、慶広が家康には「敵わない」と思った理由だった。もっとも、慶広自身も、内心、由広を疑ってはいたが。


 松前由広。慶広の四男であり、この時、22歳。

 彼は、ある意味、「可哀想な」役回りの人生を過ごしており、当時、兄であり嫡男である盛広になかなか男子が生まれなかったため、その兄の養子に迎えられ、将来は松前家を継ぐと目されていた。


 ところが、その盛広に公広という跡継ぎが生まれると、養子関係を白紙に戻されている。


 このような経緯から、父や兄とは仲が悪かったらしく、また甥で、跡継ぎ候補の公広とも常に反目していたと言われている。


 その由広が大坂方に内通している。

 家臣たちは、顔面蒼白になる者、あるいは予見していたのか無言になる者もいたが、慶広は、


「由広を呼べ」

 とだけ、告げて、家臣を派遣させた。


 まもなく大広間にやって来た、不服そうな表情の由広に対し、父の慶広は、家康からの手紙を放り投げて寄こし、


「相違ないか?」

 とだけ尋ねていた。


 それを見て、今度は由広の顔が見る見るうちに、真っ青になっていく。

 そして、


「父上が悪いのです!」

 いきなり抜刀して、父の慶広に向かって、斬りかかろうとする由広。


 その前に多数の家臣によって、囲まれ、ずたずたに斬り刻まれて、血溜まりの中で絶命していた。


 こうして、あっさりと由広を始末し、幕府へ報告を出す慶広。

 現代人なら、彼を「非情」と呼ぶだろうが、戦国時代の武家とはこういう物だったのだ。


 家を守ることが第一。そのためなら、たとえ身内でも犠牲者を出すことに躊躇しない。


 翌、慶長二十年(1615年)。大坂夏の陣。一応、この戦には蠣崎慶広は参戦しているとされている。ただし、布陣図などにその名が見当たらないため、恐らくは戦場からは離れた後方支援のような立場にあったと推測される。また、老齢のため、代わりの者を派遣した可能性も考えられる。


 翌、元和二年(1616年)4月。慶広は、大御所、徳川家康が75歳で亡くなったことを伝え聞くと、突如、剃髪して海翁かいおうと号した。


 彼は尚も政務に励み、19歳の若武者に成長していた公広の後見人として、活動していたが、やがて病床に伏せるようになる。


 家臣たちは、「大殿」と呼んでいた慶広が、簡単に亡くなるとは思っていなかった様子だったが、ある時、彼は主だった家臣を枕元に呼び寄せた。


 そして、熱に浮かされたような朦朧とした顔を向け、同時に、傍らにいた重臣に筆を取らせ、紙に書かせた。


「よいか。我が一党は陸奥むつ国の果て、検地もなき異国に等しい地に住む者なれど、ご公儀にお仕えし、この蝦夷ヶ島の沙汰を任された。その方らは、わしが亡き後も藩政を担い、アイヌ衆と協力して安泰に務めねばならぬ。公広に仕えて諫めがあれば諫言に及び、足りぬことがあれば奉公に務めよ」

 これが松前慶広の遺言となった。


 10月12日に死去。享年69歳と伝わる。


 彼の死後、嫡孫ちゃくそんである19歳の公広が後を継ぎ、松前藩2代藩主となる。

 松前藩は、江戸時代を通じて、蝦夷地を治めることを認められ、明治維新の頃、14代修広ながひろまで続いた。

 幕末には、松前崇広たかひろが幕府の重鎮である老中になっている。


 だが、慶広以降、幼名に「天才丸」を持つ松前家当主はついに現れることはなかった。

 彼は、本当に「天才丸」の名に相応しかったのか、それとも天才には及ばない「秀才」だったのか。それはわからないが、ただ一つ。

 時流を見て、戦国時代を巧みに生き残り、松前藩の基礎を作ったことだけは確かだった。


(完)

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天才丸の飛翔 秋山如雪 @josetsu

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